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光の中を旅してた-The World Needs You-

この旅で出逢った、すべてのひとへ。
Thanks for all of you guys who I met during my journey.

 
そして、これから出逢うすべての人へ。
And to all the people I will meet in the future.

この世界には君が必要だよ。
The World Needs You

序章 日本編

South Japan
俺たちの夏からのソロプロジェクト
Okinawa-Hiroshima編
Japan 日本

Love & Natural

「ジーパンにひげつけてぇな」これがこの時の表向きの旅の目的としていたこと。

本当は「活動休止後のバンドマンの人生」ってどういう風になっていくのかに興味があった。

そこから先のことは決めてなかった。

仕事もやめていたし、バンドも活休していた。

なんにもない。

なんだって、どこにだって行けた。

一人旅もしたことがなければ、旅のやり方もわからなかった僕の目的地は、いつも出会った人との会話の中から産まれてきていたようにも思う。

真っ青な海を眺めて何を想えばいい、僕は左手に花を握っていた。

沖縄民謡を、宿で出会ったお姉さんと一緒に聞きながら、オリオンビールを飲んだ。

お姉さんは最近離婚したみたいで、「沖縄には休暇で来ているの」と、言っていた。

港から鹿児島まで行くフェリーが出ているらしい。

雑魚寝の二等室から

夜に奄美大島に着いた僕はどこに向かえばいいんだろう。

暗がりの中、波の音だけが聞こえてくる。

星を見ながら歩いた。

畳の部屋で一人でゆっくりとして、静かに夜は更けていった。

奄美大島の港を離れて見渡す真っ暗な夜。

闇に響く船が鳴らす不気味な音。

「俺はこれからどこまでいっちまうんだろう」

小さい頃の僕が、船の甲板駆け回って、こっち向いて笑って霞んで消えた。

僕は濡れた髪を乾かしに船の甲板へ、海原はどこまでも広がっていた。

船は一路、鹿児島を目指す。

敬天愛人

鹿児島のフェリーターミナルへ一歩足を踏み入れた。

僕は鹿児島中央駅前のゲストハウスで、オーストラリアのアデレードの農場で働いていたというとしさんに再会した。

「天を敬い人を愛する」まるで聖者、俺にもできるんだろうか。

帰り道、遠くの鹿児島中央駅の上の観覧車が夕暮れに染まっていた。

鹿児島の街の近くの城山展望台から、噴煙を上げている桜島を見た後、フェリーに乗って桜島へ。

そう言えば、やす君も屋久島に行ったって言っていた。

俺もいつか行ってみたい。

ユー・アー・ソー・ビューティフル

鹿児島中央駅で買った「青春18切符」全部で、5回使える。

緑は深く、小石が濡れる。

葉っぱから滴り落ちる雨露がまた葉っぱを揺らす。

大きな石と、小さな石が音を立てずに呼吸をする中、神社の出口で案内看板の下に固まっているニワトリ達を見た。

雨はもう上がったか、電車は揺れて、快音と共にトンネルを越える。

親切な人に助けられての今があるよ。

その夜、宿では小さなパーティーが開かれた。

嬉しいこと、楽しいこと、たくさん

大分には何があるのかわからずに僕は、としさんのいるゲストハウスを目指した。

この夜はとしさんと、新しく出会った年上の兄さんと一緒に、近くのスーパーで買ったおつまみとビールで語り明かした。

夜が明けたらさようなら。

新しい朝と共に全ては一新する。

それから、春の暖かな日差しのもと、竹瓦温泉って言うとっても粋な別府にある銭湯みたいな温泉の熱いお湯につかって「魂」を温めた。

その日、宿に戻って旅の計画を練っている時に仲良くなった子がいた。

I just want to be pure

今でもたまに夢に見ることがある、僕らの「青春時代」あぁ。

いつか君とまた話がしたかった。

笑ってますか。

あの日の僕は。

変わったのは、僕。

流れたのは、たくさんの時間。

初めて見る山頂、そして火口。

硫黄臭いにおいが立ち込める。

ふとした隙に、白い煙が黙々と立ち込め、警報が鳴る。

宿に帰ってリラックスしていると、女将さんから、「みんなで囲炉裏のところで話しているので、来ませんか?」と、お誘いがかかった。

朝が来て、阿蘇から熊本へ電車で移動した。

水前寺公園の透き通った水、綺麗に整備された庭園。

僕は一人で静かに思い出を巡っていた。

熊本城にもう一度のぼった。

もうみんなはいない。

火の国熊本を経て、駆け足で長崎まで向かう。

俺たちの

旅人からは「希望」をもらっている。

勝手だけど。

心地のいい川風が春のせせらぎに乗って届いた。

それから爆心地にいったんだ。

平和の銅像の前の献花は絶えることはない。

この悲しみはなくなることもない。

歴史は変わらない。

大切な命、今を生きる。

空を仰いで長崎の街を歩く。

足元に咲く花はいつも綺麗だ。

長崎の街には坂が多い。

あの坂本龍馬もこの坂を歩いたのかなぁ。

グラバー園のカフェで食べたカステラ。

コーヒーを啜った後、下ったオランダ坂。

どれもこれも僕だけの思い出じゃない。

僕が欲しかったのは生きた言葉だ。

スマイル

目を閉じるとあの子の笑顔が浮かんでくる。

長崎からは、バスで福岡の天神まで移動した。

桜が綺麗に咲いていてさ、大きい池の前に腰かけて、アヒルみたいな鳥眺めながら、コンビニで買った缶ビールを飲んでさ、のどかな時間。

幸せな瞬間って感じの人生の春。

それでも「今が一番良い」って思えている人でいたいね。

全然、男はつらくない。

Bell of Peace

真夜中に着いた誰もいない広島の街。

縮景園、広島城。

そして原爆ドーム。

どこも市内にあるので、歩いて行けた。

忘れちゃいけない。

悲惨な歴史を体で感じてさ、やるせない気持ちに包まれたまま、この旅はこの土地、広島で幕を閉じる。

広島の街の献花台の火も消えることはないよ。

沖縄で行ったひめゆりの塔、平和祈念公園から長崎、広島と駆け上がってきたこの旅ももうすぐ終わる。

僕の旅は、新たな夢と共に、終わって、始まる。

West Japan
教えておくれプロジェクト
Izumo-Ise編

I talk with you

旅に出て本当に良かった。

鹿もいたなぁ。

桜も咲いていた。

見事にいい時期に桜前線と共に上昇してたんだなぁ。

一生分の桜は見たって思う。

それか、もう日本を学んだ後、しばらく離れるってことをすでに感じていたのかもなぁ。

だんだんと日が暮れて、車内には誰も居なくなる。

「車掌さん。あなたを信用していますよ」って何度唱えたことか。

今晩の宿は決まってない。

漂流、どうにでもなる。

どうにかすればいい。

そんなこんなで、出雲に着いたのは夜遅くだった。

Thank you 神様

出雲駅までバスに乗り、それからローカル線で30分くらい田園風景の中を走る。

行くんだよ。

行きたいところに行ってみる。

待っていたって何にも始まらない。

静かな敷地内をゆっくり歩く。

この旅は伊勢まで続くけど、出雲大社も伊勢神宮も、半端じゃない力を感じた。

この旅はそういう旅だったのかもなって、今振り返ってみると思う。

「古きを訪ねて、新しきを知る。温故知新の物語」、どうもありがとう出雲大社。

青春18切符LAST GATANNGOTONN

鹿児島で買った青春18切符も今日で最後。

鳥取駅で電車を降りた僕は、鳥取砂丘への行き方を案内所の人に聞いた。

砂丘のてっぺんから見た日本海も輝いていたよな。

足跡にはすぐに砂が流れ込む。

風でなぞられた砂漠の表面には砂で出来た波が描かれる。

砂の向こうの日本海へ夕日が沈んでいく。

そしてまた夜が来て山道を電車は走る。

――がたんごとん。

真っ暗闇の山の中、夜は一層深く辺りを包み込む。

たまに僕の目の中で反射する月明り。

今夜は何処に泊まるのかわからないまんま僕の体は岡山の倉敷に入って行く。

Good morning the wonderful world

春の快晴の空の下、咲き誇っているピンク色をした桜の花。

岡山駅前がまた熱くてさ、桃太郎さんや、「青春感謝」の銅像が建っていて背中押されたよ。

「胸に無限の覇気あらば 守れ不屈の意気の香を」って言ってくれてありがたかったなぁ。

お腹が減っていた僕は、城下町で腹ごしらえ。

「初恋定食」を食べて古ぼけた商店街を歩く。

岡山城の隣には川が大きく蛇行して流れていて、橋を渡るとそこには「日本三名園」の一つ後楽園がある。

そこの桜も見頃を迎えていた。

俺は「旅に向いている人間」なんだって思うようにしてる。

しこくのはる

瀬戸内海を横目に俺は香川へ向かっていた。

夕方、雨上がりの香川のフェリーターミナル前でデイリーヤマザキの開けた駐車場越しにレインボーがダブルで架かって出迎えてくれた。

俺は夜飯を食べに高松駅から回って、高松中央商店街の方まで足を延ばした。

通りに面して繁盛している小さな居酒屋に入ってさ、女将さんに「明日ヒッチハイクで、愛媛まで行こうとしているんですよ」なんて、密かにやりたかったこと相談したっけ。

朝早く起きて、花見客で賑わう高松で有名な栗林公園に行った。

道はいくらでもあるけど、引き返すっていうのは自分の意志に申し訳ない、やりきるのみだ。

僕はノートを掲げて、満面の笑みと共に道に立つ。

「良かった君乗っけて、二人でいるより楽しかったよ!」って言ってくれたのがお世辞でも嬉しかった。

光陰矢の如し

日が昇って、日が暮れて。

柔らかな日差しのもと、車窓からは海や山が見える。

松山駅前で降ろしてもらった時にはもう次の目的地は決まっていた。

あの、漱石の『坊っちゃん』で有名な道後温泉だ。

少し疲れた頃、僕は広場に躍り出る。

肌色の地面、茶色い木、そして満開に咲き誇った桜の白やピンクのコントラストは僕に、未だに松山城の美しさを忘れさせない。

お花見をしている人々はとても優雅だ。

湯船につかってのんびりと天井眺めてさ、そんな時間が幸せなんだよなぁ。

旅の中で感じる喪失感と焦燥感

高知駅前には坂本龍馬の銅像があった。

四国を巡る旅はまだ続く。

歩みを止めることはない、桂浜を見に行こう。

土佐犬センターに土佐犬が描かれた大きな壁があった。

桂浜にはでっかい龍馬の銅像が天に向かってドンと建っていた。

浜の端っこの方に小さな神社があったので、海の神様にお祈りをしてきた。

この旅のことより、「家族の健康」を祈っていた。

僕のことはあとまわし。

僕は僕を守れる、俺は大丈夫だから、そうじゃないと旅なんて出来ない。

人それぞれの旅がある。

チャンス・オブ・ザ・ライフ

徳島には眉山という山があって、もちろん僕はその山も駆け登った。

山のてっぺんから見える景色は素晴らしく綺麗で、遠くに流れる川が海へ注いでいた。

鳴門海峡を見たかった。

僕は小舟に乗ることを選んだ。

「渦」の発生するのが大きい日と、小さい日っていうのがあるらしい。

徳島ではすごく地味な家みたいなゲストハウスに泊まった。

旅はまだまだ始まったばかりだ。

言葉の命は愛である

この頃の何が僕を突き動かしていたのか、ただ単に「心の声」に従って行動していただけだ。

新しい朝、青い空。

公園のベンチの上で「日記」を書く。

姫路に着いたら見たかったものが姫路城だ。

書写山山頂まで登頂する迄に、色鮮やかな緑、黄緑、深緑の山道と共に、たくさんの「石像」や「詩」を見た。

それから、安宿に戻ってリラックスしていると、「言葉の命は愛である」という言葉が頭を過った。

僕が見てきた景色の中に、確かにそれはあった。

『気分はグルービー』っていう漫画で読んでいた通りの坂道の多さと人の賑わいだ。

路上パフォーマーの人とはこの頃相当な距離があったけど、まさか自分も「バスキング」を齧ることになるとはこの頃、全く思ってないんだ。

ここの夜景は大阪一帯まで見渡せるらしくてさ、夜景もすごく綺麗で、手で星が掬える様、という事で、掬星台という名前が付いたらしいぜ。

濃い旅しているよ。

どこにも行けなかった事だってあるのに。

マンションのベランダから見えた夜景も掬星台からみた街の明かりの一つなんだ。

バンドマン×旅人

そのまんま、自分のまんま日本でも働ける。

でも僕の興味が外に向いている今、この気持ちを応援してやりたい。

そんなこと、大阪にいた僕は感じていたのだろうか。

英語も話せないバンド上がりで電気屋に就職して退職した、ただの男なのに。

大阪にはいろんなおっさんががやがやしてんなぁ。

再会ってのが嬉しいよな。

なんだかんだで、また会えない奴らの方が多い世の中で。

まんよう

「詩」、これには思い当たる節がある。

バンドをやり始めた高校生の頃、僕も「詩」を書いていた。

熱いやつ。

書きすぎて、消して。

気が付いたら、明け方になっていて、新聞屋のカブの音が聞こえて、寝るんだけど、朝起きられなくて、雨が降っているからって理由で、学校遅刻とかしていたなぁ。

あの頃。

熱かったけど、今だって、僕だって。

出来んじゃねぇかって、お前も、俺も、いつでも「夢」をみ続けていたいよなぁ。

的な事が書かれた石像だってあったはずさ。

万葉の小道を経て、僕は和歌山市駅の前に着いた、そろそろ大阪に帰る。

大仏先輩

奈良駅を降りると、セント君の置物があった。

僕はこの頃ちょうど、東北にボランティアに行こうとしていた、それでそのことを宿でヘルパーとして働いているお姉さんに聞いたんだ。

「地球一周とはまた別で、ボランティア募集してるわよ」ってので、その場でインターネットで確認して、地元の役所でボランティアをするのに必要な書類を手に入れる必要があることを知った。

それから、五重塔、奈良市役所、春日大社、鹿。

若草山、奈良公園にはアニマルとかいて和やかな雰囲気たっぷりだった。

そして、お待ちかねの大仏を見に東大寺に行った。

先輩は、表情一つ変えない。

大仏、なんて言う不思議な力を持った先輩なんだ。

初夏の風に吹かれて

京都駅に降り立ち、外に出ると真ん前にドカンと大きく京都タワーが見えた。

それから清水寺かな。

伏見稲荷だっけな。

金閣寺だっけか、銀閣寺だっけか、龍安寺だっけか、はたまた四条、下鴨神社。

とにかく、鴨川のほとりを歩いていたんだ。

さんざん歩いて観光した後、この日のバッパー目指して帰る時に見覚えのある光景を目にした。

それは、俺達がまだバンドをバリバリやっている頃、京都のライブの終わりに四人で飲んだ居酒屋。

季節は流れて行ってしまっていた。

吾れ唯足ることを知る

嵐山の小さな神社の中に入って天井に描かれた龍を見た。

過去は、過去の思い出は、過去、僕の体を通して得た経験は、今の僕にアイデアをくれる。

あの頃の僕から、今の僕へ。

僕は京都の社寺を歩く。

僕はまた、ここでの思い出からパワーをもらっている。

昔の人は、きっと神秘的なものを信じていたに違いない、今よりももっと。

こんなの僕だけの力じゃない。

ゴールデンウィーク

人は忘れてしまう生き物だから。

僕の場合はこの時、思っていたのよりも少し重かったんだ、でもね僕の夢は叶えられてなくない、相当叶えられている。

いろんなもんを失っていると思うけど。

出雲からここ迄、初夏の太陽のような強烈なパワーに引き寄せられていたみたいだ。

Everything Under The Sun

僕は「僕以外の何か見えない力」に確実に引き寄せられていた。

いつも自分の声ばっかり聴いていたから、たまには人の声にも耳を澄ませて、身を任せてみるのもいいのかもしれない。

過去、現在、未来が混ざり合う。

外宮を巡っている時は空では雷が鳴っていた。

宿に戻ると、けんさんが僕に美味しい飯屋の情報を教えてくれたので、後で一緒に食べに行くことにした。

そこは近鉄宇治山田駅近くにある、まんぷく食堂という所だ。

からあげ丼を胃袋にかっこんだ後、雨も上がっていたのでバスに乗り内宮を目指した。

雨露が濡らした後の緑の葉っぱや、コケ。

木の根っこなんかはもう嬉しそうで、輝いて見えた。

太陽も、内宮を流れる川も全てに新たな力が宿っていた。

ここでこの旅を締め括るって言うのは一番いい話だ。

俺に今でも素晴らしい景色を見させてくれている。

それから、伊勢の街に降りて、うどんを食べてビールも飲んだ。

East Japan
One for all all for oneプロジェクト
Nagoya-Kamakura編

青春ごっこを今も続けながら旅の途中

伊勢神宮での参拝をおえた僕は、遥かに清くなった。

宇治山田駅から津って駅を越えて、名古屋に向かう。

そうそう名古屋の栄にはでかい公園があって、その先にまたでかいテレビ塔がある。

あぁ。

なんだか、思い出しちゃったなぁ。

バンドが活休して就職していた時、出張で名古屋まで電気工事をしに来ていたりした。

こてんぱんに怒鳴られて働いていた。

名古屋って独特の濃さを放ってる。

Likes

この時は本当に手探りで世界を探していた。

その時は小さな滝を見た。

それから、小さく形作られた仏像。

誰にも気づかれないようなものでも素晴らしいものはいくらでも存在する。

本当のこというと、全部うまく行くと思っている。

今だってそうだ、そうじゃなきゃ旅になんて出れねぇんだよ。

面白い世界をもっとみたくなっている。

もう、びびちゃって恐くてたまらないんだ、人と違うことをするってのは。

人の目が、もうそれは恐ろしい時もあるよなぁ。

がんばっぺ!

たまに僕の気持ちは、ちぎれそうになってないだろうか。

誰にも届かない気持ちを抱いているのは僕だけじゃないのに。

自分一人だけの世界に行ってしまわないように。

そばを見れば必ず誰かいる、誰かは汗かいて生きている。

そのまま宮城県の石巻を目指した。

「俺達に一体何が出来るんだ」俺達には何が出来たんだろう。

力を合わせることの大切さ、声を出すこと、助けが必要だと言うこと。

手に負えないことばかり、一人で抱え込まないで欲しい。

「One for All All for One! 一人の百歩より、百人の一歩」だとリーダーが言っていた。今日もがんばろう。

そうやって、支えあって、今日って日があんだべ。

強がって生きるこたぁねぇよ。

あそこでも俺はたくさんの人達に会い話し合ったなぁ。

この先どうなるかなんて、誰もわからなかったのにさ。

東京

ボランティア生活を経て、東京の高田馬場に戻って来た。

海辺でホヤの養殖の手伝いをしたり、地震と津波で半壊した建物の瓦礫を撤去したり、元々は、全部瓦礫なんかじゃなかった。

全部思い出の詰まった大切なモノ。

俺達が今持っているものと一緒。

ここでも不思議な出会いがあった。

「電気工事」の仕事をしていた時、よく千葉の八千代から、東京の田端まで仕事しに行っていてさ、建設途中のスカイツリーを眺めては、いつ出来上がるのか楽しみにしていたんだ。

いつの間にか完成して、いつの間にか真下からそれを眺めていたんだ。

あの世とか、宇宙とか

東京からバスに乗ってまずは松本城まで、城下町を歩いてさ、その夜は長野の善光寺の町に宿をとっていた。

夜のお寺はすごく異様な空気を放っていて良い経験だった。

あたりは暗くて人もいない。

善光寺の地下に降りて行くお戒壇巡りに参加した。

一寸先も見えない、あの世へ。

真っ暗な道の中を歩いていくんだ、そして仏像の真下に配置してあるドアノブを触ることが出来れば幸せになれるっていい伝えがあってさ、本当に真っ暗だったけど、俺達見つけること出来たんだぜ。

東京までの帰りのチケット、インターネットで取ったんだけどさ、そのバスの最後の座席だったみたいで、500円だった。

「なんてラッキーな人なの」って、その夜少し宿がざわついた。

導かれし者達

それが、あんまりにも早く着いたもんで時間持て余していて。

「牛久の方行くか」ってなったら牛久の大仏突っ立っててさ、120メートルだっけ。

奈良の大仏よりでかい。

今でも座っている大仏ではって説明入るもんな奈良の大仏には。

そこに生きている生物の生命力が半端じゃなかった。

香取神宮は工事中で、山を下りて、綺麗な水が湧き出る所に行った。

Japan

「目を閉じて、心の声を聴く!」まさにその通りだと思うぜ。

お地蔵さんって可愛いよな。

鎌倉の大仏はそんなこと百も承知なんだろうけど。

もういいかな。

ゆるくいくよ。

我ながらよくここまで体を動かしていたと思う。

これは誰かに導かれているんだって途中から思うようになったけど、「じゃあ誰がそうさせてんだ」と、尋ねてみると、それはやっぱり自分の中からだった。

みんながいるから生きてゆける、そんな僕は幸せなんだ。

North Japan
待ってろ世界プロジェクト
Mt Fuji-Kanazawa編

3776

富士山を登っていた時の僕の体には熱があった。

自分でもよくあの体で登頂できたなと思うよ。

そして、頂上に着いて落ち着いたところで高山病にかかっちゃったんだ。

一人じゃ登れても、降りられなかった。

親父も年なのに頑張っていたなぁ。

病気もあんのになぁ。

とにかく無事で良かった。

俺だけ高山病になってよかったよ。

辛かったけど、こんな経験誰にもして欲しくない。

助けられちゃったんだよ、まぁいつものことだけど。

富士山のてっぺんから見た朝日、眩しかったなぁ。

お天道様ぁ生命力の塊だよ。

このまま目を閉じても目は覚めるけど、いつか覚めなくなる日が来る。

それでもその体はあの「光」を受けたことを忘れないでいてね。

Glitter of the youth

夏が過ぎた頃、ばあちゃんの見舞いに行く為に、北海道へ向かっていた。

いつからだったろう、行くって決めていたのは。

今回も僕は「青春18切符」を使ってローカル線で本州を北上していた。

会津城は今度朝ドラのロケ地になるとかで、力を入れてPRしていた。

そこからまた市バスに乗って駅まで行き、この日泊まるYHAホステルまで向かった。

そこは酒蔵で、普段は酒屋を営業している。

この日は、同じ部屋に僕と同じように、バックパッカーの人達が何人か泊まっていた。

僕等は夜、お酒を飲みながらみんなでトランプをして遊んだ。

次の日、僕は朝一番の電車に乗る為に宿を早く出たから、みんなとは会えなかったんだけど、「一期一会」を大事にしてるよ。

To the future

俺は知らなかった、旅をするとこんなに毎日人間に出会うってことを。

俺はこれを求めていたんだ。

宿で出会った若者はみんなで「地球一周」の船に乗り込むとのことだった。

伊達政宗の銅像がかっこよく建つ仙台城跡にも行って、高台から午後の仙台の街を見渡した。

仙台から、「日本三景」で有名な松島へ。

それから岩手へ北上する。

思えば遠くへ来たもんだ!

「歴史」や「文化」に触れてると、誰かの「声」が聞こえる。

耳をすませばいろいろ聞こえる。

たまに自分の声がうるさくて困る。

この日は盛岡から、さくっと弘前まで行っている。

夜は近くの小さな居酒屋に入って地酒を飲んだんだ。

青森のさきっちょからそのまま青函トンネルをくぐって北海道へ入った。

When You Wish upon a Star

北海道の本州寄りの小さな町、木古内から函館に電車で移動していた。

函館に着いてからは五稜郭にも行っている。

宿屋はチャリダーの人達が泊る所だったから、自転車を借りられた。

二階の畳の部屋で寝てさ、夜中新しい旅の人が来たから、話したっけな。

茨城の大洗からフェリーに乗ってきたんだとさ。

北海道中これからバイクで走るらしい。

函館って、すごくいい所だよ。

なんてったって函館山からの夜景が素晴らしい。

函館港と倉庫群も見て回ってさ、気分は旅人。

八幡坂の上から港まで続く大きな通りが、なんかの映画のロケ地になるくらい良い場所。

この後、俺は小樽へと向かう。

ロマンチック

それにしても北海道はいいところだ。

長万部から北上してニセコを通って、途中で「羊蹄山」を眺めながら小樽を目指した。

羊蹄山のことも少し触れておこう。

じいちゃんの骨がまかれた山なんだ、自然にかえったんだ。

そこは天国か、はたまた北海道の羊蹄山の麓か。

ここでじいちゃんの句を一句、「雪一片ひらりと消える光かな」ここからインスピレーションを感じて、『光の中を旅してた』って言うタイトルになってる。

ふと、涼しい風が吹き抜けた。

運河から歩いて石原裕次郎記念館に行こうとしたんだけど、ちょっと距離があったからやめた。

俺のおばちゃん達はそういうの好きみたいだけどね。

姉ちゃんって呼んでいるけど。

青年、行け!

いつかの札幌駅は工事中だった。

そこから慣れたもんで、メトロに乗って中島駅近くの今日の宿へ。

クラーク博士で有名な羊ケ丘では、バイクでツーリングをしに来ている人達もいっぱいいた。

あぁそうだ、ばあちゃんの見舞いにいったんだ。

それが一番の目的の旅だ。

いつもそうだけど、とても元気そうだった。

ばあちゃんのいる病院で働いている人達はみんな親切だった。

富良野を目指して、札幌から向かうことにした。

北の国から

滝川まで高速バス、それからボランティアの時に出会ったのんちゃんが迎えに来てくれて、富良野とか、美瑛まで連れてってくれた。

この頃ヒッチハイクも出来なかったし、すごく助かった。

『北の国から』のロケ地とか、富良野の広大な大地をみた。

美瑛にも行って、青の池にも来た。

途中、美瑛神社にも立ち寄ってみたり、一緒に黒い色のスープのこってりしたラーメンを食べたり、なんだかんだで旭川の宿まで送ってもらってしまった。

愛を放つ動物のみんな

旭川の駅前とか街並みとか、どかんと広くて最高だった。

なんかいつも観光の時期ずれながらの旅をしているから、工事中な現場よくみるんだ。

その時よく思い出す、電気工事をしていた時のこと。

なんで俺あんなに向いてないところで無理くり頑張って見せてたんだろ。

やっていたいことやらなけりゃ人生ちっとも面白みなくないか。

味気なくないか。

「味わおうぜ、もっとさ」って自分に言ってみる。

動物達をご覧よ。

裸で生きてんだもん。

世界遺産

旅行学校の時に、自分達でツアーを作るっていう企画を勉強していて、世界遺産ツアーを計画して旅に出た。

白川郷、そして富山を通って石川県の金沢までの旅。

これにはうちの両親もついて来た。

合掌造りの屋根は、冬、雪の重りで屋根が壊れないように設計されたんだって。

あの頃生活するのに何も困ることはなかったけど、退屈とやるせなさを感じていた。

新しい何かを求めていた。

天然のいけす

朝一番で高岡の大仏へ。

背中に輪っか付けていてかっこいい。

高岡古城公園を親父と散歩した。

瑞龍寺を拝んでから氷見に行った。

海沿いをドライブしてフィッシュマーケットで新鮮な海鮮食べた後、能登半島を目指してドライブ。

目的地は金沢の兼六園。

光の中を歩いてた

そんなに若くない。

でも、確かに失うものは未だに何もないかもしれない。

僕は、足る事を知りたい。

眩しかった。

透き通る水、紅葉そして、青い空。

金沢の兼六園でのんびりと散歩して抹茶を飲んだ。

心地のいいものを言葉で伝えようとする時、自分の中に流れている「時間」が止まる。

息を止めているみたいな感覚で、これは誰にでもあるものなのか否か。

兼六園はとても綺麗な庭園だった。

なんて言うかつるつるの心、俺はまだ失くしてないよね。

第一章 オーストラリア編 シーズン1

Australia Season1
Brisbane-Cairns編

Australia オーストラリア

春はあけぼの

この時は、なんとか生き延びようと必死だった。

日本を旅して学んだことを海外でも実践してみたかった。

「願いは叶う」っていうことを信じてみたい。

初めての一人での海外。

僕はオーストラリアにいた。

俺にとっちゃここが始まりの街

ゴールドコースト空港に着いてからブリスベンまでの道のりも、飛行機の中で会った子が空港の人に聞いてくれて俺はわけなく辿り着けた。

そして日曜、「ホームステイ」先のトムの家に行ったんだ。

全部英語で行われる授業には、全然ついて行けなかった。

たまの学校終わりにシティキャットに乗ってブリスベン川を渡って街に出てみんなで遊んだりしていた。

短か過ぎた留学かって呟く

周りで何がおこなわれているのか一向に理解できないまま、一瞬で短い「留学生活」は終わっていった。

夕暮れに沈むサウスバンクの観覧車を思い出している。

いつも新しくて素晴らしい出会いがあるんだけど、この時の未来なんてのは全くもう本当に煙の中でさ、なんにも決まってないまんま学校生活が終了して「ホームステイ」の期日も迫っていたんだ。

ゴールドコーストの海辺でのんびりすれば何かが変わるかもしれない。

全くのノープランだったけど、きっと新しい風が吹くはず。

もう今だってこの頃だって無鉄砲でどうにでもなれ状態だったんだ。

アンドレアからの返信

トムに別れを告げて、俺はゴールドコーストに旅立った。

あいつはスケボーが好きないい奴だった。

再会することになるのはまだまだ先の話だ。

透き通るようなきらきらした海水。

踏むとやわらかく足跡が残る綺麗な砂浜。

サーファーズパラダイスって言われるだけあるぜ。

宿に戻ってきてしばらくゆっくりした後、この後どこに行こうかななんて考えていた時、一通のメールが来てることに気が付いたんだ。

それには英語でこう書いてあった。

“ファームで働きたいのならバンダバーグに来て、条件は、時給18AUSドルで、だいたいこのくらい働くわ。宿はシェアハウスを用意するわ、ファームで働く人はみんなそこに住むのよ、レントは週160AUSドルよ。”

働いて、働いて、稼ぎまくって、オーストラリアをラウンドするんだ!

なんとしてもファームで頑張ってセカンドのビザを取る。

やりたいことと、やれることがはっきりしてた。

みんなで働いた方が楽しいし、分け合った方が気持ちいいに決まっているんだ。

今ってやつに一生懸命でいてね

農場の街は暗くて妙に静かだった。

少ししたら、幸いにもアンドレアが現れて俺をシェアハウスまで送ってくれた。

初めて訪れる土地、それに加えて夜の中、僕はとても不安でアンドレアに話しかけるも何言ってんだかわからない状況。

それでも前に進むんだ。

恐いけど。

行かねばならない。

この時期この「ファーム」で起こった全ての事、共に過ごした仲間達。

日本を旅していた時に会った人たちが楽しそうに話していたことを経験できた。

今だにあれは夢だったんじゃないかって思える程、充実していた毎日だったんだ。

最初の週の日曜日、ヒデがゴールドコーストからやってきた。

ヒデもファームの仕事探していたから俺が呼び寄せた。

毎週土曜日、僕らはシェアハウスの庭でみんなでBBQをしながらお酒を飲んでカードゲームをやった。

日曜日は唯一の一日休みだったから、のんびりと気ままにヒデと街に出たりしながら過ごした。

サツマイモを掘りまくれ

ファームの仕事は毎日がしんどかった。

その分給料はよくて、オーナーもマネージャーもみんなオージーだったから羽振りはよかった。

毎朝日の出よりも前に起きて飯を食べる。

体操をしながら迎えの車を待つ。

そして、「サツマイモ」を掘りまくり、草の芽を刈りまくり、土を耕しまくった。

虫に刺され、体中痒くなり、クリームを塗って痛みを和らげ、たまに寂しくなって友達に連絡したり、たまに夜になるとヒデとかとワインを飲んでいろいろ話したり、英語の勉強をしていたり、そんな感じの生活だ。

急な雨に打たれた後にでた虹。

農場は遮るものがないから虹の根っこから根っこ迄くっきりと見えたよ。

移動中トラックの荷台から見た道の真ん中を飛び跳ねてたカンガルー、何度も目が合ったような気がした。

かぼちゃの種を植えた新しい畑。

いつも泥だらけになるもんだから、帰った後、服着たまんまシャワー浴びていた。

それはそれで充実した毎日を送っていた。

農場で働く生活

最初の一週間がマジできついのはよくわかる。

それからもまた何人か新しく入って来て、メンバーは変われど、毎日同じような仕事の連続だった。

それでも、農場の様子は毎日少しずつ変化していく。

いつだか植えていた種に芽が出てきていたり。

少しずつだけど朝晩冷えてきたり。

この頃オーストラリアでは秋だったんだ。

何か、目標がなければ到底続けられないと思う経験してたんだなぁ。

セカンドワーキングホリデービザを手に入れろ

ファームにはそこで飼われている犬もいてさ、みんなそれぞれ障害があって可愛かったんだ。

一匹は目がいつも真っ赤、もう一匹は足が一本なくて、もう一匹は子犬なんだけど、すぐなんにでも噛みついちゃうからって首に、どこも噛めないようにシャンプーハットの長い版のわっかみたいのつけててさ、みんな個性があったなぁ。

あいつらも俺の友達。

もぎりたての野菜をズボンで擦って綺麗にしてから「ぎゅっ」て齧ると、もうめっちゃ美味しくてさ。

それからだよ、マジで野菜好きになった。

俺達のシェアハウスにはいつも農場から届く新鮮な野菜があったから、それでいっつも野菜料理を食べてた。

日記帳をつけながら、一日一日印付けていてさ、働きだしてから88日目(セカンドビザ申請クリア)がくるのを首を長くして待っていたんだ。

まれに一週間で1000AUSドルくらい稼げる時もあって嬉しかった。

毎週末のBBQの時のビールは本当にうまかったなぁ。

Don’t Trust Over Thirty

あれよあれよと時間ばかりが過ぎていき、僕はついにファームを出ていくことになった。

最終日はみんなが仕事に行っている中、俺とフェリックスは出発の準備。

なんか特別な時間を過ごしていたみたいだ。

終わらせるんだ自分の手で。

自分で決めるんだ、全部は自分次第。

心が嬉しくないようなことはしたくないなぁ。

そしてまた新しく始める。

と、思いつつも、なかなかそれが出来ない自分ってのも嫌でも見つけてしまってさ。

そういった時間ひとつひとつが成長っていうのかもしれないんだけどさ。

本当にオーストラリアに来て必死こいて「ファーム」で頑張れたのは俺の人生の中でも貴重な経験だったって言える。

人の人生は本当にそれぞれ違う味がするもので、どれがいいってわけでもなく、自分次第で未来は変わるんだよね。

変われなかったから。

恐くてもうだめで、何もできないから。

そんなんだったら、またそこから新しく始めたらいいんだよね。

僕たちは、グレイハウンドのバスに乗って、また新しい旅に出たんだ。

楽園

ここから、ケアンズまで俺とフェリックスの短くて濃い旅が始まる。

バンダバーグのバスターミナルでアンドレアともお別れ。

みんなとお別れさ。

アーリービーチに着いたのは次の日の朝、天気が良くて爽やかな朝。

海も空も澄んだ青をしている。

こんなに綺麗な海を見たのはサーファーズパラダイス以来久しぶりだった。

「グレートバリアリーフ」の中、小さな魚、サンゴ礁とか、澄み切った青い海を見た。

「音」が無いっていうか、自分の「呼吸」の「音」がやたらと聞こえて、すごく静かなんだ。

グレートバリアリーフの海に夕日が沈んでいくぜ。

日が落ちて夜になると僕等は船内でビールやサイダー、ワインを飲みながらトランプをして遊んだ。

真夜中の海上は本当に真っ暗でさ。

人口の光が届かない海の上から見る「グレートバリアリーフの夜空」には無数の「星」が現れていて、初めてかもしれないなあんなに綺麗で輝く星達を見たのは。

朝が来て僕等は簡単な朝飯を食べ、船は一路この旅の目玉、ウィットサンデイアイランドを目指す。

ホワイトヘブンビーチ近くのナショナルパークの高台から見るウィットサンデイの美しさったら、なんて言ったらいいの。

なんだかんだで、日が暮れて、船上では宴が始まる。

だんだんと辺りは闇に包まれる。

朝が来て僕等は次の目的地、マグネティックアイランドまでのフェリーが出るタウンズビルへ、グレイハウンドのバスで向かった。

フェリックスとの旅

グレイハウンドのバスは、船着き場まで僕達を運んでくれた。

タウンズビルの丘がだんだん遠のいていく。

僕等は近くのホースシュウ・ベイっていう浜まで歩いて行って、浜辺を散歩した。

大自然に抱かれて暮らしたいよな、なんてオーストラリアを旅してる時に何度も思ったりしたもんだ。

アーリービーチでのバカ騒ぎが嘘のようにしっぽりとしてた夜だった。

フェリックスはやっぱり、なんにもない浜でのリラックスの方法を知っていたみたいだ。

俺はファームの熱がまだ残っていたから、腕立て伏せとかして体を鍛えて誰も居ない海を満喫した。

マグネティックアイランドを出た僕等は一路、ミッションビーチに向かった。

大きな相部屋、ドミトリーで落ち着いた後、僕等は海に入りに行った。

ミッションビーチの広々とした浜、海の向こうには小さな島が浮かんでいる。

ものすごく広いのに観光地とは思えない程に人がいない。

ここでの時間ってのはケアンズで始まる連日連夜のパーティーの前の、「嵐の前の静けさ」ってやつだったのかもしれないな。

スカイダイビングみたいに

グレイハウンドのバスを降りたのはケアンズの図書館の近くだった。

それからフェリックスと一緒にケアンズの街散歩。

ケアンズにはマーケットがあって、金土日の週末オープンしていた。

果物や野菜が安く手に入るのは日曜日の閉店前。

フェリックスと僕はセスナ飛行機に乗り込み、飛行機は上空へと飛び立った。

順番が来てフェリックスも窓の外に消えてった。

次は俺の順番だ、でも恐くはない。

後ろにぴったりくっついてくれてるおっちゃんに命は預けた。

次の日、アランが仕事ゲットしたっていうバックパッカーズホステルに一緒に行くことになった。

やっぱり、仕事紹介してくれるっぽかった。

働くお金が発生しない代わりに寝るところと飯が付いてくる。

海外で長く生活するにはもってこいの仕事だ。

ケアンズはその頃、秋から冬に向かっていたのに全く寒くなくて毎日天気が良かった。

そこからどんどん運が開けて行った。

どんな人と出会うかがとても大事なんだ。

パーティーアニマル誕生

ケアンズでの生活はゆるくて、毎朝ゆっくりと起きて、フリーの朝食、簡単なパンとジャムを食べる。

それからコーヒーを飲んで、ハウスキーピングの仕事をする。

ベッドのメイキングと、部屋の掃き掃除、バスルームのクリーニング。

同い年のJDが俺にUKのスラングをずっと教えてくれていた。

夜になると、バーでフリーの晩飯をそこで働いているみんなで食べて、そっからはもうパーティーの準備。

今日どこに飲みに行くかとか、俺は誘われるがままに参加してた。

そうして、一日、一週間、一ヵ月って、ものすごい速さで過ぎて行った。

この頃、レセプションで働いていたアイルランドからのメガンとジャスティンや、一緒に働いていたフレンチのモナ、ステファニー、ドルフィン、セドリック、ネイラ、あとは、イングランドの、JD、スティーブ、ドイツのウィリーとかポール、韓国のトウキョウ、もう本当にいろいろな奴らと出会って、なんだかんだ話しまくって勉強していた。

俺の面倒を見てくれたアラン & JD

アランはバッパーのバーで働いていたから、夜はそこで一緒にみんなで飲んでいた。

アランが出ていく頃には俺もケアンズから一度、地元の友達の結婚式の為、日本に帰るチケットを取っていた。

そしてその後のダーウィン、カカドゥナショナルパーク、パースまでの航空券とアコモデーションも予約していた。

正直値段は高かったけど行ける時に行かないときっと後悔するし、それからじゃもう遅い。

シドニー、メルボルンも見えてきていた。

その前にダーウィン、パース、そしてその後東南アジアの旅に出たかった。

ケアンズも少し涼しくなってきた。

そんなの関係なく、僕等はナイトクラブに飲みに行っていた。

イングランドのJDは俺と同い年ということもあり、よく一緒にスティーブも含めて飲みに行ったり、カジノに行ったりした。

一緒にフェスティバルとか行って花火とか見てたからかな、アランが旅立ってからはJDが俺の面倒見る係になったのか、あいつが兄貴的性格であごひげがめっちゃ生えてたからか、なんか毎回一緒に飲みに行ってた。

日本への一時帰国

仕事もなにもかも慣れちゃって、俺は早く次の目的地まで旅立ちたくなってたんだ。

一回日本に帰るんだけど、気持ちはもうダーウィン、パースに向かってた。

これは本当にそうなんだけど、自分の行きたい方向の事をみんなで話すと力を貸してくれる人が現れるんだよね。

ケアンズ最後の夜も、バッパーで働いているみんなと外のバーで楽しく飲んだ。

あぁ、ケアンズ。

またいつか羽伸ばしに行きたいもんだぜ。

再びオーストラリアへ

この頃の僕の「夢」、それはオーストラリア大陸をラウンドすること。

その事だけにすべてを費やしていた。

イメージだけは持っていた。

パースの後はなんとなくだけど、東南アジアを旅してから日本に帰って、セカンドビザの申請をすること。

道は開ける。

人生は続くんだ。

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