光の中を旅してた-The World Needs You-
この旅で出逢った、すべてのひとへ。
Thanks for all of you guys who I met during my journey.
そして、これから出逢うすべての人へ。
And to all the people I will meet in the future.
この世界には君が必要だよ。
The World Needs You
序章 日本編
South Japan
俺たちの夏からのソロプロジェクト
Okinawa-Hiroshima編
Japan 日本
「ジーパンにひげつけてぇな」これがこの時の表向きの旅の目的としていたこと。
本当は「活動休止後のバンドマンの人生」ってどういう風になっていくのかに興味があった。
そこから先のことは決めてなかった。
仕事もやめていたし、バンドも活休していた。
なんにもない。
なんだって、どこにだって行けた。
一人旅もしたことがなければ、旅のやり方もわからなかった僕の目的地は、いつも出会った人との会話の中から産まれてきていたようにも思う。
真っ青な海を眺めて何を想えばいい、僕は左手に花を握っていた。
沖縄民謡を、宿で出会ったお姉さんと一緒に聞きながら、オリオンビールを飲んだ。
お姉さんは最近離婚したみたいで、「沖縄には休暇で来ているの」と、言っていた。
港から鹿児島まで行くフェリーが出ているらしい。
夜に奄美大島に着いた僕はどこに向かえばいいんだろう。
暗がりの中、波の音だけが聞こえてくる。
星を見ながら歩いた。
畳の部屋で一人でゆっくりとして、静かに夜は更けていった。
奄美大島の港を離れて見渡す真っ暗な夜。
闇に響く船が鳴らす不気味な音。
「俺はこれからどこまでいっちまうんだろう」
小さい頃の僕が、船の甲板駆け回って、こっち向いて笑って霞んで消えた。
僕は濡れた髪を乾かしに船の甲板へ、海原はどこまでも広がっていた。
船は一路、鹿児島を目指す。
鹿児島のフェリーターミナルへ一歩足を踏み入れた。
僕は鹿児島中央駅前のゲストハウスで、オーストラリアのアデレードの農場で働いていたというとしさんに再会した。
「天を敬い人を愛する」まるで聖者、俺にもできるんだろうか。
帰り道、遠くの鹿児島中央駅の上の観覧車が夕暮れに染まっていた。
鹿児島の街の近くの城山展望台から、噴煙を上げている桜島を見た後、フェリーに乗って桜島へ。
そう言えば、やす君も屋久島に行ったって言っていた。
俺もいつか行ってみたい。
鹿児島中央駅で買った「青春18切符」全部で、5回使える。
緑は深く、小石が濡れる。
葉っぱから滴り落ちる雨露がまた葉っぱを揺らす。
大きな石と、小さな石が音を立てずに呼吸をする中、神社の出口で案内看板の下に固まっているニワトリ達を見た。
雨はもう上がったか、電車は揺れて、快音と共にトンネルを越える。
親切な人に助けられての今があるよ。
その夜、宿では小さなパーティーが開かれた。
大分には何があるのかわからずに僕は、としさんのいるゲストハウスを目指した。
この夜はとしさんと、新しく出会った年上の兄さんと一緒に、近くのスーパーで買ったおつまみとビールで語り明かした。
夜が明けたらさようなら。
新しい朝と共に全ては一新する。
それから、春の暖かな日差しのもと、竹瓦温泉って言うとっても粋な別府にある銭湯みたいな温泉の熱いお湯につかって「魂」を温めた。
その日、宿に戻って旅の計画を練っている時に仲良くなった子がいた。
今でもたまに夢に見ることがある、僕らの「青春時代」あぁ。
いつか君とまた話がしたかった。
笑ってますか。
あの日の僕は。
変わったのは、僕。
流れたのは、たくさんの時間。
初めて見る山頂、そして火口。
硫黄臭いにおいが立ち込める。
ふとした隙に、白い煙が黙々と立ち込め、警報が鳴る。
宿に帰ってリラックスしていると、女将さんから、「みんなで囲炉裏のところで話しているので、来ませんか?」と、お誘いがかかった。
朝が来て、阿蘇から熊本へ電車で移動した。
水前寺公園の透き通った水、綺麗に整備された庭園。
僕は一人で静かに思い出を巡っていた。
熊本城にもう一度のぼった。
もうみんなはいない。
火の国熊本を経て、駆け足で長崎まで向かう。
旅人からは「希望」をもらっている。
勝手だけど。
心地のいい川風が春のせせらぎに乗って届いた。
それから爆心地にいったんだ。
平和の銅像の前の献花は絶えることはない。
この悲しみはなくなることもない。
歴史は変わらない。
大切な命、今を生きる。
空を仰いで長崎の街を歩く。
足元に咲く花はいつも綺麗だ。
長崎の街には坂が多い。
あの坂本龍馬もこの坂を歩いたのかなぁ。
グラバー園のカフェで食べたカステラ。
コーヒーを啜った後、下ったオランダ坂。
どれもこれも僕だけの思い出じゃない。
僕が欲しかったのは生きた言葉だ。
目を閉じるとあの子の笑顔が浮かんでくる。
長崎からは、バスで福岡の天神まで移動した。
桜が綺麗に咲いていてさ、大きい池の前に腰かけて、アヒルみたいな鳥眺めながら、コンビニで買った缶ビールを飲んでさ、のどかな時間。
幸せな瞬間って感じの人生の春。
それでも「今が一番良い」って思えている人でいたいね。
全然、男はつらくない。
真夜中に着いた誰もいない広島の街。
縮景園、広島城。
そして原爆ドーム。
どこも市内にあるので、歩いて行けた。
忘れちゃいけない。
悲惨な歴史を体で感じてさ、やるせない気持ちに包まれたまま、この旅はこの土地、広島で幕を閉じる。
広島の街の献花台の火も消えることはないよ。
沖縄で行ったひめゆりの塔、平和祈念公園から長崎、広島と駆け上がってきたこの旅ももうすぐ終わる。
僕の旅は、新たな夢と共に、終わって、始まる。
West Japan
教えておくれプロジェクト
Izumo-Ise編
旅に出て本当に良かった。
鹿もいたなぁ。
桜も咲いていた。
見事にいい時期に桜前線と共に上昇してたんだなぁ。
一生分の桜は見たって思う。
それか、もう日本を学んだ後、しばらく離れるってことをすでに感じていたのかもなぁ。
だんだんと日が暮れて、車内には誰も居なくなる。
「車掌さん。あなたを信用していますよ」って何度唱えたことか。
今晩の宿は決まってない。
漂流、どうにでもなる。
どうにかすればいい。
そんなこんなで、出雲に着いたのは夜遅くだった。
出雲駅までバスに乗り、それからローカル線で30分くらい田園風景の中を走る。
行くんだよ。
行きたいところに行ってみる。
待っていたって何にも始まらない。
静かな敷地内をゆっくり歩く。
この旅は伊勢まで続くけど、出雲大社も伊勢神宮も、半端じゃない力を感じた。
この旅はそういう旅だったのかもなって、今振り返ってみると思う。
「古きを訪ねて、新しきを知る。温故知新の物語」、どうもありがとう出雲大社。
鹿児島で買った青春18切符も今日で最後。
鳥取駅で電車を降りた僕は、鳥取砂丘への行き方を案内所の人に聞いた。
砂丘のてっぺんから見た日本海も輝いていたよな。
足跡にはすぐに砂が流れ込む。
風でなぞられた砂漠の表面には砂で出来た波が描かれる。
砂の向こうの日本海へ夕日が沈んでいく。
そしてまた夜が来て山道を電車は走る。
――がたんごとん。
真っ暗闇の山の中、夜は一層深く辺りを包み込む。
たまに僕の目の中で反射する月明り。
今夜は何処に泊まるのかわからないまんま僕の体は岡山の倉敷に入って行く。
春の快晴の空の下、咲き誇っているピンク色をした桜の花。
岡山駅前がまた熱くてさ、桃太郎さんや、「青春感謝」の銅像が建っていて背中押されたよ。
「胸に無限の覇気あらば 守れ不屈の意気の香を」って言ってくれてありがたかったなぁ。
お腹が減っていた僕は、城下町で腹ごしらえ。
「初恋定食」を食べて古ぼけた商店街を歩く。
岡山城の隣には川が大きく蛇行して流れていて、橋を渡るとそこには「日本三名園」の一つ後楽園がある。
そこの桜も見頃を迎えていた。
俺は「旅に向いている人間」なんだって思うようにしてる。
瀬戸内海を横目に俺は香川へ向かっていた。
夕方、雨上がりの香川のフェリーターミナル前でデイリーヤマザキの開けた駐車場越しにレインボーがダブルで架かって出迎えてくれた。
俺は夜飯を食べに高松駅から回って、高松中央商店街の方まで足を延ばした。
通りに面して繁盛している小さな居酒屋に入ってさ、女将さんに「明日ヒッチハイクで、愛媛まで行こうとしているんですよ」なんて、密かにやりたかったこと相談したっけ。
朝早く起きて、花見客で賑わう高松で有名な栗林公園に行った。
道はいくらでもあるけど、引き返すっていうのは自分の意志に申し訳ない、やりきるのみだ。
僕はノートを掲げて、満面の笑みと共に道に立つ。
「良かった君乗っけて、二人でいるより楽しかったよ!」って言ってくれたのがお世辞でも嬉しかった。
日が昇って、日が暮れて。
柔らかな日差しのもと、車窓からは海や山が見える。
松山駅前で降ろしてもらった時にはもう次の目的地は決まっていた。
あの、漱石の『坊っちゃん』で有名な道後温泉だ。
少し疲れた頃、僕は広場に躍り出る。
肌色の地面、茶色い木、そして満開に咲き誇った桜の白やピンクのコントラストは僕に、未だに松山城の美しさを忘れさせない。
お花見をしている人々はとても優雅だ。
湯船につかってのんびりと天井眺めてさ、そんな時間が幸せなんだよなぁ。
高知駅前には坂本龍馬の銅像があった。
四国を巡る旅はまだ続く。
歩みを止めることはない、桂浜を見に行こう。
土佐犬センターに土佐犬が描かれた大きな壁があった。
桂浜にはでっかい龍馬の銅像が天に向かってドンと建っていた。
浜の端っこの方に小さな神社があったので、海の神様にお祈りをしてきた。
この旅のことより、「家族の健康」を祈っていた。
僕のことはあとまわし。
僕は僕を守れる、俺は大丈夫だから、そうじゃないと旅なんて出来ない。
人それぞれの旅がある。
徳島には眉山という山があって、もちろん僕はその山も駆け登った。
山のてっぺんから見える景色は素晴らしく綺麗で、遠くに流れる川が海へ注いでいた。
鳴門海峡を見たかった。
僕は小舟に乗ることを選んだ。
「渦」の発生するのが大きい日と、小さい日っていうのがあるらしい。
徳島ではすごく地味な家みたいなゲストハウスに泊まった。
旅はまだまだ始まったばかりだ。
この頃の何が僕を突き動かしていたのか、ただ単に「心の声」に従って行動していただけだ。
新しい朝、青い空。
公園のベンチの上で「日記」を書く。
姫路に着いたら見たかったものが姫路城だ。
書写山山頂まで登頂する迄に、色鮮やかな緑、黄緑、深緑の山道と共に、たくさんの「石像」や「詩」を見た。
それから、安宿に戻ってリラックスしていると、「言葉の命は愛である」という言葉が頭を過った。
僕が見てきた景色の中に、確かにそれはあった。
『気分はグルービー』っていう漫画で読んでいた通りの坂道の多さと人の賑わいだ。
路上パフォーマーの人とはこの頃相当な距離があったけど、まさか自分も「バスキング」を齧ることになるとはこの頃、全く思ってないんだ。
ここの夜景は大阪一帯まで見渡せるらしくてさ、夜景もすごく綺麗で、手で星が掬える様、という事で、掬星台という名前が付いたらしいぜ。
濃い旅しているよ。
どこにも行けなかった事だってあるのに。
マンションのベランダから見えた夜景も掬星台からみた街の明かりの一つなんだ。
そのまんま、自分のまんま日本でも働ける。
でも僕の興味が外に向いている今、この気持ちを応援してやりたい。
そんなこと、大阪にいた僕は感じていたのだろうか。
英語も話せないバンド上がりで電気屋に就職して退職した、ただの男なのに。
大阪にはいろんなおっさんががやがやしてんなぁ。
再会ってのが嬉しいよな。
なんだかんだで、また会えない奴らの方が多い世の中で。
「詩」、これには思い当たる節がある。
バンドをやり始めた高校生の頃、僕も「詩」を書いていた。
熱いやつ。
書きすぎて、消して。
気が付いたら、明け方になっていて、新聞屋のカブの音が聞こえて、寝るんだけど、朝起きられなくて、雨が降っているからって理由で、学校遅刻とかしていたなぁ。
あの頃。
熱かったけど、今だって、僕だって。
出来んじゃねぇかって、お前も、俺も、いつでも「夢」をみ続けていたいよなぁ。
的な事が書かれた石像だってあったはずさ。
万葉の小道を経て、僕は和歌山市駅の前に着いた、そろそろ大阪に帰る。
奈良駅を降りると、セント君の置物があった。
僕はこの頃ちょうど、東北にボランティアに行こうとしていた、それでそのことを宿でヘルパーとして働いているお姉さんに聞いたんだ。
「地球一周とはまた別で、ボランティア募集してるわよ」ってので、その場でインターネットで確認して、地元の役所でボランティアをするのに必要な書類を手に入れる必要があることを知った。
それから、五重塔、奈良市役所、春日大社、鹿。
若草山、奈良公園にはアニマルとかいて和やかな雰囲気たっぷりだった。
そして、お待ちかねの大仏を見に東大寺に行った。
先輩は、表情一つ変えない。
大仏、なんて言う不思議な力を持った先輩なんだ。
京都駅に降り立ち、外に出ると真ん前にドカンと大きく京都タワーが見えた。
それから清水寺かな。
伏見稲荷だっけな。
金閣寺だっけか、銀閣寺だっけか、龍安寺だっけか、はたまた四条、下鴨神社。
とにかく、鴨川のほとりを歩いていたんだ。
さんざん歩いて観光した後、この日のバッパー目指して帰る時に見覚えのある光景を目にした。
それは、俺達がまだバンドをバリバリやっている頃、京都のライブの終わりに四人で飲んだ居酒屋。
季節は流れて行ってしまっていた。
嵐山の小さな神社の中に入って天井に描かれた龍を見た。
過去は、過去の思い出は、過去、僕の体を通して得た経験は、今の僕にアイデアをくれる。
あの頃の僕から、今の僕へ。
僕は京都の社寺を歩く。
僕はまた、ここでの思い出からパワーをもらっている。
昔の人は、きっと神秘的なものを信じていたに違いない、今よりももっと。
こんなの僕だけの力じゃない。
人は忘れてしまう生き物だから。
僕の場合はこの時、思っていたのよりも少し重かったんだ、でもね僕の夢は叶えられてなくない、相当叶えられている。
いろんなもんを失っていると思うけど。
出雲からここ迄、初夏の太陽のような強烈なパワーに引き寄せられていたみたいだ。
僕は「僕以外の何か見えない力」に確実に引き寄せられていた。
いつも自分の声ばっかり聴いていたから、たまには人の声にも耳を澄ませて、身を任せてみるのもいいのかもしれない。
過去、現在、未来が混ざり合う。
外宮を巡っている時は空では雷が鳴っていた。
宿に戻ると、けんさんが僕に美味しい飯屋の情報を教えてくれたので、後で一緒に食べに行くことにした。
そこは近鉄宇治山田駅近くにある、まんぷく食堂という所だ。
からあげ丼を胃袋にかっこんだ後、雨も上がっていたのでバスに乗り内宮を目指した。
雨露が濡らした後の緑の葉っぱや、コケ。
木の根っこなんかはもう嬉しそうで、輝いて見えた。
太陽も、内宮を流れる川も全てに新たな力が宿っていた。
ここでこの旅を締め括るって言うのは一番いい話だ。
俺に今でも素晴らしい景色を見させてくれている。
それから、伊勢の街に降りて、うどんを食べてビールも飲んだ。
East Japan
One for all all for oneプロジェクト
Nagoya-Kamakura編
伊勢神宮での参拝をおえた僕は、遥かに清くなった。
宇治山田駅から津って駅を越えて、名古屋に向かう。
そうそう名古屋の栄にはでかい公園があって、その先にまたでかいテレビ塔がある。
あぁ。
なんだか、思い出しちゃったなぁ。
バンドが活休して就職していた時、出張で名古屋まで電気工事をしに来ていたりした。
こてんぱんに怒鳴られて働いていた。
名古屋って独特の濃さを放ってる。
この時は本当に手探りで世界を探していた。
その時は小さな滝を見た。
それから、小さく形作られた仏像。
誰にも気づかれないようなものでも素晴らしいものはいくらでも存在する。
本当のこというと、全部うまく行くと思っている。
今だってそうだ、そうじゃなきゃ旅になんて出れねぇんだよ。
面白い世界をもっとみたくなっている。
もう、びびちゃって恐くてたまらないんだ、人と違うことをするってのは。
人の目が、もうそれは恐ろしい時もあるよなぁ。
たまに僕の気持ちは、ちぎれそうになってないだろうか。
誰にも届かない気持ちを抱いているのは僕だけじゃないのに。
自分一人だけの世界に行ってしまわないように。
そばを見れば必ず誰かいる、誰かは汗かいて生きている。
そのまま宮城県の石巻を目指した。
「俺達に一体何が出来るんだ」俺達には何が出来たんだろう。
力を合わせることの大切さ、声を出すこと、助けが必要だと言うこと。
手に負えないことばかり、一人で抱え込まないで欲しい。
「One for All All for One! 一人の百歩より、百人の一歩」だとリーダーが言っていた。今日もがんばろう。
そうやって、支えあって、今日って日があんだべ。
強がって生きるこたぁねぇよ。
あそこでも俺はたくさんの人達に会い話し合ったなぁ。
この先どうなるかなんて、誰もわからなかったのにさ。
ボランティア生活を経て、東京の高田馬場に戻って来た。
海辺でホヤの養殖の手伝いをしたり、地震と津波で半壊した建物の瓦礫を撤去したり、元々は、全部瓦礫なんかじゃなかった。
全部思い出の詰まった大切なモノ。
俺達が今持っているものと一緒。
ここでも不思議な出会いがあった。
「電気工事」の仕事をしていた時、よく千葉の八千代から、東京の田端まで仕事しに行っていてさ、建設途中のスカイツリーを眺めては、いつ出来上がるのか楽しみにしていたんだ。
いつの間にか完成して、いつの間にか真下からそれを眺めていたんだ。
東京からバスに乗ってまずは松本城まで、城下町を歩いてさ、その夜は長野の善光寺の町に宿をとっていた。
夜のお寺はすごく異様な空気を放っていて良い経験だった。
あたりは暗くて人もいない。
善光寺の地下に降りて行くお戒壇巡りに参加した。
一寸先も見えない、あの世へ。
真っ暗な道の中を歩いていくんだ、そして仏像の真下に配置してあるドアノブを触ることが出来れば幸せになれるっていい伝えがあってさ、本当に真っ暗だったけど、俺達見つけること出来たんだぜ。
東京までの帰りのチケット、インターネットで取ったんだけどさ、そのバスの最後の座席だったみたいで、500円だった。
「なんてラッキーな人なの」って、その夜少し宿がざわついた。
それが、あんまりにも早く着いたもんで時間持て余していて。
「牛久の方行くか」ってなったら牛久の大仏突っ立っててさ、120メートルだっけ。
奈良の大仏よりでかい。
今でも座っている大仏ではって説明入るもんな奈良の大仏には。
そこに生きている生物の生命力が半端じゃなかった。
香取神宮は工事中で、山を下りて、綺麗な水が湧き出る所に行った。
「目を閉じて、心の声を聴く!」まさにその通りだと思うぜ。
お地蔵さんって可愛いよな。
鎌倉の大仏はそんなこと百も承知なんだろうけど。
もういいかな。
ゆるくいくよ。
我ながらよくここまで体を動かしていたと思う。
これは誰かに導かれているんだって途中から思うようになったけど、「じゃあ誰がそうさせてんだ」と、尋ねてみると、それはやっぱり自分の中からだった。
みんながいるから生きてゆける、そんな僕は幸せなんだ。
North Japan
待ってろ世界プロジェクト
Mt Fuji-Kanazawa編
富士山を登っていた時の僕の体には熱があった。
自分でもよくあの体で登頂できたなと思うよ。
そして、頂上に着いて落ち着いたところで高山病にかかっちゃったんだ。
一人じゃ登れても、降りられなかった。
親父も年なのに頑張っていたなぁ。
病気もあんのになぁ。
とにかく無事で良かった。
俺だけ高山病になってよかったよ。
辛かったけど、こんな経験誰にもして欲しくない。
助けられちゃったんだよ、まぁいつものことだけど。
富士山のてっぺんから見た朝日、眩しかったなぁ。
お天道様ぁ生命力の塊だよ。
このまま目を閉じても目は覚めるけど、いつか覚めなくなる日が来る。
それでもその体はあの「光」を受けたことを忘れないでいてね。
夏が過ぎた頃、ばあちゃんの見舞いに行く為に、北海道へ向かっていた。
いつからだったろう、行くって決めていたのは。
今回も僕は「青春18切符」を使ってローカル線で本州を北上していた。
会津城は今度朝ドラのロケ地になるとかで、力を入れてPRしていた。
そこからまた市バスに乗って駅まで行き、この日泊まるYHAホステルまで向かった。
そこは酒蔵で、普段は酒屋を営業している。
この日は、同じ部屋に僕と同じように、バックパッカーの人達が何人か泊まっていた。
僕等は夜、お酒を飲みながらみんなでトランプをして遊んだ。
次の日、僕は朝一番の電車に乗る為に宿を早く出たから、みんなとは会えなかったんだけど、「一期一会」を大事にしてるよ。
俺は知らなかった、旅をするとこんなに毎日人間に出会うってことを。
俺はこれを求めていたんだ。
宿で出会った若者はみんなで「地球一周」の船に乗り込むとのことだった。
伊達政宗の銅像がかっこよく建つ仙台城跡にも行って、高台から午後の仙台の街を見渡した。
仙台から、「日本三景」で有名な松島へ。
それから岩手へ北上する。
「歴史」や「文化」に触れてると、誰かの「声」が聞こえる。
耳をすませばいろいろ聞こえる。
たまに自分の声がうるさくて困る。
この日は盛岡から、さくっと弘前まで行っている。
夜は近くの小さな居酒屋に入って地酒を飲んだんだ。
青森のさきっちょからそのまま青函トンネルをくぐって北海道へ入った。
北海道の本州寄りの小さな町、木古内から函館に電車で移動していた。
函館に着いてからは五稜郭にも行っている。
宿屋はチャリダーの人達が泊る所だったから、自転車を借りられた。
二階の畳の部屋で寝てさ、夜中新しい旅の人が来たから、話したっけな。
茨城の大洗からフェリーに乗ってきたんだとさ。
北海道中これからバイクで走るらしい。
函館って、すごくいい所だよ。
なんてったって函館山からの夜景が素晴らしい。
函館港と倉庫群も見て回ってさ、気分は旅人。
八幡坂の上から港まで続く大きな通りが、なんかの映画のロケ地になるくらい良い場所。
この後、俺は小樽へと向かう。
それにしても北海道はいいところだ。
長万部から北上してニセコを通って、途中で「羊蹄山」を眺めながら小樽を目指した。
羊蹄山のことも少し触れておこう。
じいちゃんの骨がまかれた山なんだ、自然にかえったんだ。
そこは天国か、はたまた北海道の羊蹄山の麓か。
ここでじいちゃんの句を一句、「雪一片ひらりと消える光かな」ここからインスピレーションを感じて、『光の中を旅してた』って言うタイトルになってる。
ふと、涼しい風が吹き抜けた。
運河から歩いて石原裕次郎記念館に行こうとしたんだけど、ちょっと距離があったからやめた。
俺のおばちゃん達はそういうの好きみたいだけどね。
姉ちゃんって呼んでいるけど。
いつかの札幌駅は工事中だった。
そこから慣れたもんで、メトロに乗って中島駅近くの今日の宿へ。
クラーク博士で有名な羊ケ丘では、バイクでツーリングをしに来ている人達もいっぱいいた。
あぁそうだ、ばあちゃんの見舞いにいったんだ。
それが一番の目的の旅だ。
いつもそうだけど、とても元気そうだった。
ばあちゃんのいる病院で働いている人達はみんな親切だった。
富良野を目指して、札幌から向かうことにした。
滝川まで高速バス、それからボランティアの時に出会ったのんちゃんが迎えに来てくれて、富良野とか、美瑛まで連れてってくれた。
この頃ヒッチハイクも出来なかったし、すごく助かった。
『北の国から』のロケ地とか、富良野の広大な大地をみた。
美瑛にも行って、青の池にも来た。
途中、美瑛神社にも立ち寄ってみたり、一緒に黒い色のスープのこってりしたラーメンを食べたり、なんだかんだで旭川の宿まで送ってもらってしまった。
旭川の駅前とか街並みとか、どかんと広くて最高だった。
なんかいつも観光の時期ずれながらの旅をしているから、工事中な現場よくみるんだ。
その時よく思い出す、電気工事をしていた時のこと。
なんで俺あんなに向いてないところで無理くり頑張って見せてたんだろ。
やっていたいことやらなけりゃ人生ちっとも面白みなくないか。
味気なくないか。
「味わおうぜ、もっとさ」って自分に言ってみる。
動物達をご覧よ。
裸で生きてんだもん。
旅行学校の時に、自分達でツアーを作るっていう企画を勉強していて、世界遺産ツアーを計画して旅に出た。
白川郷、そして富山を通って石川県の金沢までの旅。
これにはうちの両親もついて来た。
合掌造りの屋根は、冬、雪の重りで屋根が壊れないように設計されたんだって。
あの頃生活するのに何も困ることはなかったけど、退屈とやるせなさを感じていた。
新しい何かを求めていた。
朝一番で高岡の大仏へ。
背中に輪っか付けていてかっこいい。
高岡古城公園を親父と散歩した。
瑞龍寺を拝んでから氷見に行った。
海沿いをドライブしてフィッシュマーケットで新鮮な海鮮食べた後、能登半島を目指してドライブ。
目的地は金沢の兼六園。
そんなに若くない。
でも、確かに失うものは未だに何もないかもしれない。
僕は、足る事を知りたい。
眩しかった。
透き通る水、紅葉そして、青い空。
金沢の兼六園でのんびりと散歩して抹茶を飲んだ。
心地のいいものを言葉で伝えようとする時、自分の中に流れている「時間」が止まる。
息を止めているみたいな感覚で、これは誰にでもあるものなのか否か。
兼六園はとても綺麗な庭園だった。
なんて言うかつるつるの心、俺はまだ失くしてないよね。
第一章 オーストラリア編 シーズン1
Australia Season1
Brisbane-Cairns編
Australia オーストラリア
この時は、なんとか生き延びようと必死だった。
日本を旅して学んだことを海外でも実践してみたかった。
「願いは叶う」っていうことを信じてみたい。
初めての一人での海外。
僕はオーストラリアにいた。
ゴールドコースト空港に着いてからブリスベンまでの道のりも、飛行機の中で会った子が空港の人に聞いてくれて俺はわけなく辿り着けた。
そして日曜、「ホームステイ」先のトムの家に行ったんだ。
全部英語で行われる授業には、全然ついて行けなかった。
たまの学校終わりにシティキャットに乗ってブリスベン川を渡って街に出てみんなで遊んだりしていた。
周りで何がおこなわれているのか一向に理解できないまま、一瞬で短い「留学生活」は終わっていった。
夕暮れに沈むサウスバンクの観覧車を思い出している。
いつも新しくて素晴らしい出会いがあるんだけど、この時の未来なんてのは全くもう本当に煙の中でさ、なんにも決まってないまんま学校生活が終了して「ホームステイ」の期日も迫っていたんだ。
ゴールドコーストの海辺でのんびりすれば何かが変わるかもしれない。
全くのノープランだったけど、きっと新しい風が吹くはず。
もう今だってこの頃だって無鉄砲でどうにでもなれ状態だったんだ。
トムに別れを告げて、俺はゴールドコーストに旅立った。
あいつはスケボーが好きないい奴だった。
再会することになるのはまだまだ先の話だ。
透き通るようなきらきらした海水。
踏むとやわらかく足跡が残る綺麗な砂浜。
サーファーズパラダイスって言われるだけあるぜ。
宿に戻ってきてしばらくゆっくりした後、この後どこに行こうかななんて考えていた時、一通のメールが来てることに気が付いたんだ。
それには英語でこう書いてあった。
“ファームで働きたいのならバンダバーグに来て、条件は、時給18AUSドルで、だいたいこのくらい働くわ。宿はシェアハウスを用意するわ、ファームで働く人はみんなそこに住むのよ、レントは週160AUSドルよ。”
働いて、働いて、稼ぎまくって、オーストラリアをラウンドするんだ!
なんとしてもファームで頑張ってセカンドのビザを取る。
やりたいことと、やれることがはっきりしてた。
みんなで働いた方が楽しいし、分け合った方が気持ちいいに決まっているんだ。
農場の街は暗くて妙に静かだった。
少ししたら、幸いにもアンドレアが現れて俺をシェアハウスまで送ってくれた。
初めて訪れる土地、それに加えて夜の中、僕はとても不安でアンドレアに話しかけるも何言ってんだかわからない状況。
それでも前に進むんだ。
恐いけど。
行かねばならない。
この時期この「ファーム」で起こった全ての事、共に過ごした仲間達。
日本を旅していた時に会った人たちが楽しそうに話していたことを経験できた。
今だにあれは夢だったんじゃないかって思える程、充実していた毎日だったんだ。
最初の週の日曜日、ヒデがゴールドコーストからやってきた。
ヒデもファームの仕事探していたから俺が呼び寄せた。
毎週土曜日、僕らはシェアハウスの庭でみんなでBBQをしながらお酒を飲んでカードゲームをやった。
日曜日は唯一の一日休みだったから、のんびりと気ままにヒデと街に出たりしながら過ごした。
ファームの仕事は毎日がしんどかった。
その分給料はよくて、オーナーもマネージャーもみんなオージーだったから羽振りはよかった。
毎朝日の出よりも前に起きて飯を食べる。
体操をしながら迎えの車を待つ。
そして、「サツマイモ」を掘りまくり、草の芽を刈りまくり、土を耕しまくった。
虫に刺され、体中痒くなり、クリームを塗って痛みを和らげ、たまに寂しくなって友達に連絡したり、たまに夜になるとヒデとかとワインを飲んでいろいろ話したり、英語の勉強をしていたり、そんな感じの生活だ。
急な雨に打たれた後にでた虹。
農場は遮るものがないから虹の根っこから根っこ迄くっきりと見えたよ。
移動中トラックの荷台から見た道の真ん中を飛び跳ねてたカンガルー、何度も目が合ったような気がした。
かぼちゃの種を植えた新しい畑。
いつも泥だらけになるもんだから、帰った後、服着たまんまシャワー浴びていた。
それはそれで充実した毎日を送っていた。
最初の一週間がマジできついのはよくわかる。
それからもまた何人か新しく入って来て、メンバーは変われど、毎日同じような仕事の連続だった。
それでも、農場の様子は毎日少しずつ変化していく。
いつだか植えていた種に芽が出てきていたり。
少しずつだけど朝晩冷えてきたり。
この頃オーストラリアでは秋だったんだ。
何か、目標がなければ到底続けられないと思う経験してたんだなぁ。
ファームにはそこで飼われている犬もいてさ、みんなそれぞれ障害があって可愛かったんだ。
一匹は目がいつも真っ赤、もう一匹は足が一本なくて、もう一匹は子犬なんだけど、すぐなんにでも噛みついちゃうからって首に、どこも噛めないようにシャンプーハットの長い版のわっかみたいのつけててさ、みんな個性があったなぁ。
あいつらも俺の友達。
もぎりたての野菜をズボンで擦って綺麗にしてから「ぎゅっ」て齧ると、もうめっちゃ美味しくてさ。
それからだよ、マジで野菜好きになった。
俺達のシェアハウスにはいつも農場から届く新鮮な野菜があったから、それでいっつも野菜料理を食べてた。
日記帳をつけながら、一日一日印付けていてさ、働きだしてから88日目(セカンドビザ申請クリア)がくるのを首を長くして待っていたんだ。
まれに一週間で1000AUSドルくらい稼げる時もあって嬉しかった。
毎週末のBBQの時のビールは本当にうまかったなぁ。
あれよあれよと時間ばかりが過ぎていき、僕はついにファームを出ていくことになった。
最終日はみんなが仕事に行っている中、俺とフェリックスは出発の準備。
なんか特別な時間を過ごしていたみたいだ。
終わらせるんだ自分の手で。
自分で決めるんだ、全部は自分次第。
心が嬉しくないようなことはしたくないなぁ。
そしてまた新しく始める。
と、思いつつも、なかなかそれが出来ない自分ってのも嫌でも見つけてしまってさ。
そういった時間ひとつひとつが成長っていうのかもしれないんだけどさ。
本当にオーストラリアに来て必死こいて「ファーム」で頑張れたのは俺の人生の中でも貴重な経験だったって言える。
人の人生は本当にそれぞれ違う味がするもので、どれがいいってわけでもなく、自分次第で未来は変わるんだよね。
変われなかったから。
恐くてもうだめで、何もできないから。
そんなんだったら、またそこから新しく始めたらいいんだよね。
僕たちは、グレイハウンドのバスに乗って、また新しい旅に出たんだ。
ここから、ケアンズまで俺とフェリックスの短くて濃い旅が始まる。
バンダバーグのバスターミナルでアンドレアともお別れ。
みんなとお別れさ。
アーリービーチに着いたのは次の日の朝、天気が良くて爽やかな朝。
海も空も澄んだ青をしている。
こんなに綺麗な海を見たのはサーファーズパラダイス以来久しぶりだった。
「グレートバリアリーフ」の中、小さな魚、サンゴ礁とか、澄み切った青い海を見た。
「音」が無いっていうか、自分の「呼吸」の「音」がやたらと聞こえて、すごく静かなんだ。
グレートバリアリーフの海に夕日が沈んでいくぜ。
日が落ちて夜になると僕等は船内でビールやサイダー、ワインを飲みながらトランプをして遊んだ。
真夜中の海上は本当に真っ暗でさ。
人口の光が届かない海の上から見る「グレートバリアリーフの夜空」には無数の「星」が現れていて、初めてかもしれないなあんなに綺麗で輝く星達を見たのは。
朝が来て僕等は簡単な朝飯を食べ、船は一路この旅の目玉、ウィットサンデイアイランドを目指す。
ホワイトヘブンビーチ近くのナショナルパークの高台から見るウィットサンデイの美しさったら、なんて言ったらいいの。
なんだかんだで、日が暮れて、船上では宴が始まる。
だんだんと辺りは闇に包まれる。
朝が来て僕等は次の目的地、マグネティックアイランドまでのフェリーが出るタウンズビルへ、グレイハウンドのバスで向かった。
グレイハウンドのバスは、船着き場まで僕達を運んでくれた。
タウンズビルの丘がだんだん遠のいていく。
僕等は近くのホースシュウ・ベイっていう浜まで歩いて行って、浜辺を散歩した。
大自然に抱かれて暮らしたいよな、なんてオーストラリアを旅してる時に何度も思ったりしたもんだ。
アーリービーチでのバカ騒ぎが嘘のようにしっぽりとしてた夜だった。
フェリックスはやっぱり、なんにもない浜でのリラックスの方法を知っていたみたいだ。
俺はファームの熱がまだ残っていたから、腕立て伏せとかして体を鍛えて誰も居ない海を満喫した。
マグネティックアイランドを出た僕等は一路、ミッションビーチに向かった。
大きな相部屋、ドミトリーで落ち着いた後、僕等は海に入りに行った。
ミッションビーチの広々とした浜、海の向こうには小さな島が浮かんでいる。
ものすごく広いのに観光地とは思えない程に人がいない。
ここでの時間ってのはケアンズで始まる連日連夜のパーティーの前の、「嵐の前の静けさ」ってやつだったのかもしれないな。
グレイハウンドのバスを降りたのはケアンズの図書館の近くだった。
それからフェリックスと一緒にケアンズの街散歩。
ケアンズにはマーケットがあって、金土日の週末オープンしていた。
果物や野菜が安く手に入るのは日曜日の閉店前。
フェリックスと僕はセスナ飛行機に乗り込み、飛行機は上空へと飛び立った。
順番が来てフェリックスも窓の外に消えてった。
次は俺の順番だ、でも恐くはない。
後ろにぴったりくっついてくれてるおっちゃんに命は預けた。
次の日、アランが仕事ゲットしたっていうバックパッカーズホステルに一緒に行くことになった。
やっぱり、仕事紹介してくれるっぽかった。
働くお金が発生しない代わりに寝るところと飯が付いてくる。
海外で長く生活するにはもってこいの仕事だ。
ケアンズはその頃、秋から冬に向かっていたのに全く寒くなくて毎日天気が良かった。
そこからどんどん運が開けて行った。
どんな人と出会うかがとても大事なんだ。
ケアンズでの生活はゆるくて、毎朝ゆっくりと起きて、フリーの朝食、簡単なパンとジャムを食べる。
それからコーヒーを飲んで、ハウスキーピングの仕事をする。
ベッドのメイキングと、部屋の掃き掃除、バスルームのクリーニング。
同い年のJDが俺にUKのスラングをずっと教えてくれていた。
夜になると、バーでフリーの晩飯をそこで働いているみんなで食べて、そっからはもうパーティーの準備。
今日どこに飲みに行くかとか、俺は誘われるがままに参加してた。
そうして、一日、一週間、一ヵ月って、ものすごい速さで過ぎて行った。
この頃、レセプションで働いていたアイルランドからのメガンとジャスティンや、一緒に働いていたフレンチのモナ、ステファニー、ドルフィン、セドリック、ネイラ、あとは、イングランドの、JD、スティーブ、ドイツのウィリーとかポール、韓国のトウキョウ、もう本当にいろいろな奴らと出会って、なんだかんだ話しまくって勉強していた。
アランはバッパーのバーで働いていたから、夜はそこで一緒にみんなで飲んでいた。
アランが出ていく頃には俺もケアンズから一度、地元の友達の結婚式の為、日本に帰るチケットを取っていた。
そしてその後のダーウィン、カカドゥナショナルパーク、パースまでの航空券とアコモデーションも予約していた。
正直値段は高かったけど行ける時に行かないときっと後悔するし、それからじゃもう遅い。
シドニー、メルボルンも見えてきていた。
その前にダーウィン、パース、そしてその後東南アジアの旅に出たかった。
ケアンズも少し涼しくなってきた。
そんなの関係なく、僕等はナイトクラブに飲みに行っていた。
イングランドのJDは俺と同い年ということもあり、よく一緒にスティーブも含めて飲みに行ったり、カジノに行ったりした。
一緒にフェスティバルとか行って花火とか見てたからかな、アランが旅立ってからはJDが俺の面倒見る係になったのか、あいつが兄貴的性格であごひげがめっちゃ生えてたからか、なんか毎回一緒に飲みに行ってた。
仕事もなにもかも慣れちゃって、俺は早く次の目的地まで旅立ちたくなってたんだ。
一回日本に帰るんだけど、気持ちはもうダーウィン、パースに向かってた。
これは本当にそうなんだけど、自分の行きたい方向の事をみんなで話すと力を貸してくれる人が現れるんだよね。
ケアンズ最後の夜も、バッパーで働いているみんなと外のバーで楽しく飲んだ。
あぁ、ケアンズ。
またいつか羽伸ばしに行きたいもんだぜ。
この頃の僕の「夢」、それはオーストラリア大陸をラウンドすること。
その事だけにすべてを費やしていた。
イメージだけは持っていた。
パースの後はなんとなくだけど、東南アジアを旅してから日本に帰って、セカンドビザの申請をすること。
道は開ける。
人生は続くんだ。
Australia Season1
Darwin-Perth編
飛行機の窓から見るダーウィンの街の夜景はとても小さく感じた。
もうフェリックスもアランもJDも、バッパーで出会ったみんなも誰もいない。
一人だけの旅だ。
僕は手持ちの日本円をオーストラリアドルに両替して、スーパーに買い物に行き、手軽に作れる食材を買った後、写真を撮りに海まで行った。
僕等は写真を一通り撮り終えると、シティの方に向かって歩いて行った。
次の日は、歩いて街はずれのボタニックガーデンへいって森林浴。
その後、さらに足を延ばしてミンディビーチっていう砂浜が綺麗な所へ行って夕日が落ちるのを見ていた。
暖かい風が僕の頬をさすってく。
あぁ。
今僕は旅の中にいるんだ。
そんでもって翌日、ケアンズの宿で予約していたカカドゥナショナルパークへの一泊二日のツアーに参加するべく早起きした。
行く途中でパーキングエリアに停まったんだけど、そこには角の生えた牛とか、豚とか。
動物がいてさ、このエリア名物の「クロコダイル」まで頑丈な檻の中に入ってぎろぎろした目でこっちを見てんだ。
その後、マリーリバーナショナルパークって所でボートに乗ってワイルドライフの見学。
俺、大自然が好きだな。
晴れ渡った空。
あらゆるところに緑の植物が生えていて川の中から顔を出してる。
鳥たちが歌い、僕も風景の一部になっていく。
水面に顔を出すワイルドクロコダイル。
一時間弱の冒険を終え、僕等はカカドゥに着き、昔の「アボリジニ」の生活模様を観察しながら、大きな岩を上っていった先に見たものはカカドゥの大平原。
ずっと、ずーっと遠くまで大地が広がってる。
風がまた吹いている。
優しく。
ゆっくりと。
どこまで俺の旅は続くのかなぁ。
そんなのわかんねぇ事だよなぁ。
この日の夜はキャンプだ。
小さなテントの中に、寝袋ひいて雑魚寝って感じ。
陽が落ちる前に僕等は川へ夕日を観に行ったんだ。
そして、大空を自由に羽ばたいていく大勢の鳥たちを見たよ。
渡り鳥かな、よれよれなひし形の一方みたいな陣形取って、風をうまく利用して飛んでんだ。
ひょっとしたら、あいつらも風なのかも。
翌日はみんなで集合写真を撮ってカカドゥの奥へ。
この日は自然に出来た雨水の溜まり場で水遊び。
雨水の溜まり場って聞くと汚そうだなとかって思うじゃん、でもね、そこには自然の物しかないんだし、そんなの関係ないんだ。
土と木と岩でろ過された雨水の中、超気持ち良かったんだよ。
次の街は西オーストラリアのパース。
パースでしばらく働いてから東南アジアに旅に出たかった。
ダーウィンは暖かかったけど、パースは少し涼しかった。
空港を出たら光が射していて、僕は青空を見上げた。
パースに着いてから、僕はケアンズで出会ってみんなでなんどもBBQをしたりして仲良くなったフレンチのモナが泊まっていて、ルームメイトだったセドリックもお勧めのパース中心地から程近い安宿に向かった。
青空の下、キングスパークの高台からパースの街を一望した。
カンガルーと一通り遊んで、モナにパースのこといろいろ聞いてダーウィンの事とか話した。
そんなこんなで始まったパースでの生活。
来る日も来る日もカメラを片手に仕事を探していた。
一週間経っても仕事はなかなか見つからないから、宿の予約が切れるタイミングで一気にフリーマントルっていう、お洒落なカフェがたくさんある街まで移動することに決めたんだ。
タカは言ってたよ、「俺フリーマントル好きなんですよ。インディアンオーシャンめっちゃキレかったですよ」ってよ。
俺もそれを見て大感動、真っ青でめっちゃ綺麗。
いろいろ話していく内に楽器出来るんなら、ゆうへい君もやってるからって、ストリートパフォーマンス、「バスキングしたらいいじゃないっすか」って話になって、パースにある楽器屋知っているって言うから今度一緒に「カホン」を買いに行くことになったんだ。
ちゃんとした仕事も探したかったけど、なんも稼ぎがないよりは、何かしててそれが「音楽」なら最高だから良い考えだ。
まさか俺もその仲間になるとは、人生大事なのって本当に人との出会いだよなって思うよ。
フリーマントルの海も空も驚く程にブルーで透き通っていて、もう俺の体を貫くほどだった。
あの時の俺は、あの時見た空の色に染まってた。
早速、パースシティのストリートに出て自分のバンドの曲を叩き出していた。
こうすると全てが変わる。
本当にたくさんの人に出会った。
相変わらず俺たち、メンツはいつも違ったけど、日本人宿で出会ったみんなとは船着き場の近くのカレー屋でよく会っていて、たく君が「ここに現れる怪しいフランス人がいる」って言うから観察してたら、なんとなく毛むくじゃらの変な奴がいたから、あいつかなと思って「ちらっ」と目配せしてみたら、向こうもしてくる。
週末、俺たちはバスキングをしにノースブリッジっていう場所へ向かった。
そこはパース駅の裏側で、当時俺が泊っていたバッパーのすぐ近くだった。
その夜、俺達は酔っぱらいを相手にしながらずっと「音楽」を鳴らしていた。
この頃はよくダグラス達と「フェスティバル」に行ったり、「ブーメラン」飛ばしに行ったり、本当に、最初はいろいろあったんだ。
ホームステイの仕事のオーナーに電話して、すぐに入れるファミリーないか聞いてもらってさ、そしたら聞き入れてもらえて、なんでも言ってみるもんだな。
毎週火曜日に街のナイトクラブで「オープンマイク」のイベントがあって、ミュージシャンはステージで演奏すると無料でビールとピザがもらえる。
街でバスキングしているとすぐ人に会う。
そのくらい小さな街だし、メインのストリートはみんな通るから待ち合わせなんてしなくても良かった。
ここで出会ったみんなは超優しかったよ。
あぁそうだ、のちにアメリカ大陸を「リヤカー」ひいて歩いて横断しちゃうっていうめちゃくちゃな男、ゆう君ともこの街で出会ったな。
アメリカ大陸を横断してた時、ゆう君の連れはサッカーボールをドリブルしてたっていうんだからもうクレイジーだよ。
「そういうの最高だわ」って、後でこの話しを聞かせたヨーロピアンの子が言ってた。
もうきっと南半球は夏なんだ。
僕は週に2、3回ストリートに出てバスキングをしてた。
半袖に短パン、でも頭には子供に人気が出るようにサンタクロースの赤と白の三角帽子を被って「カホン」を叩いてた。
もうすぐクリスマスだ。
年末な感じがどうもしない。
きっとなにかうまくいく前兆だと思っていた。
あがいたってしょうがない時ってあってさ、だから俺、街に出てバスキングすることにしたの。
本当に綱渡りみたいな生活を送っていたんだ。
運よく落ちなかったけどさ、あの時は本当に嬉しかったんだ。
仕事も終わったから、バスキングだけ出来るし、しかもタイワニーズのみんながもうご飯もくれるし、料理もしてくれるし、何するにもみんなでしていて愉しかったなぁ。
家なくなって、むしろ良かったってオチだよ。
僕はタイワニーズのゆるく暖かい雰囲気の家で過ごしていた。
隣ではタンクがなにやら台湾の友達に向けて何か手紙を書いている。
友達思いのいい奴なんだ。
夜は家の前でみんなでBBQとかしたりして、自由に過ごしたよ。
本当にゆったりとした時の中にいた。
僕の頭の中はこの時、東南アジアへの旅の事でいっぱいだった。
その日、最後のナイトクラブだったから俺も張り切っちゃって、だいたい全部のステージでカホン叩いてしまった。
そんで、最後にパフォーマンスしてって言われて、俺だけだと華がないから、げんじろう君指名して、一緒にステージでげんじろう君の曲に合わせて演奏したんだ。
げんじろう君の歌がマジでいい。
旅の中で何度も聞いた。
タイワニーズのみんなが優しくて、俺の事を旅行に誘ってくれた。
バッセルトンジェッティという『ワンピース』の海列車のモデルにもなってるんじゃないかってくらいに海に桟橋が長く突き出ている場所へサンゴと、サラと、ブルーノと行った。
海風に吹かれて、もうパースでの日々も残すところ数日。
オーストラリアでの日々を懐かしむように佇む海辺。
それぞれの旅の中、交差する僕たち。
最終日、土曜日だったから、台湾の友達みんなが俺のことをパースの飛行場まで送ってくれたんだ。
チェックインも無事に済んで、まだ乗り込むまで時間があるからって、みんなでなんか食ってさ、最後には一人一人とハグして記念撮影。
ここから俺は東南アジアの旅に出る。
すべてが初めての、なにやら不確実な毎日。
東南アジアに向かっている俺は、勢いに充ちていたに違いない。
そいつがまだ俺の中にいてたまに背中を押してくれる。
とうとう激動の東南アジア陸路の旅が幕を開ける!
第二章 東南アジア編
South Asian countries
Singapore-Hong Kong編
Singapore シンガポール
オーストラリアで過ごした時間が僕を東南アジアの旅に連れてきた。
ここからどこまで行けるか試してみたい。
シンガポール、マレーシア、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、この辺りまでなら行けるだろうか。
陸続きなんだから道はあるはず。
日本列島を旅した時みたいに熱く行けねぇかな。
ホストのインディアンガイの家で目覚めた僕は、軽めの朝食を取りに近くの駅まで出た。
シンガポールっていったら、やっぱりあいつ。
マーライオンを見に街の中心地に向かうことにしたんだ。
大きなビルが立ち並ぶ経済特区シンガポール。
道路は渋滞、僕は前を歩くシンガポールの人をひらりとかわしてサンダルで歩く。
湿った風が吹いて首元が汗で滲む。
マリーナベイサンズのスクウェアから見るシンガポール中心地の夜景もすごく綺麗だった。
隣の国の街マレーシアのジョホールバルまで向かう為に、ウッドランズって駅まで電車で行って、それから路線バスで「国境」を越えることにした。
国を越える時、いつもドキドキする。
Malaysia マレーシア
シンガポールの隣街、ここはマレーシアの街ジョホールバル。
だいたい、物にもよるけど、日本の3分の1くらいの物価だ。
マレーシアの通貨の名前はリンギット。
ジョホールバルの街はシンガポールやオーストラリアとは何もかもが違っていた。
どこもかしこも汚くて整理されていない。
道は凸凹で電線はこんがらがってる。
旅中はチャーハンをよく食べた。
なんか店員さんが持ってきてくれるスパイスをつけると味がきいてよりうまくなる。
しばらく歩いてみてここはまだまだ発展途上の街で、作りかけのビルの街って印象がある。
ジョホールバルの歓喜も今は聞こえない。
マレーシアを駆けのぼってタイまで行けそうだ。
マレーシアだけじゃないんだけど、東南アジアを走るバスはどの線も冷房が効きすぎていてめっちゃ寒い。
油断するとすぐ頭が痛くなる。
おまけに地元の変な音楽も流れている。
ジョホールバルから首都のクアラルンプールまでの間にマラッカという街がある。
ここはとても長い歴史を持つ街で、街全体が「世界遺産」に登録されている。
ここでマラッカの子達と会ったんだ。
僕がフランシスコ・ザビエル像の近くで座って休憩して景色を見ていたら、同じタイミングで地元の子達三人組も休憩してたんだ。
その子達の案内もあってマラッカ川を渡って歴史地区まで一緒に歩いて行った。
本当に今と昔と混ざっている。
見上げると道路の上に赤い旗が連なってなびいていた。
俺一人じゃ気付けなかった事ばかりだ。
日が暮れるまで案内してもらってしまった。
目覚めてまた観光しに行こうとしたら、隣の部屋から出てきたヨーロッパの子とバッタリ会ったから、「一緒に行くか」ってことで街に出た。
クララ、フランスから旅に来ていた子。
プリンセスがすごく良い所に住んでいて、海沿いのセキュリティ付きの高層マンションの高層階。
マラッカの海を毎日ここで見ているんだね。
歴史地区にあるプリンセスが良く行くバーに連れて行ってもらったら、そこのマスターが超音楽フリークで、ピアノ演奏からギターも超うまい。
こんなの感じたことないってくらい、ずば抜けている彼のリズム感。
マレーシアゆるくていい感じ。
クアラルンプールまで向かうバスの中、体が冷えないようにバスタオルを巻いていた。
いよいよマレーシアの首都クアラルンプールだ。
初日の夜に目玉のあのでっかいツインタワー見に行った。
ペトロナスタワーっていうらしい。
初めての街で、初めての電車乗り継いでツインタワーの最寄り駅で降りてタワーを見上げた。
夜になると、街にはネオンの明かりが灯りだす。
僕は途切れない文字を映す電光掲示板を眺めている。
喧噪の向こう、鉄道が走る。
誰も知らない街角で、ネオンの光に照らされていた。
クアラルンプール、物乞いが何も言わず両手を差し出して道の脇に座ってる暗い夜。
ペナンに行くバスの切符を手に入れた大きなバスターミナル。
バスはゆっくり発車する、窓の外を流れていく景色。
ガンガンにかかる冷房と謎のローカルミュージック。
マレーシアの旅はまだ終わらない。
ペナンの街はいい感じに古くて、アートな臭いを感じる。
バックパッカーハウスにチェックインした僕は晩飯を食べに屋台へ出る。
辺りはもう暗い闇に包まれていた。
今日も日が暮れた旅の途中。
シンガポールのビール、タイガービールを「ボブマーリー」がかかるレゲエな店で飲む。
バーの壁には英語で、「ザ・ライフ・イズ・ソウ・グッド」って雑に書かれていた。
タイガービールが回ってくる、俺は一体どこに向かっているんだろう。
自分でも記憶のない旅をしていて欲しいってどっかで思ってる。
ペナンの街はお世辞にも綺麗な街とは言えないけど、アートが染み込んだ渋い街だった。
バターワースっていう駅に僕はいた。
そうだ、ここからバンコクまで「寝台列車」で丸一日くらいかけて向かったんだ。
今度は「国境」を電車に乗りながら越えた。
出国手続きと入国手続きの為に、一回電車を降りてスタンプを貰わないといけないんだ。
そんなこんなも全部が「旅」じゃん。
心躍らせてなんぼでしょ。
寝台列車ってわくわくする。
夜になるとみんなはカーテン閉めて眠りに着く。
それでも電車は走る。
目を閉じて車輪の鳴らす音に揺られてる。
こいつは確実に僕等をタイのバンコクまで運ぶ。
The Kingdom of Thailand タイ王国
旅の俺はといえばバンコクに着いていた。
ローカルバスをつかまえてまだ拙い英語で話す。
「カオサンロードに行きたい。このバスはそこまで行く? 着いたら教えてくれる?」
カオサンロードの安宿で荷物をほどき、観光に出掛けてみた。
大きな金色の大仏のある寺に来た。
屋台のおばさんはお昼寝している。
猫が歩いてく。
アンドレアと僕は、美味しいタイ飯を食べた。
カオサンロードはいつも人で溢れている。
本当に手ぶらで旅に出てカオサンロードに来れば全部揃っちゃうと思うんだ。
タイで一番有名かもしれない仏像が横になって寝てるワット・ポー寺院に行ってきた。
仏像は寝そべっているんだけど目は開いていた。
それからケーズのはじめさんの紹介でタイ人のはじめさんの友達と会うことになってたんだ。
そこに現れたのが、千葉にもケーズにも来たことがあるっていうコーヒーとキャン。
彼らはタイの大学で先生しているんだ。
旅に出たら地元の友達と行動するのが一番いいね。
コーヒーとキャンの友達も合流して、チャオプラヤー川で渡し船を待つ。
だんだん日が暮れてきて街に明かりが灯る。
川面に反射する光と影。
ぬるっとした湿気をたくさん含んだ風が僕らの間をすり抜けて、木造の橋の下に収まらずに川の流れにのって下ってく。
暮れ行く空を眺めながら、遠くにいる誰かの事を想うわけでもなく、僕はこの「瞬間」に生きていた。
チャオプラヤー川のボートに乗り込んだ僕等は川沿いの大型ショッピングセンター、アジアティーク・ザ・リバーフロントに向かう。
朝を迎えて僕はコーヒーと一緒にバイクタクシーに乗って街まで出た。
夜のカオサンは熱気もすごかったぜ。
結局コーヒーもキャンも俺もへべれけになるまで飲んで、一緒に屋台飯を食って締めた。
コーヒーとキャンは終始優しかった。
俺も、俺の友達が日本に来たらめっちゃ優しく接したい。
全部が人生勉強だ。
夜の街をトゥクトゥクに乗って走る。
道路脇にある店の明かりが眩しい。
そうか、この時期ちょうど「チャイニーズニューイヤー」だったんだ。
サイアムセンターっていう活かした街がある。
中国のニューイヤーだから広場に設けられた仮設ステージの上ではドラゴンが舞っていた。
雑技団ばりのアクションをする人たちが見世物をしてる。
その夜タカと再会した。
夜行列車でタイの北、ラオスとの国境の街ノンカーイまで旅に出ることにしていた。
タイでのゆっくりとした時間をくれたコーヒーに感謝だ。
今回も夜行列車、心躍るいい感じ。
列車の中で感じる夜と、窓の外を流れてく夜と、何も変わらない俺と旅人たちを乗せた列車は、早すぎず、遅すぎず、タイを北上して行く。
ここは国境の町ノンカーイ、とても小さな町だ。
メコン川が優雅に流れている。
朝方、太陽の光によって目が覚める。
駅前で「トゥクトゥク」を拾って街の中心地へ行ってみることにした。
せっかくだし、急ぎの旅じゃないんだから、ゆっくり一泊でもしていこうと思っている。
メコン川を眺めていると気持ちも穏やかになってくる。
川から穏やかな風が吹いてくる。
何もかもがスローに流れてく。
焦らず、慌てず、落とさず、失くさず、気ままに風任せな旅だったんだ。
ノンカーイの街を歩いてたどり着いたのは、メコン川。
時間はいつ流れたんだろう。
このまま夕暮れでも見て黄昏ていようかと淵まで行くと、渡し船の積載量を軽々と超えているだろうパンパンに荷物を積んでる船が今まさにこちら側の岸から、ラオスの方に出発しようとしてる。
陽が傾いて、影をつくって夜が来ようとしているよ。
川の流れは雄大で、辺りはただ静寂に包まれていた。
メコン川のにおいを纏うトワイライト、民家の明かり、川面に移る空。
寂しくなったらまた来いよ。
空高く月が出た。
朝が来て足取り軽く「トゥクトゥク」を捕まえて国境まで向かう。
Lao People's Democratic Republic ラオス人民民主共和国
メコン川を渡った俺はラオスの首都ビィエンチャンにいた。
ビィエンチャンもメコン川沿いに開かれている街らしい。
どれだけこの川が地元の人たちにとって大事なものかよくわかってきた。
それから俺はメコン川の畔にたどり着いたんだ。
ここでもメコンは穏やかに流れていた。
しばらく川を遠目に見ながら腰を下ろして体を休めていたんだ。
地べたに寝そべって少し眠った昼下がり。
旅は一寸先もどうなるかわからないじゃん。
なんも決めてないし、でもどうしたいかってのは漠然とあって、それが頭の上、遥か彼方にあんじゃん。
そいつをすっと体に落とし込むこと。
どうしたいか決めるのはやっぱり俺の意志だったよ。
ここは小さな村、通りには毎度のごとくフルーツやらなにやら売っている人達がいる。
街のすぐ横をナムソン川が流れている。
静かに透き通った川で流れは緩やかだ。
僕はとぼとぼと橋の上を歩いていた。
太陽はまだ高く川面を照らす。
顔を付けて潜るヨーロピアン。
水はやはり澄んでいた。
こんな山奥だもの汚れようがないんだ、人がごみをむやみに捨てたり、無理くり開発とかして環境を破壊しない限り自然は保たれ続けるのに。
こうして旅を続けていると、何が自分にとって尊いものか、彼らが教えてくれる。
街をゆっくりと歩いて回っていると、人々の生活や土地の熱ってのがたまに垣間見れるから好きだ。
だんだんと日が傾いてきた。
夕暮れのそのまた前。
静かに暮れ行く空に「気球」が浮かぶ。
夕日に照らされるレインボーの気球、音もなく漂っている。
コテージには置き忘れられたビール瓶が3本、オレンジ色の光に照らされていた。
ゆっくり、どのくらい眺めていたんだろう。
風に連れられてどこかにいっちゃった。
僕等は夕日が沈んでいくのが見られる石段に腰かけてじっくり時を過ごす。
オレンジ色が強く、鈍く光っていく。
遠くの山が影になっていく。
夕暮れが落ちていく。
山の向こうに隠れてく様を一瞬も見逃したくなかった。
歓声のような声が漏れる。
あぁ遂に太陽は大地に沈んだ。
吐息が漏れる。
空を見上げるとうっすら白く光る月が出ていた。
空はまだ太陽を見ている。
夜が来て、街は色めく。
いつものアジアの暖かい光の中、ルアンパバーンのマーケットを歩こう。
夜飯は地元の賑やかな屋台でドンちゃんと一緒に食べた。
夜になって、今日も僕は夢の中で過ごしている。
朝が来て街に出ると、今日もカラフルなトゥクトゥクが元気に走っている。
気温はまだ高くない。
風が心地いいくらいだ。
何度も僕はメコン川を見ていた。
茶色く濁った川の上をスローボートがゆるりといく。
メコン川を見下ろせるカフェに入り朝飯を食べる。
この世のありとあらゆるしがらみも、催促もこの瞬間にはない。
ただただ自由な午前に包まれていた。
真夜中のラオスの山道恐るべしだったな。
バスから早く解放されたかった僕は足を屈ませて少し眠った。
虚ろなまま周りの不安そうな気配を察知して起きると、どうやらバスが動いていない。
やれやれだぜ。
山道のカーブの所でトラックが横転しちゃって道をふさいでいるらしい。
二時間くらい経ったのかな。
なんとかトラックは撤去されて、僕等は無事ラオスとタイの国境に辿り着いた。
The Kingdom of Thailand タイ王国
チェンマイの夜は涼しくて、バッパーの外にある庭に木製のイスとかテーブルがあって、そこでは旅人がそれぞれ酒飲んだり、たばこを吸ったりして気楽にやっていた。
僕とドイツの青年とでゆっくり話していると、同じテーブルに座ってたばこを吸っていたフレンチのオラとも話が弾んだ。
なんでも彼女は明日ミュージックフェスティバルに行きたいんだってことだった。
「おいおいそれ、俺も行くやつだよ」って伝えると、話が早くて、「じゃ一緒に行こうよ」ってなった。
そのフェスの名は「シャンバラフェスティバル」日本やタイで活躍しているミュージシャンが毎日出演して、音楽を奏でるお祭り。
ピースでイージーな感じが好きだったなぁ。
みんなそれぞれの旅があるんだ。
会場に入ると早速サニーとげんじろう君と、フローに再会した。
会場は広くてさ、野原に大きなステージがあって、その周りに音響設備とステージから遠くのテントや木なんかに何本か線が伸びていてそれにピースなレインボーカラーの旗が揺れてんだよ。
夕方、一日目はあっという間に過ぎて、再会と出会いがいくつもあった。
空が暮れてく。
僕はここにいたのかぁ。
あのミュージシャン達は今頃どこで何してんだろな。
宴が始まるのは時間の問題で、僕たちは晩御飯を一緒に食べながらビールをあけてた。
大好きだったタイのチャングって言う瓶ビール。
夜中も誰かが楽器を持ち出して演奏しだして、それに合わせて歌声が聞こえてきて、また誰かが躍りだしていた。
音楽が鳴りだすのは夕暮れと共にだから昼間は時間だけがあった。
僕等はバイクをサンケツして洞窟まで向かった。
オラが行きたいと言っていたチェンダオケイブに到着。
いざ洞窟の中へ、光は岩に吸い込まれて奥が見えない。
一歩、また一歩と進むうちに静けさに包まれてく。
帰りも「ヒッチハイク」をした。
道で偶然バイクを運転していたジョンが俺達を拾ってくれて、祭りがおこなわれている近くに川が流れてるんだけど、そこでは自然の温泉が出ててさ、自由に入れるからってそこまで送ってくれたんだ。
鳥の親子も川で水浴びしている。
子供もアニマルのすぐ近くで遊んでいる。
俺、小さい頃こんな環境ちょっと憧れていたかもって思うことあるよ。
ノーヘルでゆっくり風なでて俺達はチェンダオを体いっぱいに感じていた。
夜が来てステージには明かりが灯る。
俺達のバンドが出演して『シャガールの夜空に』とか演奏したらめっちゃ盛り上がるだろうなって思った。
ステージの明かりが落ち着くと、離れたところにある食堂にミュージシャンが集まって音楽が始まる。
本当にヘポパな場所にいたんだなぁとつくづく思う。
たまに焚火をして旅人と語り合う夜もあった。
バンコクで一緒に旅したアンドレアとの再会もあった。
そうだ、あいつもここに流れてきたんだ。
陽が昇って、陽が落ちて。
僕は何度、温泉に入りに行っただろうか。
川で簡単に頭を洗った日もあった、飲み明かした夜もあった。
新しい出会いと、再会、そして別れ。
この一週間だけでも濃密な日々を送っていたんだ。
海外を何年も旅するなんて、いかれていて最高じゃんか。
「たま」の知久さんがステージで歌っていた。
最終日、げんじろう君と、フローと、フローの友達のジョンがステージに立って演奏をしている。
そうそう僕はこれを見に来たの。
歌の余韻と、街の中。
フェスティバルはもう夢の中。
夜行バスの窓を通り抜けてくヘッドライト。
僕は歩きださなくちゃいけない。
あんな夜にはいつになったらまた会えるんだ。
バンコク最後の夜。
Kingdom of Cambodia カンボジア王国
カンボジアとの国境までバスは走る。
この夜カンボジアの日本人宿で一泊2ドルくらいで泊まれて喜んでいたら、さすがカンボジアなんだけど、シャワー浴びてシャンプーしている最中に水が出なくなった。
カンボジアの方が少し錆びれているというか、静かな印象がある。
街の中心部、オールドマーケットへ。
街を見て歩くのは好きだ。
新しいものに触れていたい。
体がすーっと軽くなっていくのを感じる。
街の地図を見てアンコールワットの場所を把握すればこっちのもんだ。
次のテンションの上がるものを見つけているから、タイでの暖かな思い出につかりまくれない。
ラオスの事ももうどこか遠く、マレーシアやシンガポールの出来事も遥か昔の事のように感じて、今がすべてで居たかった。
アンコールワットを囲むように大きな堀がある。
たくさんのトゥクトゥクが並んでいて観光客を待ってる。
遊びつくして暇してる子供が並んで、油売ってる。
僕は遅い昼飯と冷たい飲み物を飲んで少し休憩している。
もう一度、アンコールワットを歩こう。
人々が争った歴史にそっと近寄ると、阿修羅を連想させるような絵がある。
馬車に乗り、手が何本もあって、刀で切りつけている絵。
だんだんアンコールワットから離れてく。
そうしてまた僕は消えていく。
プノンペンはこれから大きく発展するのかもしれない。
シェムリアップの日本人宿でプノンペンの安宿の情報はゲットしていた。
というのも、僕と同じ部屋で寝ていた変なお爺さんが汚れたノートに手書きの地図まで書き込んだものを見せてくれたからだ。
さて、道に迷いながら、通りすがりの日本人のおじさんに助けられながらも、どうやら僕はその宿に着いた。
バイクタクシーを捕まえ街の中心地まで出てみる。
今まで経てきたようなアジアの街並みが広がる。
頭にたくさんのバナナを乗っけて歩くおばさんと僕が並んで歩く。
マーケットに迷い込む、なかなか抜けられない。
路上にはバイクが並び、ありとあらゆるものが売られていた。
街の中心地近くにあるプノンペン国立博物館に僕は入りカンボジアの歴史や、センスを垣間見る。
ガイドの青年が海外の観光客に向かって大きな声で話しているのが聞こえる。
「カンボジアには悲惨な歴史がある。これからの世代に必要なのは教育なんです」
要約すると大体こういう事を訴えていた。
カンボジアの歴史や生い立ちを感じさせる石像や彫刻、数々の作品を見て、僕は一人歩いていた。
僕がふらふらと歩いていると、一人のトゥクトゥクを運転しているカンボジアの青年が近づいてきて、「街を案内するから、お願いだから乗ってってくれ」と、めちゃくちゃ懇願された。
その青年が俺をいろんな所に連れて行ってくれた。
マーケットにも寄って足の踏み場もないようなところを歩いた。
バイクも停めきれなくて道に溢れている。
混乱、混沌、喧噪、スパイスの臭い。
宿に戻ると、同じ部屋で知り合ったカンボジア人の青年と二階のベランダのイスに座って少し話した。
二人して柵の外の夜の街を静かに見ていた。
彼はプノンペンから少し離れた農村で教師をしているらしい。
月給は驚くほど安い、日本円にしたら3万円もないんじゃないかな。
それでもカンボジアの物価はめちゃくちゃ安いから暮らしていけるみたいだ。
Socialist Republic of Vietnam ベトナム社会主義共和国
ホーチミンに何があるかなんて、正直全く分からなかった。
国境を越えると、ベトナムの国旗が目に入ってきた。
カンボジアからベトナムへ。
ベトナム第二の都市だけあって話に聞いていた通り栄えている。
メイン通りにはカオサンロードには劣るとも数多くの店がひしめき合っている。
「アジアの熱気」はここでも健在だ。
ベンタイン市場の外の電柱には、電線ががむしゃらに絡まっている。
統一会堂からサイゴン大教会まで続く公園を歩く。
周りには大きな商業ビルが並ぶ。
陽が暮れかかっている。
夕日に照らされてくホーチミンの街もなかなか味があっていい。
夜飯を食べる人達の簡易机と椅子で裏通りはびっしりで、あまりの熱気に胸元が汗ばんだ。
サイゴンの裏通りはいい感じに朽ちていてかっこいい。
サイゴンの交差点はもうカオス状態だ。
信号が赤の間にどんどん交差点にバイクの渋滞が起こる。
信号が青に変わると、みんな一斉に走り出す。
公道でレースでも開催されているかのような勢いだった。
そんな中、旅人はまだカメラを構えていた。
気づけば、僕はホイアンの街を歩いている。
この町はランタンで有名だ。
小さな川に架かる橋を越えて、町を眺めている。
ベトナムも、中国も、マレーシアもこういう下町は雰囲気が似ている。
壁にアートが描かれているところとか、ペナンっぽくて、古い民家のつくりはやっぱり中国っぽい。
歴史も人も絡み合ってんだ。
ホイアンの川沿いを歩くと、街明かりが川面に映って、それはそれは綺麗で心が潤った。
「はぁ」と溜息混じって見上げた夜空。
星はあったか、サテライトはどうしてた、誰かと居たらどんな話をしていたんだろう。
ランタンの光の中に入ってく。
もっと、ゆっくり、静かにだんだん周りが光で埋め尽くされて、ランタンだらけのその先に。
夜の中に浮かぶ明るい橋。
その側で子供が地面に座って、物売りをしていた。
光と闇のはざまで生きている。
ランタンは色とりどりに咲いていた。
こんな夜にはもう慣れた。
バスの窓から流れる景色を見てるのは好きだ。
なんにもやれない感じも、向こうが主役な感じもちょうどいい。
フエにバスが着いて、やっぱり宿の予約とか一切してなかった俺は、目の前にあった旅行会社兼宿屋みたいな所ですぐに落ち着いたんだった。
自転車を借りて、散策したことも思い出した。
細い地元の道を辿って行って、行き止まりだったこととか、フエの昔の王宮に行って見学したことも。
ベトナムにも日本で言うところのお城みたいのがあったんだなぁって。
もう壊れちゃって見る影もないんだけど、ただっぴろい敷地に後だけ残ってんだ。
ハノイの街の中心部にはホアンキエム湖っていう大きな池がある。
そこに神社みたいに誰かを祀った玉山祠があるゴックソン島があって、木製のフク橋で繋がっている。
ドンちゃんに連れて行ってもらって、リータイトー公園も散歩して、リータイトーの像がでっかく建ってた。
夜になるとネオンが眩しいぜハノイ。
移動した宿のフロントの人とか旅の人達と話していて国境を通れることがわかった。
謎が解けて中国まで行ける道が出来たのがこの中国入国一日前だった。
現地に着いてから目的地決めるっていう旅。
南中国の南寧って所まで夜行バスが出ているらしい。
ドンちゃんは俺をハノイでとても古い歴史を持っているという旧市街にある東河門とか、ふるーい鉄橋ロンビエン橋にも連れて行ってくれた。
ロンビエン橋からの帰り道、ドンスアンマーケットを通って街まで帰ってきた。
マーケットの中はもちろんもうご存じのカオス状態。
物で溢れかえってたし、やたらと人もいた。
今夜の寝台バスで俺は中国は南寧まで出る。
いけんのか中国。
最高に楽しかった東南アジアの旅。
怒涛の移動にも若いから耐えられた。
ここからは東南アジアの旅の延長戦、大国中国だ。
People's Republic of China 中華人民共和国
ハノイから中国との国境まで移動する途中、なんどか休憩を挟む。
この旅で主に飲んでいたのは、「水」、それだけが生命線。
そんでもってしばらく走ると中国国境に辿り着いた。
僕は車窓からベトナムの農村、そして中国の発展している都市をみてきた。
どえらい貧富の差を一日の間に見た。
いつの間にか南寧に着いている僕。
正直何にもわからない。
俺はマカオ、そして香港に行きたいんだってことを伝えると、「ここの街からマカオの隣町、珠海までのバスが出ているからそいつ捕まえればいいじゃん」ってことになった。
バックパッカーの旅していた。
寝台バスみたいだ。
乗り込んでみると、びっくりするくらいの快適さ。
普通に寝られる、簡易シートベッドだから、ぐっすりだろな。
疲れていたから嬉しい。
もう移動には慣れている。
安心と達成感。
窓の外はもう暗い。
目を瞑って、目覚めればそこはマカオの隣町、珠海だ。
中国語の雑なアナウンスで起きると、バスは珠海に着いていた。
初めて見る街に高揚感が漂う。
もう俺、中国大陸ずいぶん走ってきたんだなぁ。
Macau 中華人民共和国マカオ特別行政区
大きなホテルへと移動していくバスが無料で乗れるらしい。
僕はそいつに乗って、マカオ中心地へと向かうことにした。
着いたのはカジノ、リスボアっていうホテルの目の前。
カジノに行く気分にはなれず、まずは安宿を足で探していこうとしてた。
マカオの観光地、セナド広場を歩く。
気付くと僕はマカオ歴史地区に入っていた。
カジノのあるホテルは怪しいネオンを醸し出す。
それまで貧しい暮らしをしているアジア各国を渡ってきたから、札束をポンッと放ってそれがチップに変わっていくのを目の前で見るのは心が変になりそうだった。
俺のこの東南アジアの旅が何度も出来るくらいの金をどうして一度に、あんな小さな卓の上で決めることが出来んだ。
金持ち、頼むぜ。
こういう時は寝るのが一番いい。
まだ旅は続くんだし。
マカオタワーからバンジージャンプした人が安全ロープに吊るされて空中でからっぽで浮いている。
僕は振り向いて、海を見る。
マカオの空の色は僕の中じゃグレーで、香港への淡い期待ってのが杖で、ようやく立っていた。
自分は出会う人すべてに恵まれていた。
この旅を一度も嫌になったことがない。
そして何より、自分が人を求めているってのは身をもって感じた。
誰もかれも一人じゃ生きられない。
とにかくもう香港に行かなくてはいけない気持ちでいっぱいで、そしたら安心して日本への帰りのチケットを取ることが出来る。
僕はフェリーへ乗り込む。
アナウンスが流れて、エンジンが唸りだす。
Hong Kong Special Administrative Region of the People’s Republic of China中華人民共和国香港特別行政区
遂に辿り着いた、この旅の最終目的地香港。
電光掲示板は光だし、雲や、大気中に浮いてる水分と相まって、ぼてった色をこっちに見せてる。
はっきりしない夜。
月も密かに出てて、これから始まる夜があったね。
あの時はどこに、誰の胸でいま共に感じられているんだろう。
夜の街の人ごみの中に紛れて俺の姿が見えなくなってく。
俺はパースで会った香港ニーズのピノキオと待ち合わせをして、香港の街を案内してもらうことにしていた。
赤柱のプロムネードにはお洒落な店が軒を連ねる。
香港島の高層ビル群と海を挟んで、九龍周辺の光の加減が美しいんだ。
溜息出ちゃうくらい素敵な夜景だったよ。
もうすぐそこで、日が暮れる香港の春。
香港島の高層ビル群の一角から、夜空に向かってビームが飛んでく。
つかめそうで、つかめない。
この旅で出会った人々は元気だろうか。
僕の声はまだどこにも届かないけれど。
僕の東南アジアの旅はこの夜で終わり、翌朝の飛行機で日本へ帰る。
俺はすこぶる元気で無事だった。
恐れも何もなく、胸には「勇気」だけがあったんだ。
オーストラリアからの、シンガポール、マレーシア、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、中国、マカオ、そして香港。
必死に、そして充実の魂と共に生きられたこと、僕の人生の中でも屈指の、一本か二本の指に残るであろうこの大移動の旅に、大きな拍手をしてやりたい。
この思い出は今でも俺の胸の中で光り輝く「希望」だ。
まだまだここから、オーストラリアの大冒険、ニュージーランド、台湾、そしてヨーロッパ、ネパールにインド。
莫大な日記と、思い出がここにある。
僕が歩いてきた道のりは先人達が切り開いた道だ、だから歩けた。
最大限の感謝を、本当にありがとう。
第三章 オーストラリア編 シーズン2
Australia season 2nd
Melbourne前編
Australia オーストラリア
真夜中のフッツクレイの駅前にタカがスケボーに乗って現れた。
メルボルンの中心地、フリンダースストリートステーション付近でマップを手に入れて吸い込む新しい空気。
僕が降り立った時期は秋。
これから寒い冬に入っていく。
タカと一緒にメルボルンの街を歩く。
メルボルンはオーストラリアで二番目の大きな都市で、トラムもあったり、街中だと歩いていける距離に何でもあって住みやすかった。
僕はこの頃もすぐに働きたくて、仕事を探しながら歩いてた。
タカが働くジャパレスで驚いたことがあった。
メルボルンに来る時に同じ飛行機に乗ってた人が、タカの店の店長だったんだ。
そしたらジョン、「オーケー来週火曜日に来てくれ」って、本当に着いた次の日に仕事が決まるっていう超熱い展開になった。
僕がメルボルンに着いて初めて住んだ場所がフッツクレイっていう所で、シティセンターでシェアハウスが見つかるまでタカの部屋に居候していた。
毎日エビで働いてた。
一日働き方を教わったら、後はもう自分一人で出来るくらいの簡単な仕事だったよ。
でも、俺以外のみんなはオージーだったりして、ローカルの場所で働きたかった俺としては、すごい良い経験が出来たって思ってる。
小さい店でさ、本当に日本の居酒屋って感じの店なんだ。
そこでまた英語の環境に馴染んでいったんだ。
オーナーのジョンも優しかったなぁ。
そんでもって、昼間は仕事を探しに行ったり、住む場所を見つけに街に出たりしてた。
その間にもパースでの年末、家がなくなって困ってた時に救ってくれたタイワニーズのシェアハウスで仲良くなったペニーと、ベンがメルボルンに来てるっていうんで、一緒に遊びに行ってきた。
ペニーとベンと、フリンダースストリートステーションのバーガーキングの前で再会した。
僕等はトラムを捕まえて、メルボルンの街を見て回った。
クイーンビクトリアマーケットに行ってご飯を食べた。
そんなこんなでメルボルンの街を堪能した僕等は、一体何を話していたんだろう。
ペニー達が泊まってるっていうシェアハウスの友達も連れて五人で、足を窓の外に放り出して乗れるパッフィングビリーっていう列車があるベルグレイブ迄みんなで行くことにした。
メルボルンの田舎の集落を列車は走る。
レイクサイドという駅で降りて、近くの公園を散歩した。
池の上に架かる橋からボートを見てるメルボルンの秋。
月曜日、エビまで仕事に行く前にまた一緒に遊んだ。
今度は俺達メルボルンの大事なポイント、フリンダースストリートステーションの橋を渡った先にある国会議事堂みたいな頭をした建物に行ったんだ。
その建物は戦争慰霊館と言って、とても重要なものなんだ。
シティには少し歪な音をたててトラムが走ってる。
少しずつ寒くなって来たメルボルンの街。
「経験」っていう、なんにも代えられないものをもうたくさん胸の中に貯めてる。
何か変えなくちゃいけない。
そう思って、バスキングの免許を役所で申請することにした。
必勝パターンってのがあって、パースの時に掴んだんだけど、路上で「音楽」をしてると、どんどん運気の良い人達と出会うってこと。
もう一回確かめてみたくて、また「バスキング」をやることにしたんだ。
メルボルン図書館の前の部屋に帰ると決まって誰かいて、その時はベルギーのニコとフレンチのパティシエと、ニュージーのマッチョマンと、インディアンガイ。
それからフレンチのプリシアと、まい子だった。
まい子の友達のタイワニーズのチアちゃんはほぼ毎日遊びに来てて、下の階に住んでたゆきちゃんもたまに遊びに来ててよくみんなで一緒に飲んでた。
ある晴れた日の休日。
いや、この頃俺には休日はなかったんだ。
たぶんエビに入る前の午前中にセントキルダビーチに向かった。
海が見たかったし、カフェも見たかった。
メルボルンでの緩くて、刺激のあまりない日々が静かに過ぎていく。
それであの有名な、イスが天井に宙づりになってるコーヒー屋に行った。
フリンダースストリートステーションにも行ってさ、何話したっけなぁあの秋の日に。
僕達は暖かい格好をしてた。
もう冬支度のメルボルンで。
タイのチェンダオのフェスティバルの時にヒッチハイクで乗っけてくれたジョンから、「俺の友達が旅行で行くからメルボルンを案内してあげてくれ」って連絡があった。
あの日、セントキルダにも太陽の光が輝いていた。
駅のそばにはカフェがあって、のどかな雰囲気。
僕はコーヒーを飲んでアンが来るのを待つ。
海沿いの洒落たレストランでランチ、サーモンとパンを食べた。
メルボルンでは本当に節約しながら働いてたから久しぶりの御馳走だった。
100年の歴史があるっていう桟橋まで歩いてく。
コーヒーを飲みながら浮かんでるボートを眺めてる。
帰り際、コーヒーを飲みにサラともチアちゃんとも来ていたイスが天井にくっついてるコーヒー屋に寄った。
アンとはここでさよならして、また何処かで会うかもねっていう感じでバイバイした。
メルボルンのシェアハウスで幾つの夜を越えたろう。
変化っていうのは毎日あるんだけど、そういったものに気付かないくらいに毎日が慌ただしく過ぎて行った。
季節が変われば人も変わる。
葉っぱの色が変わるように、変わらないものなんてないんだ。
移動した初日に、サブリナと会った。
サブリナはタイワニーズなんだけど、日本語がすごく上手で、しばらく一緒に話してた。
エビに行くのも残り僅かになってた、なんでかって言うと皿洗いの仕事をまゆみに譲ることにしたから、あの子マジでローカルオージーの店で働きたがってたから、話聞いてると、俺がエビを見つけてすっげー嬉しかった時の事と思い出がリンクしてきてさ、シェアしたくなったんだよね。
引っ越ししてからの家は、男部屋と女部屋があって、みんなタイワニーズ。
やっぱり日本語を上手く話せるサブリナと話してるのが楽しくて、一緒に小籠包食べに行くことにした。
メルボルンシティにある中華街までは歩いて行ける。
メルボルンはもう冬で、外を歩けば冷たい風が吹いていた。
それでも僕はたまにバスキングをして小銭を稼いでた。
チアちゃんとコーヒーを飲みに行く時は、そのコインで支払いをした。
ヒデと僕はルイージと仲が良かった。
僕等はあれからも連絡を取り合っていて、今回ルイージがメルボルンに仲間の音楽ライブを見に来るとかで、じゃあ再会しようっていう流れになった。
場所は街のお洒落エリアのオープンバー。
僕等はピザを食べながらビールで乾杯した。
ルイージはシドニーでビールを作る工場で働いているらしい。
「天職だ」と言っていた。
イタリアにいる時はパンクバンドのボーカルだったんだってさ。
俺はロックバンドのドラムだった。
時と共に人は変わるもんで、同い年の友達と会うとそれだけで、嬉しくなる。
楽しい日々は続いて行くもので、さらに次の日には、サブリナとセントキルダビーチに行ってきた。
こんな日々にも終わりが来るってのはお互いわかってたんだけど。
ゆるりとした時間が流れる中、僕等はセントキルダのルナパークの前に来ていた。
セントキルダのビーチは今日も青い。
窓の外一面には海が広がる。
こんな素晴らしい日を共有していたんだね。
Australia season 2nd
Adelaide&Melbourne後編
チェックインしたのは10人くらいが泊まれる大きなドミトリーの部屋、俺は窓辺のベッドの下が空いてたから、そこにした。
そうそう、タイでヒッチハイクした時に出会ったジョンがアデレードに住んでるっていうから連絡したら、ちょうど仕事を探してる時期で暇だからって、俺の事を毎日どこかに連れて行ってくれるってことになった。
ジョンがアデレードの街をドライブに連れて行ってくれた。
アデレードの海もめっちゃ綺麗で空気もうまい。
メルボルンよりも田舎っぽくていい。
桟橋の向こうまで歩いてみたい。
海を言葉もなく眺めるグラサンした男たち。
目線の先には青い海が広がる。
太陽の光が水面に反射してる午後。
桟橋の下を泳ぐオージー。
夜が来て、宿で同じ部屋の人達と会話をして、僕は静かに眠りに着いた。
アデレード、初日から充実してしまったよ。
目覚めて、爽快な朝。
アデレードの街は区画整理されていてとても歩きやすい。
アデレードにも実にゆったりとした時間が流れてる。
その後、午後にまたジョンがバッパーまで迎えに来てくれて、ジョンの友達のデイビッドと新しいおっさんも加わって、アデレード郊外の山へハイキングに行くことになった。
カンガルーがこっちを見て、びっくりしている。
陽は今にも沈みそうになってる。
夕暮れのルックアウトだ。
街には明かりがつき始め、空は薄暗く、柔らかな雰囲気に街が包まれていく。
一日の幕が下りるのをこの目で見てた。
木の上には体を休めているコアラを見ることが出来た。
ヒッチハイクでの移動はタスマニアでの旅の時にすることにした。
川沿いを風に吹かれながら歩く。
ジョンに連れられ、ホールドファストベイまでドライブに来た。
波は穏やかだ。
ビーチにはここでも桟橋が突きだしている。
毎日こんなに美しい景色の中にいていいのだろうか。
自分の立っている場所は日本ではなく、オーストラリアなんだ。
アデレードの街一帯を、もっと大きく見渡せるっていう山のてっぺんまでジョンが連れて行ってくれた。
あいつの仕事がうまくみつかっててくれるといいなぁと、願っている。
ウインディポイントって所、風が吹く場所っていうのかな。
この場所は『地球の歩き方』にも載っていて、一度行ってみたかった場所だったんだ。
輝く夜景を脳裏に刻み込んで忘れたくない。
アデレード滞在最終日、ジョンがまたしても俺を山の奥の方に連れてってくれた、その時はオージーの女の子もいた。
ワイナリーを見学した後、山の近くへ行き、柵を飛び越えて丘に行き、遠くまでアデレードの大地がうねっているのをこの目で見た。
放し飼いになってる羊もちらほら。
サブリナと行きたかったユーレカタワーに登った。
日没から夜景まで見れるように僕等は長い時間展望フロアにいた。
メルボルンの街を大きく蛇行して流れるヤラ川が見える。
ユーレカタワーの上からは僕等が過ごしたメルボルンの街や、セントキルダのビーチ、ブライトンビーチ、きっとたぶんフッツクレイだって見えたんだ。
日がすっかり暮れて、夜になった。
夜景が綺麗に見えてる。
働いてばっかりじゃつまらないってことで、チアちゃんが働くカフェが入っているショッピングモールに行って、バスキングをしてきた。
そうそう俺がグレートオーシャンロードに行きたいって話してたからかもしれないけど、リコと、イスンカップルも行くらしいから俺も一緒に行くことにしたんだ。
僕等はバスに乗り、グレートオーシャンロードの入り口のゲートをくぐる。
蛇行する道、バスの左側に広がる真っ青な海と空。
いつかみんなで伊豆の白浜に向かう時に見てた景色ともどこかで繋がってんだろな。
バスはやがて目的地に着き、僕等は目玉の場所まで歩いて移動した。
綺麗な海岸線っていうか、すごい個性的な海岸線が広がってた!
波打ち際に大きな岩が何個もドカンとあるんだ。
空にはヘリコプターが飛んでる。
大自然のパワーを感じずにはいられなかったぜ。
大満足の後、僕等は帰った。
いつものごとく、シェアハウスでみんなとビールを飲んでいたに違いない。
それから数日後、僕とウインシーとサブリナで一緒に街まで出掛けた。
タカの家にも行ったりしてたし、街に出てよくコーヒーも飲んだ。
また会う日まで、しばらくさようならだ。
寿司屋のメンバーともこの頃は帰りに一杯って感じで飲むようになった。
まい子が帰って来てから、一緒に街歩きして、川の端にある洒落たバーでビールを飲んだ。
それから、チアちゃんが好きだっていう、オージーガイのパーティーに行った。
働いてお金使って、やりたいことは山ほどある。
ここから先はタスマニアヒッチハイクの旅を書いてから、最後のメルボルン。
もうたくさんの別れがあってからのタスマニア。
その後、俺もメルボルンにさよならすることになる。
Australia season 2nd
Tasmania&Canberra編
そこから、新しい月なんだ。
この街で出会って、暮らしたみんなに最後は会いたい。
それでいつか再会したい。
タスマニアに行ってくるからさ。
オーストラリアに行く前から、行ってみたい所や、やってみたいことがたくさんあったんだ。
とにかく自分に素直に体を動かすことをしたくて、そういう時期だったのかな。
やっきになって動いてた。
このタスマニアへの旅もそう。
メルボルンのセントキルダビーチの端っこから出る、スピリットオブタスマニアっていう船に乗って行く。
「南極からの風が吹く」って言うタスマニアが今回の舞台だ。
時が過ぎるのは早すぎて、ついていけない。
船に乗り込むときに出会って、偶然隣の席に座る子が、ミラっていうドイツから旅に来てる子なんだ。
汽笛が鳴って、エンジン音と振動が体全体に伝わってくる。「ブウウ」っと静かで重い感覚に体がとらわれる。
一人旅だけど、一人じゃないっていう感覚。
恐くはないよ、寂しくもない。
ただ、真夜中が来るね。
全部遠くにいってしまう。
もうあの頃のままじゃいられないんだ。
夜が世界を包み込んでいく。
陽が落ちていく向こうの水平線を黙って見ていた。
風を切り裂いていく静かな音と、船のエンジン音。
波の砕ける音。
船内は眠ったように静かだった。
椅子の上じゃ熟睡は出来ないけど、少し仮眠を取っていたら夜が明けてきた。
どうやらもう少しでタスマニアの北の港町デボンポートに着くみたいだ。
ミラと別れて、何人か旅の人に会った。
もう僕はタスマニアにいた。
この旅は「ヒッチハイク」の旅だから、早速車が通る道まで行き、親指をがっつり挙げてドライバーに合図をする。
タスマニアの人達は優しいから、みんな停まってくれるよ。
その人はちょうど、街の中心まで行くオージーのおばさんだった。
ありがたかったなぁ。
こんな出会いがたくさんあるぜタスマニア!
デボンポートのインフォメンションセンターの前から、俺が乗ってきた船が見える。
河口に面した公園を風に吹かれながら歩く。
インフォメンションセンターで次の目的の街の名前を書き、働いているお爺さんと一緒に写真を撮って、「俺はタスマニアをヒッチハイクで回るんだ」って言ったら、「おぉそれはいいアイデアだな。タスマニアの人達は親切だから、きっと乗っけてくれるぞ」って言ってもらえて、俄然テンションが上がったぜ。
ありがとう。
お爺さん。
若い時にしか出来ないことがある。
俺は次の街へと続く道路の脇に立ち、車が停まりやすい所で構える。
ヒッチハイク、目指すは数十キロ離れたタスマニア第二の大きな街ローンセストン。
いけるかな、いくんだよ。
運転手はちょっと年配のオージーで、サングラスをしていたから目は見えなかったけど、顔は笑ってたような気がした。
「ローンセストンまで行きたいんですけど、乗っていいですか?」と聞くと、「ここでのヒッチハイクは捕まりづらいから、いいところまで連れて行ってやる」との事。
車内では僕の下手くそな英語と、おっさんのなまりまくった英語で、簡単な会話しかできなかった。
「ここなら、ローンセストンに向かう車ばっかりさ。じゃあな気をつけろよ」みたいな感じで、かっこよく去っていった。
助手席からみるハイウェイ。
空には白い雲が少しかかってて、良い天気だった。
もう春はそこまで来てる。
ロキが教えてくれたバックパッカーズハウスの目の前まで車で送ってくれた。
みんなのおかげで、昼過ぎには僕は本当にローンセストンの街にいたんだ。
仕事を探さなくてもいい街歩きは気が楽で好きだ。
晴れ渡る空の下、青々と茂る木々や、ところどころに現れる銅像なんかを見上げていると、僕は一体どこまで旅をするのだろうかと、ふと立ち止まってしまいそうになる。
マップに載ってた少し有名なテイマー川に架かる古い橋を見に街はずれまで歩く。
明日は朝からロスまで向かう。
向かいたいところに向かうのみだ。
頭の中はハッピーのまま保つんだ。
いやな事や、悪いことなんかは極力考えない。
これから起こることはこっちで考えてやる。
乗せてくれたのは、オージーのカップル。
僕は後ろの席に座ってた。
僕等は一路ロスへと向かった。
大きな道路から、わざわざ街の中心まで送ってくれて車を降りた。
特に何もない。
普通の村という感じだった。
ここに来たかった理由というのは、『魔女の宅急便』というジブリの映画でパン屋さんが出てくる場面があるんだけど、この村にモデルになったと言われているパン屋があるっていうからなんだ。
外が大雨になってきたから、パソコンで『魔女の宅急便』の映画を見て気分を盛り上げてた。
旅にリズムを。
僕は静かな部屋の中、果物と一緒だった。
雨は緑の葉っぱにしずくをしたたらせ、水たまりを茶色く濁らせた。
砂利を踏むと、泡ぶく。
タスマニアに吹く風は南極から吹いてくるらしくて空気がうまいんだ。
雨上がりの塵もホコリも地面に落とした後の村を歩くと、空気の澄んだ味がした。
夜飯は、ホテルに併設しているバーで食べた。
タスマニアの伝統的なもの。
ポテトと、肉と、野菜って感じかな。
とても静かな夜だった。
僕のメルボルンの旅ももうすぐ終わる。
このタスマニアの旅と、ほぼ同時に終わっていく。
そして始まるのは、キャンベラへの旅、そしてシドニーへの旅だ。
見上げた空は青く、風は穏やかに吹いていた。
空には白い雲が風に流されてる。
カモが「おはよう」って言ってくれてる。
よし。
街と街を繋ぐ道路まで出て、ヒッチハイクをしよう。
と、歩き出すと、なんと村人と思われる人が乗った車が僕の目の前、っていっても50メートルくらい前の道から曲がっていって、なにやらブレーキランプが点灯してるぞ。
「どこに行くんだ?」
「今からワイングラスベイに行くのにヒッチハイクするんだ」
「乗ってくか? バックパッカーだろ?」
「え。まじっすか。どこまで行くの?」
「ワイングラスベイまでは行かないけど、近くの街までは行くぞ。一緒に行こうな」
えらいノリノリの地元のおっさんが、こっちがヒッチハイクする前によってきちまった。
おっさんのルートだと、ちょっと遠回りだけど、自分で思ってもみなかった街も通るっぽいから、これが旅だよなと納得して「オッケーこうなったら一緒いこう。頼むぜ!」こんな感じで、仲間になった。
名前はスティーブと言ってイングランド系のおっさんだ。
スティーブの車は古臭くて味があってかっこよかった。
古い型の車に古いおっさんが乗っててばっちり決まってた。
スコッツデールっていう山間のこれまた小さな街までのらりくらりとやってきた。
僕等はスコッツデールでパンを食べてる。
スティーブが買ってきてくれたんだけどさ、車のエンジンかけっぱなしで行ってさ、「俺はお前のことを信じている、だからこのまま行く」とか何とか言ってたなぁ。
いやいや俺が車盗むような奴に見えるかね。
静かに助手席座って、窓の外の新しい街眺めてただけだぜ。
小さな港町セントヘレンズという街に着いた。
スティーブはこの町に用があって、今日は一泊するらしい。
俺はここには用はないから先へ進むことにした。
この時はちょっとだけ年上のお姉さんが俺の事を拾ってくれた。
「もっといい場所があるから、そこまで連れてってあげるわ」
姉さんが俺の事を殺風景なT字路に降ろして、角曲がって行っちゃった。
さて、ここからまた一人だ。
車はまぁまぁ通ってる。
もう街にも帰れない。
どうにかなるはずだ。
これが俗にいう「背水の陣」ってやつだ。
段ボールにワイングラスベイって書いた紙掲げて車に合図をし続けた。
鼻歌交じりに右手をいいねのマークで挙げてると、気の良さそうなふくよかなお母さんが乗った車が減速して、路肩の砂利道に停まってくれた。
テールランプが輝いて見える。
もうママとは目が合ってるから、俺は安心してた。
やっぱまずは明るい挨拶から始めよう。
「ハロー。これからタスマニアを南に進んでいきたいんですよ」
ママと話していると、なんと彼女はタスマニアのアーティストだということがわかった。
静かに暮らしながら、本を書いているらしい。
海が広がってきた。
僕たちは静かに話し続けてる。
ここら辺にはペンギンの出る海岸があるらしい。
街の名前や、どのくらい距離があるのかをママに聞く。
どうやら、ワイングラスベイよりは手前にあるらしい。
旅は、出会う人は僕にアイデアをくれる。
それがあれば気も膨れる。
ママは俺を降ろして、また角を曲がって行ってしまう。
空を見上げて深呼吸を一つ。
僕はまたT字路にいて車を待ってる。
海から吹く風が僕を乾かせない。
「今、ヒッチハイクでタスマニア回ってんですよ」
「いいことしてんじゃんか。私のホテルにもジャパニーズの女の子が働いてるよ」
俺はもう車に乗ってた。
ホテルを経営している人らしい。
ビチェノを通ってホバートまで行くから、ちょうどいいとのことで乗っけてくれた。
ロキも、そういえばペンギンが出る海岸の事を言ってたなぁ。
おっさんも俺がこれから向かうビチェノの話を出したら、ペンギンのことを教えてくれた。
タスマニアを南下して行くにつれて、天候も回復してきた。
おっさん曰く、「タスマニアの東側は、あまり雨は降らないが、西側は一年の300日は雨が降る」らしい。
車はビチェノの街に入ったみたいだ、おっさんが中心地で僕を下ろしてくれて、近くのバッパーを教えてくれた。
握手をして、僕等は別れた。
ビチェノの街には、海沿いを歩く人用に、遊歩道がつくられているらしかった。
海岸の目の前に、ベンチが置いてある。
そこに座って見えるものって、岩と海と空でしょ。
たまに海鳥が横切る。
地元のフィッシャーマンが遠く、岩の上に立ってる。
宿に戻ると、どこかのツアーの御一行がチェックインしていて、何とも賑やかだった。
やっぱりみんなも夜中にペンギンを観に行くみたいだったので、僕も行くことにした。
夜になると街灯の明かりくらいしか光がなくなる。
月も遠くでぼんやりだ。
こんなに夜は暗かったのか。
海沿いまで来ると、木陰の向こうでざわざわと何かが駆けてく音がした。
最初は何かわかんなかったけど、どうやら「リトルペンギン」が陸に登って来てるって雰囲気で察した。
いくら真っ暗でも、目は慣れてくる。
岩場によちよち歩いているペンギンを確認できた。
ワイルドなリトルペンギン超かわいい!!
運転手はラグビー選手みたいな大男。
僕はまた助手席に乗せてもらい、今までのタスマニアでのヒッチハイクの旅の事を話してた。
ホバートまで行くらしく、途中の道、ただ「そこを通る人達は殆ど観光でワイングラスベイまで行くはずだ」って場所で降ろしてもらった。
朝一番からラッキーだ。
お礼を言うと、ラグビーが運転する車は僕を残して去っていった。
少し休憩したのち、僕はまたヒッチハイクをすることにした。
するとまた一台の車が停まった。
なんとオージーの家族連れ。
そして乗り込む僕のために後ろの席を詰めて座らせてくれた。
運転しているのはシドニーで働く僕と同い年くらいの兄ちゃんで、ホリデーをとってタスマニアにいる親と妹を連れて旅行中らしい。
道中、コールスベイというこれまた綺麗な景色が見ることが出来る港にも立ち寄った。
どうやらここはフレシネ国立公園という所らしい、よく聞いてみると、ここに車を停め、ワイングラスベイへは歩いて一山越えると言う。
途中でいくつか展望台のようなところがあって、コールスベイを見渡すことが出来た。
健やかな風が吹き抜けてく、僕たちは半袖だった。
季節はもう春、上着はいらないくらい天気がいい。
大自然の中、遂にワイングラスベイを拝むことが出来た。
人工物は何もなく、ただそこにあるのは自然が織りなす奇跡だけだ。
なんて尊いものを見ている旅なんだろう。
帰り際カンガルーを一回り小さくしたアニマル「ワラビー」が駐車場に現れた。
スワンシーという、海沿いの小さな町に着いた。
そこで僕等は別れ、僕はスーパーで昼飯を買った。
この町からはタスマニア東海岸の綺麗な海が見える。
僕はバックパッカー、そんな幸せそうな雰囲気が好きだ。
さて、ここからホバートまではまだ134キロもある。
果たして今日中に辿り着けるのだろうか。
とにかくやってみる事。
うまくいくか行かないかは、そのうちわかる。
すると一台の車が停まったぞ。
さて、俺は今度はどこに行くことになるのだろう。
車から降りてきてくれたのは、先ほど、海に突き出た桟橋ではしゃいでいた若い女の子たち。
途中、すっごく景色のいいところに着いたから、車を降りてみんなで少し休憩をしたんだ。
その場所は、オーフォードって言ったかな。
沖にはマリア島を望むことが出来たよ。
海も空も青くて、しばらく見入ってた。
僕等は無事にホバートまで辿り着いた。
どこの船のフィッシュアンドチップスがうまいんだろう。
だんだん日が暮れてきた。
今日の冒険も大満足だった。なんでこんなに充実してんだろ。
ホバートの街の緑をもう一度見たい。
いつだって見ていたい。
公園の木陰で寝そべっていたい。
そんな思いにさせてくれる街。
僕はホバートの持つ暖かさと、緩さがとても好き。
タスマニアを旅していると聞こえてきた声。
その声はサラマンカマーケットへと僕を誘う。
街の片隅でバスキングをする若者達。
道のど真ん中でギターを弾くおやじ。
サラマンカマーケットは自由な空気をいっぱい含んでる。
僕は屋台でコーヒーを買い、芝生に座って子供たちが奏でる演奏と劇を見てる。
古本屋もあった。『ブリジットジョーンズの日記』という本の表紙を見てる。
全部英語で書いてあるんだろ。
全部読み切れないよ。
世界を広げようと試みる、そしたらさらに世界は広がっていってしまった。
サラマンカマーケットの洒落てる柄がプリントされてるエコバックを買った。
「ホバートで生活しましょう」って書かれてる看板とか見ると、頷けるんだ。
僕はその日ポートアーサーに行きたかった。
同じ部屋にいたドイツから来ていた子も、どこかに出掛けようとしてたから、誘ってみたら一緒にヒッチハイクをすることになったから、ホバートの街でヒッチハイクをすることにした。
『ブルーハーツ』の歌を聴いてた。
「ポートアーサーで産まれたあの女の歌を聴いた」っていう歌詞があってさ、勝手に感動してた。
すごく古い昔風の建物、内装も、家具もそう。
全部に歴史が乗っかってた。
囚人たちはここで、どのような気持ちをもって生活してたんだろう。
ここには緑と、湖と花しかない。
「もう悪いことはやめて働きなさい」と、自然に言われるんだ。
僕等はポートアーサーを出て、少し海沿いをドライブしてる。
タスマニアの海岸線はどこも美しくてたまらない。
日も暮れてきたから、リッチモンドから、ホバートまで帰った。
その間ずっと僕等を乗っけてくれてたシドニーからの旅の人にも、ドイツから旅に来てた女の子にも感謝だ。
タスマニア滞在最後の日だったと思う、僕は、街の近くの植物園に木々を見に出掛けた。
さて、まだ時間はあまりまくってる。
どこにいこう、アニマルが見たい。
そうだ、ボノロングワイルドライフサンクチュアリに行こう。
オーストラリアに生息するユニークな野生の動物達がとても自然に近い形でたくさん飼われてる。
僕は「タスマニアンデビル」を見たかったんだ。
僕は何もしないよ。ただ君を感じている。
タスマニアンデビルはタスマニアにしか生息しないんだぜ。
それから、ウォンバットの赤ちゃんも見た。
その子は寝てたから、ちょっと撫でたんだ。
コアラも、ハリネズミもいたなぁ。
もちろんカンガルーも。
あいつらみんな可愛すぎるよ。
ハリネズミみたいなやつは犬に襲われないように、ゲージの中から出ることが出来ないそうだ。
フクロウもまとまっていたなぁ。
リザードも地面這ってたし、もうアニマル万歳だよ。
もう、タスマニアでやりたかったことも済ませることが出来た。
メルボルンに帰るんだ。
飛行機の窓から見た外の世界は素晴らしく青くて、海と空の境界線はないように思えた。
メルボルンに帰って来て、俺は何をしたかなぁ。
働いてた寿司屋に挨拶に行ったんじゃなかったっけな。
仕事の終わり際に顔出しに行って、その後一杯みんなで軽く飲んだんだよなぁ。
それから、まい子と会って、メルボルンの街を歩いたんじゃなかったっけな。
エビにも挨拶に行って、ジェイコブと一緒に飯食って、ジョンとシェフのグラントとアンちゃんとみんなと会って最後の晩餐をした。
しょうごくんとか、よしくんとか、しょうへいさん、あきらさんみんな。
元気でやってるかなぁ。
FBみて元気かわかるのはフェリックスくらいしかいないもんなぁ。
後、たまにフィービィー。
そんなこんなで楽しく生活していたメルボルン。
最後の夜は、まい子とチアちゃんとお洒落なバーに飲みに行っちゃった。
あの子らにもずいぶん励まされたなぁ。
可愛かったし、会えて良かった。
それで、もうメルボルン時代は終わる。
アデレードも、タスマニアも、そしてメルボルンも終わり。
そして俺の意識はもうこの先、キャンベラそしてシドニーへと移ってる。
風が吹いてる。
もっとだ、もっと登って行こう。
そうだぜ、ついにマイナーだけど、オーストラリアの首都キャンベラへと進むんだ!
荷物って言ってもバックパックと手提げ袋とカホンくらいで、この時まで仕事の時もいつも着てたGAPのダウンジャケットも暖かくなってきていらないからって、メルボルンの部屋に置いて来たんだ。
そんでさ、バスはキャンベラへ向けて走るんだ。
ここら辺一帯を「オーストラリア首都特別地域」って言うらしい。
戦争記念館の展示物はやけにリアルで戦争の生々しさが伝わってきた。
広島や長崎でみた展示物の方がショックだったけど。
あぁベトナムでも見た。
そう、ショックだった。
日本のために、若者っていうたくさんの希望を持った尊い命が失われた。
コーヒー飲んで休憩してから歩き出した。
青空の中にひょうたんみたいな形の雲が浮かんでた。
政治的な事ではここがもうキャンベラの中心だし、オーストラリアの中心。
芝生に寝っ転がっててもすぐに退屈しちゃうから、寄り道しながら宿まで帰った。
これから念願のシドニーに向かえる。
やっとだ。
もう少し、あと少しだ。
Australia season 2nd
Sydney前編
この旅最大の目的地オーストラリア第一の都市シドニーに辿り着いた。
「ここがシドニーのセントラル駅かぁ、でけぇなぁ」夜だからか、人があんまりいない。
頼りないスマホの地図を頼りに街を歩く。
俺はシドニーのセントラルの駅から街に向かって歩いてた。
青紫色の花を咲かせた「ジャカランダ」、季節はいつのまにか初夏を迎えていた。
シドニーの街にもトラムは走ってて、僕は街を歩くたびに、写真を撮って回った。
新しい街はいつでも、僕をドキドキさせる。
ビルの隙間からシドニータワーが見えた。
オペラハウスの周辺を歩き回り逆サイドからまた見渡す。
バスカーがパフォーマンスをしてるのを僕は見てた。
宿に帰って、くたくたのシーツの上で寝る。
ボンダイビーチに仕事を探しに行ったのは、シドニーに着いてどのくらいからだったろう。
面接はふっ飛ばして、次いつ来れるかって話になって、早速トレーニングのチャンスを手に入れたんだ。
そう、物事はとんとん拍子で進んでた。
ボンダイビーチにはいい波が来てて、たくさんの人達がいた。
シドニーに来てもう一週間もしないうちにハリケーンで働くことになった。
シドニーでの最初の生活はもうてんやわんやでバタバタと過ぎて行った。
イタリアンの友達と行くレゲエパーティーってのがあって、そこで演奏してるボーカルがかっこよかったなぁ。
ダーリンハーバーからフェリーに乗ってマンリーっていう地域にちょっとした旅をしたことがあった。
マンリーの船着き場もまったり感が漂ってて超好きだ。
ビーチに向かうと大きな通りがあってね、そこでまたイキのいいバスカーがギターを弾きながらデジュリドゥ吹いて歌ってんの。
バスカーの後ろには、クリスマスツリー。
マンリーではバーに入って昼間っからビールを一杯やっちゃった。
隣にいたおっさんと軽く会釈して乾杯だよ。
メルボルンを出てから、今思えばずっと旅で、落ち着きなくそわそわと暮らしてたけど、やっとゆっくりできたかなって感じた。
時は瞬く間に過ぎていって、僕を置いてけぼりにしてくれてる。
今年も又いっちょサンタさんの帽子かぶって街に出てバスキングするかって感じで駅前で30分くらい叩くと、働くよりチップ貰えたりしてさ、全くないよりは絶対いいし、そのあがりで冷たいビールをくーっと飲む。
部屋でぼーっと寝てる時なんてなかったよ。
毎日いろいろあったんだ。
バタバタとそう、あれからずっと旅の中にいるんだ。
ハリケーンで働き続けるのは、正直きついかなって思ってた頃、仲間のディエゴに相談してたら、ちょうど前のマネージャーが移った店でデリバリーだけの人を探してるってなって、年明けたら移動することが決まった。
ハリケーンではけっこー長い時間働いてて、そればっかりの生活になってた。
配達って言っても俺の当時の携帯はおんぼろで、正直道なんてわからなかった、だいたいが勘でやってた。
ボンダイの周りは道が迷路のように張り巡ってて、困りまくった。
でもデリバリーしてる時の時間は最高。
そこがもうリゾート地だし、海も夕焼けもシドニーの裏の裏も楽しめた。
今年もクリスマスがやってくる。
クリスマスのイルミネーションを一緒に見に、シャオと夜の街に出掛けていくことにした。
そうか、この次の日がハリケーンのクリスマスクルーズパーティーだった。
俺の人生の中で一番豪華に過ごしたクリスマスだったと思う。
船はだんだんとオペラハウスの方に近づいてく、空は少し曇ってたけど、ハーバーブリッジも一緒に見えて超絶景。
キッチンで働くインド系のみんなや、ウエイターで働くヨーロピアンや、オージー達みんな混ざってのダンスとか、気持ちのいい日だったんだ。
そうこうしているうちに日は経って、年末をシドニーで過ごすためにチアちゃんがメルボルンから友達のノラちゃん連れて遊びに来た。
シドニーの港町ザ・ロックってあたりも歩きながら話してた。
オペラハウスはいつ見ても美しくて、海は今日も青い。
また会いたい子がいる。
帰り際、橋の上から豪華客船がでっかい汽笛の音鳴らしながら海に出発していくのを見ることが出来た。
夜の風の中にいつかこうなるってのはわかってたんだ。
遠回りばかりしてた。
シャオの友達と合流する。
アンドレアとか、東京ビレッジのみんなもまとまって近くで見てた。
チアちゃんも、あさみも、この街にいた。
みんながこの瞬間を待ちわびてんだ。
最高にいい年だった。
パースで迎えて、すぐに東南アジアの旅が始まり、シンガポール、マレーシア、タイ、ラオス、カンボジア、ベトナム、中国、マカオ、香港。
そして日本に帰り、大ちゃんの結婚式、TOEICの試験、俺たちのライブ、セカンドビザゲットとバタバタし、メルボルンで半年、その間にアデレード、タスマニアそして、キャンベラ、シドニーとまさに激動の年。
一番アツかったか、ってくらいだけど、更新していくんだ。
わかってる、俺はそれを夢見てたんだから。
「旅なんだよ人生は」って言える。
時間は後戻りはしない。
時間が来て音楽が鳴る。
花火は終わる。
終わりがくるって、みんな気付いてる。
花火が終わったらシャオはなお君とタスマニアへ旅に出てしまうという。
それからすぐに台湾に帰っちゃう。
俺は新しい所で働きだし、家も引っ越す。
今度は、バイロンベイ、ブリスベン、そして大陸の中に入って行き、アリススプリングス、そしてウルルを目指す。
ヨーロッパにはもうこの頃には行くもんだと思ってた。
不思議なもんだろ。
どっからこの強気が湧いて出てきてたんだか、金も減って行くっていうのに。
花火が咲いては消え、咲いては消え、クライマックスが近づく。
新しい日々の始まり、月が変わればきっと何か新しいことが起こって、新しい未来が描けるはず。
僕等はニューイヤーに浮かれた人々でごった返すシドニーの街をそれぞれ手探りで歩いてたんだ。
一人じゃない、きっと誰かいる。
人生の醍醐味ってそこだよ。
人との出会いがすべてだよ。
真っ暗闇の中、浜辺に佇む。
新しい年が始まってまだ数時間。
ビーチから見渡す街にはちらほらと明かりが灯ってる。
空は今ピンク色をしている。
砂浜には、大きな車のタイヤの跡が残ってた。
素っ裸のまま日の出を待つイタリアン。
夜明けは近い。
波を追っかけたり逃げたり。
それにつられて裸足になると、砂浜はひんやりとしてた。
あの温度を忘れたくない。
波がひいて、また打ち寄せてくる間のその数秒間、波打ち際の砂浜の表面の海水に反射して光る街の明かりが妙にせつない。
そこには何もない。
太陽はまだ出てないけど、もうこれって朝だってくらい明るいや。
ほら、初日の出。
昇ってきたよ。
ゆっくりと。
見てごらん。
いい感じだね。
まだ眩しくない。
少し薄く雲がかかってる。
ゆっくり、でも確実に昇ってくる。
まん丸いのが全部出た。
頭の方が輝きだす。
きっといつだってここから。
今からなんだ。
バンダバーグで一緒に働いてたアランがニュージーランドの旅を終えて一度ヨーロッパに帰ってまたオーストラリアに来るっていうんでキングスクロスの駅で会うことになった。
アランとは結局ボンダイビーチに行って、海に入って来た。
暑くて最高に気持ちよかったなぁ。
そんでもって翌日もシドニーセントラルに部屋を観に行った。
そこもはまらなくて、どうしようかって考えてる時、セントラルの駅前のベンチで座ってたのね。
そしたらさ、年末年始の花火の時一緒にみてたジョンと、ハンと偶然再会した。それで、「俺いま部屋を探してるんだ」って言ったら。
「俺たちの家に来いよ」って誘ってくれて、そこってシャオと一緒に旅してるなお君が住んでた所らしくて、ベッドがちょうど一つ空いててさ、汚かったんだけど安かった。
コリアンの家を出る日も決まってたから、勢いものっかってそこに決めてきたんだよ!
それから、アランがオーストラリア一周の旅に出る前に、また一緒に会ってオペラハウス見に行って、俺は遂に「ニュージーランドの地図」を手に入れたんだ。
新しい職場、アゴラっていうギリシャレストランで働くことになった。
シェフはヤンとマーク、二人は兄弟で働いている人もみんな東ヨーロッパ系の人達だった。
新しい風が僕の人生に吹いてきた。
夜はアゴラで働きながら昼は勉強したり、シドニーを観光したりして過ごしてた。
何か物事が停滞してしまった時、僕は旅に出て今まで感じた事のない風を感じることにしている。
ブルーマウンテンにはぜひ行って欲しい。
ハイキングも出来るコースあるし、雄大な景色を見たい方がいたらぜひ。
ケーブルカーも、ロープウェイも、滝だってある。
そんでさこれまさかの偶然が起こったんだけど、東京ビレッジで出会ったフェデリコとここで再会したんだ。
しばらく一緒に観光してさ、フェデリコの友達のマルコにもあった。
全く不思議な事ってあるもんだな。
今度はウーロンゴンっていうシドニーからも近い大きめの街に行ってみた。
そこには綺麗な海もあって、めっちゃ住みやすそうな所。
サーフィンをする人たち、海水浴する人達、まるでリゾートの様だ。
これも日常から離れた旅の一つで、生活は質素に、旅を入れて過ごす。
これは日本にいたって出来る事だ。
そうして過ごしているうちに、マークが台湾に帰る日がやってきた。
セントラルステーションまで見送りに行きマークと別れた。
一緒に遊びに行く奴がまた一人、シドニーを去って行く。
まぁレゲエパーティーとかあったから楽しかったけどさ。
そうだ、俺アフロのウィッグを買ったんだ。
だってさ、「髪切り行きたいんだよなぁ」ってアゴラのシェフのヤンに相談したら、いいとこあるぞって教えてくれて、そこで切ったら超短髪にされちゃったんだ。
恥ずかしくて表歩けないから、帽子買おうと思って入った教会の古着屋で、マネキンが被ってた「アフロのウィッグ」見つけて、お婆さんに「あれいくら」って聞いたら、「1AUSドルだよ」っていうから、安って思って。
これなら、笑いのネタにも出来ると思い、買うことにしたんだ。
いい帽子見つからなかったし、そいつを被ってアゴラへ。
もう一人のシェフのマークにも、マネージャーのドシャンにもウケたから良かった。
しばらくはアフロのウィッグ被って生活してた。
新しい家に移ったり働いたり、ナイトクラブに行ったり楽しく過ごしてた。
働いてない時はずっと勉強をしてた。
バカみたいに真面目でさ、もっとはしゃいでれば楽しかったのにね。
アゴラも遂に最後の日。
もう俺はアリススプリングスまで陸路で旅に出ることに決めていた。
駅でカホンを裸で持ちながら、首にタンバリン置いて、アフロヘアで、イエローとグリーンの「オーストラリア」って書いてあるシャツ着てバックパック背負って立ち尽くすと、俺って何やってんだろってポカーンって気が抜けて笑えてくる。
これもまた「人生」、好きにすりゃいいじゃん。
Australia season 2nd
Brisbane again&To The Red Center編
シドニーから少し北にある街ニューキャッスル。
迎えに来てくれたのはJJというバイクと鳥が好きな若者。
そうそうシドニー編は一度幕を下ろしている。
新しい季節がやって来てる。
光の速さで時は過ぎていく。
再びのブリスベンそしてレッドセンターまでの怒涛の日々、体を震わせて何処まで行けるか試してる。
僕は空を飛ぶ鳥を見上げながら灯台を目指す。
そこには灯台へと続く緩い坂道が見えてる。
灯台の上から海を見渡す。
大きな貨物船が一隻じっとしてるように見えた。
ニューカッスルの灯台は白を基調としていて、落ち着いた感じがする。
遠くを大きな船が動いてる。
浅い岩場の上を若者が歩いてる。
雲が大きく、そして黒くなってきた。
潮が引いて浅瀬になってる所で駆け回る子供たち。
小雨がパラパラ降ってきた辺りで、ちょうど到着したJJの車に乗り込み、一路JJ宅へ。
超サンキューJJそして、ニューカッスル。
次の目的地は念願のバイロンベイ。
初めてオーストラリアに来た時「ホームステイ」したトムが誘ってくれた場所バイロンベイ。
そろそろ気持ち「オーストラリア一周」をする。
駅に着くと、人はまばらで、ここからバイロンベイまで行く列車に乗り込んだ。
バイロンベイ近くの駅に着き、そこからバスに乗って移動した。
宿はどこだろう。
まだ、わからない。
何泊泊まろう。
誰か教えてくれ。
音楽が鳴ってる方へ、バンドマンを探してた。
路上パフォーマンスをしている人達がいてバイロンベイの夜は賑やかだ。
綺麗な弧を描く浜に大きな波が、ある一定の間隔をもって打ち寄せていく。
風がそうさせるんだろうか。
浜ではサーフィンをする人達が波を待ってる。
灯台が見えてきた。
ここはオーストラリアで一番東にある灯台。
僕は岩場を降り、オーストラリアの最東端まで歩く。
バッパーの裏に歩いて行けるビーチがあって、そこに同じ部屋で一緒になったカナダ出身でアデレード大学で学んでいる若者達と行った。
バイロンベイの浜を裸足で歩く。
夕暮れ、犬が波打ち際のにおいを嗅いでる。
サーフボードを自転車に担がせ、女は遠く水平線の向こうの雲を見てる。
スケボーを脇に抱えてる兄ちゃん。
水色のフォルクスワーゲンに乗ったヨーロピアンの若者が旅の疲れを癒しに海を見てる。
頭丸めた女が裸になって海に入ってく。
「今宵は寂しいことを忘れて歌いましょう」と言わんばかりに美しい。
浜に居合わせた流浪のミュージシャン達が奏でる音楽に揺れてる。
灯台のライトが夜空を照らす。
月は今最高に輝いている。
海に、あの日鎌倉で見たかのような月への階段が出てた。
バイロンベイからバスに乗って行ったニンビンはマリファナで有名でさ、数多くのヒッピーがそこで暮らしているらしい。
数台の車が路肩にもうずっとほっとかれてるように感じる空っぽのストリート。
本屋に寄った。
「サイババ」の本が目に留まった。
独特の髪型してらぁ。
そういえば浩太は小学校の時サイババ好きだったよな。
子犬を見かけては目線を下ろす。
いや、腰を下ろす。
子犬と俺と同じ高さで会話する。
誰のにおいも嗅ぎたがるなんて最高じゃんか。
手書で町を紹介した看板が裸で道に置いてある。
看板の張り紙は千切られて、貼られての繰り返し。
歩道を歩いてく鶏たち。
僕はお昼ごはんを食べようとしてる。
このゆるい風は地球を何周も回って、いつか誰か違う人へ吹き付ける。
バイロンベイに帰ったら、また楽しい夜が待ってる。
旅の中にいた、お前らの声が聞こえていたい。
俺はニンビンからまたバイロンベイに戻ってきて、同じ部屋の若者達と一緒にナイトクラブへ遊びに行ったんだ。
いつかの宿では二人のミュージシャンが歌ってたから、「カホン」を持ってって、即興で生演奏に参加してみた。
書き残したことがたくさんあるような気がする。
バイロンベイで見上げた月の明るさとか、言葉に出来なかった海の青さとか、忘れたくない。
朝になって僕はブリスベンへと向かった。
遂に気持ちは「オーストラリア一周」、再びの俺にとっての最初の街ブリスベン。
あの頃よりは全てがましで、全てが違う。
もう新しい俺だ!
オーストラリア東海岸を北上していく。
道中いろんなビーチを通った。
久しぶりに見たゴールドコーストの街、今まで見えてなかったところばかりだ。
ブリスベンの大きな駅に着いた。
それから俺は、あの頃行けなかったマウントクーサに出掛けた。
ブリスベンの街を一望できる展望台。
ゆっくりとブリスベン川が蛇行していく。
サウスバンクの方まで歩いてシティキャットにも乗った。
クラスのみんなで乗ってはしゃいでたのがなんか懐かしいなぁ。
果てしない道のりの中にいるんだなぁ。
トムと街中で再会して、今トムが住んでるっていうシェアハウスまで行った。
再会ってのはいつだっていいもんだ。
その夜バッパーに併設されてるバーに飲みに行ってクイズゲームで一緒に遊んだ。
次の目的地は一路、大陸の中へ列車で向かう。
何が起こるのか、無事にたどり着けるのかもわからない、こっからがマジのアウトバックな旅。
今までのラウンドはここへの序章に過ぎないのか。
いざ、いくのみ。
今日僕はザ・ウエストランダーっていうブリスベン発の「夜行列車」の中で夜を越す。
大陸の中に入っていく頃にはもう窓の外は陽が落ちて真っ暗。
地図に見えない道ばかり見てた。
進むにつれ、列車の中にはアボリジニばかりが目立つようになってくる。
もちろん日本人も旅人もいない。
どうしたもんか、車内にアボリジニの子供の泣き声が響く。
月が雲に霞む真夜中。
列車は速度を落とし、なにやら他の列車と連結してるだろう音が聞こえてくる。
僕はまた目を閉じて、眠りに着こうとしたけどぐっすりと眠れない。
やがて朝が来て陽の光で目覚める。
最終駅チャールビルに到着した。
空気は乾いてて日差しはやけに強い。
産まれて初めてこんなに海から離れたんじゃないだろうか。
海をそういう風に感じたことは初めてだった。
気付けばブリスベンからはもう747㎞も離れてた。
何日か後の事なんて僕にはわからなかったよ。
ベニが車で迎えに来てくれて、家に通された。
ベニは簡単な説明の後、「自由にしていいぜ」ってことで、仕事に戻って行ってしまった。
こういうゆるさが海外ではよくある。
もう本当に信用されている。
ベニの部屋の壁にもポスターが張ってあって、そこにはアボリジニの縄張りが細かく書いてある。
オーストラリアは7つの州で構成されていると思ってたが、アボリジニの地図を見る限りでは100以上のパートに分かれてるように見える。
大地や自然の変化に応じたりなんだりの彼ら独特の分け方があるらしい。
深すぎてよくわからなかった。
俺達は車でカラウィニア国立公園へと旅に出た。
コンクリの道から、赤土の道に変わっていく。
もうここは人が住む場所じゃない。
「ワイルドライフ」、まさにそれ。
道中の小さな町にはやたら広い敷地の中に家がポツンと建ってる。
ここでどうやって生活が出来るのか、とても不思議だ。
カラウィニア国立公園に辿り着いた。
まだ日は高く出てる。
ワニでも出てきそうな大きな川が流れててやっぱり茶色く濁ってる。
空がむちゃくちゃ澄んで真っ青に見える。
キャンプ場に着いた。
さて、夕飯のバーベキューの用意だ。
夜が迫ってだんだん星が出てくる。
空には満天の星。
僕等は寝るのが早かった。
陽が落ちたら寝て、日の出とともに起きる。
自然ってこういう事。
夜も深まり、真夜中に少し目が覚めた。
僕は寝そべったまんま星を見上げる。
風も何もない。
ただ星だけがある。
こんなに綺麗な星空見たことなかったなぁ。
あの時、フェリックスと旅出たウィットサンデイズでセーリングした時に海の上から見上げた星空くらい綺麗で厳かだった。
ほら、あれは一直線に動いてる、サテライト。
シーンと静まり返る国立公園。
あたりには民家も明かりもない。
たき火もくすぶってる。
星以外の明かりがないとこんなに美しく見えるのか。
虫も動物もみんな眠ってる。
僕も眠ろう。
地球っていうベッドの上、外で眠る気持ちよさ。
あぁ俺は今生きてる。
空は青く澄んでる。
目が覚めた時の虫達の元気の良さったら、いままでで一番だったかもなぁ。
アリとか、ハエとかイキってたなぁ。
家に帰ってから、隣のアボリジニの家に遊びに行ったけど、家具もなけりゃ食べ物もなくて、殺風景な家だった。
それから、近くのプールにも入りに行った。
むっちゃローカルの気の抜けた感じのプール。
体はタオルで拭かなくても乾いた。
ヒッチハイクをやってみたんだ。
マウントアイザまで遠すぎたんだ。
一日を棒に振る気分って最悪だぜ。
待ち人来ず、嫌だよ。
約束もしてないし、みこみもない。
誰にも気づかれないってのは辛いよなぁ。
あと、町のグレイハウンドのチケット屋に行って、もうやけでマウントアイザまでのチケット買った。
バスの中超暇だから、東京から旭川行くような距離だぜ。
カホンにバックパック背負って「旅人」としてバスに乗り込み感傷に浸る。
いつまでこんなこと続けてんだろう。
何だかんだで日が暮れる前にマウントアイザに着いた。
バッパーを見つけたので宿が空いてるか聞きに行く。
僕は手すりをつかんで身を乗り出して目を見開いてる。
眩しく、遠くまで。
白い雲はグレーに、橙色した太陽は茶色い大地の向こう、シルエットになった黒い煙突。
煙はぼやけた白と黒。
それが雲になる。
世界は様々な色と共に僕を包んでた。
こんなに美しい時間は神様が僕にくれた一生の宝物だったりする。
煙突は静かに煙を吐き続けてる。
煙突のある町、なんかいいよね。
煙突の下では、きっと働いている人がいるよね。
遠くの空も薄暗くなってくる頃、僕等の頭上はすっかり夜で、町にも明かりがつき始めた。
もう僕にはこの世界で何が確かなものかわからないよ。
はっきりとした夜が町全体を覆うと、煙突は見えにくくなった。
この町ともおさらばする。
僕は確かにそこにいて、そいつはもう「永遠」のものとなった。
いつかどこかでふとした時に頭の中で巡って、僕に「はっ」と何か大切なものを気づかせてくれる思い出と共に眠ろう。
遠く、人から離れると、自分の声がよく聞こえるっていうか、やっぱ人の声が入ってこなくなる。
そういうのにはもう慣れたんだけど。
アリススプリングスに向かうバスを待ってる僕はやっぱり乾いた風に吹かれている。
黄金色した光が地面に射してる頃だ。
考える事と言えば昔の事、そして少し先の未来。
誰も不安なんてあおっちゃいけない。
そんなものは存在しないんだって言ってて欲しい。
アリススプリングス迄の道のりは遠く、休憩でテナントクリークという街に着いた。
ダーウィン、カカドゥの旅に次ぐ二度目の「ノーザンテリトリー」を今回は南へ、アリススプリングスとウルルを目指してる。
目指すものがあってそれに全身全霊で向かってくのってなんでもかっこいいと思う。
バスがアリススプリングスに着く頃にはもうすっかり辺りは暗くなっていた。
その夜もいくつかの出会いがあった。
バッパーで一期一会の大事さを胸に刻みながら眠る。
俺も、いつかウルルに行くんだ。
行くならこのノリで行かなきゃ一生いけねぇ。
アリススプリングスの街に仕事探しに出てみることにした。
メインストリートって感じのトッドモール周辺にも活気ってのはなくて、アボリジニがよたよた歩いとった。
アンザックヒルっていうアリススプリングスの街を見渡せる丘の上、今日もいつの間にか夕日が落ちてく時間。
遠くの丘の向こうに落ちてくのをゆっくり、じっと見てる。
ちょっとした建物の脇に真っすぐ伸びてる棒の上にオーストラリアの国旗が揺れてる。
太陽が落ちて、また夜が来た。
静かな夜。
夕暮れから夜になっていく時間が好きで何度も写真を撮ってた。
街は夜に包まれた、僕は街に降りバーに入る。
ビールでも飲もうか。
そういやアリススプリングスに滞在して何日か過ぎた頃、ボタニックガーデンに仕事探しがてら行ってきた。
アリススプリングスのボタニックガーデンのいいところは、カンガルーが至る所にいて、あいつらどうしでじゃれ合ってるのがわかるんだ。
ワイルドなカンガルーもコアラももうたくさん見たよ。
バッパーのプールサイドでのんびりしたり、図書館で勉強したりする日々。
毎日が同じ様で刺激がなくなってくる、旅の中にいるのに。
ある日、バッパーに居ると一人の新しい男が現れて俺に、「グッダイマイト」ってガチで言ってきた。
そいつは自分の車で一人でウルルまで行こうとしてた。
「ちょっと待て俺も乗っけてってくれ」そう言うと、すぐに話は決まった。
道中はくっそきつかった。
車もエンジンに熱がたまりすぎて、休憩いれながらじゃないと走れない。
なんなら、車が動かなくなったら俺達やばい、死んじまう。
たまに十字架が道に刺さってて、人の顔写真が添えてあったりする。
人の手が加わらないアウトバックに向かってる。
なんとか、かんとか俺達はウルルビジターセンターに辿り着いた。
遠くにウルルが見えていた。
このオーストラリアの旅に出て、ウルルに辿り着くなんて夢みたいだね。
もうすぐで、ウルルの麓に行ける。
今日、キャンプをする場所を定めた。
夕日を見にウルルカタジュタナショナルパークへ車で入った。
車の窓から見えてるウルルも、車を降りてから見るウルルもどっちも超かっこいい。
サンセットを見る為にルックアウトに行った。
ウルルが赤く輝く、これがレッドセンターのへそ。
この日のこの瞬間しか俺達にはなかったんだ。
虫も眠るし俺達もすぐに眠りについた。
僕等は朝日に照らされるウルルを観に行く。
世界に光が満ちて朝が来る。
遠くの大地が光だす。
真上の空は青く晴れ渡る、朝日がウルルを照らしてく。
それからすぐに僕等は40キロくらい離れた所にあるカタジュタっていう一帯を観に行ったんだ。
そこは風の谷とも言われていてさ、『風の谷のナウシカ』のシーンに出てきそうな地形をしてる。
ところどころに窪みがある独特な形をした岩だった。
その先には風の入り口か、出口があって、地面は緑で覆われていた。
変な地形、急に地面がへこんでるように思う。
水たまりでもあったのか。
木が生えまくってる。
それから俺達はもう一つの観光地に移動した、そっちの方が開けてて壮大なスケールでウルルの大自然を感覚で感じることが出来た。
陽射しが出てきて、岩場が色づいた。
僕の靴の底も赤茶けた色してる。
僕等はルックアウトに着いた。
遠くに地平線そして、大きな岩場がまだ見える。
ここは見晴らしがいいから、たくさんの観光客がいた。
地面のパワーを大いにもらってきたよ。
上半身ちょっと裸で。
何時間くらいただ歩いてたんだろ。
僕等の歩くペースはバラバラで、いつの間にか車はアリススプリングスに向けて走り出してた。
ウルルとはもうこれでさよならだ。
Australia season 2nd
Sydney後編
ウルルから帰って来て、アリススプリングスで仕事が見つかった。
だけど、つまらな過ぎてやめたよ。
もうアリススプリングスにいる理由も無くなったからシドニーに帰ろうとしたんだ。
そして俺はまずアゴラのシェフ、ヤンに連絡を取った。
彼は「オーケーだ、いつでも戻ってきて働けるぞ」って言ってくれた。
そしたら住む場所、前のシェアハウスの可愛いサマーに連絡。
「シドニーに帰ったら住む場所あるかな」ってメールしたら、「オーケーたぶん大丈夫」って。
しばらくっていうかそれからずっと、のんびりとした生活が続いてた。
僕がシドニーに帰ってきた日。
街では「マルディグラ」って言うレインボーなゲイパレードが開かれていた。
そいつを見に街に出てイタリアンのアンドレアとかサム、東京ビレッジで一緒だったグループと合流した。
パーティーの後、街を歩いていたら、最近オーストラリアに来たっていうイングランドの女の子二人組に「何なのそのアフロヘア」って声をかけられて仲良くなってさ、一緒に出掛けて話したりしたなぁ。
ワーホリのビザが切れたらニュージーランドと台湾も一周しようとしてた。
それから日本に帰って、さらにヨーロッパまで行こうとしてた。
最初の目的地はいきなりイングランド、これは面白そうだ。
そういうことを頭の中で描いてた。
毎日同じような日々だとつまらないから、週末か休みの日には出掛けるようにしてた。
あの海の名前はクージービーチ。
バスカーがアロハシャツ着て歌ってたなぁ。
アゴラがジャパニーズの雑誌に特集された。
それを俺が日本語から英語に訳して彼らに伝えたら喜んでくれた。
オーストラリアではどこの大きな町に住んでも海にすぐに行ける。
これから秋がはじまる。
上着を羽織ることも増えた。
アゴラに行く時、シェアハウスを出てシドニー大学の方へ歩いて行くんだ。
小さな店だったからやることもそんなになくて、あっても皿洗いとか簡単なこと。
バイクに乗ったらもう慣れたもんで、街の住所も届けるエリアもだいたい頭に入ってたから、いろんな意味で慣れてたんだ、たまにミスもしたけど。
僕等はいつの間にか長袖を着てて、僕はそろそろセカンドのビザも切れる。
オーストラリアを離れなくちゃいけない日が近づいてくる。
ニュージーランドへ旅立つ前、サマーとユリィとニナとディランと俺でブルーマウンテンに行くことになった。
ブルーマウンテンの瑞々しい大地に包まれて深く息を吸い込んだんだ。
地面には赤や黄色の葉っぱが落ちっぱなしで誰もかたずけないから、落ち葉カサカサ鳴らして歩いてた。
夜が来て僕等は一緒に帰ったね。
シェアハウスに住むって楽しいこともあるんだ。
パースにいた頃、同じ系列の寿司屋で働いてて、俺がバスキングしてて道の真ん中のイスで座ってたらなんかよく会うようになって話してたやす君がシドニーに遊びに来るって言うから再会した。
夕日に染まるオペラハウスも秋風に吹かれてる。
年末年始の花火とか懐かしみながらハーバーブリッジの向こう側を見ていた。
いろんな角度から物事を見られるようになった。
世界はもう一つじゃなくなってる。
俺達は年も近くて、話もあった。
日本に帰ってうまくやっていけるのか、ちょっと心配になることもあったけど、俺はもう突っ切ることにしてた。
ヨーロッパに飛んでっちゃったら何か変わると思ってたんだ。
飛行機の窓の中からシドニーの夜景が見えた。
俺がいなくなっても街は動き続ける。
時は留まったりはしないんだし。
第四章 ニュージーランド&台湾編
New Zealand
South to North編
New Zealand ニュージーランド
窓の外に初めて見るニュージーランドの雪を被った山並み、月光に雪が白く照らされている。
頭の中で飛行機の経路を想い浮かべて、どこの山なのか考えてみたりしたけど、俺の考えが及ぶ程この世界は易しくない。
俺、もうシドニーにいない朝を過ごしている。
少し不思議な気分になった。
街を巡るとバスカーが背負う建物の壁にアート。
それと、やっぱりまだ壊れかけの家もある。
トラムが走れるように道が広くなっている所の向こうに重機が見える。
作りかけのビルの街、「リ・スタート」って言うスローガンをこの街は掲げている。
この時期のニュージーランドはもう秋が始まっていて涼しかった。
崩れかけている建物と、昔からの街並み、新しく建てられてくビルなどが混ざって新しい街が出来てく。
街の歴史も、人の歴史も繋がってるんだなぁと思う。
俺はレイクテカポっていう、星がうんと綺麗に見える土地目指して旅から旅へ。
ミネラルをたっぷり含んでいそうな川を越えてバスは行く。
街を見渡すと、俺が泊っているユースホステルが米粒みたいに小さくちょこんと見えた。
空にはまろやかな雲がほんわり浮かんでいる。
ニュージーランドじゃないとこんなに雄大な自然いっぱいの風景は見られないかもしれない。
雲の隙間から光が射す。
山に影が伸びて、空気は澄んでく。
湖面に風の通り道が見える。
それからニュージーランドで一番星が綺麗に見ることが出来るというこの土地で、僕は星を見にもう一度湖のほとりまで出かけた。
夜空の星は僕のカメラでは写らないから、目に焼き付けとくしかないけど、それも不確かで、あの瞬間が全てだったんだと思う。
爽やかな朝、朝食を軽く済ませて外に出る。
小雨が降ってきた。
冷たい凛とした空気の中にいるのも気持ちがいい時がある。
雨に濡れるクイーンズタウンの街で、傘をさす君とすれ違った気がした。
虹はまだ消えてないだろうか、そんなことは無いよな。
クイーンズタウンに居ても特にすることもないから、時間があれば山に登っていた。
僕は雨に濡れないように、パーカーのフードを頭に被ってシドニーでこの旅の為に新しく買ったスーパードライのジャケットのチャックを一番上まで締めた。
クイーンズタウンの秋は深まる。
レイクワナカの湖畔にも大きな手の置物とかいろんなアート作品があって、湖の桟橋には小さな船がいくつか浮かんでいた。
湖畔を歩いていると毒が有りそうなキノコを見つけた。
落ち葉は今日も濡れ落ちて、いずれ土に帰っていく。
湖上ではカヌーを漕いでいる人がいて、遠くの山に晴れ間が射しているのが見えた。
歩いてきた道をまた歩いて帰る。
これを繰り返して、旅を続けている。
もう二度と通らない道ばかりだ。
とてもよく晴れたある日。
ワカティプ湖畔に歩きに行ったら「フリーマーケット」が開催されていた。
絵を描く老人が、これまた画になる。
クイーンズタウンの山に登ることにした。
僕が泊っているバッパーはあそこで、あの人気で美味しいハンバーガー屋、「ファーグバーガー」はあそこだ。
クイーンズタウン最後の夜、バンドの演奏が鳴ると楽しくなる。
ビールを片手にアフロのウィッグ被って変な顔して踊っている男が僕だ。
バスがミルフォードサウンドのエリアに入ると、ぐっとワイルドな感じになってくる。
山の上に掛かる雲とか、上空ではものすごい勢いで風が吹いているのがわかる。
生き物がそのままの姿で、何にも邪魔されずに生きているんだ。
山の頂は白い雪を被っている。
ものすごい昔にはこのフィオルドランド国立公園の辺りにはめっちゃでかい氷河があったみたいだ。
滝も、山肌も本当に息を飲むほどの美しさで、自分を浄化してしまいたくて深呼吸を何度もしたんだ。
ここにきて晴れ間が見えだした。
川辺には雪の塊、ここまで綺麗な水はそうそうないと思って、そのまま手ですくって飲んだ。
大きな滝の音が聞こえる。
木々が深すぎて観ることが出来ない。
いよいよ僕等は今回のメインポイント、ミルフォードサウンドのタスマニア海へと続く、フィヨルドを体感するクルーズに出ることになった。
山肌から滝がごうごうと海に流れ落ちている。
見上げる空はいつものようにどこまでも青い。
そして、切り立った山肌には緑の木々が生えてんだ。
白い雲が山のてっぺんにひっかかって風に吹かれてらぁ。
船上ではニュージーランドの国旗が風に揺れている。
俺の見ていた景色も一瞬で過去に過ぎ去って行っちまう。
でもさ、とっておきたいんだよ。
一生もんだから、忘れたくないんだよ。
バスの中、やっぱりアリススプリングスに行く時と同じようにイヤホン付けてバンドのロックサウンドばっかり聴いていた。
クイーンズタウン、ミルフォードサウンドを経て、ついに僕はアランが働いていた街、フランツジョセフに氷河を観に行くことにした。
「氷河」、俺を歩かせるのはこの響きだけで十分だった。
ネイキッドバスに乗って移動って言うか、それ自体がもう景色を見るアトラクションって感じ。
途中レイクハウェアを高い丘から見渡した。
この湖も透き通るくらい綺麗だった。
フランツジョセフの氷河国立公園に入ってからも肝心の氷河までが遠くて困った。
だんだん日が暮れかけてきてて、下手をすると帰る頃には夜になっちまう。
それはちょっといくら何でも怖すぎる。
あぁ。
でも、俺は氷河を観に行く!
息を切らして小走りでかけてくと、氷河が目の前に現れてきた。
生まれて初めて見る氷河に感動して、その勢いのまま思いっきり走ってルックアウトを目指した。
氷河は落ちてくる程近くにはこの時はなくて、ルックアウトからちょっと離れた所にあったよ。
この目で見られた事に大感動で、もっとそれに浸ってたかったんだけれど、もう時間がマジでやばい。
ここで日が暮れたら真っ暗闇の中、石ころだらけの道をなんの明かりもない状態で帰る羽目になる。
それはマジでやばい。
遠くの空は夕日が沈んでいく色をしている。
俺以外誰も居ない森の中、いやいや誰かいたらもっと怖い。
とにかく街灯がない山道は歩いちゃダメだ。
たまに後ろを振り返ったりする、真っ暗なだけで誰もいない。
動物も出て来なくて、安全なのはわかっているんだけどやっぱり怖い。
周りには何もなくて、道の隣を流れる川の「ゴオォォ」って暗く深い音だけが聞こえる。
もう誰にも会えないんじゃないのかなって気になってくる。
それでね、ネルソンでバスを降りた俺は、小さく経営してたボロいバッパーにチェックイン。
そこで何人かの旅人と話したけど、特になんてこともなく、バーガーキングへ夜飯を食べに出掛けた。
バスが来る前にネルソンの街を歩く。
晴れ渡った空を見上げて、背伸びしながら腕を回して歩いていた。
旅は道ずれ世は情けとはこのことで、一人で旅するよりパーティーで行きてぇよなぁ。
船に乗ってから、やっぱり船内を探検しちゃうんだけどさ、年取ったらそういう時にでも落ち着いてゆっくりコーヒーでも飲みながらイスに深く座っていたいよなぁ。
曇り空の隙間から見えた青空、あの時もほら、虹が見えていたよね。
夢の中で誰に会っていたんだろう。
もうわからないね。
あの時のことも、少し前の時のことも。
ずっと向こうに行ってしまった。
やっぱり今しかないなぁ。
あっと言う間にウェリントンの街並みが見えてきた。
僕は海を見ている。
今では遠い、遠い海をただただ見ていた。
今が幸せなら、きっとそいつを選べるようになるから。
はるばる南島から北島までやってきた。
津軽海峡を青森から函館まで渡ってきた気分。
見つけたバッパーの壁には一面に大きな「世界地図」が張ってあってさ、俺はそれを見ながらヨーロッパには行くもんだと思っていたんだけど、それから先の事はちょっとまだよくわからなかった。
この街に着いたらどうしてもミュージアムに行きたかったんだ。
俺が行った時には戦争の特集が組まれていた。
バッパーで過ごしたゆっくりとした夜。
ドイツの子もいたり、カナダから来てた子もいて話したらすぐに仲良くなった。
みんな旅人、みんな気持ちはオープンなんだ。
ここはアーティステッィクな街でさ、丸い物体が空中に浮かんでいる広場があったり、蜘蛛の足をモチーフにした休憩所があったり、なんかいろんな奇抜なもんがあんだよ。
この街には地形の関係上強い風が吹くらしい。
ウェリントンの街の丘の上、ボタニックガーデンに向かっている。
ニュージーランドの木々も紅葉をする。
坂道を登り終えた後に見渡すウェリントンの街は爽やかで気持ちが良かった。
この時見えていた世界が俺の全てだった。
バスの窓から見るニュージーランドの海は荒れていた。
バスはおっさんの運転で無事にタウポに着いた。
ただここにあるのは真っ青なレイク。
もうわからない。
俺がいたとか、いなかったとかどうでもいい。
湖の畔にも、何でもない公園でもアート作品が点在していた。
あれは気持ちが具現化したものでもあると思う。
それと出会った時、その人がもう一回何か一瞬を感じるんだよね。
その瞬間に寄り添っていたい。
朝日が好きで、照らされて歩くのも、ただ照らされて地面に影が出来るのも好き。
あぁそうか、僕はあの頃のままの影を連れている。
そいつがはっきりわかる陽ざしに射されている時が、一番気持ちいいのかもしれない。
真下まで行ってオークランドタワーを見上げていた。
ほんのわずかな時間でも僕の中に旅は生きている事を感じさせてくれた。
外は少し寒くて、風邪をひくことになった。
失くしたもの、ありったけあんのね。
僕はニュージーランドのオークランドという所にいて、ライトアップされた広場の前に立っている。
出来る事なら、僕が感じた事すべてを伝えたいのだけれど、まだ何処にも届いていない。
毎日懸命に過ごすことがそいつを助けてくれるんだと思っているから続けている。
見た事のないものに魅せられてどこまで行くんだよ。
オークランドには雨が降っていた。
図書館とか、博物館を目指して歩いていたんだけど、やっぱりどうしても雨にあたっちゃって、これで風邪ひくことになったんだ。
寒くて雨も降っていて、安らげる場所を探し求めていた。
それから空港に行って、まずはオーストラリアのメルボルンへ、それからシンガポールそして台北。
飛行機の中ではずっと目を瞑っていた。
乗り換えする時も意識が朦朧としていたけどたぶん寝ていた。
気持ちは不思議と落ち着いていた。
台湾
一周編
台湾 中華民国 Republic of China
飛行機の中で夢を見てた。
これはまたいつか見た夢。
いつも見る夢。
いつの日か現実になっていることかもしれない。
俺は今台湾にいて、友達がいる。
しばらく歩いて僕等は台北駅まで辿り着いた。
タンクは仕事に行くというので、タッチで今度もパースのシェアハウスでお世話になったサンゴが俺のガイドをしてくれる事になった。
俺達は今から士林市場へと向かう。
日が暮れて屋台にも明かりが灯る。
初日は嵐が過ぎ去るように過ぎてった。
タンクが休みの日に、石門水庫ってここらへんじゃ有名な船游も出来る場所にも連れてってくれた。
桃園からだいぶ山の方に入って行った所だ。
台湾は昔の日本の風景を見ているんじゃないかって気分にさせてくれるから好きだ。
タンクの運転で近くの老街へ。
龍山寺、僕はその駅でオーストラリアで出会った友達と待ち合わせをしていた。
そういえば俺、龍山寺で何を祈っていたっけ。
俺この頃なにを願っていたっけ。
その後、台北でいうとこの渋谷、西門のあたりをぶらついて観光した。
俺とシャオで少し道を歩いてゆっくり話していた。
シドニーで一緒に新年の花火を見た仲だけど、その思い出ももう遠くに行っちゃった。
タンクが俺をバイクのケツにのっけて興仁花園夜市に連れ出してくれたこともあった。
日本では「徐行」って書いてありそうなところに、向こうでは「慢」って書いてある。
真っ暗な道を通ってタンクが俺を夜景がよく見える丘、虎頭山環保公園へ連れてってくれた。
サラとペニーと淡水老街へ遠足、懐かしがっている場合って奴なんだ。
何の気なしに入ったスタンプがたくさん貼られている店。
そこには「幸福」「健康」「快楽毎一天」と書いてあった。
なんとなく気持ちがわかる僕がいる。
淡水、僕はここにいるよ。
淡水に架かるラブリーな橋を渡る、沖縄へと続く濁った海が見える。
僕等は渡船場からボートに乗り込んだ。
今から僕等が歩いてきたこの道をボートで戻る。
波しぶきをたててボートは進む。
こんな体験をさせてくれる僕の友達、ペニーとサラに感謝している。
一人で桃園を歩いたこともあったな。
頭上を何度も飛行機が通った。
遠くに台北タワーが見える。
サンゴと絆、そしてミンカップルと会ってみんなで海鮮飯を食べて、青島ビールもみんなで飲んだ。
サンゴと台北駅で待ち合わせ、俺達は『千と千尋の神隠し』の映画の舞台になったんじゃねーかとも言われている九份へと電車で向かった。
基隆っていう駅に着いた。
車内ではサンゴとくだらない話をしていた。
同い年だから、話しやすい。
あいつはあいつで宿を経営しているらしいけど、たぶん儲かってない。
でも親がお金持ち臭くて笑える。
ミンが駅まで車で迎えに来てくれた。
それに乗って、九份を目指す。
台湾は左ハンドルで、日本とは逆サイドを車が走る。
僕等は田舎道を通り、街から外れ山の方へどんどん入って行く。
九份に行く前に、「サンドアート」のイベントが近くで開催されているらしく、そこへまず行くことにした。
台湾の田舎の光景が好きだ。
ゆったりと流れていく時間。
気持ちがほっと緩まっていく。
これから、いよいよ九份に向かう。
ミンがローカルならではの裏道を知っていて、そこに車を停めたりする人はかなり稀だと言う。
さすが、やはり持つべきものは友だ。
時間がそれを引き離しはするが、ありがたく思う。
僕等は運よく車を停めることが出来たけど、すぐ後に来た車は停める場所が無くて困っていた。
運が良い時は、運が良い事が連続して起こる。
いつかどこかのガイドブックかなんかで見ていた場所にいる。
いつも不思議な気分だ。
裏路地を抜けていくと洞窟のように窪んだ箇所があって、そこの壁にたくさんのいたずら書きがあるんだけど、そこには「人生を楽しむ」って書いてあった。
僕等はまだまだ九份の細い道を抜けていく。
ミンが全部案内してくれている。
帰り道、ジブリの映画『千と千尋の神隠し』のモデルとなったと噂されている小さなトンネルをくぐった。
ミンの地元のナイトマーケットまで案内してくれた。
日本のど田舎の祭りに来たような感じ、やっぱり台湾好きだなぁ。
ありがとうミン。
九份、めっちゃ満喫したよ。
そして台湾。
そして全ての人々。
僕はタンクの家へ帰ろう。
家に着く前にタンクに連絡し、「ガチャ」っとドアを開けて迎え入れてくれるタンクよ、そしてタンクの家族のみんなにもありがとう。
俺みたいな旅の男を支えてくれて本当に助かってる。
あなた方のおかげで旅ができる、いつか大きく恩返しをするよ。
俺の誕生日の夜、桃園でタンク、サンゴ、チュチュ、キンバリーそんなキュートなメンツに呼ばれて俺の誕生日会があったんだ。
みんなでケーキも食べてなんて幸せな男。
持つべきものは友達だという事。
それが一番大事。
いくらお金があってもそれで幸せとは俺は言えない。
今までに出会った友達がいなきゃしょうがない。
休みがあった日、俺はサラとペニーと共に新埔の秋茂園という台北から少し離れた場所に遊びに行った。
秋茂園の隣には海が広がっていてさ、そいつを眺めに行った。
楽しい時はすぐに過ぎて、帰りの事は全く覚えていない。
きっと俺達、電車の中で寝ちゃったんだろな。
なぜだか、桃園の駅で台湾を南に下っていく電車を待っているプラットホームを僕は懐かしく感じた。
どこか昔の日本に迷い込んだかのような不思議な気持ちにさせた。
これから俺の台湾の旅が始まってく。
うきうきが半端ない。
幾つになってもこの気持ちは忘れずにいたい。
嘉義、阿里山へと続く電車が走る街。
タイソンが嘉義の街のドライブに連れて行ってくれた。
台湾の人達は大人も子供もみんなピュアで可愛い。
別の日には昔の電車を観に行って、木でできた電車に乗ったりした。
変なおっさんのバイクのケツに乗っけてもらったりしたなぁ。
その人はゾイのバッパーで働いている女の人の旦那さん。
どんだけお客との境界線がないんだって話だよ。
初めて会ったおっさんのバイクのケツに乗って観光って。
ないだろ!
笑えるっしょ。
この日は嘉義公園に散歩に出た。
旅は僕の心を洗う、もうとっくに綺麗になったのに、まだ洗う。
檜で出来た家、映画になった『KANO』の小さな博物館にも行ったり、嘉義の街の刑務所も観に行ったりした。
ゾイのバイクの後ろに乗って嘉義の古い歴史ある街を散策した。
築50年のアイス屋、アイス売るだけでよくもまぁそんなに長く経営できたもんだ。
見た感じどっかの誰かの実家、ただの一軒家だったもんなぁ。
その後ゾイのバイクの後ろに乗って大きな橋を越えて、大きな嘉義の夜市に行った。
ゾイとタイソンと一緒に、阿里山を目指そう!
車窓から見えるのは台湾の田舎の風景。
途中の山間の奮起湖駅で降りることになった。
いつかの台風の影響でここより先、阿里山までの線路が塞がってしまっていて、バスじゃないと移動が出来ないらしい。
「ふぅ、困ったもんだ」僕等はバスを待つ。
樹齢何年程だろうか、とても年老いた森を歩く。
苔がいたるところに根付いている。
ゆっくりと地面を、そして木々を濡らす苔に含まれた水分が潤いを保っていた。
セミの抜け殻が遊歩道の手すりに置き去りになっていた。
生き物の産声が聞こえてきそう。
この森は生きている、再生を続けている。
阿里山から戻り、人里で台湾のスパイシー鍋を三人で食べた。
野菜が豊富で健康的で美味しいやつ、これもとても幸せな経験。
夜を越えてホリデーは続く。
ゾイが仕事を休んで、タイソンと共に俺の事を温泉地に連れて行ってくれることになった。
僕はとても尊い経験をしているに違いなかった。
温泉の中に溜まっている泥を顔に塗りたくって泥パックもした。
今思えばすげー汚いんだろうけど、もうどうでもよかった。
温泉街を出て僕等は海岸線に向かう。
どうやらここらで有名な海鮮市場があるらしい。
オーストラリアで言う「フィッシャーマーケット」そこに行って早速台湾ビールを飲む。
嘉義にある北回帰線、北緯23度っていう有名な地に行ってきた。
何を話していたんだろう、僕達には思い出があった。
それって忘れちゃったりするけど、その過ごした時間も大きな時の流れの中で微かなものになって行ってしまうんだけど、それは僕にとってはかけがいのないものだったりして、毎日が光の中にいたようなもんだ。
夜に別れを告げて、朝が来る。
毎日是の繰り返しなんだ。
旅はどこまで続くんだろう。
僕は電車に揺られて台湾の南にある街、その名も台南に辿り着いた。
今日はアシュリーの兄貴の家に泊めてもらえるらしく、アシュリーと落ち合うことになっているんだけど、まだまだ時間が早くて、荷物をもって移動するのはちょっと辛い。
それからアシュリーのバイクのケツに乗って夜市へ、そしてバーへと連れて行ってくれた。
台南でもハッピーは続くみたいだ。
アシュリーの仕事場の友達も合流してみんなで飲んだ。
とにかくアシュリーのヘルメットの柄が「キティちゃん」で可愛かった。
台湾の人のウェルカムモードは日増しに上がっていく。
僕たちは車で緑色隧道という、要は日本でいう渡し船に乗れる場所へ行ってきた。
その後はまた一人新しい友達が加わり、四人で国立台湾歴史博物館へ行った。
希望のともしびが灯った頃、日本では何が起きていたのだろう。
台湾も、日本もとても近いものを感じる。
自分たちの隣国、近所の国なんだから仲良くして当然と言いたいが、そんなことばかりじゃないってのも十分知ってる。
争ってばかりだ、でも台湾は違ったね。
「暗闇に光を灯す」こと、これはとても大事な事だ。
それから、また数日前にゾイとタイソンといったフィッシャーマーケットに連れて行ってくれたんだ。
市場見て回って帰ってきて終わりかと思いきや、また新たな友達と合流し始めた台湾の方々。
どんどん人が増えて行く。
スーパーの前で合流し、どうやら今日はバーベキューが行われるとの事。
なんていう上手なタイムテーブルだ。
誰だ、どこかに作家さんでもいてこのストーリー書いているんじゃないか。
すごい一日一日が濃いぞマジで!
バーベキュー会場の田舎の家に移動したっけ、その人達もアシュリーの友達だったんだけど、みんなオーストラリアで「ワーキングホリデー」していたらしくて、すぐに意気投合出来た。
台南の観光中心はだいぶ見て回ったようなこと言っていたなぁ。
それからみんなで台南のローカル路地裏とかで賑わっている系のお店に飯食いに行ったんだ、終わらない宴。
喧噪を離れた小粋な隠れ家のようなバーで、台湾ビールを飲む。
いい思いしてんなぁ。
台南のみんなにビッグハグ!
新しい土地に降り立つ時の高揚感は今だに好きだ。
やけに青く澄んだ空が広がっている。
高雄の街は僕の事を待っていたみたいだ。
時間は誰のものでもなくて、ただただ平等に流れていく。
バッパーに鞄を置いて蓮池潭湖畔って言う観光地へ行くことにした。
そんな時、地元の屋台で道を聞くと、どこからかその声を聴いたおっさんが現れ、俺を瞬く間におっさんのバイクのケツに乗せ、バイクは走り出す。
あの時のおっさんは僕に微笑んで夜の闇に消えていった。
そこから夜の街を愛河沿いに歩いてバッパーまで帰った。
ぬるい高雄の哀愁が僕に覆いかぶさる。
高雄からフェリーに乗って、近くの旗津半島まで観光に行くことにした。
俺も島に付いたら自転車借りてさ、それでふらふら島回ってみることにしたんだ。
真っ青に晴れた空に高雄の街はよく似合う。
バッパーでは子猫と戯れて遊んでいた。
その後、仲良くなった宿主のジェイソンと、その姉ともう一人の旅人と一緒に高雄の愛河にドラゴンボート大会を観に行って、川沿いで缶ビール空けてっていう感じでなんかもう最高にローカルの旅を味わってしまった。
「バナナが黄色くなった、みんなと仲良くなった」
もう愛河の周りはお祭り状態。
おもちゃみたいな乗り物が走っていたり、仮面が売られていたり。
日本の夏祭りが懐かしいな。
俺達も輪投げとかやったりして遊んでいた。
そんなこんなで実は一日だけ、高雄にいる間に屏東っていう近くの街に遊びに行ったことがあるんだ。
屏東の街に着くと、シドニーで出会ったサマーの弟ヨガが僕の事を出迎えてくれた。
サマーに台湾を旅することを告げると、「ぜひ私の弟に会ってって」と言わんばかりに、サマーの地元も旅するように勧められた。
ヨガのバイクのケツにノリながら、さらに南の海沿いの街を目指した。
バイクで風を切るのはとても気持ち良い。
果物かき氷を食べた後、僕等はカフェに入った。
ヨガの親戚のおばさんがこのカフェ兼ケーキ屋さんで働いているんだってさ。
そんでさ、ゆっくり何話したっけ、そうだ、ヨガが今度またオーストラリアで暮らすって話してた。
そんな未来を彼は今生きてんだもんな。
昔、線路があったというこの場所は今では見る影もなく雑草で覆われていて、ラジコンが地面に無造作に置いてあったり、何かが少しずつ変だ。
この違和感、小気味いい。
人が居ないと「時」は止ってしまうのだろうか。
その後も屏東にあるっていう古い建築が今でも残っている三級古蹟っていう名所に行ってきた。
どこからともなくおっさんが現れて、僕らの事を案内してくれた。
僕等はまだ、台湾の古い歴史ある家周辺を探索している。
めっちゃゆるい屏東の旅、ヨガのバイクのケツに乗って真っ暗な夜道を潮州駅まで向かっていく。
高雄も屏東も経て、今俺は高雄のバスターミナルにいる。
ここから向かうのは墾丁っていう台湾の最南端に位置するリゾートだ。
こっから先の事なんて全く空っぽ。
白紙、もちろん泊まる宿なんて取ってない。
とにかく行くのみ、文字通り行くだけ。
その先どんなに困ったことがあろうとそんなことは問題じゃない。
どうにだってなるし、どうにだって出来るはずだって勢いをこの頃持ってた。
「君達はどこに行くの。僕は墾丁に行きたいんだ、海を見たいんだよ」
一人から一気に旅のパーティーが増えた。
カナダのDJとそのタイワニーズの彼女そして、セクシーなアメリカンギャル。
墾丁の海は超綺麗でさ、初日は案外小さな浜だったんだけど、それでも十分楽しめたし、日にも焼けて気持ち良かった。
もうその日の夕暮れが僕等の影を伸ばしていて、一切の不安なんて、この時はその日の宿の事だけど、なくってっていうか考える暇もない程に充実していて、マジで最高のタイミングで台湾に来てんだなって感じだった。
あのバスで会った三人組とは、墾丁の道路の上で別れた。
こっからまた深い夜の話になっていくんだけど、ビッキーの大学の友達の婆ちゃん家でBBQ、車で田舎の道を走ってってたどり着いた。
近くのスーパーで買った食材持ち込んで、ビールもがっつり飲みこんで宴はいつの間にかスタートしていた。
あぁ、こんなローカルな体験ってもう二度と出来るもんじゃない。
この価値は値段なんて付かない。
お金じゃ買えない経験している。
たくさんの人と出会い、別れ、また再会する。
眠くなった順に二階の部屋で雑魚寝出来たから、俺もいい具合の時に眠った。
ほら、宿とってなくて良かったっしょ。
墾丁の宿なんてあの時期どこも満室で入れなかったと思う。
ニカと、ヴィッキーとジェロームと僕の四人で近くの旨いと言われている飯屋に朝飯を食べに出掛けた。
それからニカの運転で墾丁へ、昨日のBBQのメンバーとも合流して、海辺でリラックス。
可愛い子達の水着が近くて、少しあいつらと行く白浜を思い出した。
少しして僕等はBBQ組とは別れて別の浜へサーフィンをやりに出かけた。
簡易シャワーで砂や、しおっけを落とした後、僕等は車でまたドライブで台湾最南端の岬へ行く。
日が暮れかかっているけど、黄昏てる暇もない程に楽しんでいる。
あの時見た海の向こうは遠く今度はフィリピンまで続いているんだろうか。
夕暮れに照らされている僕の頬を風がさすっていく。
あっと言う間に日は暮れて、夜のとばりが落ちる。
一日を体感するのは、やっぱり一日かかる。
僕はまた、こうして思い出の中を旅しているのかもしれない。
ファインダー越しに乱反射する信号の光が眩しい。
僕等は墾丁の夜市にいた。
墾丁の夜は更ける。
僕らもそろそろ帰る時間。
彼らは台南に帰る。
僕は何も決めていない。
ただ行くところは次の街、台東。
そこまで出ている電車ももうない。
ビッキー達が僕を高雄まで送ってってくれるみたいだ。
僕を送ってくれた台湾の友達にお別れを言い、僕等は別れた。
その後、ニカは、その時の彼女と結婚したらしい。
ヴィッキーとジェロームは今でも付き合っているみたいだ。
この夏の話が出るかどうかはわからないけれど、僕は遠くから嬉しく思っている。
そんな幸せが届いているのか、夢の中。
今日の空も気持ちのいいブルー。
もう何もかもが過去の事、あの青い空の向こうに吸い込まれていった。
どんどん台湾に惹かれて行ってしまう。
このゆるさ、あたたかさ、田舎さ、そしてダサさ、すごくよい。
台東のバスターミナルに着いた。
こっちの方が街は賑わっている。
なんか日本と変わらないくらい居心地が良かった。
あっと言う間に夜が来て、宿で借りたチャリこいで夜市へ。
近所の寺の脇にチャリ停めて散策。
屋台から何かを焼いた後の煙が上がっていいにおいがする。
パジャマでお出かけとか、洒落てる。
かっけーよ台湾の田舎。
そうだ、夜に宿に戻ると、宿の人達家族がみんなで飲んでいたから、俺も混ざって乾杯した。
そういう緩い感じが旅人にとっては心地いもので、地元の人とのふれあいや、その土地の話が聞きたかった。
台東の街は提灯に照らされていた。
明けて、僕はバスの中から遠くの山をみていた。
台湾には雨季はあるんだろうか、雨が降って水かさが増えたら川も潤うだろう。
僕が乗った観光バスは知本森林遊楽区という公園に到着した。
初夏を告げる虫の声を聴いて、緑色の葉っぱをつけた台湾の植物に囲まれている温室の中へ。
猿が僕と出会う、子ザルが興味津々にこっちを見ている。
木々が奏でる音は、猿が躍って跳ねている音だ。
ハイキングでの疲れを癒しに知本の温水プールに入って少しのんびりした後、バスでまた街まで戻って、今度は宿で自転車を借りて台東海浜公園までこいだ。
ひたすら海の風を浴びて走っていた。
台東を巡って気持ちは穏やかになるばかり、少ない出会いも大切に、その気持ちは持ち続けていたい。
台東では自然物ばかりと話していた。
だから風の中にしか文字も何も残ってない。
あの時感じたことはあの時に発するのが一番だ。
ここでは、過去現在未来が混ざる。
風を切って、突っ走って、どこまで行くの。
声も届かなくなる。
ゆっくりお休み、それからまた僕と話をしよう。
声がしていた、僕を呼んでいた声の方へ、そして花蓮へ。
サンゴが少し遅れてやってきた。
台湾でニケツはヘルメットを被ってれば特に何も言われないようだ。
風はぬるく頬をなでてく。
野犬が俺達を追いかけてくる。
サンゴよ、もっとスピードを上げないと噛まれたりしちゃわないのかい。
干乾びた川を望む橋の上、三面張りコンクリートなんかじゃないリアルな川。
一面生い茂った緑をした濃い土地の先、黄色い花が咲いていた。
僕は、見上げる。
透かして空も見えて、蜘蛛の巣が幾つかちらほら。
黄色い花が地面に落ちて山奥の道は一面黄色くなる。
僕等は山を登ってく、白い花も咲いている。
名前のわからない虫達。
ざわざわしている森の奥に瀑布があるらしい、その名も鳳凰瀑布。
滝を見上げていると、どこから水が落ちてくるんだろうって思う。
水飛沫が肌にあたって気持ちいい。
岩はずっと濡れて、苔はそこらに生えてる。
サンゴはここにきてもスマホのゲームをやっている。
俺は澄んだ水の中に足を突っ込んで、泳いでいる小さな魚を目で追った。
蝶々が野花の蜜を吸っている時、命の大事さを改めて知る。
緑の葉っぱが枯れて地面に落ちて、腐って行って土とか、雨が降って泥になってって。世界はそうしてくるくる回ってんだ。
休憩にサンゴとかき氷を食べて、また僕等はバイクに乗っていく。
自然に抱かれていく生活にももう慣れた。
あぁそうだ、なぜかサンゴと舞鶴林間農業区の瑞穂牧場にやってきた。
忘れないように、忘れていても、これからさらに忘れて行っても、忘れていたことも、夢の中の事は忘れていてもう書けない。
サンゴの家でサンゴの友達が集まってきて宴が開かれたことがあった。
僕等は北回帰線標誌公園にいて、他数人の旅行者もいた。
俺の日焼けした肌がひりひりしてる。
そこにも光は射していて雲の合間から地面に落ちてく。
今僕らには海が見える、このままどこまで行くのか。
沖縄よりも南の青く澄んだ海が見える。「俺たちの夏」の時の伊豆の海を見ているみたいに切り立った大地の上から遠く夏の中にいる海を見てる。
サンゴが連れてきてくれたところは古い舊長虹橋。
世界は今日も僕らを乗せて回っている。
北回帰線の近くの古びた漁港をツーリングした。
いつか見たあの海の向こうに俺はいるのか。
しばらくすると僕等は小さく錆びれた街へ着いた。
ここでバイクの修理が行われている間に僕等は軽く腹ごしらえを向かいの小さな弁当屋でした。
空気には何の音も含んでいなかった。
ただ、たんたんと時だけが西日に射されていた。
目の前にはサンゴ、俺がパースでデミペアしていた家の仕事がなくなって、年末に急に家が無くなった時、飛び込んで入った台湾人ばかりが住む家で、同い年ってのもあって仲良くしてくれて俺に食料をたくさん分けてくれた、とってもいい奴。
お天道様は山の向こうに輝き、雲の向こうに落ちてった。
山肌は照らされて、影は薄く伸びてだんだん静かに夜の中へ。
真夜中、真っ暗な田舎道へサンゴと星の写真を撮りに行った。
僕はサンゴの友達とかと7、8人で銅門の東部發電廠付近まで出かけて行った。
近くの湖を眺めている僕達。
翡翠谷の奥、真っ暗な洞窟を進んでいく。
空気は流れている、出口はある。
洞窟の終わりにはホコリがまっていた。
もうこれらは全て過去に流れてしまって、これからまた台北に向かおうとしているなんて夢みたいだ。
僕等は言葉数少なく海沿いを北に進む。
やがて夜はきて、バイクのクラクションに包まれる。
僕は再び台北にいた。
そうそう、花蓮から着いた日、そういえばサンゴの友達は俺の事をシャオの家のマジ近くまで送ってくれた。
夕方にはシャオの親父のバイクの後ろに乗って近くの台北を一望できる丘まで行って夕暮れ眺めたね。
俺はタンクと待ち合わせて家まで行った。
タンクの家は広くて、じいちゃん婆ちゃんは日本語少し話せるし、とっても暖かい家族だった。
台湾の家族も好きだ。
もう少しで日本に帰るっていう夜にサンゴと、ペニーと、墾丁で会ったテレサと一緒に台北の品田食堂でとんかつを食べた。
空港まで俺の事を送ってくれたタンク。
まじでありがとな、またいつか会えるだろうか。
台湾には七週間いた、その間に台湾を「ラウンド」する事も出来た。
もうこの時点で次の目標っていうか、目指す場所ってのはイングランドに決まっていた。
それがどうなるのかなんて誰にも分らなかったんだ。
俺には一筋の「光」が見えていた、という、なんていうか、そういう感覚。
感じていたこと、信じてみたい。
それがこれまでと、これからの話になる。
この胸の鼓動が鳴っている限りはかましつ続けていきたい、もっと生きまいていこう。
僕にはたくさんのエネルギーが満ちていて、感謝のオーラも纏った、勇気もある。
もっともっとってまだなにかが聞こえる、ヨーロッパが俺を呼んでいる。
ロンドンコーリングだ!
第五章 ヨーロッパ編
the U.K.編
The United kingdom and Northern Ireland グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
イギリスへ飛んでから先の事なんててんで見えてなかった。
でも確実に運命は俺をそっちに導いていた。
喜びの溢れる方向へ顔を向けて、においをかいで、たまに振り向いて、ゆっくりでいい。
全く無理な事なんてないんだから、ゼロじゃない。
やっぱりこれは夢だったのかもしれない。
「100%勇気」で、ぶっ飛んでくるってんで、ロンドンに飛んでく為に成田空港へ向かった。
胸はドキドキしていたし、どこまで跳ねれるのかもわからなかった。
二度と戻って来ない「一瞬」にかけてる。
成田空港でバックパック背負いながら、はらはらわくわくしてたのを覚えてる。
飛行機の窓に雨粒が垂れる。
いつ戻ってくるのか分かったもんじゃない。
体は、心は、脳みそは、俺のバックに背負っているもんもまだ離れていなくて、意志も留まってくれてる。
どこにもいってない、俺はここにいる。
高速で動いていても感じる、向かうべき道に光は射してるって言い聞かせてないとやってられない。
国を越える時、いつもバンドでステージに立つ前くらいに興奮する。
ヒースロー空港からロシアで決めたバックパッカーズホステルに向かう。
旅で鍛えた勘を頼りに電車を乗り換えて、どうやら今日泊まるホステルの最寄りの駅に着いたみたいだ。
ご飯を食べに行くついでに、街の中心まで歩いてみようと思う。
道路脇の電話ボックスの横を二階建てのロンドンバスが通っていく。
僕はまず宿の近くの「ビートルズ」のジャケットで有名なアビイ・ロードに行ってみることにした。
二階建てのロンドンバスが目の前を通り過ぎてゆく。
赤い車体、楽しそうな観光客を乗せて今日も走ってる。
ロンドン塔の隣にはテムズ川が流れていて、橋の上からそいつを見てた。
僕はいつの間にか大英博物館の前に来ている。
頭上にユニオンジャックが揺れていた。
外に出て、ピカデリーサーカスの近くを歩いて回ってみた。
行楽シーズンのロンドンはどこを歩いても人だらけ。
ランドマークのエロス像周辺に溢れている人達。
コヴェントガーデンまで来た。
やたらと機材を持ったバスカーが奏でるミュージック。
抜けるような夏の青い空、ロンドンにはテムズ川が流れる。
「ピーターパン」も昔は飛んでいた橋の上から船が行きかうのを見ている。
ブロンドのお姉ちゃんの大きな背中を見ながらロンドンブリッジを渡り、橋の上からテムズ川を眺めよう。
サングラスに映った白い雲。
シティクルーズが川を渡っていく、僕にはなんにもできないのかもしれない。
僕は風みたいなもんで、誰も僕を気に留める者はいない。
知っている人が誰も居ないユニオンジャックがはためく街に来ていた。
この全ての旅には意味があったってことを、それをただただ信じていたい。
宿に戻って狭い小さなベッドで微かな安らぎと共に眠ろう。
希望を胸にそっとしまってる。
落とさないように、零さないように、盗まれないようにそっとしてる。
朝起きたらUK第二の街、バーミンガムへ。
僕の旅に少しでも共感してくれていた人はいたのだろうか。
わからないまま時は流れて、そいつはただ時間だけが教えてくれる。
どこに行くかもわからないまま夢の中を生きるように列車の中から外を眺めていた。
オーストラリアにいた頃に描いた未来の上をなぞっている。
ロンドンを少し離れるともう街は遠く、窓の外は牧場の様な景色が続く。
これがロンドン郊外なのか、東京の郊外のように所狭しと家が並んでるわけじゃなかったんだ。
そして、僕はバーミンガム駅に降り立った。
外では小さな雨が降っていた。
小雨で冷え切った体を運んで、線路脇の錆びれたバッパーにチェックインをして、最上階にある食堂から雨に濡れた街をみた。
バーミンガムのそっけない街並み、灰色に曇った空を見上げながら中心地まで戻ってみた。
街の中心を流れる運河をみて勝手に感動していた。
運河を横切るボート。
近くのベンチでのんびりと何か考え事でもしてそうなおっさん。
街を歩いている時、今までの事やこれからの事に考えを巡らす。
僕はわかっている様で、何にも掴めていなかった。
歩いてきた道のりも、巻き上げた砂埃も、風に吹かれて消えて行ってしまう。
目の前にはリヴァプール大聖堂がそびえ建っていて、いつの間にかそこを目指して歩いていた。
バッパーに戻って、上のベッドでぼーっと天井を見上げて自分と向き合ってみた。
何もかも、持てない。
真っ青な空、なぜだか電灯にはまだランプが灯っていた。
伸びた影に僕は包まれる。
大聖堂に吸い込まれていく。
教会の中から今の僕へ。
窓から差し込む光の眩しさに射されていた。
何が見えていただろう。
何をこの世に残したんだろう。
大聖堂を出て敷地内を散歩してみる。
とても晴れた気持ちのいい日。
オーストラリアの事を少し考えた。
いつの日にか戻ることがあったとしても、もうああいった瞬間ってのは戻って来やしないんだ。
俺は輝く明日へ歩いて行けてんのかなぁ。
ビールを片手に音楽を聞いたり、そんなことを繰り返している。
キャヴァーン・クラブっていうパワースポットがマシューストリートにあって、そこは昔「ビートルズ」が演奏していたっていう場所だ。
キャヴァーン・クラブの前でケリーとテリーと合流してリヴァプールの街へ飲みに出た。
相変わらず何言ってっかアクセント強すぎてよくわからなかったけれど、楽しかったんだ。
僕はまだ旅の途中で若かった。
世界は広がり続けてる。
微かなもの、いつか脳裏をまたかすめるから。
ケリーと、テリーと飲んだ最後の店はザ・グレイプスだった。
Republic of Ireland アイルランド
空港に着いてからはダブリン市内へ行くバスの往復チケットを買った、たぶん20ユーロもしなかったんじゃないかな。
バスに揺られて市内へ、宿もまだとってなかったもんだからどこで降りていいのかもわからない。
宿の部屋には人がいっぱいで一日しか泊まれなかったんだ。
やけに大きな部屋で、荷物を置いてから街に出たんだ。
街の何でもない風景が僕の旅の景色になっていく。
別に有名な観光地でなくてもいいんだ。
セイント・ステファンズ・グリーンパークという所に来た。
緑の木々や、池があってとても綺麗に整備されてる。
緩やかに時間は流れる。
そこはメガンが働いてたTGIFっていうレストランのすぐ近くだった。
街ゆく人たちは半袖よりかは、長袖を着てる人の方が多い。
少し寒かったんだ、そんな季節を通り過ぎてく。
街の中心地にすっごいほっそい柱が一本建ってんだ。
ダブリンキャッスルやダブリン教会にも見学に行った後、メガンとTGIFで会って一緒にご飯を食べたんだ。
僕はギネスを勧められたからそれを飲んだ。
本場のギネスは、二度注ぐ。
あくる朝はゆっくりと朝食を食べて、空港までのバスに乗っていくはずだったんだけれど、バス乗り場でパレードが開かれていて、バスが絶対に停まれなくなってる。
同じようなスーツケース引っ張ってる旅行者を見つけて、「ねぇ空港へはどうやって行ったらいいの?」なんて聞いて、そう。
僕はこの旅でものすごくたくさんの人の声を聞いた。
だいたい助けてくれる。
彼らが導いてくれてる。
だから僕は今ここにいることが出来てる。
Scotlandスコットランド
エディンバラの空港に着くまでの淡い夕暮れの雲の向こう、どこかの国の上の空を見ながら瞼を閉じて想ってた瞳の奥の底の、どこでもない所で見てた夢の中に今までが詰まってんのかもしれないし。
ぼやけた夕暮れ。
青ざめた朝みたいな夕暮れ。
空っぽのプラットホームの向こう、鬱蒼としてる林の向こうの丘の上ではエディンバラ城がライトアップされていた。
坂道が多い街だから階段も自然と多い、中腹に腰かけるいい年こいてるおっさん。
膝を抱えて頭沈みこませて、なんかあったのかい。
音楽を奏でるどこかのバーからアコギの音がこだまする。
お前にも、なにか一つくらい胸張れるもんあんだろうな青年!
石鹸こするか、それともお湯だけか、とにかくダブリンから染みついてる空気や汗をエディンバラのちっちゃなバッパーの相部屋のシャワー室の排水溝へ流す。
坂道の向こうの眩しい光の中、道路脇にゴミ箱が忘れられたように置いてあった。
腰パンしてる奴の後ろをついて行く。
真っ赤な電話ボックスが二個並ぶ。
もう本当に誰にも届かない。
その回線みたいに使われなくなってる。
ただただ忘れたくないだけ、でも追いつかない、とっくにおいてけぼりのエディンバラの思い出、なんだか無性に虚しくなる。
エディンバラは今日も真っ青な空してんだろうか。
橋の下から見上げて、見えたものは青空だけだったか、はたまた真っ暗闇か。
何処にも辿り着けちゃいないのに、どこまでも街も線路も続く。
新しい街と古い街を繋ぐ橋。
エディンバラの街を颯爽と歩くのは、何処にも留まれないから。
僕は観覧車を見上げてる。
台湾人のエリックと合流し、もう一つの丘、アーサーの玉座を登ることに。
エリックもスコットランドで英語を勉強して頑張ってんだろうから、俺も頑張らなきゃ。
大学が開催しているバザーの様な所を歩く僕。
人工芝の上、ベビーカーにのる赤ちゃん。
フリンジフェスティバルに参加する大道芸人。
それを見てる群衆。
そのなかの一人。
そいつは旅をして、今は東京で暮らしてる。
陽は今日も傾き始めてる。
この街にもたくさんの歴史がある。『ハリーポッター』が書かれたエレファントハウスと言うカフェに入ってコーヒーを飲む。
街の教会のイスで一休み、そろそろ僕はJDに会いに次の街に行く。
宿に戻って、ロシアンガイと談笑して打ち解けた後、一緒に花火を観に行くことになった。
城のバックに花火が咲く。
日本の花火とは違って質素だ。
花火の煙は遠く旧市街へ流れて行った。
短い夏ももうすぐ終わるし、フェスティバルも終わる。
僕もここの土地を離れる。
僕はケアンズで出来た友達、JDの地元ニューカッスルへ旅に出る。
国を越えて、街を越えて。
この頃に確かなもんなんて何もなかった。
The United kingdom and Northern Ireland グレートブリテン及び北アイルランド連合王国
青空の下、ニューカッスルの街に着いた。
JDが駅前で俺の事を拾ってくれた。
途中に変なでっかい両腕を広げた「エンジェル・オブ・ザ・ノース」っていう彫刻があった。
そこからJDの家にいって、JDの弟サイモンも一緒にみんなで飯。
JDのママキャロルにもだいぶお世話になった。
天気はぐづついた曇りで、雨はまだ降ってきてない。
キャロルに連れられて近くの宮殿跡地みたいな所へ来てる。
キャロルと一緒に花を見た。
この日は涼しくて僕はスーパードライのジャケットを着てる。
サンダーランドでも何も掴めない。
一階のソファベッドで寝かせてもらってた。
曇り空の下、サンダーランドの街を歩いて結局モウブレイガーデンに来て一休み。
ふぅ。
明日はきっといいことがあるはず。
金曜日の夜はJDとサイモンと飲みに行った。
土曜日、どんよりした雲の下の昼下がり、二日酔いのだるさ引きずってJDとサイモンとクリケットを観に行った。
今でもありがたいって思う。
俺の家にも誰か泊めても全然いいって思えるようになった。
JDの母ちゃんキャロルありがとう。
土曜の夜、クリケットを観に行った後にサイモンとサイモンの彼女のパーティーに参加したんだった。
なんかリアルイングランドに触れてた。
超天気のいい日曜日、JDとキャロルと郊外のバーナード城やらハイフォース滝やらを見にお出かけ。
この町に生まれ育ってたら、どういう人生を送る事になるんだろうね。
車の窓からイングランド北部の平原を見てる。
川面に太陽が反射して、向こうには滝が流れてる。
緑の平原に包まれ、川辺の小さな岩を見ていた。
JDが鍵を失くすハプニングがあったけど、程なくして河原の草の中でそいつは見つかった。
そんなこんなで、快晴のまま僕等は帰路に着く。
サンダーランドを経て、海の見える街まで。
静かな海でフィッシュアンドチップスを食べよう。
小さな泡をたてる砂浜に伸びる影、そして文字は流されていく。
「HIRO MOM JD OK」僕らの名前、流されていく。
月曜日にはダラムに向かってる。
JD家族と別れの挨拶をして、僕の足はダラムへ。
丘の上にダラム城とダラム大聖堂があるから、向かった。
世界遺産に登録されている歴史ある場所らしい。
斜めに伸びる坂、今でも馬が走っててもいいくらい雰囲気がいい。
道端に花が咲いてるし、静かで心地いい。
ブラックプールに行くバスを待つ間にコーヒーを飲んでたのを覚えてる。
バスステーションからブラックプールのシンボル、ブラックプールタワーが見える。
僕はバックパックを担いで地図に目を凝らす。
時間が少し巻き戻ったようなそんな小さな街だった。
アイリッシュ海が目の前にあってさ、僕はこれから手伝うことになるロッジのドアを開ける。
そしてソファにゆっくり腰を下ろす。
コーヒーをくれたのはヒューゴ、ブラジルから旅をしてるいい奴、そんでギターを弾いて歌う。
僕等、時間があったから一緒に街をてくてくと歩いた。
海沿いのプロムネードの陽が暮れていく。
ロッジと海の間をトラムが走る。
ブラックプール、なんてのどかな街なんだ。
僕達は中心地から少し離れた楽器屋に来ていた。
僕はヒューゴがギターを弾いて「バスキング」をしてるって話を聞いたから、俺もしたくなって「ベビーカホン」を買った。
バスキングをしたら資金はすぐに回収出来た。
後は、少ないけど儲けだけ。
そして今日も日が暮れていく。
僕等は海辺の前の石の横で音楽をする。
イングランドで一番長い時間を過ごした街、ブラックプール。
コーヒーの味。
「LIFE WITHOUT LIMITS」途方に暮れてた。
旅の中で息をして、季節をいくつかやり過ごした。
これからの新しい日々に、一歩歩き出せますように。
出会ったみんなとの思い出を大事にしたい。
何度もテラスでコーヒーを飲んで、何度もそこから夕陽を見た。
ヒューゴとバスキング。
まだ街は明るい。
路上で演奏してる32歳の俺と、33歳のヒューゴ。
ロッジで借りた自転車に乗って今日は隣町までサイクリングをしよう。
だんだん観光地から遠ざかって行く。
たまに最新のトラムとすれ違う。
真っ青な空の下、景色を遮るものがないアイリッシュ海沿いを自転車はゆく。
今でもヒューゴは元気だろうか。
ブラックプールで秋のフェスティバルが開かれて、週末ごとに花火が上がった。
ロッジの洗濯機とか乾燥機が懐かしい。
そこでよくみんなで夜な夜なカードゲームをして遊んだ。
窓から明かりが入ってくる狭いシェアルーム、ドアの裏の洋服掛けとフックの事とか思い出せる。
何でもない思い出が何の気なしに脳裏をかすめる事がある。
一緒にロッジを手伝っていたコリアンのジヨンと近くの街、ランカスターまで一緒に行くことになった。
ランカスターの街を歩く、ランカスター城やら教会やら本当に古い街並みが残ってる。
落ち葉が車の上に落ちてる。
ジヨン越しのルーン川もいい感じだ。
水面に浮かぶ落ち葉が秋の訪れを教えてくれてる。
遊歩道にはリスがいてさ、ちっちゃい体して木に登ってるの可愛かったんだ。
いい感じに落ち着いた気楽な日帰り旅だった。
ジヨンと何を話してたのかもわからないし、ランカスターはこんなゆるい感じ。
またブラックプールでの代わり映えのない生活が続いて行く。
ローラとヒューゴと三人で公園まで散歩に行った日があった。
飛行機雲と、うっすい雲。
のんびり帰って来て、テラスでコーヒーを飲む。
また海に夕日が落ちていく。
たまには一人で海辺を歩く。
同じように歩く奴もいる。
めちゃくちゃ世界は広い。
ジェットコースターみたいな旅だよ。
なんの保証もない。
オープンマイクにアマチュアミュージシャンが集まってくる。
何度も聞いたことのある歌が55点くらいの完成度で歌われる。
僕達は2ポンドのビールをアテに聞いてる。
カホンを叩いてるいのはいつの間にか仲良くなってたおじいちゃん。
ヒューゴも演奏するし、俺もベビーカホンを叩いた。
滲む、夜の街にイルミネーションが滲む。
いつか見た「LIFE WITHOUT LIMITS」の文字を横っ腹に着けた船の様な形のトラムが僕等の前を横切って行く。
俺達は、また酔っぱらい相手に、気持ち良くお金を頂いている。
絡まれて、どっちかっていうと巻き上げてるのは俺達、最高だこの保証も何もない生活。
頂いたお金で、ガレオンバーでまたビール飲んで、カホンのおじいちゃんと話してる。
ある日、僕等は楽器を持っておじいちゃんの車でどこかへ出かける。
演奏しにどこへ行くんだっけ、忘れてるそんな些細なこと。
ガレオンバーかもしれないし、いつものオープンマイクのバーかもしれない。
この頃俺達いつも似たような服ばかり着てた。
荷物はあまり持たない方がいい。
旅は楽しくてしょうがない。
今まで見た事のないものを見る、いつも新しい気持ちと共にいた。
歌が下手なミュージシャンがいた。
いつだって今しかない。
旅をしているとそう強く思えた。
ブラックプールでの短いアマチュアミュージシャンみたいな生活は幕を閉じそう。
瘋癲で与太郎な真っすぐで最高な生活。
あぁそういうもんを僕は求めてたんだろうか。
この頃、一緒に過ごしたみんなもそれぞれの場所へ旅立っていた。
ローラも、セバスチャンも、アナも、インも、ローズもジヨンも。
ヒューゴも一足先にアルバニアへ旅立っていた。
僕も、いよいよこのグレーに染まった街ともお別れする。
枯れてる木にイルミネーション、午後の雨に濡れた地面に街の明かりが反射してる。
物乞いがなけなしの毛布を掛けて座り込む通りを、ただただ歩く旅人は風みたいなもんで、何もすることがなかった僕は次の目的地までの僅かな時間をここで過ごした。
若さはいろいろカバーしてくれる。
どの街にもバスカーはいてそれぞれのパフォーマンスをしてる。
通りの店ではクリスマスの商品が売られていた。
洒落た街並み、僕は楽しそうなマンチェスターの街に馴染もうと歩き回った。
クリスマスマーケットで賑わう通りに出た。
大きな時計の下に飾られたでっかいサンタクロースの光る置物、あぁそうか僕は今UKにいてもうすぐ世間はクリスマスなんだ。
今年も一瞬で過ぎ去っていく。
みんなも幸せになってくれよ。
俺は風に吹かれて、さすらってたんだよ。
UKの田舎町ウィンボーン・ミンスター。
大きな土地を持ってる地主さん。
農場の中には園芸小屋もあるし、大きな家や池等もあって余程の金持ち地主さん。
離れのシェアハウスには、そこで暮らす人たちが住んでいた。
僕もそこで二週間くらいお世話になった。
仕事は園芸農場だったからバンダバーグ程ではなかったけど体使ったなぁ。
優しい静かな川がこの街には流れてた。
若者はみんなロンドンにいっちゃったって感じのゆったりした小さな街。
好きなんだよね、落ち着いてて。
小さな町って言うか、もう村みたいな感じにぎゅっとまとまっていた。
楽器を持ち込めて演奏できる小さな洒落たバーもあったよ。
外では雨が降ってる。
小さな町ってのは妙に落ち着く。
たぶん何もかもが古くて歴史がある。
キッチンに並ぶ食器。
いつも新しい場所では違和感があった。
でも、しばらくすると慣れていく。
人間ってそういうもんさ。
近くに住む陽気なイタリアンガイを乗っけてスパニッシュのカップルと俺の4人でボーンマスっていう海辺の街へドライブ。
雨が上がったカラフルなクリスマスマーケット、もみの木に飾られてるくす玉。
メリークリスマスまでもう少しの街。
ボーンマスビーチに来た。
夏場にはたくさんの人が訪れるらしく浜はしっかり整備されていた。
俺達は厚着してても寒いのに、平気で海に入ってサーフィンやってるサーファー。
どうかしてるぜ。
俺だったら、すぐに風邪ひくぜ。
俺はどこへ向かっていくのか。
向かった先には何があるのか誰も知らない。
漂流者、この時の俺だ。
フードを被ってボーっと海を眺めてる一人の男の背中とか、失ったものがありそうで好きだ。
もう二度と会うことは無いのかもしれない旅の中の一瞬の出来事。
新しい農場の朝。
草花に露が煌く朝日が昇る手前の空気が一番美味しい。
なかなか乾かない水溜まりに緑が生茂っている。
駐禁なんて切られない町。
「メロディーズフォーメモリーズ」ささやかな歌声。
誰かも誰かに会いたくて共鳴したいし、これまでも、これからもいろんなことがあったんだから忘れたくないんだ。
また会いたい。
そういう事だと思うんだよね。
外では雨が降ってる。
もうここにいても、ここで年越してもしょうがないかなって思って移動する事にした。
年末が近いし他にも移動して行く人も居たから園芸農場で働くみんなで小さなパーティーと食事会が開かれた。
楽しくてやっぱり旅に出て良かったなって思ったんだ。
海外の夜はいくらでも越えてる、そして時間が来る。
オックスフォードのバスステーションで降りると、その日のカウチサーフィンの人の家に泊まってるホンコニーズのレオが迎えに来てくれたんだ。
オックスフォード大学で、有名なアーチ形の橋を見つけてテンションを上げてた。
近くにブラックウェル書店という世界的に有名な本屋があった。
内装や本棚の並べ方がどれも超かっこよかった。
旅人は古い町並みの中、次の目的地を目指す。
どこにでも行けるんだ俺は。
旅に出るのってマジで面白い。
見たことない街、そして路地裏。
秘密の隠れ家や美味しい食べ物。
もっと、もっとこの世界を楽しみたい。
流れる景色、記憶に残らない駅。
ひたすら街を歩き、サウスケンジントン駅周辺の安いアジアン食堂でご飯を食べた。
僕は立ち止まれなかった。
歩いて写真を撮るのが関の山で、靴を履き潰しそうだ。
EUには行きたかった、そんな淡い希望だけ胸にある。
オランダに行けば何か始まりそう。
何か失くして試してダメで、また歩き出して、そこがテムズ川沿い。
地下鉄には乗らないで、きっと僕は速足でその日の夜行バスに乗り込んだ。
向かうはヨーロッパ大陸。
ここでイギリスで過ごした旅に終止符を付ける。
新たな旅が始まる。
いつも真っ暗な夜の中から始まる。
ロンドンからアムステルダムへ。
明けない夜はない。
ドーバー海峡の下のトンネルをバスを乗せた列車が走る。
途中乗り継いで、フランスを通ってオランダへ。
「France」って看板見た時はテンション上がったなぁ。
真っ暗闇の中でバスを降りた。
そこがどこかもわからない駅の近くでどこに行けばいいのかもわからない早朝のオランダ。
宿もとってない、笑ってる。
なんとかなる。
とにかくアムステルダム中央駅に向かうんだ。
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