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「牧師夫人の徒然なるままに」(八六三)「若者をその行く道にふさわしく教育せよ。そうすれば年老いても、それから離れない」(箴22) 

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五六)「いつも喜び、絶えず祈り、すべてに感謝」(Ⅰテサ5)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五〇)「こうして、幕屋のすべての奉仕が終わった」(出39)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五五)「喜ぶ者といっしょに喜び泣く者といっしょに泣きなさい」(ロマ12・13)     

「牧師夫人の徒然なるままに」(八六八)「主が設けられた日、この日を楽しみ喜ぼう」(詩118)その1

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四五)「足のともしび、道の光なるみことば」(詩119)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八六六)「イチジクの木の下で(山浦玄嗣著)」(その2)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五七)「もはや彼らの罪を思い出さない」(へブル8・12)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八六〇)「星野富弘さんのこと」

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五九)「祈りの詰まった教会、無形の宝からなる教会」

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四八)「あなた方がしらがになっても、わたしは背負う私は背負って救い出そう」(イザヤ46・4)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五三)「野のゆりがどうして育つのか」 (マタ6・28)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五八)「永遠のみ国での交わりに託して」

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四六)「主よ、お知らせください。私の終わり、私の齢がどれだけなのか。」 (詩39・4)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五四)「片方の頬を打つ者には、ほかの頬をも向けなさい」 (ルカ6・29)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四一)「アブラハムの視点」その2(創世記一三章)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五一)「私たちは、見えるものにではなく 見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続く からです。」(Ⅱコリント書4・18)  

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四七)「まもなくかなたの流れのそばで」(新聖歌475番)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三六)「人生を楽しみ喜ぶ心のゆとり」

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四四)「主は悪者の行いを忌みきらい、義を追い求める者を愛する」(箴言15・9)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八二九)「彼らは、私の民の傷を手軽にいやし、平安が無いのに『平安だ、平安だ』と言っている」(エレミヤ6・14)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四二)「ロトについて思う事」(創世記一三章~)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三三)「なまけ者の欲望はその身を殺す。その手が働くことを拒むからだ」(箴21・25)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三七)「やっぱり強い祈りの力」

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三〇)「彼女は喜んで自分の手でそれを仕上げる」(箴言31・13)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三四)「戦争を知らない子供たち」

「牧師夫人の徒然なるままに」(八二四)「天国の鍵は目に見えない」

「牧師夫人の徒然なるままに」(八三一)「主よ、私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや,奇しいことに、私は深入りしません」 (詩篇131・1)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇八)「みことばの戸が開くと、光が差し込みわきまえのない者に悟りを与えます」(詩119)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八一六)「自由意志による選択」

「牧師夫人の徒然なるままに」(八一八)「豊かな寛容をもって忍耐する」(ロマ9・22)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八一七)「まことの平等とは?」

「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇一)「私のたましいは、それをよく知っています」その2(詩篇139・14) 

「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇三)「限度を超えた思い上がり」(ローマ12・3)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇六)「主が心配してくださる」(詩篇55・22)その2

「牧師夫人の徒然なるままに」(七九九)「人生の目的・成功とは?」(その2)

「牧師夫人の徒然なるままに」(七九五) 「すべての人に開かれた教会とは?」その3

「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇七)「神は傷つけるが、それを包み、うち砕くが、その手でいやしてくださる」(ヨブ5・18)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇五)「主が心配してくださる」(詩篇55・22)その1

「牧師夫人の徒然なるままに」(七九四) 「すべての人に開かれた教会とは?」その2

「牧師夫人の徒然なるままに」(八一二)「信仰も、もし行いが無かったなら、それだけでは死んだものです」(ヤコブ2・17)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八一九)「地上で繋ぐ事、解く事」(マタ18・18)その1

「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇四)「母の祈り」

「牧師夫人の徒然なるままに」(八一一)「むなしいものを見ないように私の目をそらせ  あなたの道に私を生かしてください」(詩119)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八六五)「イチジクの木の下で(山浦玄嗣著)」(その1)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八六四)「人の心の陰険さ」(エレミヤ17・9)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八六二)「親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く骨を健やかにする」(箴16・24)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八六一)「彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします」 (ヨハネ17・20)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八五二)「各部分が互いにいたわりあうため」(Ⅰコリ12)

「牧師夫人の徒然なるままに」(八四三)「助け手としての役割に思う」