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「牧師夫人の徒然なるままに」(八四六)「主よ、お知らせください。私の終わり、私の齢がどれだけなのか。」 (詩39・4)

「あれよ。あれ。」「うん。そうそう。あれね。」夫との会話の中でこんな??が増えてきました。二人とも思いの中に描いている物は同じなのですが、悲しいかなその「名前」を思い出せないのです。人の名前についても同じです。同時に同じお顔の映像を脳裏に浮かべつつもお名前が口から出ないことも増えました。

 こんな「あれ、あれ」が今はまだ共有できていますから「そうね。あれね。今に思い出すから話を先に進めましょう。そのあれがね云々」と会話が保てますが、きっとそのうちに「あれってなんだよ!わからないわ!だから何だっていうのよ!」という風になってお互いの意思疎通が出来ず喧嘩してしまうのでしょうか。

 時々、自分の人生が確実に天国入門の日に向かって時を縮めている事を自覚します。「主よ私はいつまでこの地上にとどまるのでしょうか?」とお聞きしますが、勿論はっきりとしたお応えをいただいてはおりません。あたかも、主の御返事も「あれだよ」的なぼかしが入っているようです。でも、わかっていることは、着実に「あれ」に向かって進んでいることです。    

タイガースの監督は選手が委縮しないために「優勝」を「あれ」と言ったそうです。齢の限界をぼかして知らされることは愛情の賜物なのかも知れませんね。

安食道子

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