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「牧師夫人の徒然なるままに」(八五七)「もはや彼らの罪を思い出さない」(へブル8・12)

 年齢のせいでしょうか?最近過去の事柄が突然脳裏に彷彿とよみがえることがあります。まっしぐらに前ばかりを見つめて突き進んできた峰町キリスト教会の牧師夫人としての四十余年間には、とても過去の自分の言動を振り返る余裕などありませんでした。

 信仰を持った頃、有名なT牧師さんの証し文を読んで衝撃を受けました。未信者の頃に隣家の柿の実を盗んだことを思い出し、何十年も経ているのに謝りに行って赦しを請うたという証しです。正直な感想としては、それほどまでの聖さを求めないといけないのだろうかというものでした。しかも、柿の実一つに謝罪をしなければならないなら、私などはこれからの人生を過去の謝罪だけですべての時間を費やさざるを得ないだろうなあというため息が溢れました。

 この四十年間に私が傷つけてしまった魂は数え切れません。心の傷を受けた方々もいらっしゃったことでしょう。最近それらを思い返しています。

幸いなことにイエスさまの十字架の血潮は、私のすべての罪を赦してくださるに余りあるお力です。十字架を仰ぐとき、過去のすべての罪を赦してくださると、しかも思い出さないとおっしゃってくださっているのです。これほどの大いなる赦しがあるでしょうか。だから感謝を忘れずにこれからの歩みをさせてください。

安食道子

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