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「牧師夫人の徒然なるままに」(八一八)「豊かな寛容をもって忍耐する」(ロマ9・22)

 合歓の木が大好きです。三十年以上も前に教会の旧牧師館の脇に、小さな合歓の苗を植えました。やがて大木になり、美しい花を咲かせました。夕日を浴びて大木の葉陰に浮き上がるその綿毛のような紅の花は、とても妖艶で見事でした。以来、私は合歓の木の虜になってしまいました。

 そんな私に友人が双葉から芽を出したばかりの合歓の苗七本をくださいました。昨年の春のことです。昨年末には十センチ以上に成長し、合歓の七本は私の溺愛の対象になりました。冬にはすっかり葉を落とし、ただの棒きれの様でしたが、今年も春先に可愛い新芽を噴出してくれました。但し、七鉢中の六鉢だけです。残る一鉢はどうしたことでしょうか、ただの棒のままついに八月も半ばを迎えてしまいました。私はあきらめきれなくて、土が乾ききらない程度の水やりを続けました。時々は「もう、忍耐が尽きたぞ。捨てちゃうから!」などと捨て台詞を浴びせたりもしました。そして、八月のある日、ついに見つけたのです。棒のような枝の付け根の脇に小さな緑のビーズのような物が。日々それが大きくなってきています。生きていた!!なんという喜びでしょう。感謝でしょう。

 創造主が私に示してくださっている忍耐の一端を教えていただけたような気がしました。

安食道子

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