「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇六)「主が心配してくださる」(詩篇55・22)その2

 最近、一抹の寂しさを覚えることについて、書きましたが、昭和人間の私はデジタル時代に乗り遅れ、今更、あわてて乗り込もうともせずに踏ん張っているのです。生意気にも「私のポリシーがあるのだから」と言い張っています。世の人の目には、時代の流れを拒み続けているひねくれものの世捨て人というところでしょうか。 

 テレビの刑事物で殺人の現場で所持品の点検をする時に「まだ、スマホが見つかっていません」という報告がなされることがあります。そのたびに私は思います。私が被害者だったら「永遠にスマホなんて見つかりませんわよ。だいたい、必ずそれを持っているなんて思い込みではないの?持たない人だっていてもいいじゃないの!」と。

 これからの世の中は、ますますデジタル化し、更にそれが進んでいくことでしょう。私は横目で見ながら、言います。「スマホは脳みそをだめにする」「スマホは人と人との熱い交流をないがしろにする」「スマホは人の記憶力を減退させる」「スマホは漢字を手書きできない日本人を増やす」「スマホは犯罪を増やす」そして「スマホが世を支配したとしても、決して私をキリストの愛から離れさせることはできない!!」そう、言いたいのはこれです。

安食道子

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?