「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇八)「みことばの戸が開くと、光が差し込みわきまえのない者に悟りを与えます」(詩119)

 3年間にも及ぶマスク生活から、ようやく解放される兆しが見えて来ました。マスクに隠されて自分の口の周りに気をつける習慣が薄れました。そして、先日私は明るい太陽の日差しの中で鏡を見て驚愕しました。「私って、こんなに皺があったのね」と。

 我が家の洗面所は窓のない場所にあります。私が自分の顔を見るのはいつも洗面所の鏡を通してです。LED照明に照らされてはいますが、幸か不幸か私の顔の皺は上手に隠されて写ります。時々はトイレの鏡で自分の顔を点検しますが、そこでも上手に老いを隠してくれるのです。
 さて、改めて自分の姿を「太陽の光の下で」見た時に、私は冒頭に挙げた聖句を思い出しました。本当の自分の姿は、みことばの光の中で見ないと見えないのだなあと。
この世にはいろいろな光が照射されています。いろいろな角度から私たちは自分の姿を見せられて、舞い上がったり、落ち込んだりしています。それらの光は一時的には私たちの一部分を照らすかも知れませんが、本当の私を照らして示してくれるのは聖書のみことばしかありません。より深く、より親密にみことばに聞き、み言葉に尋ねて行こうと思います。

安食道子

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