見出し画像

「牧師夫人の徒然なるままに」(八一七)「まことの平等とは?」

 最近の「差別の撤廃運動」に少なからず疑問符をつけたくなることがあります。男女の平等を謳うのは良いのですが、あらゆることに「差を認めない」姿勢には疑問を抱いてしまいます。

 そもそも、創造主はあえて人を男と女に造られたのではなかったのでしょうか。そこには明確な役割の分担があります。そもそも、男は頭として作られ、女は助け手として造られたのが始まりでした。現代ではそんなことを声高に主張すればその主張は叩きのめされるに違いありませんが。

 最近のマスコミはさらに進んで、同性愛を認める方向へと走っています。先日もテレビの歴史ドラマの中で、唐突に「側女を辞退する理由が同性を好きになったから」という設定がありました。そんな場面を作ることで、製作者が時代の流れに迎合したがっているのが露骨に見えて、思わず目をそらしました。

 男は男らしく、女は女らしくの何がいけないのでしょうか。そのように創造されているからには、そのように生き抜く事が一番の幸せではないでしょうか。異なった役割を担っても、それで平等が損なわれることはないと私は思います。そもそも肉体的な造りが異なるのに、あえて差が無いと主張する事には無理があると私は思うのですが。こんな主張は叩かれるかも?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?