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「牧師夫人の徒然なるままに」(八六六)「イチジクの木の下で(山浦玄嗣著)」(その2)

 山浦氏の訳された「ケセン語」の福音書から、私は生き生きとしたイエスさまを見出しました。これまで以上に親しみを込めてイエスさまと対峙できるような気がいたします。

 そして、読み終えてから、一番私の励みとなり、力となったのは、山浦氏がイエスさまの十字架についてのご自身の思いを綴られている個所でした。

 「私はこの頃、十字架を眺める目が変わってきたように感じるのです。以前はこの痛ましい姿を見て、イエスさまをこのようなむごい目に遭わせることになったのは自分なのだと思って、自分の罪深さを悲しく思い、この御恩に報いる立派な人間になるように努めなければと思ってきました。その思いに変わりはありませんが、最近はこれに別の気持ちが加わり、それが自分にはとても好もしく、明るい力に満ちたもののように感じられるのです。」 

 そして綴られたイエスさまから山浦氏への語り掛けは、次回に全文を綴らせていただきますが、とても力強い励ましなのです。十字架の下にひれ伏して、自分の罪を悔い、それを贖ってくださったことへの感謝をささげるだけではなく、それだからこそ、その後で、どのように踏み出すべきか、その新しい決意へと背中を押してくれる言葉が綴られているのです。

安食道子

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