「牧師夫人の徒然なるままに」(八〇五)「主が心配してくださる」(詩篇55・22)その1

最近、国内で銃による殺人事件が起きました。その容疑者は「ひとりぼっち」という言葉に異様に反応するとその父親が話していました。

同じころひとりぼっちの孤独な人が人々との繋がりを回復していくドラマを見ました。小さなおにぎり屋さんに出入りするお客さんの人生を橋田寿賀子さんならではのほのぼのとした脚本で描いていました。

皆さんは「ひとりぼっち」を感じたことがありますか。人は生まれ落ちた時から「関係性」「繋がり」を抜きには豊かに生きられない姿で存在しているようです。

私も最近少しだけ「ひとりぼっち」を感じさせられることに遭遇しています。先日、薬局で買い物をして、支払いをしようとすると「〇〇のアプリはお持ちでしょうか?」と聞かれました。そもそも「アプリ」とは何なのか私は知りません。「ポプリ」なら、聞いたことがありますが。「いいえ」と答えながら一抹の寂しさを味わいました。それを持たないゆえに受けられない特典があるのだそうです。

店を出て、天を見上げて言いました。「主よ、私はあなたが共にいて下さる限り、決して寂しくありません。四角い画面に慰めを求めなくても、私には分厚い聖書があります。暖かな聖霊さまのご臨在があります。最良の宝物を持っているのですから、不満はありません」

安食道子

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