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「牧師夫人の徒然なるままに」(八五九)「祈りの詰まった教会、無形の宝からなる教会」

 ここ二,三十年で世の中のシステムが大きく変わりました。伝達手段の多くが電子機器による瞬時の交信になりました。若者の多くはスマホを手放せずに体の一部のように使って生活をしています。電子画面に映しだされる短文の文字、絵文字、それらからいったい何を引き出しているのでしょうか。

昔は手書きの手紙が届くと何度でも読み返して、その文面に込められている相手の思いをくみ取ろうと努めたものです。文面の裏に隠されている思いをも読み取れないかと、一字一字、その筆跡の力強さや、時には乱れが語る思いを伺い知ろうと努めたものです。単に紙の上に書かれた言葉以上の深く重い内容が封筒の中身と共に送られてきたような感慨がありました。

 本当に大切なものは、目に見えないものであることは言うまでもありません。

 教会では毎週水曜日の夜、祈り会が開かれています。また、ミニ・チャーチ単位で成されている祈りがいつも見えない空間を漂っています。人気のない昼下がりにそっと教会を訪れてトイレのお掃除をしていってくださる方の暖かな思い、教会の玄関の美しい花壇の手入れをしてくださる方の優しいお心、黙々とエアコンのお掃除をしてくださる方の労。エトセトラ。それらがいっぱい詰まった教会です。大切な無形の宝です。 
安食道子

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