祝詞は「操作するため」に奏上するものじゃない。 神と人どっちが上位だとかそういう話ではなくて、「立場役割が違う」から、双方がお互いに作用しあう。 彼岸を操作するために奏上する祝詞は「操作しようとする意図」がもう乗っているから、無ではない。 そして、祝詞は呪文ではなく手紙。
とあることのために巻物を作っている。 そしたら、仲間が同じようなことを蛇腹式の帳面で作ったと! その手があったか......蛇腹の方が薄く収納できて持ち運び便利やん! 途中で書き損じがあり、わたしのはまだ完成していない。 真似して、今からでも蛇腹折りにしようかな...
真言だ祝詞だと「奏上しなさいムーブ」で、また練習を開始したなり。以前まだカミサマに超反抗してた頃、「祝詞は神へのラブレター」って言われて余計「やるかそんなもん!」って意固地になったこの天邪鬼、すっかり丸められたよね。ま、しょうがないから、自作のスサさん祝詞も一緒に練習してやるさ。
巻物はやめて、手元の越前和紙を貼り合わせ&折って蛇腹に。 持ち歩いてボロボロになったら作り直す。 そういえば祝詞の本も蛇腹だもんね。 ていうか、これも祝詞を浄書したものだけど。 これからこういうの作る時は蛇腹でいこう!
神棚が、家族の真ん中に有り。 毎日の感謝や、反省の出来る場所と 作り上げて欲しい。 それは、家族の日々の節目となり 節の有る竹は、大雪、強風に負けず折れる事無く、耐える力がある。 そんな神棚を一緒に作りたい。