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【イナカの家と住人のこと(2024)】35・50の経過を経るからこその五十日祭

人が関わる物事には…


複雑なように感じたとしても、

心の動きとして、
ひとつの事が始まりおさまるまで50の経過(49+1)をたどります。


コトタマ学はその内容を明らかにしており、

その一循環は、
精神宇宙がうごめきだしたところから先天言霊17の動きが順に起こり、後天現象言霊32の動きにつながり、一連の経過を経て精神宇宙にもどり事が昇華されます。


父の旅立ちより意識的に自分の心がどのように変化していくのかを日ごとに確認していき、循環の流れや新たな事を体験することができました。

ここでは50の経過の節目に関連したお話を…

49日目、
仏式では四十九日として区切りの日。
父を送る時に仏式を参考に行ったので、この区切りに対して前日(48日目)くらいに何か示唆がくるかと思っていましたが全くなく、この日に50日に対しての内容がやってきました。

選択が急がれた荼毘葬ではお印としてお位牌を用意しお経をあげましたが、五十日に際し指示されたのは霊璽に祝詞でした。

霊璽は短冊で用意し、「高天原成彌栄」とついにしました。
祝詞は幸い学んでいるので私でも何とかなる。(笑)
大祓祝詞に目を通し全体から個に必要のない部分は省く運びに。
( 久しぶりに大祓祝詞にふれ涙!?… 意外でした)
いつからか気づいたら庭に生えてきていた榊も使う日がきました… (笑)

そんな感じで伝えられたことの準備は完了。


この指示は仏式から心の本筋(神式的)への転換ですよね。なるほどね…でした。

ただ肝心のそれらをどうするかに関してはお知らせがなく、ひとまず区切りの50日を待つことに。


50日目、
やはり一区切りの日でした。
見事に49の過程をへて50にて落ち着くのを実感。
(49日には感じられませんでした)

ここまでの50日は、
父そして私達両者それぞれに必要な時(経過)で、父は肉体を離れ宇宙との同化のため、私たちは状況を受け入れる心の整理の期間なのでした。(滞りなく運べば)

そしてその期間を経た結果、父は命(ミコト)に、私たちは受け入れの(確認)完了となります。

これらの内容があり、
区切りとして五十日祭が行われるのですね。

通常は意識をしていないので細かく感じることはなく、経過を追う体験をさせてもらえたからこそ気づけたことです。


指示によりわが家も五十日祭を行うことに。 

ですが進行内容のお知らせはまだなし…
はてさて仏式と本筋どうなるのでしょう???


51日目、
五十日祭。(家族3人で粛々と)

当日も全体像は与えられず、
今、今、今の指示で伝えられるがままの進行でした。(笑)


その流れは…

ひとまず前半50日手放す指示なく共にしていた遺骨を置いた祭壇風のテーブル中央に、お世話になったお位牌を前面に霊璽を後方に添え、その他一連の物も配置しスタート。

まずは五十日祭を始めるにあたり2人に、
病発覚で明らかになったコトタマを含んだ父の立場〜旅立ち〜前半50日の経過内容〜仏式から変更することになった理由までの説明。

ティンシャを鳴らす。(あったので…笑)

祝詞奏上。(たどたどしい…笑)

庭の榊で玉串奉奠(ほうてん)。

!? 
ここでお位牌を燃す指示。
急きょ庭で燃すことに。
灰は敷地を囲むように数ヶ所に撒きました。

部屋にもどり、
霊璽と「高天原成彌栄」の短冊をそろえ祭壇テーブル中央に配置。

内容新たにティンシャ、祝詞奏上、玉串奉奠。

後半50日の内容と心がまえなどの説明をして、
ティンシャを鳴らし終了。

いつものように自ら選択の必要はなく、お任せしてその都度いただいた内容を具現化すべく粛々とり行っていきました。

ですので行いながらへぇ~、
終わってからそういうことなのね…と理解や理由を知るといった感じでした。(笑)


なんと二部構成。
経過時間3〜4時間だったでしょうか…

終わってみれば、
諸々の理解や再確認、
そして見事に仏式から本筋に転換されていましたね。


その後はしばし一連の整理をし、気にかけてくださっていたコトタマ学の友人方に事後報告をいたしました。


お伝えできて完全昇華。
めでたし、めでたし…でした。



次回は後半50日のお話を。


では、またね。



*[画像]

玄関先の植木に身を置くカエルさん。

マコモの水鉢に泳いでいたオタマジャクシかな!?




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