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神仏習合の時代

2012年当時、私の周りで神仏習合と言うキーワードが人の言葉だったり、たまたま見たテレビ画面だったりよく出現していました。メッセージ?

あるときは、遊びに来てくれた友人と叔母と一緒に話しているときにそういう話になり友人が「やっぱり時代は神仏習合なのね。」とひと言、言った瞬間、遠くにあったペン立てからボールペンが1本落ちると言うあからさまなサインもありました。

神仏習合(しんぶつしゅうごう)
日本土着の神祇信仰神道)と仏教信仰(日本の仏教)が融合し、一つの信仰体系として再構成された宗教現 (wikipediaより)

うちの実家の宗教は、曽祖父が神道の流れをくむある宗教から独立して始めたものです。それも曽祖父が始めたくて独立したのではなく、曽祖父が霊能力が強かったことで他の信者さんたちがその教会のリーダーではなく、曽祖父にいろいろとお願いをするようになり、その教会から出てほしいと言われて独立せざるを得なくなったと聞いています。

その時に、皆が集まる場所が必要だと信者さんたちが場所を探して教会の名前も曽祖父ではなく、信者さんたちが決めてくれたそうです。名前は「真乃道教」と言います。

もともとは愛媛・松山から始まりましたが実家の博多以外にも岡山にも教会があります。現在は残念ながら松山の本部は無くなりましたが、曾祖父の言葉や教会の砂などを福岡のご縁のあるお寺「大師寺」に永代供養されています。

曽祖父の娘である祖母が博多の教会に嫁ぎ、祖母の義理の両親、私にとっての曽祖父母が博多支部の教会長として継いできました。

私が生まれたときには曽祖父はなくなっており、後を継いだ曾祖母のカリスマ性で信者さんも多かったのを覚えています。

真っ黒の着物を毎日着て出かけるのが大好きな曾祖母、外食も大好き。おちゃめなところもあるけれども、怖さも兼ね備えた不思議な人でした。

家族全員が曾祖母に敬語を使わなければいけなかったので、おかげで私も小学1年生の時には完璧に敬語を使えるようになっていました。これは曾祖母に感謝です。曾祖母の代では、不思議な話をたくさん聞きました。

信者さんの悪かった足を治した。

戦時中、戦地で死にそうになったときに魂だけ家に帰ってきた祖父と話していた。

枕もとになくなられた信者さんが来て話した。

など色々ありました。

実際に人をひきつける魅力あるひいおばあちゃんだったなと今でも思います。おばあちゃん先生と呼んでいました。

彼女が亡くなった時もしばらく不思議な事が続き、やっぱりおばあちゃん先生はすごいなと思っていました。

その後、大好きだった祖父が継ぎ、亡くなってからは元気な祖母に引き継がれ、父も協力し今に至ります。

うちの祭壇

新しくなった実家の祭壇です。神を奉るのが日常だったので、今まで特に神仏習合などと深く考えることはなかったのです。

そんな神道の流れを汲む教会に生まれた父は5人兄妹の長男で一番下の妹とは12歳離れています。その長女である私はありがたいことに、小さい頃から優しい叔父や叔母に遊んでもらっていました。

私と年が近いこともあり一番下の叔母K子には大きくなってから色々と話す事が多くなりました。直感力の鋭さが半端ない叔母は、何か問題があると「ここに行くと教えてもらえるよ。」と言うヒントを誰からか手に入れ、実際助けてもらえると言うびっくりするくらいラッキーな特技(?)を持っています。

叔母も大阪、名古屋、千葉と離れて住んでいたのですが、叔母が聞いた四柱推命の方に追加質問をするために会いに行ったり、別な問題が出たときにまたご縁があるチャネラーの方に会いに行く時についていったりと、大人になっていくうちに、叔母と問題を一緒に解決していく事が多くなってきました。

そして驚くことに、一緒に考える問題がここ数年でどんどん増えました。これ修行?なんて冗談で言ってましたが、確実に修行です。

でも数年前までは教会のことなどは特に何も話し合うことはなく、目の前の問題だけを解決に向かい話し合ってきたのですがここ最近の問題は全て教会につながっており、その解決方法もどっきりな方法になってきました。

さあ、やっとここで出てきました神仏習合。

次は神道の問題をお寺で解決するアベンジャーズ的なお話に進みます。




※私の別スピリチュアルブログ(オーストラリアで気づいたこと、好きな事 )から加筆・編集しています。

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