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#はじめて借りたあの部屋

#はじめて借りたあの部屋 の思い出をつづってみませんか?いい部屋ネットがnoteで投稿コンテストを開催します!

急上昇の記事一覧

【一人暮らしのレイアウト】今ある家具で作るおしゃれなインテリア、センスの良い色使い3パターンを紹介!

こんにちは、崇島です。 今回はインテリアをアドバイスして、お任せでコーディネートしていきます。8畳なのに65インチのでっかいテレビがある、20代男性の一人暮らしのインテリアです。 今すでにあるものを使い、おしゃれな部屋に変身できるメゾットをお伝えしていきます。 3パターン提案するので、気になったイメージがあれば参考にしてもらえればと思います! ・まずは現状を確認 こちらが今回の元のお部屋です。よくあるワンルームの間取りで、一人暮らしっぽい感じがあるインテリアですよね。

【ジャパンディ】簡単にできる、難しくない!今注目のおしゃれなインテリアJAPANDIの作り方を大公開

こんにちは、崇島です。 今回は「やってみたいインテリア」の独自のアンケートNo. 1、北欧/ジャパンディについてです。 馴染み深いけど説明しろと言われたら困る北欧インテリアと、最近よく聞くジャパンディについて分かりやすく解説していきたいと思います! まずは、和モダンとジャパンディって何が違うの?とという疑問がある方も多いと思います。 ①和モダン、ジャパンディの定義 基本的に海外で流行っているスタイルです。 日本にいるとジャパン要素が身近にあるのでピンとこないと思います。

フロアランプ使い方間違えてませんか?正しく使うとあか抜ける!インテリアを広く感じさせて華やかにする実は便利な照明

こんにちは、崇島です。 今回はフロアランプの使い方とその効果についてご紹介したいと思います。 フロアランプは上手に使うと、インテリアへの影響はものすごく大きくて、しかも簡単で安く済ますことができます。高額な家具を買い揃えるよりも断然効果が高いです。 ただし、フロアランプならなんでも良い訳じゃなく種類があって、それぞれ特性が異なります。それが分かれば部屋の雰囲気は大きく変わります。 インテリアでお悩みの方は家具の買い替えを検討する前に、今回のことを試してみてもいいかもしれ

【ホテルライクのインテリア】分析でわかった、一人暮らしでも再現できるスタイリッシュな部屋の作り方

こんにちは、崇島です。 今回は、「ホテルライク/モダン」のインテリアについて再現する方法をご紹介します。 ワンルーム、1Kなど一人暮らしのインテリア、ベッドルームのインテリアに応用ができることが判明しました! ■そもそもホテルライクとは? 前々から気になっていたんですが、カフェ風のインテリア、ホテルライクのインテリアって違和感がありました。 カフェだってホテルだって10軒あったら10種類の異なるデザインがありますよね。 ではなぜ、こういう分け方をされているのか? 何か理

殺風景で物足りない部屋をオシャレに!ショップから学ぶ、魅力的なインテリアの作り方

こんにちは、崇島です。 多くのインテリアを見ていて、イマイチとかパッとしないなぁというインテリアの共通点「なんか物足りない、つまらない」と言っている方が多いなと思いました。 今回は、つまらない印象を払拭して魅力的なインテリアに変える方法とコツについて事例を交えてご紹介してみたいと思います。 ■■物足りない&つまらないの原因■■ つまらない部屋になって困っている方は、インテリアに興味があってがんばっている人に多いのが分かりました。 先日「インテリアが漠然となんかパッとしな

【無料アプリ紹介】インテリアのレイアウトに困ったらコレ!シミュレーターで簡単オシャレな部屋作り

こんにちは、崇島です。 今回はインテリアのシミュレーションが簡単にできるPCやスマホのアプリをご紹介します。家具は大きな買い物なので、失敗すると持て余したり返品も大変だったり困ることも多いですよね。そんなお悩みを解消するのに便利なシミュレーターをぜひ使ってみましょう! インテリアシミュレーターは国内、海外いろいろなところから出ています。使ってみて思ったのは、やはり国内のものがオススメということです。海外のアプリは課金する物がほとんどな上、購入できるものも限られていて再現性が

おすすめインテリアショップ【新宿編】家具、雑貨を買うならここ!こだわりのショップから雑貨店までご紹介

こんにちは、崇島です。 今回はおすすめのインテリアショップを紹介しようと思います。 まずは東京・新宿編です。インテリアで新宿?と意外に思う方もいるかも知れませんが、実は新宿は都内有数のインテリアショップ密集地帯なんです。しかも客層が広い地域のため、高級店からカジュアルなお店まで一気に見られるという利点もあります。 たくさんある中で、こだわり/ベース/個性/雑貨 にジャンルを分けていきますので、参考にしてみてください! ・こだわり系ショップ 高級なものや名作ロングセラーな

上賀茂での4年間と木全マンション101号室。

僕は京都の中でも北の方に位置する、上賀茂という地域に4年間ほど住んでいた。上賀茂神社から西へ向かい、加茂川にかかる上賀茂味御園橋を渡り、王将に入ってカウンターに座り、餃子とチャーハンとビールをいただく。京都銀行のATMでお金を下ろし、御園橋サカイで冷麺を食べたいなぁと思いつつも、先ほど中華を食べたばかりだということを思い出し、全く車が来る気配がないのになかなか変わらぬ赤信号の前で待ち、畑や住宅、あるいはナベセン家具を右手に、一方で服部歯科や鈴木整形外科を左手に坂を登れば、やが

私の大学生活と除籍と居候。

私は大学を除籍になっている。 除籍とは「あなたはこの大学に、そもそもいませんでしたよ」という意味合いのものらしく「中退」よりも重い。私は履歴書上は高卒である。 大学を除籍になる方法は主に2つ。 私は、[2]学費未納である。 どこにある、どんな大学を除籍になったか。 北海道の小樽市にある、1910年創立の小樽商科大学。北海道では、北海道大学に次ぐ、自称北の名門で、国内唯一の単科大学であり商学部しかない。ここを学費未納で除籍である。 前期で北海道大学を受験し不合格とな

住んでいた部屋の話。 一番最初に住んだ女子寮の写真が出てくる。コラージュみたいにしてルーズリーフに貼ってあった。 確か部屋の番号は210号室で、隣の209には専門学校に通う茶髪の人がいて、ときどき「トイレの神様」を歌っていた。声のきれいな、細身で色白な人だったのを思い出す。

【宅建士の本音】引越しの挨拶をしない3つの理由!不動産屋はやれと言うが私は"しない"

(2022年3月24日加筆) こんにちは。ラッキーな宅建士松ジューです。 今回は引越しの挨拶がテーマです。 昔からよく"引越ししたら向こう三軒両隣"へ速やかに「今度引越して来ました〇〇です、よろしくお願いいたします」と挨拶に行けと言われてきました。 アパートやマンションの賃貸を扱う多くの不動産屋でも引越しの挨拶はした方がいいと、聞かれたお客には言っているようです。 借りて住んでいる住人同士の関係を円滑にし、余計なトラブルを未然に防ぎたいがための行動です。 私も賃貸の仲

¥300

我が家の住宅事情

こんにちは。かしはらです。 世間はお正月ムードは消え去り、気付いたらオミクロン野郎が猛威を奮ってますね。まじふざけんなとしか(泣く泣く1月の予定をキャンセルした奴) ちなみにそのキャンセル電話を幼馴染みにしている時、ちょうどシーグリが届いたんですね。テンション上がるはずなのに上がりきらずに虚無になりながら開封式をしてました。かなしい。でもシーグリめちゃくちゃ満足度高かったし、最推しがいないEXOが本当に素晴らしかったので買ってよかった…と思いました。そして買ってなかった威神の

唐突に引っ越しが決まり、いまの家と大好きな街を離れることへの寂しさが爆発している

引っ越しが決まった。 いまの家に住みはじめたのは、ちょうど4年ほど前、当時の彼女であり、いまの妻であるパートナーと一緒に、ベトナム・ダナンから日本に本帰国した時だった。 2人とも日本で物件を探して住むのは初めてで、「そんなに簡単に引っ越し先が見つかるのか?」という不安と裏腹に、内見した瞬間に「ここだ」と決まった家。 決して広くはないけれど、大家さんの気遣いが随所に見られる設備と共用空間と、白を基調にしたインテリアと、西日が差し込む窓が素敵な家だった。 学芸大学という街

アトリエづくり2(2021.10月ごろ)

水干絵の具で色の実験。(体に有害のない色で) 東側。少し緑の色味を変えてみた。 月、太陽?窓? なにか丸いものが欲しいなぁと思いながら進める。 おにぎり。 差しいれありがたや。

アトリエづくり1(2021.9.28〜)

↑これはわりと後半のようす 昨年のアトリエ改装記録をすこしずつ。 築50年ほどの木造建築。 壁塗りも、なにもかもはじめての工夫の日々の記録。 ↑当初の部屋のようす。 いわゆる昭和の建築に多い繊維壁。 ぽろぽろと取れるので、スプレーの式のシーラーをかけ、その上に下地の漆喰 クリーム(麻炭入り)を塗ってみた。 塗りたては黒く、乾くとグレーになる。 麻炭が入っているので、水で絵が書ける。 下書き。 満月の日のあそび。

前田荘でスパークした1年のこと

「5分で出発だからな。素早く整列!」よーい、ピッ! 中学3年、「修学旅行専用新幹線に乗る練習」を校庭でマジメにしていた。 ほとんどの学生が、初めて新幹線に乗る。 わたしは、18歳の春そんな田舎から数分おきにバスや電車がポンポン出発する神戸に降り立った。浪人生となり、ひとり暮らしをするからだ。 あまりの人の多さに、「毎日がお祭りだ」と思った。 なんせ田舎には、予備校がない。しかも行った予備校には、寮がなかった。 不動産屋から紹介されたのは、女性だけが住んでいるという前

フランス田舎のシャンブルドットの魅力

20代のころ、旅行に行くといえばいつも九州地方だったのですが、「ペンション」に泊まることに、一時期はまっていました。 ホテルとは違って、オーナーさんと話ができたり、手作りの朝食がついていたりして、その土地そのものに触れることができる旅がとても好きでした。 その感覚を思い出すことができたのが、フランスのシャンブルドット。 一度泊まれば、やみつきになる。結局自分はこういった、おもてなしが好きなのだなあと思いました。泊まった瞬間に、これだ!と思い、将来移住するなら、絶対にシャ

明けまして🎊ございます。昨夜朝生みました。総一郎がね、スガが菅が、と呼び捨てにしてました。おなじ二部出身として懇意だったんですかね。二人ともいつの間にか一部になってた。なかにしもそうだ。偉くなると鞍替えしたくなるのかね。いいじゃない。経歴は名札。勲章じゃない。おめでと。

Illustration_room

自室の絵。ヘッダーに使っている画像をまだ投稿していなかった。 基本的にnoteに乗っけてるイラストはこの部屋か杉並区のジョナサンの一角で生み出されています。 ポルシェとかランボルギーニに乗りたいとか、愛人が60人ぐらい欲しいとかいう欲は無いんですが、良い部屋に住みたいという欲は昔からかなり強い。仕事も全部オンラインだし、リアルイベントもしばらく無いだろうし、東京にいる必要って今後本当に無いんだよなぁ...。 その昔テレビで「廃校になった校舎に住みついて野菜とか作って生

社会人一年目。憧れの東京での一人暮らしのはじまりに

「コツコツコツコツ」 あぁまただ、と思った。築40年以上の木造アパートに暮らすこと3ヶ月。上の階の住人さんの生活音が、丸聞こえなことがずっとずっと気になっていた。人の暮らす音が聞こえているということは、自分がテレビをみたりお風呂に入ったりしている音も聞こえているのかなという不安もあった。最近は晴れ間も少なくて、ずっと曇りがちで気分も何となくどんよりとした梅雨の始まりの頃のことだった。 社会人になって3ヶ月。自分の思い描いていた生活とはほど遠く、社会の何の役に立っているのか

【あつ森☆島移住】#10 はじめての借金

やったー! 【あつまれ どうぶつの森】テント生活から念願の一軒家へ。 同時にはじめてのローン(借金)です💦(リアルタイムでもしたことなくて ドキドキの98000ベル💸💸💸💸💸💸) 小学生の娘はすでに最初の家ローン98000ベルは返済し、更に借金して増築してます。 島民2号のリンゴ(主人)もテントから家。 よし、私もまずは魚釣って返済頑張ろ。(自給自足) 部屋の家具も増やしたい。

今夜も白い壁じゃなくて、顔を見て眠りにつきたかった

この世でいちばん哀しい光景は、眠りにつく前に見る目の前の白い壁だ。 桜の季節に初めて一人暮らしをした部屋は、お世辞にも広いとは言えないワンルーム。バストイレ別ということだけが自慢な、けれどすきなものだけを集めた小さなそのお城は、雪の降る頃にいつしか二人暮らしに変わっていた。 狭い、ということは近い、ということで。 気配につつまれた濃密な8.5畳は、どこにいてもふたりがいて、どこにもいけないほどふたりしかいなかった。 炊くお米の量が増えて、洗濯の回数が増えて、帰ったときに

入籍して今日で4周年。ワクワクドキドキしている新婚の私たち、新しい部屋…今でも鮮明に思い出せるなあ はじめて借りたあの部屋|すーさん @BetchMo #note #はじめて借りたあの部屋 https://note.com/zoo_mo_betch/n/n13ee9552112a

小さいピンクのアパート

私たちが結婚して最初に住んでいたアパートは田舎にある2LDKの小さなピンク色のアパート。 当時出産前、不動産屋さんでアルバイトしていたので、従業員の方達にアドバイスをいただき、お金がないながら究極のアパートを借りれたと思っている。 自分なりに借りたいアパートとは、 ・日当たりが良い ・3人家族なので部屋が2個かそれ以上 ・スーパーが近い ・おばけが出ない ・バス、トイレ別 これは絶対条件かなと思う。 今現在ならこれにプラスして ・駅が近い もはいる。当時は赤ちゃん

部屋とアシナガバチと私

大学生のとき、大学近くのアパートでひとり暮らしをしていた。そこは古いからなのか自然豊かな環境のせいなのかとにかく虫がよく出るアパートで、そこに住む四年の間、忘れられない彼らとの数々の熱い闘いがあった。どの虫もなかなかに手強かった。 これからも永く記憶に留め、そして虫たちの健闘をたたえるために、そのエピソードの一部をここに記しておこうと思う。 その日はよく晴れた天気の良い日だった。 午後からアルバイトの予定があったため授業後すぐに帰宅し、洗濯物を取り込もうとベランダに出ていた

部屋とアリと私

大学生のとき、大学近くのアパートでひとり暮らしをしていた。そこは古いからなのか自然豊かな環境のせいなのかとにかく虫がよく出るアパートで、そこに住む四年の間、忘れられない彼らとの数々の熱い闘いがあった。どの虫もなかなかに手強かった。 これからも永く記憶に留め、そして虫たちの健闘をたたえるために、そのエピソードの一部をここに記しておこうと思う。 それは突然やってきた。 ある暑い夏の日、私はごろごろと布団に寝そべり、だらしなくテレビを見ていた。クーラーをつけ、アイスでも食べようか

もう少し降って、雨

なにが正しくて、なにが悪いかなんて、誰もわからない。 今だけみればね、良いとか、悪いとか、分かったような気分になるよ。 でも、今だけじゃないんだよ。無限に続く。 いつ、どこで、だれと、なにをしてたら、正解なんて。分かったら苦労はないから。 あなたもきっと、どこかに理由があってそうしてるんだから。見えてる景色は今だけじゃないかもしれないから。 「それでいいよ、まちがってないよ」 誰にでもそう言える人でいたい。

だったもの

本当にあったのかなかったのか、ふわふわとしたお話―。 4年間、ここは私の部屋だった。日付が変われば私の部屋だった部屋になる。 電気は、きっと使えてしまう。ガスも水道も。しかし私にそれらを使う権利はもうない。身体の記憶というものがあるらしいが、頭ではわかっているのに私の手はつい電気を付けてしまう。慌てて消そうとするが、ブレーカーは落としているから明かりが灯る心配はない。 暗闇の中にスマホの明かりはまぶしすぎる。明るくなるのは一点だけ。こんなにもまぶしい光をものともせず、

生まれてこのかた横浜市民

みなさまこんにちは。生まれてこのかた横浜市民、眞野いるかです。 高校までは横浜市内の学校に通学していたわたくしですが、大学で東京に出ると出身地をよく聞かれることになります。サークルだの必修クラスだのに属することになるからね。 そこでまー毎回なんのためらいもなく「あ、うち横浜!」と答えていたのですが、予想外の反応が結構あったんですよね。 「なんかさ、横浜出身の人って、「神奈川」じゃなくて「横浜」っていうよね」 た、確かに……! 目からウロコです。これまで横浜市外にほぼ出

はじめて借りたあの部屋コンテストで優秀賞をいただきました!やった〜!

はじめて借りたあの部屋

はじめての一人暮らし。 知らない土地。 私の本当の家まで・・・6時間以上。。。 遠い街、、、星が見えない。 お母さんと妹が来てくれた。 二人が帰るのが、、、寂しかった。悲しかった。 これから、本当にひとりぼっちになる。 二人は帰った。。 料理も、これから作って・・・私はコンロに手を伸ばした。 あれっ?!火が付かない。 昨日まで普通についたのにーーーーーーーーーーー NOノーーーーーーーーーNO!!!!!!!!!!!! イヤヤーーーーーーーーーーーーーーーー 神様、火をつけて

「幸せだ」って思ったら、そこで終わっちゃう気がしてた。

いつだって、欠けているもののことばかりが気にかかる。 終わったあとのこと、失くしたあとのこと。 今ここにあるものを、うまく見ることができなかった。 たとえば友達と約束をして、どこかへ出かけて、一緒に食事をして。それがどれだけ楽しくても、私はいつも残り時間ばかりを気にしてしまう。あと1時間で終電だな。そうしたらこの人はまた、この人の日常へと戻っていってしまうんだな、と考える。 ものを買う時も同じだ。新しいスカートに胸を躍らせながら、心のどこかでいつも、そのときめきが色あせた

全ては自分の頭が作った世界

「はじめて借りたあの部屋」のコンテストで審査員特別賞に選んでいただきました。 講評にも書いていただきましたが、この話は下宿していた部屋での実際の出来事や、誰かに言われた印象的な言葉ではなく、全て自分ひとりの「妄想」で書いたお話です。 人と人の良いエピソードも出てきません。 自分と、自分が住んだ部屋と、両者を繋ぐ電車の音だけの無機質な話です。 でも、自分があの部屋で暮らした3年弱を総括した、部屋への精一杯のラブレターでもあります。自分なりの最大の愛情表現でありました。

いい部屋ネットとnoteで開催した、「#はじめて借りたあの部屋」投稿コンテストの審査結果を発表します!

2019年11月19日から約1ヶ月半の間、みなさんがはじめて借りた部屋についての思い出を語る「 #はじめて借りたあの部屋 」投稿コンテスト。期間中(11/19-12/31)には、852件もの作品をご応募いただきました!はじめての部屋のエピソードが詰まった素晴らしい作品を投稿いただき、ありがとうございます。 noteでの応募作品一覧は、こちらをご覧ください。 審査会にて、審査員である夏生さえりさん・かわいちひろさんの2名と、いい部屋ネット note担当 阿部将貴さんによる選

なんか純文学のような一日。 素敵な人たちが沢山登場。そこで起こる出来事、会話。なにかありそうで、何もないような。何もないようで、なにかありそうな。 突然知らないオジサンが飲み代奢ってくれた時は、アオハル的な何かを感じた。多分違うけど。あと、純文学なんて読んだことないけど。

はじめて住んだ家とねじまき鳥クロニクル

大学院を卒業した年の秋、はじめて一人暮らしをした。 当時の私は出版社でアルバイトをしながら、先の見えない未来をきちんと見つめなくてはともがいたり、見ないフリしながら暮らしていた。 実家が東京だったため、一人暮らしをする特別な理由があったわけではなく、母の「お母さんの仕事部屋が欲しいから、(私か弟と)どっちが部屋を借りない?今なら初期費用出してあげる」という提案にのっただけだ。 フリーターで払えるギリギリの家賃で見つけた家は、浜田山の1K。高級マンションに埋もれるようにたた

最高の日も最低の日も、一緒に過ごしたあの頃のこと。

武蔵境駅徒歩30分、最寄のバス停徒歩5分以上。 初めて一人暮らしに選んだ物件は、アクセスがあんまりよくない。 それでもここを選んだのは、大学から自転車10分圏内だったこと。 そしてなによりも、同じ家の違う部屋に元クラスメイトが住んでいることだった。 大学入学と同時に、学校内の寮に入った。 憧れだった親元を離れる生活、二人部屋の寮暮らしは思っていたよりも窮屈で、部屋の電気を消す時間やお菓子を食べる物音なんて気にして、結構ストレスフルな日々を過ごしていた。 入学早々振り分けられ

最高に居心地のよかったアパートで、精神と肉体が少しずつやられていった頃の話|渡海奈穂 @eleki #note #はじめて借りたあの部屋 https://note.com/eleki/n/nba66cbcff178

【 #はじめて借りたあの部屋】応募作品のご紹介⑦

あけましておめでとうございます。いい部屋ネットnote運営事務局です。 昨年実施した投稿コンテスト「#はじめて借りたあの部屋」。おかげさまで850件を超える応募が集まり大盛況となりました。本企画に参加いただいた方、一緒に盛り上げていただいた方、ともに本当にありがとうございました。 さて、唐突ですがこのnote、実は本来の予定にはありませんでした。(締切前日に公開した「応募作品のご紹介⑥」で最後のつもりでした) ですが最終日である12月31日。2019年の書き納めとしてか

30年のその先も。

大学入学と同時に、人生初のひとり暮らしが待っているはずだった。しかし、末っ子で家事といえばそうじ担当の私に、母はどうしてもひとり暮らしをさせたくなかったようで、気づけば平日2食付きの下宿に入ることになった。 その名は「ばら館」。名前だけインパクト強すぎ。 今のようにネットで見る事ができるわけでもなく、名前の響きから色々なことを勝手に想像していた。 だって「ばら館」だよ? 初めて下宿先に行った日。閑静な住宅街に位置し、白いスタイリッシュな洋風の建物と緑の庭が見えた。下

名前も知らない街が僕に与えてくれたもの

「どうせ社会人するなら東京でしょ!」 そういって、地元の京都を出て3年になります。 学生の頃、旅が好きでいろいろな国のいろいろな街を訪れました。知らない土地に行くのはワクワクするけど、実際に住むとなると話は別で、あんなに威勢の良かった僕は東京に来るなりどこにもいませんでした。希望と不安が入り乱れるとか綺麗なこと言いたいけど、実際は不安のほうが圧倒的に多かったと思います。 会社からの距離だけで決めた部屋「東京は人が多くて、満員電車が辛い。」ってことは聞いていたから、通勤ラッ

拝啓 僕より僕へ

はじめて借りた部屋は三郷中央にある2LDKだった。31歳で借りたこの部屋。 2019年12月31日大晦日。 ここで僕へ公約を掲げたいと思う。 僕らは催しが好きだ。 母子家庭であったけど、何不自由ない生活と無償の愛を僕らはもらった。が、家庭を持って3年。 そろそろ自分流を作っていきたいと思う。 だから君も協力してほしい。 この部屋に住んで初めてクリスマスツリーを買ったことを覚えている?妻が欲しいと言って、僕も子どもの頃から欲しかったからついに買ったんだ。 僕は「もっと大

セイグル・ノア

父の伝手で就職した自動車関係の会社に勤めながら、のらりくらり、実家住まいをしていた。 父は、私の成績が悪いことを気にしていたが、事件でも起こさない限り、解雇される可能性はないと踏んでいる私は気にしない。 頑張っても頑張らなくても、結局のところインセンティブがない。 行動量と報酬のバランスに魅力がない場合、どうしてもやる気がでない性質で、クビにならなければいいと思っていた。 無駄な労力は、使わないほうが得である。 当然、やる気溢れる自己啓発向きの同期とは気が合うはずもなく、毎

大きな一歩

 まわりの皆がそうしていたから私もなんとなくそうした。県外の大学を受験する。  それはつまり一人暮らしをすることを意味していたが、今思えば、いや今思わなくても当たり前に思い至ることなのだが、馬鹿で想像力のない私はその事に全く気付いていなかった。  私は過保護な親の元で育った。親が過保護なせいで私が自分で何も出来ない子になったのか、私が自分から何かをしようとしないから必然的に親が過保護になってしまったのか。鶏が先か卵が先か問題のようだ。  なので一人暮らしの家も引っ越しも

満たされた日々の隙間に

僕の実家は、田舎とも都会とも言えないような地味な首都圏のはずれの街にあって、僕は市内の普通の公立高校に通っていた。 高校生3年生になって初めて彼女ができた。元気で明るくて、優しくて、ありのままの僕を受け入れてくれて、そしてそれを好きだと言ってくれるような素直な子だった。僕にとってとても大切な存在になった。 その頃は受験期のさなかであったので、毎日一緒に帰り、たまにサイゼリヤなんかに行って、たらこソースシシリー風を食べながら勉強をしたりした。そんな何気ない時間がとても愛おしかっ

今、住んでいる街を愛すること。

初めての一人暮らしから4年が経った。いざ振り返ると4年前も今と変わらず仕事人間だったが、マネジメントも役職も経験したことがなく、平社員として目の前のことに打ち込んでいた。 一人暮らしを始めたのは完全に勢いだが、具体的なことは何も覚えていない。25歳にもなって一人暮らしの経験がないことに対して若干の恥ずかしさがあったし、通勤時間も無駄に感じていたが、決定的な出来事はもう忘れてしまった。 いずれにせよ、何から何までわからないまま、とにもかくにも不動産屋に予約を入れて物件を探し

M 愛されるべき人がいて

大学の入学式の前日。 私は布団の中で葛藤していた。 内容はもちろん、えいやっと布団を出て部屋を飛び出すか、このまま眠ってしまうか。 実際、もう本当に飛び出さないと間に合わない時刻になっていた。 目の前のコチコチとうるさいアナログ時計が口をへの字にしたような面持ちで告げてくる。で、どうすんの? 私も開けるのがやっとのまぶたをなんとか押し開けて見つめ返す。 めんどくさいけど、行くか。今日は行ったほうがいい気がする。 高校の卒業式から今日までの間に雑誌で研究した化粧を手短に済

京都の自然が、一人暮らしの僕をいつも見守ってくれていた

18歳、京都の賀茂川沿いにある学生寮の部屋を借りた。お気に入りのポイントは、窓を開けると見える寮の裏の木々と川のせせらぎが聞こえることだった。 大学からは自転車で15分か20分。家賃は共益費込みで4万5千円の六畳一間。ユニットバスで、洗濯機は共用の、学生寮だった。親がいつのまにか調べて決めてきた部屋だった。これより安い部屋ならいいよと言われたけれど、探してみてもそう簡単には見つからなくて、はじめての一人暮らしで勝手も分からない僕は、まぁいいかと思える、何不自由ないものだった

はじめて借りたあの部屋

僕は学生の時からアパートを借りて一人暮らしをしていました。 また、新卒で入社した会社では、いわゆる転勤族でしたので、5年弱で6回は部屋が変わっています。 しかし、殆どが会社や学校など、つまり、自分以外の何かしらの強制力が働き借りた部屋です。 それは、自発的な要素よりも外的要因が強くあるものでした。 そういう意味では、「僕が初めて借りた部屋」とは「僕が僕の意思で借りると決めた部屋」のことでしょう。 そして、その部屋とは新卒2年目で借りた「コーポM」で、僅か1年程しか