鈴木ひかる

ゆっくりと、たべる

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ショート・ショート・ロング

22歳の女がショートケーキを選んだ。ちなみにこの22歳の女は昨日もショートケーキを食べている。そして明日はロングなケーキを食べたいと思ったそうだ。ロングなケーキ、とは。 「ロングなケーキを1つください」 店員は頭を抱えた。どれがいちばんロングだろうか。 この店のショートケーキは三角ではない。おかげで、ロングなケーキが存在する。おかげで、店員は頭を抱える。 これだ、もうこれでいい。いちばんロングだろうケーキをトレイに取る。22歳の女はにっこりと笑う。22歳の女はロングだろ

    • 5行だけフィクション

      「朝、鳥の声を聞くと、寝たくなりませんか」 彼は「いいえ」、とだけ答え、朝は起きる時間ですと言わんばかりに窓を開ける。 「月は何色だと思いますか」 私は瞬時に「青」と答え、「何色ですか」と尋ねた。 「赤です」 「ドビュッシーの月の光のイメージが強すぎて、青です」 私はそういって笑ったけれど、「それなら余計に、赤です」 外は雨が降っているらしい。つぶじゃなくって、線の雨。かさをさして雨の線に隙間をあけたくなるが、鳥の声を聞いた私は眠たくてしょうがない。やわらかな布団により

      • あめふつかめ

        昨夜は雨だなあと思っていたら寝れなかった。雨だなあをずっと考えていた。商業施設の駐車場と車道との間に立つ交通整理のおじさんは、合羽を着て傘をさしていなかった。ああいいなあ、雨に濡れるっていいなあと思ったけれど、傘をたたんで雨に濡れようとは思わない。合羽を着て、これは仕事です、濡れてもいいですよと言われて濡れたい。傘を閉じれば私は濡れ、服が濡れ、寒いのは嫌だった。濡れるには家から遠かった。ああいいなあ、濡れたいなあなんて、決して思ってはいけない。そんなことを思う人はこの仕事をし

        • お姫様か、カメか

          幼稚園のときの発表会、「浦島太郎」で私はどうしてもカメになりたかった。カメ役をしたいというより、当時私はカメになりたかった。通っていた歯医者さんにはカメがいて、カメ飼ってます!というときの小さなカメではなく、でっかいカメたち。ごったがえしながらガラスケースの中で生きていた。 カメ役にはすんなりなれてしまった。なぜなら女の子たちはみんな竜宮城のお姫様になりたかったから。カメは男女問わずそこまで人気ではないらしい。先生に、「お姫様じゃなくていいの?」と聞かれた。カメって言ってん

        ショート・ショート・ロング

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        • ふわふわ
          25本
        • ノンフィクション
          5本
        • いい大人のハローワーク
          1本
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          0本

        記事

          集う漱石、集う他人

          『文芸の哲学的基礎』を読むと、東京美術学校(現在の東京藝術大学)で夏目漱石が行った講演に参加することができる。そしてこれを知ったのは、図書館をうろうろしていたらたまたま見つけた、古田亮『美術「心」論 漱石に学ぶ鑑賞入門』で、今から読む。読書会をするかも、と風の噂で聞いた、岡崎乾二郎『抽象の力』の書評を読んでいると、唐突に出てきた、ここにも夏目漱石。なぜか漱石が集まってくる…ちなみに『文芸の哲学的基礎』は青空文庫と検索すれば今すぐ読めます。最近は長文を読む気力がないので、青空文

          集う漱石、集う他人

          水の音

          かれこれ1ヶ月ほど水の音と暮らしている。ちゃぽん、と言えば、私は立ち上がり蛇口をきつく閉める。狂うほどにひねってもしばらくすればまたちゃぽんと呼ぶ。ときどきは叩いてもみる。 現実は見たくないので私がいない昼間にボウルを置いてみるなどということはしない。1週間まではさほど気にしていなかった。2週間過ぎた頃から耐えられなくなってきたが、現実は見たくないのである。とはいえ休日は常にちゃぽんだから、ちゃぽんは次第に恐怖に変わってくる。もう家にいないようにしようか、家にいない間もちゃ

          みどり

          グリーンカレーがまあまあ辛いらしいということが受け入れられない。りんごの皮をむくとき、手を切るのが怖いからといって包丁と親指を離して持つと余計に危ないと言われたときの感じに似ている。あとは、火を付けたときと油を引くときの間にあるほんの一瞬の時間、フライパンが空だき状態にあるのが危ないと信じていたときとも似ている。 カレーが辛いのではなく、カレーという食べ物は多くの香辛料を併用して味付けをした料理であって、だから辛いらしい。そう考えるとグリーンカレーが辛いのも受け入れられる気

          2020年の8月9日の記録

          8月9日はいつも晴れている。 小学2年生の夏、教室で、私たちは全員立たされ、8月9日が何の日か分かる人は座るよう言われた。その時点で、クラスの半分くらいが座った。なんでみんなが座れるのか、全く理解できなかった。先生からのヒントや、周りの人との雑談、その中で立っている人は次第に減っていき、残りの2,3人になったとき、先生は私の名前を呼び、私が分からないのは仕方がない、座っていいよと言った。その後、みんなでアニメを見た。 このクラスのみんなが知っていること、少なくとも、1年前

          2020年の8月9日の記録

          お風呂はお風呂のために

          窓を開けて電気はつけず、床に寝転んでいた。何をするでもなく時間を過ごし、お風呂に入ろう、そう思った。 仕事を始めて1ヶ月。家に帰れば、明日もまた仕事へ行くために残りの今日を過ごさないといけない。まずは手洗いうがい。米をとぎ炊飯器の予約をする。お風呂に入ったら今日の仕事着と脱いだ服を洗濯。その間に風呂掃除。ちょうどよく洗濯が終わり、干した後は風呂場を拭き上げる。終わる頃にはご飯が炊けるいいにおい。 効率のいい生活をすればするほど、今している何かは次の何かに繋がっている。今し

          お風呂はお風呂のために

          今日は用事があるから遊べない

          小学生の頃、毎日のように外で遊んでいた。家の周辺で私はいちばん年上で、ひとつ下、もうひとつ下の子が二人、私の妹、二つ下の子の妹と、妹。 「宿題してから遊びなさい」なんてよく言うけれど、夕方の歌がなったら帰らないといけない小学生にそんな時間があるのだろうか。律儀に宿題を先にしてしまうと、暗くなったから遊べないねと言われて、結局遊ばせてもらえなかったのだろうか。特に約束していたわけではないのに私たちはなんとなく同じ時間に外に出てきていたから、そんなにとやかく言われる家庭ではなか

          今日は用事があるから遊べない

          そういえば柏餅

          例えば夏の暑い日だったら気にならないようなことも、こどもの日が終わってすぐの柏餅の話だとなんだか。5月の何でもない日だったらもう少し気にならないようなことも、母の日にあえての子どもの日で、これもどこか引っかかるような。まあ母の日も終わってるんだけれども、だから題名はそういえば柏餅、です。 何年生か思い出せないけれど、たぶん小学生の頃、柏餅を作ったことがある。簡単にできるお料理キットみたいな何か。柏餅は簡単にできあがって、柏の葉をまいて完成。あまりにあっけないできあがりで私が

          そういえば柏餅

          #第1歩 パン屋さん (文)

          パン屋さんに来ていた。焼き上がるパンを眺めていた。 パン屋さんでパンを買うことはとても難しい。店内に行列ができるパン屋さんほどその難易度は上がる。こんなにもたくさんのパンが私を見つめているのに、持っているお金的にも、私のお腹的にも、買うことのできるパンはせいぜい3個ほどだろう。ドアを開けていちばんに目に入ってきたくるみパン。これは店内のパンの中で、私が今食べたいパンランキング第3位までに入ることができるだろうか。店内を1周するように続く列。これからどんなパンに出会うか分から

          #第1歩 パン屋さん (文)

          出会う

          何のために来たのか、何のためになったのか、何ひとつわからない。私にはこれまで消し去りたい過去しかない。大学を卒業することが、またひとつ、消し去りたい過去を増やしただけのような気もしている。 今、やりたいことがない。何をやりたいのかを考えている人に研究は無理だと言われた。研究者は、やりたいことをやる人ではない。やらなければならない、やらずにはいられないことにとりつかれている人たちが、研究者になる。出会ってしまった、そのような感覚だという。確かに私にはそれほどまでの熱量がない。

          だったもの

          本当にあったのかなかったのか、ふわふわとしたお話―。 4年間、ここは私の部屋だった。日付が変われば私の部屋だった部屋になる。 電気は、きっと使えてしまう。ガスも水道も。しかし私にそれらを使う権利はもうない。身体の記憶というものがあるらしいが、頭ではわかっているのに私の手はつい電気を付けてしまう。慌てて消そうとするが、ブレーカーは落としているから明かりが灯る心配はない。 暗闇の中にスマホの明かりはまぶしすぎる。明るくなるのは一点だけ。こんなにもまぶしい光をものともせず、

          だったもの

          雪降る夜の放浪記

          掲示板に時刻が表示されていない。怪しすぎる空気を感じながらもエスカレーターに乗る。いつもなら人があふれかえるバス乗り場。さすがにこの時間だし、平日だし、人もいないのだろう。そう頑張って自分に言い聞かせながらとりあえず椅子に座ってみる。 私は非常事態ほどのんびり食べ物を食べる習性がある。昔家の鍵をなくしたときもまずしたことはドーナツを買うことだった。最終のバスを逃したらしい今も、かばんの中からあんぱんを取り出す。 私の時刻表には確かにある、23:43発のバス。23:13、3

          雪降る夜の放浪記

          信号の一体感

          男の人が1人、女の人が2人、そして私が信号を待っていた。バスが1台通って、他に車はもう見えない。信号はまだ赤、女の人が自転車を押して歩き始めたその瞬間に私たちの一体感は崩れた。3人の視線が一斉に1人へ注がれる。彼女が横断歩道を半分も渡らないうちに信号が変わり、3人も歩き始める。 私たち3人は、「信号が変わる」のを待っていた。バスが通った後、渡るか、渡らないか。絶妙なバランスが保たれていた。それを崩したのは、大して急いでいるわけでもなさそうだったあの人。バスが通り過ぎて4人が

          信号の一体感