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最高の日も最低の日も、一緒に過ごしたあの頃のこと。

武蔵境駅徒歩30分、最寄のバス停徒歩5分以上。
初めて一人暮らしに選んだ物件は、アクセスがあんまりよくない。
それでもここを選んだのは、大学から自転車10分圏内だったこと。
そしてなによりも、同じ家の違う部屋に元クラスメイトが住んでいることだった。

大学入学と同時に、学校内の寮に入った。
憧れだった親元を離れる生活、二人部屋の寮暮らしは思っていたよりも窮屈で、部屋の電気を消す時間やお菓子を食べる物音なんて気にして、結構ストレスフルな日々を過ごしていた。
入学早々振り分けられたクラスの中、大学構内にいくつもある寮のうち、同じ系統の寮に入っている子が二人いた。
一人は隣の寮で、もう一人は上のフロア。
私たちが入っていた寮は2年までしかいられない仕組みになっていたけれど、隣の寮の子はその窮屈さに1年で退寮し一人暮らしを始めていた。

同じように窮屈さを覚えながらも満期まで入居した私ともう一人は、退寮のタイミングで同じ家に誘われた。
そのまま退寮する二人で不動産屋に問い合わせ、一緒に見学に行き、それからちょっとだけずれたタイミングで引っ越しをした。
女子学生専用アパート群の中の3部屋は、私たちのものだった。

一人暮らしは、寮生活とは全く違う。
引っ越し初日、お風呂の沸かし方もわからず、友達に電話をかける。
「なんなら行こうか?」
なんて言われながらも、なんとか最初の難問を乗り越える。
ちょっぴり寂しい一人暮らしは、友達のおかげで顔を見なくても支えられている安心感があった。

帰宅したら、真っ先に目をやるのは友達の家の窓で、家の電気がついていることにほっとする。
「アイロン持ってる?」「じゃあ借りに行くね」
「今家にいる?行っていい?」
「20分後にファミレスに夜ご飯食べに行こうよ」
そんな程よい距離感の私たちは、寮にいた頃よりもむしろ話した。

もう少しで季節が一周周りそうだった冬、私は人生で初めて身近な人の死を経験した。
落ち込むもののやり場がわからず、泣くものの実感も湧かず、そんな宙ぶらりんの私が真っ先に連絡したのはこの二人だった。
またみんなで集まって、ひたすら励ましたり共感したりしてくれる友達に、少しは心が軽くなる。

そうかと思えば、就活が上手くいかなかった春、3人でお台場に遊びに行って自棄になりながらはしゃぎ倒したっけ。
観覧車に乗ったら何かの抽選が当たって、友達が巨大なフグの置物をもらったことに爆笑した帰り道が懐かしい。

失恋が完全に終わりを告げた後、3人で横浜に行ってディズニープロデュースのツリー巡りに精を出し、船の見えるセルフサービスのレストランで女の子扱いされたいだとか恋愛に夢見る話と現実の話とが交差した夜も。
帰りの電車の中で幸せってこんな味がするんだなと思いながら、それが終わりに近づいている事実を頭の中で反芻して、卒業の頃に思いを馳せた日。

はじめて借りたあの部屋での一人暮らしほど楽しい一人暮らしは、きっともうないのだろう。
一人なようで全然一人じゃなかったあの部屋は、卒業式間近の時期に解散した。
まず私が家を出て、残りの二人も勤務先の用意や手続きが終わってすぐに退去した。
今もあの頃の二人とは、数か月に一度会っている。

酸いも甘いも経験したつもりだった未熟な大学生だった頃、はじめて借りたあの部屋は、世界にあるどの部屋よりもきっと素敵な部屋だった。

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