42初めて借りたあの部屋

30年のその先も。

大学入学と同時に、人生初のひとり暮らしが待っているはずだった。しかし、末っ子で家事といえばそうじ担当の私に、母はどうしてもひとり暮らしをさせたくなかったようで、気づけば平日2食付きの下宿に入ることになった。

その名は「ばら館」。名前だけインパクト強すぎ。

今のようにネットで見る事ができるわけでもなく、名前の響きから色々なことを勝手に想像していた。

だって「ばら館」だよ?

初めて下宿先に行った日。閑静な住宅街に位置し、白いスタイリッシュな洋風の建物と緑の庭が見えた。下宿といえばどことなく暗い、古いイメージがあったので、「おお、こんなきれいな建物なのか」と、ひとり暮らしではないながらも胸が躍ったのを覚えている。

その建物に入ろうとしたら、母が言った。

「そっちじゃないよ。こっち」

私が入ろうとした建物は、下宿先の隣の民家だった。奈落の底に落とされた気分、まではいかなかったが、一気に夢から醒めた。

後で知ったが、他の下宿人も、みんな同じことをしでかしたらしい。だからと言って、決して「ばら館」がひどかったわけではない。部屋は和室6畳に小さなキッチンが付いており、押入れも広かった。エアコンが無かったこと以外は、おおむね快適だった。

洗濯機やお風呂、トイレ、冷蔵庫はシェア。実家からの荷物は、布団と衣類以外ほとんどなく、本棚をひとつもってきただけ。1年ぐらいは、引っ越しに使った段ボールがテレビ台だった。憧れのフローリングではなかったけれど、初めて自分だけの空間を得た解放感は何にも代えがたく、うれしかった。はじまりの瞬間、鐘が鳴ったような気がした。

いっしょに暮らす大家さんは料理上手で、朝も夜も大盤振る舞いだった。大学デビューすれば痩せるはずが、おかげで6キロも太った(笑えない)。昼ごはんや週末、夏休みなどは食事が出ないので、部屋のキッチンで調理。足りない調味料は同じ下宿人の誰かに借りた。わりとそんなことは日常茶飯事だった。

下宿の同級生とは住み始めてすぐに打ち解けた。門限が10時だったこともあり、毎晩誰かの部屋に集まったし、時にはそのまま他人の部屋でざこ寝した。今思えば、毎日が学祭の前日みたいだった。秋には下宿人全員参加の餃子パーティ。半日かけて何百個と餃子を包むのだ。翌日全員ニンニク臭くても、もはや誰も気づかない。

しかしさらなる自由を覚えれば、少しずつ下宿が窮屈になってくる。大人の階段をのぼる人が、また一人、また一人と退出した。私も2年間下宿で世話になった後、本当のひとり暮らしをするために、近くの学生向けアパートへ引っ越した。

2019年最後の日、実家の部屋を片づけていたら、学生時代の写真や卒業旅行用につくった観光のしおりが出てきた。思わず、友人二人に「こんな写真としおりが出てきた!」とメールしてしまった。

「ばら館」ではじめてできた友人二人だ。出会って30年。ずっとそばにいたわけではない。一年に一度しか連絡を取らない年もある。それでも、一瞬であのときに戻っていく。ドラえもんのタイムマシンよりも、はやく、正確に。ひとつの記憶から連鎖していく別の記憶。いくつもの記憶があっという間に蘇る。毎日いっしょに食べて、しゃべって、泣いて、笑って、ときどき一人で閉じこもって、時を共にした下宿の同級生。最初からひとり暮らしをしていたら、たぶん出会えなかった。


メールには、「それより、あなたいつLINEはじめるの? はやくはじめなさい(笑)」という返事。

たまの連絡がこれでも問題なし。つながっているという揺るぎなさがそうさせる。その一歩があの下宿生活だったんだと、今日しみじみと考えた。

2020年がもうすぐやって来る。30年という時をこえて、その先にまた三人で行こう。行こう!


記事を読んでくださり、ありがとうございます。世の中のすき間で生きているので、励みになります! サポートは、ドラマ&映画の感想を書くために使わせていただきます。