なかなか夏が終わらない。今年の夏の想い出といえば90年代サブカルの実像の露呈と崩壊かな。1976年生まれの私の礎だった事は確か。突然、精神的支柱が揺いだ。衝撃の度に小刻みな震えが脳裏に訪れた。兎に角みんなろくな事をしないね。今日もあったね。そこだけ一度手放して、今と前だけ見たい。
参謀として敵にしたくない著者、である。沖田総司の実像の、史料的再構築に挑んだ『沖田総司の謎』。既存の虚像崩壊をも恐れぬ緻密な論理展開、文章が数式に見えてもくる。“Χ=χР6×Р-2χ4/(χР6)2…ガチ数式!?”遂に数学書!?いやコレ、沖田家戒名の文字重複率――を導くのだとか。
虚像と実像。 本人の心の中までは、 見ることができない。 だから言葉を発する。 だから外見を整える。 時には嘘も混じる。 意識的か無意識的かは 外からは判断が難しい。 でも他人はその人を 外から見える要素だけで 判断する必要がある。 不確実で断片的な 要素であったとしても。