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『実像――広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』ノート


秋山千佳著
角川書店刊

 読み通して最初に感じたのは、著者の取材相手との絶妙な距離感である。こうしたルポルタージュでは、離れすぎては真実に迫れないし、親密すぎてもまた実像に迫れない事が多い。
 そこを著者は、中本忠子の進んでは語らない過去に興味を持ちながらも一気に踏み込まず、真摯な態度で取材を進めていく中で、信頼関係を結び、中本忠子の保護司としての一般的な活動を遙かに超えた献身的な活動の一つの動機に迫っていく。
 中本忠子が当たり前のようにやっていることで、なかなか出来ないことが多々ある。
 まず食事の提供。最初は自分の生活費を削って食事を提供し続けてきた。人間の根源の欲である食を満たすことによって、己の次のことを考えられる余裕をつくってあげることに繋がる。また中本さんの元に来る子どもも大人も全ての人を「おかえり」と言って迎える。さらに、「負の連鎖を切ってやらにゃいけん」と、子どもたちが抱え
る問題の本質を見抜き、更生保護対象の子どもだけでなく親も含めて丸抱えする姿勢。そして相手が自発的に話をし始めるまで、根掘り葉掘り聞かない。話し始めたら聞くことに徹すること。
「聞くことに徹する」――これは言うほど簡単ではない。普通は、非行を始め問題を抱えている人のことを早く知ろうとする余り、家庭環境、生い立ちや現状などを聞き出そうとし、常識論ですぐ解決策を見つけ出そうとする。そして、「ああすべき、こうすべき」と指導をしてしまうのである。そういう姿勢で更生保護の相手に向かうと、心を閉ざしてしまうことになりがちである。
 中本忠子の保護司としての仕事を、仕事でなくその矩を超えて全人格で取り組んで来たことについて、同じ保護司の仲間からはいろんな批判を受けたが、彼女の信念は揺るがなかった。
 道を誤った人間、外れた人間の自立の姿を自分への唯一の報酬として歩んできた中本忠子に、マスコミの表面的なきれい事だけの偶像化は不要である。
 ちなみにこの作品は、2020年の城山三郎賞の候補作としてノミネートされている。

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