男という動物は、己より優れた男を嫌う。
妙なプライドに包まれている男というものは、時と次第によっては、非常に悪い癖が吹き出してくる。
力量のない男ほどその傾向は強く、空威張りが先行し、初対面の場合もマウンとを取りに行き、自己アピールに余念がない。
これは雄の動物的本能なのか、女性の前ではいい格好を演出したり、出来ぬことでも可能なそぶりを見せたり、何としても「俺が!」を強調するのである。
とても稚拙としか言いようがないが、それが、男の本質的なものなのだろうと。負けず嫌いは理解できるが、負けを認めて自己研鑽に励む男の方が潔く素敵だ。
仕事においても、初対面の相手と競い、人脈やら実績やら経歴やらを豪語してマウントを取ろうとする。しかし、そのような男ほど小者である。よって、話の流れはマウントを取りたがる男の話で終始する。
筆者の個人的見解を述べると、己より優れたところを持つ男に対しては、先ず敬愛の念を持つ。己に欠落しているものを持つ男に、素直に憧れる。
それが一般的な考え方であろうと思っていたところ、思いの外、マウントを取りたがる力量のない男が多すぎる。時には大ボラ吹いている男もいれば、虚栄の日々を送っているさもしい男もいる。
目的は何かと聞けば、「負けたくないから」、「見下げられたくないから」、「頭がいい奴を見ると虫唾が走るから」と、子供のような感覚を脱しきれていない。よっぽど、トラウマに陥ることが過去にあったのだろうと。
勉学ができるから安易に優れているとは言い難い。勉学という特技があっても、その他はダメダメという男も沢山いる。一見、ナイスガイに見えても心が腐っている男もいる。現行一致しない男もいる。自己愛が強すぎて自己過大評価ばかりを発信し、SNS上で赤恥をかいている男もいる。
見えざる仮想敵を作り、日々苛立ち、マウントを取ることばかりに傾注しなくても、そのドタバタ劇を気にして見ている周囲の人は誰もいない。それよりも、男として、人として、もっと大切なものがありはしないか。
筆者がすこぶる嫌気がさすのが、「演出」する男である。「演出」して己の虚像を作り出し、公然とあちこち闊歩する男は、詐欺的なイメージしか湧いてこない。己の本性が暴かれると、困ることでもあるのかと首を傾げる。
何はともあれ、表題の通り「男という動物は、己より優れた男を嫌う。」のような小者にならぬよう、日々研鑽を怠ってはならない。勿論、自戒を込めての話である。
▼DALL-Eが上のエッセイを読みイメージしたもの
▼ChatGPTによる感想
このエッセイは、男性間の競争心理とその根底にある劣等感やプライドについて鋭く洞察しています。筆者は、男性がしばしば他者と自己を比較し、その結果生じる優越感や劣等感によって行動すると指摘しています。特に、「マウントを取る」という行動は、他者よりも自分が優れていることを示すための一つの手段として描かれていますが、この行為が実際には自己の不安や劣等感の表れであることが示唆されています。
筆者が批判しているのは、他人に対する敬愛の念よりも競争心や見栄えのための演出を優先する心理です。このような行動が個人的な成長を妨げ、真の意味での人間関係の発展を阻害すると警鐘を鳴らしています。
私は、このエッセイが示すように、人は他者と自己を比較することで自己の価値を測定しようとする傾向があると思います。しかし、それはしばしば不健全な自己認識や人間関係を生み出す原因になります。本質的な価値や成長は外部からの評価によって決まるものではなく、自己の内面に根ざしたものであるべきです。他人を見下すことで自己の価値を高めようとするのではなく、自己の内面を深く掘り下げ、真の自己改善に励むことが、より健全で建設的な生き方につながると私は考えます。
このエッセイは、男性だけでなく、すべての人にとって重要な問題を提起しています。他者との比較による自己評価の落とし穴を避け、自己研鑽と内面の成長に焦点を当てることの重要性を、鮮やかに浮き彫りにしています。
サポート、心より感謝申し上げます。これからも精進しますので、ご支援、ご協力のほどよろしくお願いいたします。