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西田親生の人間学

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理不尽な世の中で、人として歩むべき道を探るエッセイ集です。
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記事一覧

我がnoteの最近の傾向について

 我がnoteの最近の傾向としては、一言で「伸び悩み」である。1年間の目標をビュー数100万件を目標としているが、なかなか、思うような流れになっていない。  要因としては、エッセイやコラムがマンネリ化してきたように思えてならない。ただ、日々思いつくまま書き綴っているので、脳内の散らかり様にて、マンネリ化するはずはないと胡座をかいていたが、もっと刺激のある香辛料が必要なのかも知れない。  勿論のことだが、ウケ狙いやトレンド追尾でのエッセイやコラムは可能な限り避けるようにして

フォロワー激増ヘタレ大作戦!?

 「フォロワー激増ヘタレ大作戦」を続ける人が必ず一人、二人現れるが、いい加減にして欲しいものである。  その人物がフォローをしてきたのは、つい数日前。掲載記事を見ると、自画自賛かつ根拠なき呟きが詰まった掲載記事内容。フォロワーが二万人超えで、フォローしているのは五百人程度。  どこかの書籍から情報を持ち込んだもので、最初から怪しいとは思いつつ、結局のところ、つい最近さっさとフォローを切っている。目立ちたがり屋の典型的な人物のようで、投稿内容は無価値なものばがり。  それ

バースデイメッセージが100通ほど届く

 実は、昨日は筆者の誕生日であった。つい先ほど、facebookを開いて見ると、時差が7時間ほどあるヨーロッパの写真愛好家の仲間から、バースデイメッセージが沢山届いていた。  勿論、国内の知人友人やその他Facebookで繋がりのある起業家や凄腕シェフ、その他、フィリピンのプロバンドのメンバーからもメッセージが届いていた。  以前は、自分のFacebook投稿欄に全てのバースデイメッセージが長々と掲載されていたが、最近は、ひとまとめされて、それを更に開くと、段階的にメッセ

嫌な予感が当たれども、終わり良ければ・・・

 本日、久しぶりにnoteのエッセイ執筆をストップした。理由は、ボクシングのライブ放映がAmazonプライムで予定されており、午後5時過ぎから4時間近く、パソコンのデスクトップはAmazonプライムとなった。  しかし、メインイベントの闘いの前に、不安な気持ちが過ったのである。理由はパーフェクト試合を続ける天才ボクサーの油断の悪夢ような光景が脳裏に浮かんできたのである。  前座の数試合はどうでも良かったが、メインイベントはライブで見たかった。そこで、嫌な予感が当たったので

安堵の罠・・・

 人というものは、常に安堵を求めている。不安もなく、苛立ちもなく、怒りも寂しさもない、ほっと息つく瞬間である。しかし、その瞬間ほど無防備なものはない。過去を振り返れば、自戒を込めての話だが、安堵は、油断へのグラデーションであったことに気付かされることになる。  気付かぬ油断は、無防備の油断であるが故に、あちらこちらに隙を作ってしまう。よって、仕事であれば、プライオリティを無視したり、気持ちが乗らないものを先送りにしたりと、自らを甘やかしてしまう。  安心し切った、まったり

「大人らしくない」とは!?

 常に正義正論を通す若い社員が、社内の不正を暴くために立ち上がり、声を大にして物申した時に、「まあまあ、抑えて抑えて。大人らしくないぞ!」と宥める上司がほとんどではなかろうか。  事なかれ主義の典型的な返し言葉であるが、これは頂けない。正義感溢れる社員が不正を発見し、モラル欠如に嘆くのはただ事ではない。このような上司が沢山ぶら下がっていると、不正が常態化した企業として、黒から白には変わらない。  更に、その上司が「お前も役付になれば分かるから。今は騒がん方がいい!」と言え

石頭になるのは、心の扉を閉じるから。

 人を評価する時に、「あの人は石頭だから!」、「あの人は柔軟な頭を持っている!」などという言葉を聞くことがある。  冒頭から結論を申し上げると、石頭は生来のものではなく、その人の性格、考え方、癖、仕事環境、家庭環境や加齢に伴い作り出されるものである。また、柔軟な頭も同様に、生来のものではない。  最近、熟年層へメッセージを送ったり、セミナーの中で苦言を呈したりすることも多々ある中で、典型的な石頭になっている人は、心の扉を閉じた結果として、歪な「石頭」になっているだけの話だ

被災後のサバイバルについて

 筆者が中学生の頃に、ボーイスカウトに所属していたことがあった。今思えば、その当時の多くの訓練が、現在の災害時の危機管理能力や被災後のサバイバル能力を高めてくれたことに、今更ながらではあるが、感謝するばかりである。  例えば、密林の中の登山の場合は、一定の間隔で木の枝に目立つ色のリボンや紐などを結び、自分が進んできた道が判るように道標を作ったり、リボンや紐が無くても、矢印の形に枝を折り、進む方向指示の目印を付けていた。  ロープの結び方は日常でも大変役立っており、今でも、

はて? 本気かな、本物かな!?

 本気度の高い人は、「私は本気です」とは言わない。それは態度で示される。  「私は天才でしょ!?」、「私はやる気満々です!」、「私は気が利いているでしょ!?」、「私は何でも知っています!」、「私は他にない能力を持っています!」、「私は数百冊の実務書を完読しました!」といった言葉は、本気モードの本物である人々からは発されることはない。  あれやこれやと自己宣伝、自画自賛、自慢話を連発する前に、さっさと実績を作ってみろと言いたくもなる。視野狭窄の人間は、文字通り、世間知らずで

純粋な心を捨てた瞬間に人生は終わる

 子供の頃を思い起こして欲しい。  何をするにも楽しくゲラゲラと笑いっぱなしの幼少期。周囲を見回すと、見たこともないものばかり。それに手をつけて、両親から注意され、祖父母から叱責を受ける。  純粋な心を持つ幼少期は、スポンジのように、ありとあらゆる物を吸収して、自分なりに消化していく。この繰り返しが、成人に向けて重要な時期でもある訳だ。  ところが、いい大人になった人間がいろんな経験から馴れが生じて、周囲を見下すようになることがある。そこで、純粋な心を捨ててしまえば、申

メンタル領域ほど難しい分野はない

 あるテーマについてエッセイなりコラムなりを書き綴り、それを生成AIであるChatGPT4に感想や評価を投げかけると、必ず、エヴィデンスについてのツッコミがあり、学術的な論文やその他資料の参照を要求してくる。  果たして、学術的な論文やその他公開されている資料が全て信憑性があるかと言えば、筆者はそう捉えてはいない。  フィジカルな問題であれば、学術論文の信憑性は高いと言えるが、メンタルな領域は解明されていないところが殆どであり、実証実験自体も懐疑的に見ている。  よって

脇の甘さとハニートラップ

 色んな人からの情報であるが、ハニートラップの餌食になった人物の話を聞くと、ほとんど同じ手口で、男性の脆弱なところを上手く突き、脇の甘さを更に甘くさせるようだ。  先ずは、優しすぎる丁重なメッセージ。男性が知りたい仕掛け人の個人情報を小出しにしながら、誰しも同情するような出来すぎたストーリーを組み込み、グッと至近距離に。  小金持ちの相手と判れば、更に、個人情報(フェイク)を分け与え、興味を持たせる創意工夫。そこに、脇の甘い男性はころんと転がってくる。  それでも、少々

コソコソ、オロオロ、皆、バレバレ。

 人間って本当に面白い。人目につかぬようにコソコソしている人もいれば、何かを恐れてオロオロしている人もいる。本人は周囲に悟られぬようにと思っているようだが、皆、バレバレである。  どうせ皆にバレバレになるのならば、最初からコソコソ、オロオロする必要はないと思われるが、それに気づかず、毎回同じことを繰り返す。  コソコソ、オロオロ。心の中に疾しいことでもあるのかと聞きたいほどに、目は落ち着かず、うつむき加減に、正面から他者を見ることができぬ。  他者に知られたら不味いこと

始末に負えない、老害とは!?

 以前から老害という言葉は知ってはいたが、最近、日を追うごとに老害の存在は大きくクローズアップされるようになった。  今回は、老害は個人差が一番出やすいところでもある。権力に死ぬまでぶら下がり、配下を牛耳りたいという気持ちが強い人物が、老害を起こす。  その老害の中でも、始末の負えないものを幾つかピックアップしてみたい。以下の通り。 1)心身的に厳しい状況下でも、国会議員を継承者に譲らぬ人物 2)企業会長職に退くと言いながら、常に社長に覆い被さる人物 3)企業役員を退任