ほんまシュンジ

1980年代、大学卒業。営業。そして出版へ転職。 1990年代、専門雑誌。編集、ライタ…

ほんまシュンジ

1980年代、大学卒業。営業。そして出版へ転職。 1990年代、専門雑誌。編集、ライター業。 2000年代、フリーになる。「横溝正史ミステリー大賞」の最終選考に残る。 2010年代、書籍中心の仕事。行政書士試験合格。 2020年代、いろいろあって、自分中心主義。

マガジン

  • 微睡みの中で恋をして

    日記のような創作のような。創作のような日記。

  • 私の時間

    小説。私小説的エッセー的。オートフィクション。ある時代の日本。90年代後半ぐらいか。

  • 小説「ライフタイム」

    マガジン「微睡みの中で恋をして」に連載している小説「ライフタイム」のみを抜き出しています。

最近の記事

302 結局、スポンサーなんじゃない?

誰に気を使っているのか? だいたい、そんなことだろうと勝手な推測をするけれど、最近、ニュースで見受けることのうち、多くはスポンサーをつけているから起きている事象なのだ、と決め付けている。  私が生まれた頃に比べると、いまの世の中はすべてにおいて商業主義で、現状、そうした世界を批判する声はきわめて少ない。場合によっては、商業主義を批判する人にもスポンサーがついている可能性だってある。  事件が明るみに出て、辞退したり処分されたり処罰されたりと、いろいろ騒がしいことになっていくけ

    • 301 縁のないものを引き寄せる縁

      縁でつながる音楽や読書の系譜 そもそもが読むのが遅い人間だ。おまけになんでもかんでも読めるほど強靱な胃袋でもない。どうしたって消化によさそうな、柔らかそうな、喉を通りやすいものを選んでしまう。  音楽も本も、つながりで世界が広がるのではないか、と私は思っている。ジャズについて言えば、最初がハービー・ハンコックの「ヘッドハンターズ」だった。これはファンクでありなんといってもエレクトリックなサウンドだった。そこから、彼が所属していたマイルス・デイビスへ。マイルスからコルトレーンへ

      • 300 合理的にしないこと、バカになること

        小説を書くとバカになる? だいたい世の中、人がやっていることに茶々を入れる人の典型として「そんなことなんの役にも立たない」とか「そんなバカなことに時間をかけるな」とか「そんなことをしているとバカになるぞ」といった、まあ、理屈もなにもないようなそれこそバカげた文句が飛び出す。  人は、人が自分の思った範疇を越えた行動を取っているときに焦り、理解しようとして理解できないことに憤る。  つまり合理化しようとする。  一番合理的なことは、排除する。あるいは消去する。拭い去る。きれいさ

        • 299 「私の時間」について

          「ライフタイム」との関係 昨日まで4回にわたってアドリブで書いてきた「私の時間」。小説として別にマガジンを作っておいた。これは、その前に書いていた「ライフタイム」の続きでもある。どちらも、私が実際に体験したことを使って、まったく新たなストーリーをのせて描いている。そもそもこの「微睡みの中で恋をして」は、オートフィクションとして、実体験と重ねつつちょこちょことフィクションを入れ込んで書いているものなので、その中に「小説」をわざわざ入れるのもどうかと思うけれど、明らかにテイストの

        302 結局、スポンサーなんじゃない?

        マガジン

        • 微睡みの中で恋をして
          302本
        • 私の時間
          4本
        • 小説「ライフタイム」
          12本

        記事

          298 私の時間4

          ポンと音を立てて Kさんは、スーツに足はストッキング。すべりやすい廊下を経て、慌てて書斎へやって来た。そして私が見逃していた物を発見すると、「ちょっと」と言ってバッグも手土産も放り出し、私を邪魔者のように脇へ押しやる。  なにか言葉を発しなければと思っている間に、彼女はT氏の背後へ回り、ジャケットを脱ぎ捨てる。白いブラウスがまぶしい。華奢な体つきの彼女だった。 「どっこいしょ」と彼女は背後からT氏の脇の下に手をやり、両手をがっちりと鳩尾あたりで組んだ。そして「えいっ!」と甲高

          298 私の時間4

          297 私の時間3

          私なんかで大丈夫でしょうか? 時間が足りない。そんなことばかり考えていたので、隣に座る彼女の声を聞き逃してしまった。東海道線のボックス席。昼間であまり混雑はしていない。神奈川県方面へ向かっていた。 「私なんかで大丈夫でしょうか?」  Kさん。まだ大学生のような見た目。それでもよく知られた私大を出て出版社に勤めていた。どういうわけか、T氏の企画書は出版社の厳しい審査の目を潜り抜けてGOサインが出てしまった。そうなると、スケジュールが勝手に組み立てられて、なにもかも急がなくてはな

          297 私の時間3

          296 私の時間2

          引きこもる勇気 記事を上げてしまえば、すぐ次の企画。体はひとつ。企画はいくつも並んでいる。ぜんぶ自分でやる。知り合いのライターは、仲間と手分けしていたのだが、その結果、仲間とギャラのことでケンカばかりしていた。そのライターは、学生のようにそんな人間関係こそ大切なのだと考えているらしく、どれだけケンカをしてもへこたれない。私にはそこまでの度胸はない。  仕事を断ることも覚えた。仲間ではなく、別の企画で出会った優れたライターにふってみたらどうか、と編集に示唆する。あとはどうなった

          296 私の時間2

          295 私の時間

          引きこもれ!と叫ぶ人「引きこもれ! 徹底して引きこもることこそ、この歪んだ資本主義を正すための第一歩なのです」  急にトーンを高くしたT氏に、私はたじろぐ。  いま当時の音源を再生していても、やっぱり私はたじろぐ。それぐらい鬼気迫るものがった。  T氏はある時期、テレビや雑誌にひっぱりだこの経済評論家で、たまには「国際経済評論家」と「国際」をつけたりしていた。だから久しぶりに取材で会ったときに「国際経済評論家」と書かれた名刺を渡されて、少し驚いてもいた。この数年、深夜の討論番

          295 私の時間

          294 お休みになにをする?

          なにもしたくない 1日に何度か「今日はなにもしたくない」と思う。  思っているのに、その思いの側からちょこちょこと「やるべきこと」が顔を出してくる。やるべきことには2種類あって、本当にやるべきなことと、そう思い込んでいること。本当にやるべきことだけをやって、思い込みは排除するとスッキリするだろう。  ところがそうはいかない。思い込みってのは、そうはいかないように出来ているから、思い込みなのだ。  こうして「なにもしたくない日」にしてしまうことは、思い込みによって「やるべき」と

          294 お休みになにをする?

          293 これ以上よくなる世界の終わり

          なんだか冷めた感覚 20世紀の終わりに、世紀末の退廃的な雰囲気があったのかと問われると、どうも記憶にない。退廃は、おそらく18世紀頃からずっと続く文化的なひとつのジャンルなのではないだろうか。つまり、私たちはずっと退廃していて、退廃の上に暮らしている。  だから、いまさらながらだけど、いま私たちは「これ以上よくなる」と信じる世界の終わりを経験し続けているのかもしれない。もちろん、それは「人による」。個人的に常に情熱を持ち未来に向かって精力的に取り組んでいる人もいる。そのことを

          293 これ以上よくなる世界の終わり

          292 学歴と頭のよさのギャップ

          例のコミュニケーションに驚かない理由 今朝、この記事を拝見しました。  今回の都知事選はいろいろありましたが、中でもこうした話題は尾を引いています。なぜなら、2位とはいえ期待もされているからでしょう。  実は私はあまり興味がなく、詳しい内容を知らなかったのですが、上記の記事でおおよそわかったつもりです。質問と答えが噛み合わない。しかも噛み合わないことについて、当人が譲歩することなく、むしろ攻撃的になる。  そこの部分だけ取ると、私はぜんぜん驚きません。こういうコミュニケーシ

          292 学歴と頭のよさのギャップ

          291 決まり切った時間

          同じ時間に書く習慣 同じ時間に書く習慣、ちょっと韻を踏んだ感じがしなくもないな。  要するに、多くの先生たち、作家たちが、執筆時間をちゃんと持とうと言っている。できれば同じ場所(書斎!)、同じ時間にとにかく書くこと。  なるほど、それは素晴らしいことだし、恐らく職業として作家、文筆業を選んだらいずれにせよ、そうなってしまうことだろう。  ニワトリが先かタマゴが先か。仕事になったのでそうするのか、そうすることで仕事になるのか。  それはケースバイケースなのでなんとも言えない。

          291 決まり切った時間

          290 テレビを見ない人たち

          都知事選のあとで どうもよくわからないんだけど、都知事選のあとのこと。テレビで分析をしている人たちの声の中に、「テレビを見ない人たち」というカテゴリーを語る人が増えた気がする。テレビだから、テレビを見ない人たちの悪口はいくらでも言えるってことなのか?  だけど、どんな番組でも、いまはネットで誰かが「まとめ」をしてくれている。番組内でおもしろい、あるいは論議を呼びそうな発言があれば、すかさず誰かがネットにあげてXのタイムラインに流れてくる。このおかげで、あるいはこのせいで、私た

          290 テレビを見ない人たち

          289 警戒される日々

          どうして警戒されるのか? 昨日、朝顔まつりの周辺を歩いてみた。日曜日とあって、たくさんの人であふれていた。しかも暑い。暑さをしのげる場所は皆無。とっとと人混みから離れた方がいい。路地に入ると、真新しいマンションが建っていて、その植栽のあたりで座り込んで缶チューハイを飲んでいる若者たちがいた。いわゆる路上飲みであろう。  そのとき、私がとても驚いたのは、彼ら彼女らが実につまらなさそうな表情をし、疲れ果てていたことだ。  あれ、渋谷あたりでニュースになる路上飲みとイメージが違う。

          289 警戒される日々

          288 細切れの活動

          絵を描くときはテレビは見ない 絵を描くとき、Spotifyで音楽を流している。あるいはそれさえも停めてしまう。絵は独特の世界で、とても夢中になる。それはプラモづくりにも似ている。なにかをつくる、感覚。同時に、ペンキ職人になったような気分にもなっている。銭湯の壁に立派な富士山を描く職人のように、ひたすら塗る。それがおもしろい。  もっとも、いまの私はPCで絵を描いているから、汚れることはない。道具を片付けることもない。お気楽なものである。残念ながら筆のあの感触は得られないけれど

          288 細切れの活動

          287 不幸の招き方

          なにもしなくてもやってくる とても幸運な星の下に生まれたのでもない限り、なにもしなくても不幸はやってくる。どうすれば幸せを得られるのか。幸運を招くにはどうすればいいのか、と多くの人たちは思っている。そして、本当かどうかはともかく、「こうすれば幸せになれますよ」とか「幸運をゲットするならこの方法」みたいなことを言う人たちは、大勢いる。それだけ需要があるのだろう。  だけど、ちょっと待てよ。その大勢の人たちは、他人に幸せになる方法や幸運を授かる方法を提供できるぐらい、幸運な人たち

          287 不幸の招き方