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302 結局、スポンサーなんじゃない?

誰に気を使っているのか?

 だいたい、そんなことだろうと勝手な推測をするけれど、最近、ニュースで見受けることのうち、多くはスポンサーをつけているから起きている事象なのだ、と決め付けている。
 私が生まれた頃に比べると、いまの世の中はすべてにおいて商業主義で、現状、そうした世界を批判する声はきわめて少ない。場合によっては、商業主義を批判する人にもスポンサーがついている可能性だってある。
 事件が明るみに出て、辞退したり処分されたり処罰されたりと、いろいろ騒がしいことになっていくけれど、その裏には「おカネを出した人」の存在がチラチラする。いやチラチラどころじゃないか。ベタベタと見えている。おカネを出した人はだいたい、自分たちのロゴをベタベタ貼るからね。
 ほら、記者会見の背中のパネルにいっぱい貼ってあるよね。
 このnoteだってその意味では同じ。免れない。恐らく、noteの利用規約を読めば「こういうことはしちゃダメ」の項目があって、それは一般社会常識のように見えているものの、基本はおカネを出した人に気を使っているからだ。
 子どもには「おカネを出した人が一番えらいんだよ」と教えることだ。それが教育の最初の一歩になるだろう。
 今後、自治体をはじめとした「公共」と呼ばれている部分にも、どんどんスポンサーがついていくので、「申し訳ないが、あなたのような人はここを利用しないで欲しい」と言われるケースが出てくる。「公共なのに、なんでだ、税金だって払っているぞ」と言ったところで、現実に多くのカネを負担している者の考えが通ることになるだろう。
 法律で処罰されるだけではなく、スポンサーに迷惑がかかる行為も社会的な制裁の対象となる。
 これって、恐怖ですよね。
 だけどまあ、さまざまなメディアに乗っかっておカネを稼いでいる人たちだって免れないので、そこに反旗をひるがえすことはできないだろう。自分が消されてしまうから。
 きっと、話の論点をすり替えてしまう。自分たちの安全を第一に考えたら、真正面から突撃するなんてバカバカしい。「大人げない」と冷笑する。
 論点をすり替えることによって、事態はさらに曖昧になっていき、結局は個人を社会から抹殺することによって安定する。抹殺された人は社会から見えないので、誰も気にしない。主張したところで「おまえが悪い」で終わってしまう。
 まあ、そういう時代を生きているわけだしね。MLBもオリンピックも国技と呼ばれる相撲でも、隅々までカネの力が働いている。私がそう言ったところで「そんなの当たり前じゃないか、なにをいまさら」と言われるだけのことだろう。
 ところで、私のような者にも「スポンサーになりましょう」と言ってくれる人がいたら、上記のような言説は恐らくしなくなる。だって、人間だもの。

ここはどこでしょう。


 

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