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288 細切れの活動

絵を描くときはテレビは見ない

 絵を描くとき、Spotifyで音楽を流している。あるいはそれさえも停めてしまう。絵は独特の世界で、とても夢中になる。それはプラモづくりにも似ている。なにかをつくる、感覚。同時に、ペンキ職人になったような気分にもなっている。銭湯の壁に立派な富士山を描く職人のように、ひたすら塗る。それがおもしろい。
 もっとも、いまの私はPCで絵を描いているから、汚れることはない。道具を片付けることもない。お気楽なものである。残念ながら筆のあの感触は得られないけれど。
 だいたい、描き出すと時間を忘れてしまう。だから、それはきっと自分にとってはいい時間なのだろう。
 文章も、基本的には音楽をかけて書いていることが多い。
 昔はラジオをかけていたこともあった。音楽を聴くときはステレオにスイッチを入れてレコードをかけることになり、A面が終わったらB面にする、といった作業によって、ほかのことをしていると中断されてしまうからだ。
 CDの登場で、それは少し楽になった。だが、CDを入れたり出したりは発生する(40枚ぐらいのCDをセットしてジュークボックスのようにかける装置があったはずだけど、さすがにそこまではやらなかった)。
 MDは私は使っていない。
 CDの音源をiTunesで聴くことができた。PCにCDを取り込んでいく。その作業が面倒だけど、何枚か入れてしまえば、あとは気軽に再生できた。これは比較的よかった。
 だけど、サブスクのおかげでそうしたことはすべて吹っ飛んだ。自分でプレイリストも作ることができるから、お気に入りの曲をぶっ通しで何時間でも流し続けることができる。
 たとえば、このプレイリストは8時間用。

 これをスタートすると、8時間、作業に没頭できる。実際は8時間もやることはまずないけど、やろうと思えばできる。

細分化してマルチ化

 とはいえ、ただ音楽を聴きたいときもあるだろうから、それを趣味とするときは、それだけになってしまう。
 そこで、絵も文章も音楽もテレビも映画さえも、私は細分化してしまう。
 絵を10分やって文章を30分。テレビを30分見て、仕事を1時間やって映画を30分見て、Xなどネットを30分。読書15分。そしてまた仕事へ戻る、みたいな。
 まったく落ち着きのない活動状況で、「なにかひとつに没頭すれば?」という、とてもまっとうな意見が聞えてきそうだ。
 だけど、それはできない。集中力が続かない。
 PCのおかげで、私はこんな落ち着きのない日々を送ることができるようになった、とも言える。
 あれもこれも、ちょっとずつ。そういう日々である。
 映画をちょっとずつ見るクセは、明らかにサブスクのおかげだろう。本来、いっきに見るべきだ。それはわかっているけど、そうもいかない。日常の中で、2時間以上きっちり空けられるかと問われると、私にはムリ。
 考えてみれば会社員のときは、8時間とか12時間とか、仕事やっていたんだよなあ。フリーランスになってからも、忙しいときは寝る間も惜しんで仕事をしていたこともあった。
 それがどんどん怠け者になっていく。いまではすっかりダメ人間だ。
 先日、運転免許の更新をした。5年前の顔写真と今回の顔写真を比べると明確に老けている。老けているだけではない。だらけている。なんだこの緊張感のない顔は。自分でも呆れている。この5年間になにがあったというのか。それは年齢を重ねただけではない。コロナ禍を経験し、突発性難聴を経験し、大切だった仕事の大半を諦めた。人生最大の危機である。俺の危機だ。アイデンティティーの問題だ。
 その結果、締まりの無い顔になっているとしたら……。
 もう少し、ピリッとした生き方をしなくちゃな、と改めて思う。と同時に、時間の使い方もいずれ見直すことになるんだろう。やること、やれることを手放す時が来るのだから。
 自分は最後になににしがみつくのだろう。

まっすぐな線を引けない。

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