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294 お休みになにをする?
なにもしたくない
1日に何度か「今日はなにもしたくない」と思う。
思っているのに、その思いの側からちょこちょこと「やるべきこと」が顔を出してくる。やるべきことには2種類あって、本当にやるべきなことと、そう思い込んでいること。本当にやるべきことだけをやって、思い込みは排除するとスッキリするだろう。
ところがそうはいかない。思い込みってのは、そうはいかないように出来ているから、思い込みなのだ。
こうして「なにもしたくない日」にしてしまうことは、思い込みによって「やるべき」と勘違いしたことで、すべて徒労に終わってしまう。ただ、結果的になにもしなかったのと同じってことになる。
だけど、徒労はシンドイ。酒を飲みすぎたあとのような、尾を引く後悔に捕まってしまい、容易に抜け出せない。なにもしたくなかったのなら、何もしなければ良いじゃないか!
いくら自分に言い聞かせても、思い込みを外せないのだから、同じことを繰り返してしまう。
もちろん希望の光は常に見えている。「今度こそ思い込みで判断しないようにしよう」と言うのは簡単だ。それができれば私は素晴らしい世界へ抜け出せるだろう。いつも、本当にやるべきことしかやらず、あとはなにもしない。完璧な毎日になるはずだ。
覚えていないけど覚えている
「ところで3年前のあの件、覚えている?」
ある人がそう囁きかける。ある人は、ここで名を出すことはできない人で、もしかしたら人でさえないのかもしれない。
「3年も前なら、忘れているなあ」
覚えていても、それはもう忘れよう。忘れてしまうことだ。
「残念。覚えていたら聞いてみたかったことがあるんだよな」
「なに?」
「いいよ、忘れているなら」
「なんか、気になるな、それ」
「気にしないで。忘れているならそれでいいんだから」
その人はそれ以上、この件に触れたくないようだ。だけど、私はそれを知りたい。いったい3年前のあの件について、あの人はなにを知りたいのか。なにもかも知っているはずではないか? いや、知らないかもしれない。カマをかけているのだ。そうやって、もし覚えていたら、3年前の記憶の残滓を私から引き出して楽しもうとしている。あるいはそれを加工して自分の役に立てようとしている。
あの人は、そんなに好奇心の強い人ではない。だから、私の発言をうまく自分のなにかに利用しようとするだろう。ある意味、実際的な人なのだ。
私はその日、あれこれと悩む。あの人はいったいなにが目的だったのか。そして3年前のあのこととどんな関係があるのか。共通の誰かがきっと関わっている。だけどそれも誰なのかわからない。あの人は偶然、知ったのかもしれない。いや、そんなはずはないから、やっぱり私をどこかへ誘導しようとしている。
これから、あの人と会うときは気をつけなければならない。
こうしてなにもしない日に、思い込みでなにかをしてしまう私は、ちょっとしたフィクションを書き記してしまっている。
これは紛れもなく、思い込みによる間違ったやるべきことで、本来のやるべきことは別にあった。きっと、あったに違いない。ただ、それがなにかを私は永遠に知ることはない。
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