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私は小学生!?・・・一端の大人に育ったと思っていたが、やっぱり、バレたか!!!

 或る日突然、或る人から、「小学生のようだよ!」と言われてしまった。瞬間、「うん?どこか?いえいえ、手前味噌ながら、立派な大人でしょ!」と心の中で叫びながら、自分自身の日頃の挙動なりをチェックすることに。

 以前から評判悪く、「厳しくて怖い人」、「正論で突き刺す人」、「異常に圧を感じる人」、「激昂すると何をするか分からない人」などと、結構、威圧感があり、太々しい人物であると噂されているようだった。

 自分では全く無意識であり、相手を恫喝するような武器など持ち合わせていないので、どこかで実像が歪むような、何かフィルター又はエフェクトが掛かっているのだろうと推察する次第。

 従って、冒頭の「小学生のようだよ!絶対、小学生!」と笑われたが、実は、ポジティブ且つ超単純馬鹿な筆者は、心の中では嬉しさ一杯の大玉の花火が何発も打ち上がっていたのであった。

 このギャップは、何???周囲の人は先入観があって、それが実像を歪めているに違いない。敢えて、責任転嫁らしい流れとするが、筆者のオーラは法曹界にいた亡き父親の存在に影響を受けているのは間違いない。正しいことをして当たり前、悪さをすれば押入れ独房行きの人生であった。

 それに、起業前の古巣は新聞社。男世界で、同僚や先輩との凌ぎの削り合いは日常茶飯事。昭和時代特有の恫喝や誹謗中傷雨霰。その中で生き残って行くには、敵対国と見做されたのだから、負ける訳には行かない。よって、高度な理論闘争のアイドリングを常としていた。

 しかし、現在のような多様化の時代に変わって来れば、理論闘争のウェポンを持つ必要はなく、自分は自分、他人は他人と割り切って、自分らしさを表現することに力を注げば、とても楽しく生きて行けるのではないか。

 ここだけの話だが、冒頭で揶揄された「小学生」だが、正直なところ、いろんな面で、年甲斐もなく自覚はある。負けず嫌いで、独占欲は銀河系を凌ぐほど。また、欲しいものは、逆立ちしてでも欲しくなる、聞き分けのない小坊主である。

 サイマルテーニョスリーな多元的思考回路は持ち合わせているものの、一つの事に嵌ると、何時間経っても、食事の時間であろうが、風呂の時間であろうが、お構いなし。どっぷりと頭を突っ込んだまま、自分の世界に入り込んでしまう。

 最近、ウクライナ・クライシスが気になって気になってたまらない。仕事中であろうが、車の運転中であろうが、トイレやバスルームであろうが、iPhoneのウクライナ情報画面に入り込む。ロシアの恥ずかしいほどの言い訳、腐った論理思考に激昂しながらも、ウクライナを応援している自分がいる。

 役立たずの応援であるかもしれないが、あんなに残酷な情景を目の当たりにしても、諸外国の要人たちは、自国の損得をメインとして考え、殺戮、プロパガンダを黙認しているようにしか見えない。そんなこんなで、iPhone凝視による頚椎圧迫!?なのか、首に違和感を感じる今日この頃となった。

 また、「小学生のようだよ!」の指摘に戻るが、筆者はとてもポジティブな人間であるために、「小学生」という表現に「純真無垢」というクリスタルな称賛を込められていると感じてしまう。しかし、これはナルシスト的な勘違いなのかもしれないと、自分の背中を指差して笑ってしまった。

 勿論、仕事では、〆るところは〆る。言ったことは、とことん実現に向けて諦めない。皆が一応に楽しく豊かに暮らせるのが一番だと考える。よって、悩み多き暗い大人になるよりも、「純真無垢」なる「小学生」を続けた方が、どれだけお得な人生かとの結論に至ったのであった。

▼皆に伝わる歪んだ虚像

▼これが、実像。

▼これが、本性。

座布団猫(西田親生 作)10年前にiPad Proで初めて描いたイラスト

▼これが、実態。


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