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アントン・ヴェーベルン(1883-1945):指揮者としてのヴェーベルン

一日一頁:鶴見和之『フランクフルト学派 ホルクハイマー、アドルノから21世紀の「批判理論」へ』中公新書、2014年。

アドルノがパウル・ツェラン宛書簡で自己引用した『マーラー』における第9交響曲についての言及

「芸術から私たちを守れ!」と春太郎はいった

モリス・ラヴェル

読書ノート 「精神の政治学」 今村仁司

1か月前

バルビローリのシベリウス:第6交響曲 ハレ管弦楽団(1970)

アドルノの著作集

1か月前

カフカの「審判」について:アドルノを介して、マーラーからの視点

フローロスのマーラー論第3巻中の第7交響曲第1楽章331小節のシンバルについてのコメント

アドルノのマーラー論(1960)の末尾より

ヴェスリング「アルマ」に登場する2名の女性について

3.11のあとに詩を書くということ

2か月前

証言:アドルノの「パルジファルの総譜によせて」中のマーラーへの言及

証言:第8交響曲に関するヴェーベルンのことば

ビートルズ陰謀説

アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について

動学倫理学と道徳教育(2013)

3か月前

アドルノのマーラー論(1960)でのカフカ『審判』の引用

アドルノのウィーン講演(1960)より

調査レポート(2)「ドロミテのマーラーの足跡を辿る―林邦之さんに―」

アドルノのマーラー論末尾の引用 "Nacht ist jetzt schon bald."について

はじまりの門前で:はじめてのバタイユ①

ジェルジ・リゲティ

地方映画史研究のための方法論(27)大衆文化としての映画①——テオドール・W・アドルノとマックス・ホルクハイマーによる「文化産業」論

いつメン(死語)との「はなればなれに」

マーラーとドストエフスキー(2):「白痴」について

アウシュヴィッツの表象不可能性について、アドルノによるテーゼから考える

芸術と人生

証言:小林憲正『アストロバイオロジー 宇宙が語る<生命の起源>』より

ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:音楽についてのマーラーの言葉

断片VI 幻境への旅

アドルノのマーラー論における第4交響曲への言及について(2)英訳の場合

はじまりの門前で:はじめてのバタイユ③

マーラーの音楽の「非論理性」について

カント『純粋理性批判』における「自発性」の機能:「超越論的分析論」を中心に①

アドルノ「エピレゴメナ」(『幻想曲風に』所収)に寄せて

マーラーとドストエフスキー(1):「カラマーゾフの兄弟」について

連載第6回:『結婚の哲学史』第1章第4節 結婚の形而上学の第一公理――契約(contract)と約束(pact)

そしてまたONCE AGAINを歌い出す

カント『純粋理性批判』における「自発性」の機能:「超越論的分析論」を中心に②

”アウシュビッツ以後は、このわれわれの生存が肯定的なものであるといういかなる主張も単なるおしゃべりに見え、そうした主張は犠牲者たちに対する不当な行為であるという抵抗感が湧きおこらざるを得ない” アドルノ https://quartetgrape.wordpress.com/memorabilia/homo-capax-infinite-finitum-%e7%84%a1%e9%99%90%e3%82%92%e5%85%a5%e3%82%8c%e3%82%8b%e6%9c%

オルテガ『大衆の反逆』⑤

8か月前

ユダヤ人としてのアドルノとアウシュビッツ

「前衛」の暮れ方―二十世紀芸術の音楽を中心にした覚書―

6か月前

詩歌のブレーキ力

マーラーと永遠性についてのメモ

日曜哲学宣言 #0

9か月前

ラディカリズムの誘惑

1年前

「主観的なものと客観的なものという概念は、いつの間にか完全にさかさまになってしまった。」アドルノ「ミニマ・モラリア」

7か月前