ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:音楽についてのマーラーの言葉
ナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録:音楽についてのマーラーの言葉(1984年版原書p.138, 1923年版原書p.119, 邦訳『グスタフ・マーラーの思い出』, 高野茂訳, 音楽之友社, pp.301-2)
この言葉はナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録のSommer 1899 8. Juni - 29. Juli の章、Auf Bergeshöh(山の頂で) の節に含まれる。(1923年版には 22. Juli という日付の記載があるのだが、 1983年版では削除されており、1983年版に基づく邦訳にも当然日付の記載はない。削除の理由は詳らかでない。)この日、彼らはPfeiferalmに登り、その頂きにある小屋のヴェランダでの 言葉として記録されている。よくあることで、マーラーは突然こうした言葉を語ったのであろう、バウアー=レヒナーはどうしてそこでこうしたことをマーラーが語ったのかわからないと付記している。
だが私がこの言葉に初めて接したのは、実はナターリエ・バウアー=レヒナーの回想録ではなく、アドルノのマーラー論の中での引用によってではなかったかと思う。ただしアドルノが引用したのは 最初の一文のみであるが(I. Vorhang und Fanfareの最後のパラグラフ、Taschenbuch版全集第13巻p.165,邦訳(龍村訳)では p.23)。アドルノがこの言葉を引用した文脈はそれは それで興味深く、そうした憧れの表現が、世の成り行き(Weltlauf)を正当化する装飾と化す事無く、他なるものの他性を損なうことなく、見失われたもののうちに見つけるのでなければならないというように続く。 (このあたりをレヴィナスの超越論・他者論と突き合わせる作業は、そのいずれもがヘーゲルの現象学に対する読解なのであってみれば、非常に興味深いものとなるであろう。) 日曜作曲家、休暇の作曲家であり、世間的には歌劇場の監督であったマーラーは単純に世の成り行きを拒絶したのではない。実際の動機は何であれ、彼は日々の糧を得るべく、 身をすり減らし、自分の時間のほとんどを費やしたけれど、その最中、合間を縫うようにして音楽を書き続けた。意地悪な見方をすれば、実は件の憧れは「私はこの世に忘れられ」という 題名がいみじくも告げているように、そうした日常からの逃避だったのではないか、結局のところマーラーの音楽とて、本人にとっては楽長殿のはた迷惑な道楽であり、所詮は娯楽に 過ぎないのでないかと疑ってみることもできよう。実際、アドルノの発言を裏返したように、例えばハンス・マイヤーは(多少異なった文脈でだけれども)、マーラーの音楽は日曜宗教みたいな もので、装飾品ではないかという発言をしていたりもする。(Rainer Wunderlich刊行のマーラー論集に収められた"Musik und Literatur"の特にp.152以下。邦訳は酒田訳「マーラー頌」p.361以下。) マーラーがこの言葉を発した状況は、私には例えば第6交響曲第1楽章展開部後半の、アドルノのカテゴリーではSuspensionにあたるブロックを思い起こさせるが、マイヤーの手にかかれば 自然に対するマーラーの態度も同断であって、ディレッタント的な簒奪者ということになってしまう。だが、一見したところ対立するように見えるマイヤーの主張の結論はアドルノのそれと、少なくとも 決定的に背馳するものではない。マイヤーは「大地の歌」が「第2交響曲」の撤回であり、カフカやシャガールを引き合いに出しつつ、マーラーの芸術には救済が拒まれていると述べているのだから。
しかしここではアドルノやマイヤーの所説を検討するのは控えることにしたい。それよりも私にとって気になることは、マーラーの音楽を1世紀後に「消費」している私は、それでは一体何なのだ という点である。かつて中学生であった私がそう思ったように、私もまたディレッタント、簒奪者ではないのか。そうでないような立場が可能なのかは、現在の私にも未だ判然としないのだ。 お前に一体何がわかるんだと問い詰められれば、私には返す言葉がないのははっきりしている。まるで(これまたアドルノがマーラー論で引用した)カフカの「審判」のヨーゼフ・Kのように、 マーラーの角笛歌曲に歌われる「ひかれもの」のように。
けれども実は、寧ろそうであるからこそ上記のマーラーの言葉に、そしてその言葉を決して裏切らないマーラーの音楽に私は強い共感を覚えるのかも知れない。悟った人から見れば、こうした私のスタンスは 悪あがきに映るだろうし、そうした人にとってはもしかしたらマーラーの音楽さえ、そうした悪あがきのサンプルということになるのかも知れない。だがそれならそれで、ここでコミットメントが生じているのだ。 きっとマーラー自身がそうであったように、かの如き憧れなしに「世の成り行き」に身を浸すのは耐え難いことだけれども、だからといってそれは単なる息抜き、娯楽であるわけではない。 再びマーラー自身がそうであったように、それがある種の目的論的転倒であるにせよ、「神の生ける衣を織る」こと、為し能うかどうかは定かでなくとも、そのように努めることをせずには いられないのだ。マーラーの没後、「マーラーが何から救われたいと思っていたのかわからない」、と冷静で怜悧なリヒャルト・シュトラウスは語ったといわれるが、是非はおくとして、とにかく 私がマーラーとともに愚かさの側にいるのは確かなことのようだ。
そうした私にとって、上に掲げたマーラーの言葉はある種の「モットー」のような重みを持っている。勿論、音楽家ならぬ 私にとって主語は音楽には限定されない。でも序列の違いはあれ、マーラーだってそうだったろうし、私の側ではマーラーの音楽が上記のモットーに合致したものの一つであることは確かだ。 否、逆にそうした志向を子供だった私に与えたのはマーラーの音楽の方なのかも知れない。音楽を聴くのは気晴らしなどでは決してなく、ある種の感受の、認識の様態を感受することに よって自らの裡に受容し、刻印することに他ならない。そうしたプロセスの結果として、比喩でなく文字通り、私は少しだけマーラー「である」のだ。かくして アドルノの印象的な言い方を借りれば
ということになる。否、それは単にジェインズの言う「別の部屋」からの声に 過ぎないのかも知れない。だが例えばラマヌジャンが公式を見出したのはそうした声に導かれてではなかったのか。マーラーが「書き取らされた」のはそうした声に導かれててではなかったのか。 「全世界が映し出されるような巨大な作品においては、人は宇宙が奏でる1つの楽器に過ぎない」という言葉もまた同様に、マーラーの時代においてすら過去のものとなっていたロマン主義的な 意味合いではなく、そうした意味合いで文字通りに受け取られるべきなのだ。マーラーの音楽をそれが出てきた背景に還元して理解するが如き姿勢は、マーラーが上掲の言葉で語ったような 志向に対する背馳ではないか。そうした姿勢が「今こそマーラーの時代が来た」などという厚かましい呼号と対になっているのは、そこに存在する遠近法的錯誤の甚だしさを証言するものだろう。 マーラーが「音楽によって世界を構築する」、と発言したのを、その言葉のみではなく、実際に彼が為し得たことによって測ろうとするならば、比喩ではなく、文字通りに、だが肥大したロマン主義的 主体の妄想としてではなく、主体の背後にあって主体を構成している動的な構造を含めた上での環境と有機体の相互作用のあり方として、実践的な仕方での「世界」(だが、ここでいう世界は 一体どこから始まるのだろうか?)との関わり、解釈学的過程としての音楽のあり方を述べたものとして捉えるべきなのだ。生誕100年の時点でアドルノは、マーラーの音楽は形式的な楽曲分析に よっても標題によっても充分には解明されえないと述べたが、寧ろマーラーの音楽を分析し、その構造を記述するためのデバイスは半世紀後の今日においても未だ準備されておらず、 今後の脳神経科学や意識の科学の発展とともに、ようやく少しずつ的確な記述が可能になっていくのではないのか。本格的なマーラーの音楽の観相学はまだ可能になっていないのではなかろうか。
勿論そうした観点から帰結するところもまた、結局のところ人間は自分の行動様式という監獄からは自由になれない、ということに過ぎないのかも知れない。 賽を投げるのも、スピノザの自由意志についての議論よろしく、自分がそちらに向けて投げているのではなく、そう投げるように仕向けられ、馴化されてしまっただけなのかも知れない。 (もっともそうした意識の受動性に対する認識が、意識下で行われている活動についての意識が存在するという事実に基づく違いは残るし、マーラーの音楽はとりわけてもそうした 意識の構造のある種の反映となっている点で際立っていると思われるのだが。)それでもともかく、ein Sehen über die Dinge dieser Welt hinausが自然主義的な 展望の下で「どこ」に位置づけられるにせよ、あるいはマーラーの音楽の本格的な観相学のため準備が未だ整っていないとしても、そうした志向を共有するものにとって、 マーラーの音楽はこの上ない同伴者であるには変わりはないと私には思われる。
(2009.12.19, 2024.6.26,29 邦訳を追記。2024.7.1 noteにて公開)