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証言:小林憲正『アストロバイオロジー 宇宙が語る<生命の起源>』より

1898年、若き日の大指揮者ブルーノ・ワルターは、オーストリアの保養地シュタインバッハにある、作曲家マーラーの別荘を訪ねた。あまりの自然のすばらしさに見とれていたワルターに、マーラーはこういったそうだ。「そんなに見なくてもいいよ。すべて私が作曲してしまったからね。」
 マーラーはこのときまでに、自然への賛歌ともいえる交響曲第3番ニ短調を完成していた。演奏に100分ほどかかるこの大曲は6楽章からなり、それぞれに副題がついていた―「野原の花々が私に語ること」「森の動物たちが私に語ること」など。本書の各章タイトルは、これをレスペクトしたものだ。もちろん宇宙が私たちに語ることをこのような小冊子で語りつくすことなど、とてもできない。その面白さの一端を感じていただければ幸いである。(…)

小林憲正『アストロバイオロジー 宇宙が語る<生命の起源>』あとがき p.120

 もし題名を伏せて上記の文章をあとがきに持つ書物のジャンルを当てよという問題が出されたならば、果たしてどれくらいの人が正解に辿り着けるものか、想像がつかない。手掛かりは「宇宙が私たちに語ること」という部分くらいにしかないけれど、「宇宙」という単語は文脈により、様々なニュアンスで用いられるから、よもや文字通りの「宇宙」を相手にした、アストロバイオロジーの著作の中で、上記のようなかたちでマーラーが参照されると思い至るのは難しいかも知れない。

 だけれども、既にアドルノはマーラーに関するモノグラフの中で、マーラーの「大地」とは「地球」のことに他ならず、それは同時代の通念としての母なる大地でも、ナショナリスティックなイデオロギーにおいて血と対を為すそれでもない、後年、宇宙飛行士が外から眺めることになる地球の「青さ」を先取りしたものであると述べているのを思い浮かべたらどうだろうか? あるいはまた、シュトックハウゼンが宇宙人の視点を持ち込んで、マーラーの音楽のスペクトルの幅の広さについて語っていることを思い浮かべてもいいかも知れない。

 そうした連想の糸を辿るならば、ボイジャー計画において、パイオニア探査機の金属板に続いて、地球外知的生命体や未来の人類が見つけて解読してくれることを期待して、地球の生命や文化の存在を伝える音や画像が収められたレコードが探査機に搭載されたことに行き着くだろう。

 レコードには、115枚の画像と波、風、雷、鳥や鯨など動物の鳴き声などの多くの自然音に加え、様々な文化や時代の音楽、55種類の言語の挨拶、当時のアメリカ大統領であったジミー・カーターと国際連合事務総長であったクルト・ヴァルトハイムからのメッセージ文が収められたのだが、残念ながらマーラーの音楽は、シュトックハウゼンのお墨付きにも関わらず、地球を代表する音楽には選ばれなかったようである。西欧の音楽として選ばれたのはバッハ、ベートーヴェン、モーツァルトとストラヴィンスキー、ホルボーンの作品だが、選曲は「様々な文化や時代の音楽」という観点で行われており、「大地」に根差した、各地域の特色を表す作品という選択基準が意図せず内包するイデオロギーが、三重の意味で故郷を持たない異邦人マーラーの音楽をまたしても疎外した、という穿った見方もできないことはなかろう。シュトックハウゼンの方は、1つだけ選ぶという条件なのだが、こちらはこちらで、半ばは意図して、だがやはり半ばは意図せずして、マーラーの音楽が持っている、アドルノ的な意味合いでの「地球」を、宇宙から眺めるという視点を過たず捉えたと言えるのではなかろうか。

 小林さんの書物の各章タイトルに登場するのは、隕石、彗星、火星、エウロパ、タイタンといった顔ぶれなのだが、就中タイタンは、それを探査するためにボイジャー1号が冥王星の探査を諦めた軌道を選択してフライバイを行ったにも関わらず、分厚い大気に阻まれて、探査機に備え付けられた機器ではその大気の下にあるものを観測することができなかったという因縁を持っている。小林さんの書物はといえば、ようやく近年のカッシーニ探査機から分離されたホイヘンス・プローブが、初めてその地表に到達して映像を地球に届けたことや、カッシーニ探査機によって長期間にわたって繰り返されたフライバイの結果に基づき、地球とは異なったタイプの生命がタイタンに存在する可能性を紹介しているのであり、そうした意味で、半世紀前のアドルノやシュトックハウゼンの認識の継承、深化という点において、現在においてマーラーの音楽について語るのにまことに相応しい内容を備えているように思われるのである。自分の立つ場所を、自分の視点を絶対視しない姿勢、「外」に対する眼差し、「他者」に対する意識を備え、自分が語るのではなく、外部からの語りかけを聴くという姿勢こそ、ジャンルを超えてマーラーの作品がリスペクトされる理由であり、それは寧ろ今日では、科学や工学の分野にこそ呼応するものをより多く見出すように私には感じられる。

(2018.9.28, 2024.7.4 noteにて公開)

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