マーラーとドストエフスキー(2):「白痴」について
マーラーとドストエフスキーの関係が論じられるとき、多くの場合はドストエフスキーの側は「カラマーゾフの兄弟」がその中心となる 傾向にある。そもそも管見では、マーラーの生涯に関する一次文献において「白痴」(ИДИОТ)に言及されることはないようだ。 その一方で、マーラーとドストエフスキーの関係を、例えばフローロスが第3交響曲と「カラマーゾフの兄弟」の第2部第6篇3章のゾシマの説教と 関連づけて論じるように、いわゆる思想内容の水準で捉えるのではなく、様式上、ドストエフスキーの小説とマーラーの音楽との間に見られる 類似性について論じようとしたとき、何故か今度は「白痴」が参照される場面にしばしばぶつかることになる。
その嚆矢は何と言っても、マーラーに関するアドルノのモノグラフの第4章だろう。"Romanhaft ist die Kurve, die sie beschreibt, das sich Erheben zu großen Situationen, das Zusammenstürzen in sich. Gesten weden vollführt wie die der Nastassja des Idiioten, welche die Banknoten ins Feuer wirft ;"(Taschenbuch版全集13巻, pp.217-8)のように、「白痴」の第1部の終り近く、ナスターシャの名の祝日の 宴における彼女の行動が持ち出される。勿論、参照されるのは「白痴」だけではなく、上記引用の後ではバルザックもまた参照されるのだが、 既に先行する部分において、マーラーがシェーンベルクの弟子達に向かってドストエフスキーを勧めたところ、ヴェーベルンがストリンドベリを挙げて 応答したという有名なエピソードが参照されていることもあり、「小説」というタイトルを持つこの章における範例としてアドルノがドストエフスキーの 小説を念頭においているのは疑いない。
マーラーの作品に対するドストエフスキーの影響を主題とした論文で最も著名なのは、Inna Barsovaの"Mahler und Dostojewski"だろう。 近年では、Julian Johnsonが2009年のモノグラフ"Mahler's Voice"のとりわけ第6章"Ways of Telling"において、上記の Barsovaの論を受け、内容面よりは寧ろ様式の面でのマーラーとドストエフスキーの共通性を取り上げ、バフチンの「ポリフォニー」を参照しつつ論じているが、 ここでも参照されるのはドストエフスキーの他の小説ではなく「白痴」なのである。もっともここでもアドルノの上記モノグラフは同様に参照されている (まさに上記引用部分を含む一節が英訳で引用されている)わけで、従ってアドルノが「白痴」を参照していることが、ジョンソンがここでの専ら「白痴」に集中して 参照を行っている理由の一つにはなっているのだろう。実際、実に注にして5箇所が様々な特徴づけの範例として参照されているのである。 ((1)第2部の終りでのエパンチン将軍夫人のムイシュキンとのやりとり、(2)第2部5章のムイシュキンの不安に苛まれた内的独語、 (3)第2部9章のブルドフスキーの出生に纏わる事実が明らかになった後のブルドフスキーの取り巻き達のやりとりとそれに続くエパンチン将軍夫人の激しい批難の言葉、 (4)第1部6章、ムイシュキンがスイスで療養していた時期に出逢ったマリーという娘の死に至るまでの物語、(5)第3部7章のムイシュキンのスイスでの療養中の頃の回想)。
ドストエフスキーの小説とマーラーの音楽の様式的な共通性については、まさにバフチンのポリフォニーの概念を中心として、 別のところで既に書いているので繰り返さないが、アドルノやジョンソンの指摘は実際の読書経験・聴体験に照らして、十分な説得力を有するものであると 思われる。とはいうものの、こと「白痴」に関して言えば、私はマーラーの作品や同じドストエフスキーでも「カラマーゾフの兄弟」のような長期に 渉る繰り返しの聴取・読書により、すっかりその内容が自分の中に収まっていると言いうるような経験の蓄積を持っているわけではない。 30年以上前に「カラマーゾフの兄弟」を読んで以来、「白痴」もまた何度か読もうとしながら、とうとう読むことができずに来て、ようやく つい最近になって、ふとしたきっかけで読むことができたに過ぎないのである。(ちなみにドストエフスキーの作品で私が読んだことのあるのは 「カラマーゾフの兄弟」と「白痴」の2つのみであり、私はドストエフスキーの愛読者というわけではない。)
最近になってようやく「白痴」を読むことができた理由の一つは、近年出版された望月鉄男訳(河出文庫)に因るところが大きい。世間的には 寧ろ「カラマーゾフの兄弟」こそ、亀山訳がベストセラーになってことで大いに話題となり、宝塚歌劇団で取り上げられたり、読み替えをした上で、 テレビドラマ化までされたようだが、別のところで述べた通り、私は亀山訳に関しては、その問題点を指摘する側に明確に与する考えでいる。 だが、思えば私がかつて「カラマーゾフの兄弟」を読みことができたのは、当時文庫版として新刊された原卓也訳に因るところが大きいのだから、 やはり良い訳が手に入ることの意義は決して小さなものではないということが、「白痴」に関しても、改めて確認されたということなのかも知れない。 というのも望月訳で読了した後、従来手に取りながら読めずにいた木村浩訳(新潮文庫)を通読して比較してみて、後者には少なからぬ 問題があり、そのために抵抗感なく読むことができないことがわかったからである。引っかかった箇所に付箋を付けながら読み進めるたのだが、 付箋の数は上下2巻で100を超えた。流れが悪い部分には一ページに何箇所も引っかかる場所が出てくるといった頻度であり、今回も先行して 望月訳を読んだ後でなければ読み通せなかっただろうと思う。ちなみに木村訳に関してもう一つわかったのが、先行する訳のうち、小沼文彦訳 (筑摩書房・個人全集)に非常に似ているということである。もっとも訳文の比較検討を目的で読んでいるわけではないから、翻訳の比較に ついてはこれくらいにしておく。
「白痴」は極めて印象的な鉄道の描写で始まる。のみならず鉄道は、作品中の「批評家」的=道化的機能を担う重要な 脇役の一人であるレーベジェフの「黙示録」解釈によれば「ニガヨモギの星」に他ならず、時代の精神的な風潮を象徴する 存在にすらなっている。その一方、マーラーの伝記においても鉄道は当たり前のように出て来て、ヨーロッパ各地の歌劇場に 勤め、更に頻繁に客演を行った指揮者マーラーの活動は、当時の鉄道網の発達抜きには考えることができない。 「白痴」に関して興味深いことには、マーラーがロシアへの演奏旅行に赴くにあたり、まさに「白痴」冒頭に出てくると思しき、 ワルシャワからペテルブルクに鉄道で移動していることが確認できることである。つまりムイシュキンが故国に戻った径路と交通手段は、 マーラーがロシアを訪問する際のそれでもあった。
一方で、「白痴」には、回想というかたちをとって、ムイシュキンが療養のために 滞在したスイスでの出来事や風景が繰り返し出てくるが、これはスイスでもフランス語圏であるとはいえ、ロシアの地方都市 (スターラヤ・ルッサをモデルとした架空の町という設定)を舞台にした「カラマーゾフの兄弟」と比較して、当時のヨーロッパの 雰囲気を強く感じさせる作品となっている。このことは、そもそも「白痴」はドストエフスキーがロシアを離れてヨーロッパの諸都市を 移動しつつ過した期間に書かれた作品であることを考えれば不思議なことではないし、全編の結末のエパンチン将軍夫人の ラドームスキーに対する言葉に、ロシアを離れて暮らしていたドストエフスキー自身の心境の反映を読み取ることもできるように感じる。
また「白痴」においては、これもドストエフスキー自身が目にしたヨーロッパの美術作品が大きな役割を果たしている (その最たるものが、ホルバインの「イエス・キリストの屍」だろう)のは良く知られていることである。一方、音楽の方はと言えば、 「白痴」の主要な舞台の一つである、ペテルブルク近郊の別荘地パーヴロフスクの駅の大広間において、オーケストラによる コンサートが催されるという記述がある。ここのオーケストラは実は非常にレベルの高いもので、ヨハン・シュトラウスが1856年 以降ロシアを訪問する度に客演し、或いはグリンカ、チャイコフスキー、アントン・ルビンシュタインの新作初演も数多く行っていて、 その時代のロシアの音楽の中心地の一角を占めていたらしい。マーラーがロシアを訪れた際にこのオーケストラに客演したという 記録は残念ながら見出せない(Inna Barsovaの"Mahler and Russia"によれば、マーラーのロシア訪問は3度、1897年にはモスクワ、 1902年と1907年にはペテルブルクを訪問し、1902年には現在のフィルハーモニーの奏楽堂にあたるホールで、 1907年には音楽院の大ホールで、いずれもマリインスキイ劇場のオーケストラを指揮している)が、時代設定上、 マーラーが活躍した時期には若干先行するとはいうものの、マーラーの少年時代よりも遡るわけでもなく、総じて マーラーの生活空間と「白痴」の物語の空間は密接に繋がっていると言えると思う。
上で言及したBarsovaの論文にもあるとおり、1902年3月にマーラーとアルマが結婚した直後の、いわゆる新婚旅行先が ペテルブルクであったことは、その旅の印象がアルマの回想にかなり詳しく出てくるから良く知られていることと思われるが、 そこでのペテルブルクの風景は1902年のそれだから、「白痴」の時代(1860年代末)からは30年近く後のことになる。 更にはドストエフスキーを誰も知らないことへの驚きをもアルマは記しているものの、裏を返せば彼らにとってペテルブルクという街は ドストエフスキーの作品中の印象と分かちがたく結びついていたことを証言していると考えることもできるだろう。
4部からなる「白痴」は、確かにジョンソンやアドルノの指摘の通り、極めてポリフォニックに、しかもマーラー的な意味合いでポリフォニックに 書かれている。しかも第1部の緊密さと、全体がそこに向けて設計されている第4部終結部に比べると、第2部、第3部と 第4部の前半には、いわゆるエピソード的な場面や、一見すると本筋からの逸脱にしか見えない長大な副筋の挿入があり、 譬えて言えば、非常に遠心的な構造を持った、4楽章からなる交響曲を聴いているような感じがする。 エピソード的とはいえ、第3部にある有名なイッポリートの「弁明」は本筋と関連を持つ重要なものだが、例えばイヴォルギン将軍の長大な 法螺話、あるいは第4部のレベージェフの財布に纏わる騒動などは全体の中で必ずしも有機的に機能しているとは言い難いように感じられる。
まるでマーラーの第6交響曲におけるハンマーの打撃のように、ムイシュキンの癲癇の発作の2回の再発が、そこで流れが切り替わる 緊張の頂点におかれるように設計されているが、1回目がロゴージン宅訪問後にムイシュキンがネヴァ河のほとりを彷徨いながら 内的独白を繰り広げ、不安が高まった頂点のところ(第2部5章)で、その不安の潜在的な原因であったロゴージンの殺意が現実の行為となる 瞬間に発生しており圧倒的なのに比べると、2回目を準備する夜会でのムイシュキンの長大なスピーチ(第4部7章)は、設定された性格付けを 逸脱しているわけでもなく、不自然なわけでもなく、そしてそれ自体意図された部分があるにせよ、どこか上滑りした感じがあって、 読んでいて気持ちが良いものではない。同様のことが第3部5章でのイッポリートの「弁明」(МОЕ НЕОБХОДИМОЕ ОБЪЯСНЕНИЕ)に ついても言うことができて、やはりこちらも意図した効果という側面はあるだろうが、全体として筆の凄まじいばかりの勢いを 感じることができる一方、その勢いが余ってしまった感がある部分が無きにしも非ずといった印象が拭い難いのである。
「白痴」が、当初の構想から大きく変わって現在のものになったことは膨大なノート(これは米川正夫訳の全集には一緒に収められている)に よって窺い知ることができるようだし、締め切りに追われて大急ぎで書かれ、それでも最後は間に合わずに、年を越して臨時増刊と いう形で掲載を終えたという事情も良く知られているようだが、上述のような印象には、そうした事情を窺わせる側面がないではない。 ただし特に私の場合、比較の対象が「カラマーゾフの兄弟」になるために分が悪いという面があり、実際、これだけの長さの小説を続けて 2回通読するというのは、これまた「カラマーゾフの兄弟」以来の事であるから、あくまでもこうしたコメントは一定の評価の上でのものでは あるのだが。実際それは、マーラーの交響曲同士を比較した場合に、一部の作品にある或る種の座りの悪さと似た性質のもので、 実のところそうした一見すると欠点にすら見えかねない特徴は、その作品の個性や魅力と不可分のものであることを思えば、こうした批判は ある意味ではないものねだりなのだろう。
だがその一方で、ドストエフスキー自身、この作品に「カラマーゾフの兄弟」と並んで強い愛着を示しつつ、この作品については、 書きたいことを十分に書きおおせていないという感覚は持っていたようだし、私見では、「白痴」において探求され、作中で明確に 目配せさえされたにも関わらず、結局到達できなかった事柄というのが確かにあって、その探求は「カラマーゾフの兄弟」において 再び試みられたと私は考えている。そのことは類似したキャラクターを備えた「白痴」におけるムイシュキンと「カラマーゾフの兄弟」に おけるアリョーシャの違い、特に両者における「決定的な瞬間」の到来の仕方の違いに現れており、「白痴」においては、 ある意味では自然主義的に、例外的な「瞬間」の時間性は決して持続せず、いわば弁証法的にその頂点において反対物に 転化する構造を備えていて、それゆえにムイシュキンはどこにも辿り着くことがないのだが、アリョーシャにおいては、 それはやはり極限的な経験が契機になっているとはいえ、不可逆で永続的なもの、少なくとも有限の生命を持つ人間の 尺度において、その後一生持続するような変化たりえている。ムイシュキンとアリョーシャの対応関係みならず、全般として 「白痴」の登場人物は、「カラマーゾフの兄弟」の登場人物の持つ特徴や性格を別の仕方で分配し直したような雰囲気を 備えているように感じられる。実はこのあたりもまた、マーラーの交響曲間の関係に近いものがあるように思われるが、 いずれの場合においても、その分配の仕方の違いが、そのまま結果の違いに結びついているような感じがある。 (ちなみにここでいう結果の違いは、作品の価値の優劣とは独立の問題であるし、作品の出来ともまた異なる固有の 次元を備えている。)
既に述べたように、イッポリートの「弁明」はメインのプロットに対しては明らかにエピソード的ではあるものの、 メインのプロットを批評する視点を提供している点で、その重要さは明らかである。しかし同じ批評的な視点でも、 特に第4部におけるラドームスキーのそれとは異なって、幾つかの重要な論点が未整理で、いわば開かれたままになっている 印象は拭えない。例えばイッポリートがムイシュキンの言葉だとして引用する「温順こそ恐るべき力だ」(смирение есть страшная сила)という言葉は、 そのように引用されるものの、病のせいか、時間の切迫のせいか、些か脈絡を欠く傾向にあるイッポリートの「弁明」と それの朗読を巡っての言説の中で展開されることはない。ムイシュキンに帰せられる「世界を救うのは美だ」 (что мир спасет красота)という言葉もまた、奇妙に宙に浮いたままである。更に後者に関しては、アグラーヤの次姉で絵描きの素養のあるアデライーダが ナスターシャの写真を見た時に述べた「これほどの美しさは力だわ、、、こんな美しさがあれば世界をひっくり返すことだってできるわ」 (Такая красота - сила ... с этакою красотой можно мир перевернуть!) という言葉(第1部7章)との関係もあり、更に加えてまたしてもイッポリートが ラドームスキー同様にムイシュキンを批判するにあたり持ち出す「キリスト教徒的」な心との関係もあるのだが、 それらが明らかにされることは少なくとも作品中においてはないように見える。
後の「カラマーゾフの兄弟」からの展望において、 「白痴」という作品の風景というのは、どこか歪んだものに映る。だが作品はその歪みに忠実であり、それゆえ結末は 悲劇となる他ない。ムイシュキンがナスターシャの写真に見出した「美」は、この陰惨な作品のそれでもあるかのようだ。 それは「世界を救う」ものではなかったのか。それともまたもやアドルノ風に、それもまた最早仮象として、不可能なものと してしか顕れることのできないものの垣間見せる光芒に過ぎないのか。にも関わらず、小林秀雄のようにムイシュキンに 不気味さを、或る種の魔性を見出すのは、結局のところ見当はずれでしかない。ましてやムイシュキンを悪魔呼ばわりする 解釈は論外である。そうした見解は、自分の見たいものを作品に押し付けているだけなのだ。小林秀雄は、よりによって ロゴージンの書斎の部屋にかかるカーテンの色を見間違え、更にはホルバインの絵のある部屋と混同して憚らない。 しかも一度ならず、四半世紀の時を隔てて二度までも。だが、それは彼の空想の裡の風景であって、それは「白痴」という 作品の持っている歪みとは別のものなのだ。
さりとて一方で、ムイシュキンの内面を描写することを作者の失敗と断罪し、 神秘のヴェールを被せておけば良かったなどという議論も、作者の意図を全く蔑ろにし、その企図の困難を嘲笑する ものでしかない。ムイシュキンの「憐み」をトーツキーの「プチジュー」における彼自身の「遊び心から出たいたずら」と等価な ものと見做し、トーツキーの「プチジュー」がムイシュキンの行動の先取りであるというような解釈(それは、第1部だけで も十分であるといったような判断に繋がっているのだが)もまた、この物語の結末の意味合いを根底から腐食させ、 損ねる類のものである。そうした解釈は当然に、ナスターシャに対する全面的な無理解と表裏一体の関係にある。 「カラマーゾフの兄弟」においても、アリョーシャを真犯人に仕立ててみたり、スメルジャコフの真の父親をグリーゴリイと 断定するような解釈があるらしいが、「白痴」においても解釈の恣意と、作者の意図の蹂躙は留まることを知らないようである。 勿論、時には「生産的」な誤読というのもあるのかも知れないが、ここでの問題は、いずれの解釈にしても解釈者が 自説の奇抜さを誇るくらいが関の山で、些かも生産的ではないことだ。もっとも似たような事情はマーラーの場合でも しばしば見かけることであり、だから別段驚くべきことではないのかも知れないが、さりとて、それを黙過するわけには行くまい。 マーラーについて不徹底ながら同じ理由でやってきたことを、「白痴」という作品についてもやるべきなのかも知れない。
ドストエフスキーは「白痴」を書くにあたって、セルバンテスのドン・キホーテをキリスト教文学にあらわれた美しい人びとの中で、 もっとも完成された人物と見做していたらしい。実際に書かれた「白痴」のテキスト中では、ムイシュキンがアグラーヤに宛てた 手紙をアグラーヤが挟み込む分厚い書物が、意図せずして「ドン・キホーテ」であった(第2部1章)という仕方で言及されるだけで、 直接にはプーシキンの「貧しき騎士」(рыцарь бедный)が作中に埋め込まれて重要な機能を果たすことになる(第2部7章)。それ以外では、 上でどこか上滑りした感じがあって、読んでいて気持ちが良いものではないと書いたムイシュキンの長広舌の一部が 「ドン・キホーテ」のエピソードの一つに基づくものであることが創作ノートによって確認できるようである。マーラーの愛読書でも あった「ドン・キホーテ」の主人公が「美しい人」であるとするならば、それを「美しい人」の屍を描いたホルバインの絵と、 「世界をひっくりかえす力」を備えたナスターシャの写真の「美しさ」と、更には「謎である」とムイシュキン自体が規定した アグラーヤにおける「美」も併せて一貫したパースペクティブに収めなくてはならないだろう。 それは更に、森有正の「ドストエーフスキーが最も深く、人間現実を その非現実性に接する域に突入するまで、掘下げた作品であって、爾余の諸大作群の、いわば、形而上学的基礎工作を なしている、とさえ言うことができると思うのである。「白痴」は、その外面的不統一と静穏さにもかかわらず、最も深い 内面的運動の原理を蔵するものであるということができる」(「ドストエーフスキーにおける「善」について」) という認識の下、「温順こそ恐るべき力だ」(смирение есть страшная сила)という言葉と、 「世界を救うのは美だ」(что мир спасет красота)という言葉を、あの悲劇的な結末の下に おいてみる企てに通じることになるだろう。そしてそれは森有正が主題として扱った「善」と、「美」との関係をも闡明するもので なくてはならないだろう。
これらの事柄は、さしあたり「白痴」という作品固有の問題に見えるが、実はその射程は遠く、マーラーの音楽の観相学にも 及ぶのではなかろうか。アドルノもジョンソンも「白痴」に言及するときには、いわゆる「語り方」の次元に焦点を当てていた。 だが、語り方を離れた内容についての議論同様、「語り方」に終始する分析もまた、マーラーの音楽が語ることを、そしてまた 「白痴」という作品が語ることを、そのベクトル性の深さにおいて闡明することはできない。実のところ、アドルノがまさに ナスターシャが10万ルーブリの札束を火に投じる場面を参照したのは、マーラーの音楽の、一般に「小説的」と呼びうる 特質を例証するためだけに過ぎなかったと考えることはない。そこでマーラーのどの作品のどの部分が鳴り響いているのかを 言い当てることが出来るのでなければ、アドルノのこの観相は空虚であろうし、マーラーの音楽が持っている力、上述の森有正の 「白痴」についての評言にも通じる「最も深く、人間現実をその非現実性に接する域に突入するまで、掘下げた」、 「形而上学的基礎工作をなしている」作品の、「最も深い内面的運動の原理を蔵するもの」のみが備える力を 捉え損なってはならないのであってみれば。
(2013.7.7, 2024.6.26 noteにて公開)
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