不自由落下運動

それはそれは癖になる浮遊感

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最近の記事

石神が泣き叫んだ理由——『容疑者Xの献身』についての一意見

※事前に観ていることを大前提とする。 今更ネタバレが云々など配慮していては何も書けないため、ご了承願う。 昨日、『容疑者Xの献身』(原作:東野圭吾)がTVで放映されていた。 「おっ、久しぶりだな」と眺めていた。 この映画は邦画の中でもトップレベルに好きだ。 幼い頃から何度も観ている。 何というか、トリックやストーリーに無駄なものがない。 最小限の動機、最小限の殺人、そして、最大限の計画と最大限の献身。 それこそ、まるで数式のような映画だ。 昨日の放映を受けて、X上で諸々

    • 労働、それは、尖りつつ削られる川底の石のようなもの

      ああ、仕事が面倒くさい。 三連休というのに、毎日PCを開いては仕事をしている。 今朝、ついにキレて資料で使う画像を ぜんぶ「猫ミーム」*にして"終わり"にしてやろうかと思ったぐらいにはイラつき、面倒がっている。 私はめちゃくちゃ労働のアンチだ。 常日頃から「労働は悪だ」と漏らしている。 反面、ワーカホリックな体質である。 大学最後の年には勤務先を3つ掛け持ちし、年間150時間働き、扶養の壁を易々と突破し、罰金(罰金ではない)を支払った。 社会人となった今も変わってお

      • 文章は夜に降ってくる。それも前触れもなく、突然。

        ※自分のためだけに書いたきらいがあるので、 じっくり読まないことを勧める。 私は文章を夜に書くことが多い。 過去の投稿を遡ると、例外はあるものの、 23〜1時台に投稿しているものが多く見当たる。 所謂「夜型」なのか、と思うがそうではなく 健全極まりない早寝遅起き人間なのである。 さっきまで村上春樹のエッセイを読んでいたというのに「あぁ、今書けるな」とこうして文章を打ち込んでいる。 (まったく、多動症は治らないものである) ところで、昨年の8〜9月ごろからこうして1

        • 頭のノイズが鳴り止まない

          基本的に思考が散らかっている人間である。 「脳内多動」というやつであろうか。 眼前で現象している事態から情報は得つつも、 頭の中では別のことを考えている。 具体的には何を考えてる?と聞かれると 分からない。 「思考にすらなり得ない何か」が脳内を満たし、 眼前にも脳内にも集中できていない木偶の坊の完成である。 丁度最近読んでいる森博嗣の『アンチ整理術』では「物体や事象は本来発散/拡散していく性質をもつのだから(エントロピー)、散らかることに対して整理しようと思う方が不自

        石神が泣き叫んだ理由——『容疑者Xの献身』についての一意見

          【ライフハック】他人の思考を想像しすぎる人間は「やべぇ〜」ぐらいに留めておいた方がいい

          よく他人の言動から余計な憶測を立てて疲れてしまう。 「なんでこんなこと言うんだろう」 「もっと愛想良くしなよ」 「他人の気持ちを考えてくれ」 などなど、1を受けて10に培養する思考の持ち主だ。 養殖業でも始めたら向いていると思う。 良く言えば「感受性・想像力が豊か」なのだが、 裏を返すと「誇大妄想」「考えすぎ」である。 自分はこの思考をかれこれ十年以上続けている。 十年続けて最近ようやく気づいたのだが、こうやってアレコレ想像を膨らませるのは、あまりに無益だ。不必要に傷

          【ライフハック】他人の思考を想像しすぎる人間は「やべぇ〜」ぐらいに留めておいた方がいい

          あなたはAEDを、あなたは救急車を、あなたはあなたの100%の努力を。

          「努力」に関する自論。 何かに向けて突き進み、目標へ到達するための推進力を「努力」という風に一般的には捉えられている。 試験に合格する、大きな大会に出場する、優良企業に就職する、昇進する…。 そんな時に欠かせない(というか、それなしではありえない)のが個々人の「努力」である。 しかし、これではいささか荷が重い概念であるような気がする。 世間一般の「努力」の対象が大きすぎることが原因と考えられる。 思うに、「努力」はもっと細分化できる概念であるし、逐一大いなる目標を掲げ

          あなたはAEDを、あなたは救急車を、あなたはあなたの100%の努力を。

          ちゅ、多様性。ちぇ、多動症。

          みなさま2023年お疲れ様でした。 いくつか、短い推察を2023年に残して 次の年に歩を進められれば。 ①人は変われる・変われない論争 よく「人は変われる」と聞く。 あるいは「人は変われない」と聞く。 個人的にはどちらも条件が不足しているため、 どっちを答えても不十分である。 正確に答えるためには 「変われる」「変われない」 「変わりたい」「変わりたくない」 の4つの象限で考えなければならないと思っている。 「変われるけど、変わりたくない」 「変わりたいけど、変われ

          ちゅ、多様性。ちぇ、多動症。

          アイスブレイク~型の部~

          「アイスブレイク」なるものをご存知だろうか。 初対面の緊張の場を和ませるという意味合いで世間に浸透している。 例えば学校のクラスや授業では ゲーム性のある催しによって、 例えば仕事の場面では何気ない雑談によって、 相手に対して敵意のないアピールができ、 仲間意識のようなものを発生させることができる。 自己紹介的な作用をポップに演出することに よって、本題に入る前に打ち解けた関係性を 構築することができるのである。 私はこの「アイスブレイク」という概念が いかんせん好きに

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          形骸化した多様性は二元論へと回帰する。そして、その多様性の名を冠した二元論が世を蝕む。

          朝井リョウの『正欲』が映画化されたので、 先日観てきた。 「あぁ、そう、コレコレ」という不快さ。 YouTuberに感化され自分も学校に行かないと言い張る息子に強くNoを突きつけられない父親と、息子の笑顔を優先したいと後押ししようとする母親の、立場と気持ちのズレによるすれ違い。 自身の嗜好を満たすために見ず知らずの子供たちのYouTubeチャンネルに向けて動画内容のリクエストを送るコメント欄。 異性が苦手でありながら、一目惚れした相手のセクシュアリティに関しては全く配

          形骸化した多様性は二元論へと回帰する。そして、その多様性の名を冠した二元論が世を蝕む。

          パスポートって本当に厄介!CANMANE TOKYO

          「パスポート、持ってる?」 ——持ってます 「OK、決定で」 昨日の朝、1.5ラリーで 1週間後の韓国出張が決まった。 朝倉未来ですら、もう少し協議を重ねてから試合を決定していたと思う。 (あ、自分の業務量や進捗は一切確認されないんだ) という考えを抑え込みつつ、宿やら航空便やらの手配を始めた。 パスポートは確かに持っているのだが、 考えるにつれて1つの不安が生まれてきた。 「パスポートの期限、大丈夫かな」 2019年の1月に留学をする機会があり、 その際パスポート

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          シティボーイはどこだ

          『POPEYE』ってつい読んじゃうよね 自分はファッション雑誌を多く読む方で、 月に2〜3種類は買っている。 その雑誌だから、という理由では買わず、 自分の関心に合っていそうなトピックの際にのみ買う。 一般人(アパレルなどに関わっていないという意味)にしては多く買っている方だと思う。 洋服の着方だったり、モノの選び方だったりは 自分だけでは限界があるので、 他人の力を借りるようなイメージで購読している。 『POPEYE』もよく買う雑誌のひとつだ。 読んでいるだけで自分も

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          等身大でしか書けない私たちへ

          拝啓、文章を書くみなさまへ文章を書いていると、自分の表現方法が "お決まり"のパターンに嵌っているように 感じる瞬間がある。 結局、自分のことしか書けないじゃないか…。 何について語っていても、結局は自分のルーツだったり、自分が今まで向き合ってきた一つの大きな問題だったりを下敷きにしているだけじゃないか…と、冷めた感情を抱くのである。 自分の「今回は別角度から切り込んでみよう!」と意気込んでみても、順路が増えて迂回になるだけで、結局は個人の体験・経験に依った内容でしか書

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          PDCAサイクルに巻き込まれて指を怪我した

          「なるほど、そうやって○○さんは  PDCAを回されたのですね!」 「PDCAサイクルを回せるか、  というのが重要なポイントですので——」 1週間に「PDCAサイクル」を4〜5回聞いた。 これじゃあ「"PDCAサイクル"サイクル」だよ。 ゲシュタルト崩壊してきて 何が「PDCAサイクル」か 分からなくなってきて聞いちゃったもん。 「すみません、PDCAサイクルって何ですか?」 こう返ってきた。 「要は、自分が見通しを立てて、それをうまく実行して、改善点があれば次

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          顔が見えない恐さ

          コロナウイルスの蔓延によって 生活の形式が変わり始めて早数年。 いよいよオンライン社会が定着してきた。 私は大学3〜4年生でコロナ禍を経験している。 つまり、「卒業論文の執筆」と「就職活動」という、大学生にとってはなかなか大きなイベントを、皆んながまだオンラインでの繋がり方を 模索している時に経験した。 そんな当時の記憶をふと思い出した。 「そういえば、オンラインでのやり取り  あんまり好きじゃなかったなぁ」 大学の先生方や企業に連絡するために メールを頻繁に活用し、

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          続・語ることの欲望について

          前哨戦人と会話をする時、 自分は基本的に「聞き役」にまわる。 というか、"まわらされる"。 会話はターン制だとばかり思っていたが どうもそうではないらしい。 アプローチ回数が多く、パワーが強い方が 次第に相手をコーナーに追い詰めていく ボクシングみたいなものなんだなと 勝手に納得している。 それにしても、会話における私は あまりにも防戦一方だと思う。 ずっとスウェーで避けている。 少しはこちらもパンチを出さないと オーディエンスも退屈してしまう (誰が観ているというのだ

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          詩歌のブレーキ力

          ① 短歌を読みました。その感想先日、歌集を買った。 柄にもなく。 それがさっき自宅に届いた。 普段は小難しい哲学やら、小説やら、 エッセイやらを好んで読んでいる人間が、 またどうして歌集を買ったのだろう。 理由は分からない。 そういう気分だった、と言えばそれまで。 ともかく、届いたので読んでみた。 …驚くことに、全く読めない。 内容が入ってこない。 するすると坂をくだるように ページを捲る作業のみが行われる時間が続き、 「これはまずいぞ、よくない」 と思い、手(と目

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