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母が亡くなった当日の想い
母が亡くなったその日、
私は母と対面しませんでした。
今となってはそれが良かったのかどうか、
わかりません。
それで良かったのだ、
と思うしかないというか、
そうするしかなかったというか、
なんにせよ結果は
それで良かったのだと思います。
ホテルの一室で自死を図った母は、
チェックアウトの時間をかなり過ぎても
フロントに来ないということで
部屋を確認しに来たホテルの人に
発見されました。
そもそも生も死もない
母が亡くなってから
変わった意識の一つに、
「死」が怖くなくなったことがあります。
今までは、
死ぬことに対して、
全てが終わってしまうような
なんだか漠然とした恐怖を感じていました。
これまで
親族や知人の「死」に触れることは
何度かありました。
それらは単純に、
物理的にその人が居なくなってしまうこと、
もう触れられない、会話ができない、
ということを悲しく感じさせ、
時間が経つにつれ
母の命日は結婚記念日の前日
母が自死したその日は、
父と母の結婚記念日の前日でした。
結婚38年。
付き合った期間を含めれば40年以上。
それだけの期間連れ添ったパートナーを
突然亡くした父の心情は、
それはもう、
娘の私にさえ計り知れないものです。
亡くなる前日には、
「明後日は結婚記念日だから
ケーキでも買って来よう」
と、私と夫でも話していました。
今年もいつもと変わらず
お祝いするつもりだった。
こうしてお
どうしても考えてしまうこと
母親が自死するなんて
全てが予想外で、
本人がにわかに出していたかもしれない
サインにも気づいてあげられなかった…
とやはり思ってしまいます。
私が結婚し
上の子を出産するタイミングから
両親とは実家で同居することになり、
今年で4年目。
母とは毎日顔を合わせて
会話をしていたにも関わらず、
私はその予兆すら感じませんでした。
本人は隠していただろうから
それが当たり前なのかもしれません
生まれて初めて「血の気が引いた」瞬間
親との別れはいつか必ず来るもの。
そう頭で分かってはいても、
何も意識することなく
当たり前に日々を過ごしていると、
それが現実になるとは
なかなかイメージできないものです。
私自身もそうでした。
想像しようとすることはあっても、
具体的に情景を浮かべ、
そうなった場合の自分の気持ちにまで
想いを馳せることはしていませんでした。
怖いとか、縁起でもないとか、
そういう想いが浮かんで
考
つながりを大事にする理由
誰にでも、
それがたとえボヤッとしたものだとしても
これは譲れない!大事にしたい!
ということがあるはず。
私にとってのそれは「つながり」。
主に「人とのつながり」を指しますが、
つながりそれ自体よりも
つながりを作り、維持し、広げる(深める)こと
にはパワーを注ぎたいといつも考えています。
そして当時は意識していませんでしたが
今思えばつながりを大事にする価値観のもと
行動しているエ