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一周忌と納骨を終え、さらなる試練

母が亡くなってから、
今年の3月で一年が過ぎました。

母がいない2度目の一年が始まっています。

一周忌の法要と納骨は
ちょうど命日に当たる日に執り行いました。


私の心は、
初めての命日が近づくにつれて
ザワザワと落ち着かず、

写真を見て振り返っては
「去年の今頃はまだお母さんいたんだな」
「この時はもうお母さんいなかったのか…」
と複雑な思いを抱いたり。


そして
命日まであと1ヶ月ちょっと…という頃、
母の自死現場に行きました。

ホテルの一室でしたが、
その扉の前まで。

この一年、
母の最期を父の話からと自分の想像でしか
理解できていないことが、
なんだかしっかりと母に寄り添えていない
ような気がして、
いつかちゃんとその場所で手を合わせたいと
思っていました。

私が足を運んだ日は
客室は利用中だったのと、
やはり実際に行ってみると
心臓がバクバクして足がすくんだのも事実で、
部屋の中を見ることはできませんでした。

数日後の命日前日、
父は支配人にお願いして
部屋の中で合掌させてもらったそうです。

私はこの日を境に
少しだけですが母の気持ちがより
理解できるようになった気がします。

母が最後に歩いた廊下、
ボタンを押したであろうエレベーター、
フロント、ロビー…
全ては想像よりも狭くぎゅっとしていて
寂しさを増長させましたが、

「ここで最期を迎えたんだな」
としっかり認識できたというか。

母自身はきっと、
つらい、早く楽になりたい、
とにかくその一心でここへ来て、
それが寂しさや心残りや前を向く気持ちを
上回ってしまったんだろうと思いました。


命日の日、法要当日は晴天で、
母のことを想ってくれる人たちと会話をし、
心の底から母のことを想えた
大変良い区切りとなった一日でした。


その翌日は父と母の39回目の結婚記念日。

私はその日、がんを告知されました。
新たな試練です。

がんと言っても乳がんのステージ0。
細かいことはこれからで、
手術日も未定です。

何より毎年検診を受けていたからこそ見つかり、
幸い手術で完治に至ることが多いもので
希望も多くあるので
事実を受け入れて前に進んでいるところです。

子どももいるし
病気自体に不安もあります。
去年は異常なしだったものが突然がん?!
やはりストレス?!…と、
ここまで試練が続くことに
複雑な思いもありますが、

自分が良いと思えるものを
見つけて取り入れて、
心地よい日々を送りたいと思っています。

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