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母が亡くなった当日の想い

母が亡くなったその日、
私は母と対面しませんでした。


今となってはそれが良かったのかどうか、
わかりません。

それで良かったのだ、
と思うしかないというか、
そうするしかなかったというか、

なんにせよ結果は
それで良かったのだと思います。


ホテルの一室で自死を図った母は、
チェックアウトの時間をかなり過ぎても
フロントに来ないということで
部屋を確認しに来たホテルの人に
発見されました。

その直後の細かい経緯は
聞いていませんが、
父はホテルから連絡を受け、
駆けつける途中で私へ連絡。


後から聞いたところによると、
父は縊死の現場を目にしていたそうです。

"浮いていた…"
と、
後々ちらっと目に入った
父のメモに記されていました。

浴室だったそうです。



母は救急車で近くの病院に運ばれ、
蘇生措置を受けましたが、
おそらく発見された時には
既に1時間以上は経っていたようで、
その時点で遅かったのでしょう。

発見から1時間弱で
病院にて死亡が確認されました。


外での自死だと特に
即座に手を施してはもらえないので、
なんだかもう
それは仕方がなかったのだなと
思わざるを得ないという感じです。



私はこの時ずっと自宅にいて、
直接の対応は父がしていました。
当時2歳の長男と愛犬も自宅で一緒で、
当時3歳の長女は幼稚園。

まずは子どもたちの日常と心を守る…

そんな想いが先立って、
私は病院に駆けつけることはせず
ただ祈りながら父からの連絡を
待つばかりでした。


今思えば、
長男を連れてすぐに
駆けつけるべきだったか、
母の最期をこの目に
残しておくべきだったか、
様々な想いがよぎります。



母の遺体は
病院からすぐに近くの警察署へ。


その頃私は、
会社を早退してきた夫と
父からの電話を待ち、
母が亡くなった知らせを受けました。
その後幼稚園から帰宅した長女を
いつも通りに迎えました。

夕方、一度帰宅した父の車で
全員で警察署へ。

父と私が事情聴取を受けている間
夫と子どもたちには近くの公園で
待っていてもらいました。
この時無邪気な子どもたちの笑顔が切なくて、
でもその笑顔を壊すわけにはいかないと
思っていました。


事情聴取を受けた狭い部屋では、
机の上に母の財布とスマホ、
遺書とそのコピーが並べられて。

担当刑事さんが淡々と
それらを確認して、
最近や前日・当日の母の様子などを
聞いてきて、
心当たりがないか、
事件性はなさそうだ、
などの話をしました。

我ながらこの時は
かなり落ち着いていたと思います。

遺書については、
「読みますか?」
と言われ、
私は自分宛のものは
その場では読みませんでした。

隣にいた父は心ここに在らずな状態で
パラパラとコピーされた紙をめくり、
ざっと読んだ様子。


最後に、
遺体は安置室にあるとのことで
会われて行きますか?
と問われ、
私は今日はこのままで…大丈夫です、
と断りました。

父は病院から運ばれた時の流れで
遺体の側に居たようなので、
その時は2人とも会わずに
帰路につきました。


亡くなった当日に
その機会があったのに
母と対面しなかった。

それは、
ただただ悲しく訳がわからず
泣き叫んでしまいそうで、
その後子どもたちと
普通に接することができるか
分からなかったから。

それほど日常を切り裂かれるのが
怖かったんです。


後から思えば
その日に母の顔を見て
手に触れて
抱きしめてあげればよかった。

父が、運ばれた時はまだ
手があったかかったんだよな…
と言ってたんです。

私が最期に母の手に触れたのは
いつだっただろう。
亡くなってからは、
葬儀で死化粧を施した時が初めてで、 
信じられないほど冷たくて。
あぁもうここにいないんだねと
実感したのを覚えています。


警察署にも
遺体を一日以上は
置いておけないとのことで、
その日の夜から翌日の午前中で
葬儀場を確定させて、
翌日午後には葬儀場に
安置させてもらうことができました。

気持ちも何もかも
ザワザワと揺れ動いて、
この先どうなるのと不安に襲われて、
ただ悲しくて不思議で信じられなかった
あの日の気持ちを、
私は一生忘れないと思います。

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