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なんだか答え合わせみたい

ここ数年の
母とのLINEのやりとりや
もらった手紙を
見返してみると、

あぁ
もうこの頃から
死ぬことを考えていたのね…

と思える内容がちらほらとあるのです。



2018年
私の結婚式の前日

母からのLINEには、

「結婚式が終わったら
ひとり旅に出ようと思っていたけど
やめました(笑)」

という文面がありました。

当時私はそれに対して
特に違和感も抱かず、

「なぜにひとり旅?!
たまにはいいかもね」

なんて返していて。

それへの反応はなかったけれど、

ひとり旅=空へ行く
ということだったんだろう、と、
今なら分かります。


ちょうどこの頃
結婚式の直前に私の妊娠が分かり、

それもあって
「孫の顔は見たい」と思って
踏み止まってくれたのでしょうか。



2019年 
春に第一子出産を控えた我が家は、
私の実家で同居することに。

年明けに母と相談をして、
里帰りと共に引越すことが決まりました。

出産後、
母は初孫を可愛がり、
まるでそれが生きがいのように
日々子守をしてくれました。



2020年
私は1月が誕生日ですが、
その時にもらった手紙には、 

「〇〇ちゃん(孫)に会わせてくれて、
もう少し頑張ろうと思わせてくれて、
ありがとう」

と書いてありました。
 

"もう少し頑張ろう"
なんて言葉にさえ
私は違和感を持たなかったけど
(身体のあちこちに不調も出てきているから
元気でいなきゃね、
ぐらいの意味かと思っていたけど)、

それは

"もう少し生きてみよう"

ということだったのだなと。



娘夫婦と孫が一緒にいる生活は、
母の孤独感を少しでも軽減するのに
役立っていたのかもしれません。

一方で
同居のストレスもあったようで、

死期が迫った頃の日記には、

私の居場所がない
体調悪くても子守
私の意見は通らない
自由になりたい
朝起きるのが辛い
うんざり…
というような言葉もありました。


明らかな自死の原因はあるのですが、
もしそれがはっきり分かっていなかったら、
私はこの日記を読んで

「同居したことが母を追い込んだ」
「体調悪くても居場所を奪った私のせいだ」

と捉えたかもしれません。


そうでなくても、
「お母さんごめんなさい」
「どうしてもっと
気にかけてあげられなかったんだろう」
という気持ちに襲われました。


それでも私は
その時はその時なりに
一生懸命だった。

初めての子育てに注力していたし、
母は孫といることが幸せだと思っていたし、
同居はまだスタートしたばかりだから
これから試行錯誤して意見交換して
うまくやっていきたい…
と家族会議を設けたり。

両親との関係も今以上に良くしよう…
と夫婦で考え始めていた矢先。

母はいなくなってしまった。



後悔は挙げればキリがないし、
LINEや手紙や日記を見返すことは
意味がないことかもしれない。

それでもまだ分からない事実もあるし、
これらを見返すことで
点と点が繋がるような感覚を
得られることがあります。

何より、
「お母さんはこの時こう考えていた」
ということを分かってあげられることが
母に寄り添うことかもしれないとも思うのです。

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