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明石市防火協会に入会
明石市の防火協会に入会しました。 この組織は「安全でつながる地域を創る」を目的として存在しています。 これから、よろしくお願いいたします。 https://www.akashi-bou…
起業後3ヶ月経った今・・・
日頃よりお世話になっております。
株式会社Fair Line Japanの山﨑です。
2月1日の起業から3ヶ月が経ちました。
嬉しいことに忙しい日々を送らせていただいております。
(トップ画像はご契約いただいてる株式会社ムサシさんで行われたイベントの構築中の写真です)
起業した2月は各種申請手続きや会社のロゴ等、会社活動していくための基盤を作っていましたので対外的な仕事はあまりしておりませんでし
台湾災害支援活動レポート
4月9日から4月11日台湾花蓮県花蓮市に災害支援に行きましたのでレポートを残します。
発生時刻:4月3日8時58分
マグニチュード:7.7
発生場所:台湾付近深さ23km
震度:6強(参考)
この地震は台湾で起こる過去25年で最大規模と言われる地震で、ビルの倒壊やタロコ峡谷での土砂崩れでの道路寸断等、日本の報道で見る限りではかなり大きな被害が台湾で出ているのではないか、と予想し、現地に入りまし
明石市防火協会に入会
明石市の防火協会に入会しました。
この組織は「安全でつながる地域を創る」を目的として存在しています。
これから、よろしくお願いいたします。
https://www.akashi-bouka.jp
業務連絡
2月28日から3月1日の間石川県に行ってます。
激甚災害地で何を見たのかVol.5
Vol.4の続きです。
1週間の家族旅行に行っており、少し投稿に間が開きました。
Vol.4では馬緤(まつなぎ)での活動でした。
18時30分おむすびをいた秋、馬緤を出発し珠洲市役所方面へ折り返し。
支援物資を積み込んだ時からここまで強弱ありますが、小雨がずっと降っていました。
予想通り、核心部(クライミングやオフロードでここを越えれたら・・・的な表現に使います)と捉えていた粘土質の登りで2
激甚災害地で何を見たのかVol.4
Vol.3の続きです。
Vol.3では珠洲市の馬緤に向けて出発したところまででしたので、続きを。
トップ画像は自然休養村の厨房です。(許可を得て撮影しています。)
16時、馬緤に向けて出発。
一度出発前にみんなで集まって、「ゆっくり行きましょう」と声をかけて出発。まぁこれをあえて言う意味は自身の経験から色々考えてのことでした。
珠洲市役所から約15分ほどで、峠道になりました。
ここからは、崖崩れ
激甚災害地で何を見たのかVol.3
Vol.2の続きです。
Vol.2では能登役場から珠洲に向かったところまででしたので、続きを。
12時ごろに到着した能登町役場を後にし、13時40分ごろ、珠洲市にある高齢者施設に到着しました。
支援物資の供給はどうですか、と施設責任者と話すと到着直前に自衛隊の方々が食事や水を持ってきてくれたとのこと。
ここで被災地の情報は刻々と変わることを認識。
何か困っていることはないですか、と質問すると夕方
激甚災害地で何を見たのかVol.2
Vol.1の続きです。
前回は下のリンクを参考に
Vol.1は能登に向け出発するとこまででしたので、続きを。
上の画像は最終給油地とした尼御前SAです。どこかの警察部隊と給油が被り確か5ℓ程を給油するために20分ほど並んだ気がします。給油量規制はありませんでした。
令和6年1月4日16時30分ごろ、震度7の災害地で何が必要なのかを全力で考えて資機材を積み込み能登に向けて出発しました。
Googl
株式会社Fair Line Japanが目指すもの
突然、明石市消防局を退職し起業した私が何を目指すのか、最近よくいただく質問なのでここに簡単にまとめようと思います。
(仮称)FLJ Networksの構築
災害に対応するために必要なものは何か、を考えたとき、やはり重要となるのは官民の連携です。ですが、災害時に市役所職員が何名出勤するかもわからない中、民間側は官(市役所や国)の要請があるまで動けない、または官担当者側がどこに何をオーダーしたらい
激甚災害地で何を見たのかVol.1
令和6年1月1日16時10分、石川県能登地方で起きた地震(以下、能登半島地震)。震度は最大震度7。
令和6年1月4日から令和6年1月6日、令和6年1月19日から令和6年1月22日にボランティアとして現地入りをしました。
自身の人生を激変させるきっかけとなった能登半島地震は自分の目にどう映っていたのかを記録と記憶を頼りに残しておこうと思います。
1500字から2000時程度ずつ更新していきます。
文
令和6年2月2日株式会社Fair Line Japan法人登記完了
投稿しているのが2月3日になってしまいますが、2月2日株式会社Fair Line Japanの法人登記が完了しました。
目の前で発生するタスクをクリアし続ける毎日でしたが、思い返すとかなり面白かったので記事にします。
以下時系列を記録がてら残します。(全て令和6年)
1月11日
明石市消防局を退職決意。同日退職願提出。
退職願提出後、ある場所での講演会の講師ミーティングに参加し、その後ある方
株式会社Fair Line Japan 代表取締役 山﨑航平のプロフィール
・経歴
平成5年(1993年)3月1日生
明石市で生まれ明石市で育つ
2011年、兵庫県立明石清水高等学校を卒業し、明石市消防局に就職
消防隊、救急隊を経験し、令和元年より危険物係に異動し退職まで勤務
2024年1月31日明石市消防局を依願退職
2024年2月1日株式会社Fair Line Japanを設立し代表取締役に就任
・契約企業様(随時更新)
現在契約交渉中です。随時更新いたします