山﨑航平(危険物行政・災害、産業廃棄物、官民連携協定コンサルタント)

株式会社Fair Line Japan 代表取締役 山﨑 航平 「防災を明石から日本へ…

山﨑航平(危険物行政・災害、産業廃棄物、官民連携協定コンサルタント)

株式会社Fair Line Japan 代表取締役 山﨑 航平 「防災を明石から日本へ」 明石市を拠点に危険物行政コンサルタント、災害及び産業廃棄物コンサルタントととして活動し、官民のコミュニケーションを促し、その先にある防災力、災害発災後の災害対応能力の向上を目指しています。

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株式会社Fair Line Japanが目指すもの

突然、明石市消防局を退職し起業した私が何を目指すのか、最近よくいただく質問なのでここに簡単にまとめようと思います。 (仮称)FLJ Networksの構築 災害に対応するために必要なものは何か、を考えたとき、やはり重要となるのは官民の連携です。ですが、災害時に市役所職員が何名出勤するかもわからない中、民間側は官(市役所や国)の要請があるまで動けない、または官担当者側がどこに何をオーダーしたらいいかわからない、といったことを解決するためこの(仮称)FLJ Networksの

    • 台湾災害支援活動レポート

      4月9日から4月11日台湾花蓮県花蓮市に災害支援に行きましたのでレポートを残します。 発生時刻:4月3日8時58分 マグニチュード:7.7 発生場所:台湾付近深さ23km 震度:6強(参考) この地震は台湾で起こる過去25年で最大規模と言われる地震で、ビルの倒壊やタロコ峡谷での土砂崩れでの道路寸断等、日本の報道で見る限りではかなり大きな被害が台湾で出ているのではないか、と予想し、現地に入りました。 4月9日 11時 関西国際空港から高雄国際空港に出発。 15時 高雄国際

      • 台湾災害支援

        株式会社Fair Line Japanは台湾へ 来週災害支援のため台湾へ短期で入ります 能登と同様、何ができると言えば何もわかりません ただ現地の人に孤独と絶望を与えない、自分自身が行って帰ってくることだけが決定事項です 台湾加油 #台湾 #地震 #台湾加油

        • 明石市防火協会に入会

          明石市の防火協会に入会しました。 この組織は「安全でつながる地域を創る」を目的として存在しています。 これから、よろしくお願いいたします。 https://www.akashi-bouka.jp

          危険物コンサルタントについて

          危険物コンサルタントとして株式会社Fair Line Japanが介入することにより何ができるかをここに書きます。 1.プラント(製造所・一般取扱所等)建設時について 危険物許可施設では新規許可施設建設時、消防側と企業側でさまざまな思いがぶつかります。 例えば、消防側は原理原則を貫き通したい、企業側はできるだけコストを落としてかつ便利なものを作りたい、という話に間違いなくなります。 現在、消防法のみを運用した場合、かなり厳しいレイアウトや運用を迫られることになります。 しか

          OST(One Sheet Training)

          前職時代に構築したOSTの話を少し掘ってみようと思います。 あまり話さなかったOSTのマインドの部分です。 私が前職時代に構築したOST(one sheet training)ですがあまり話してこなかった狙いがあります。 何故、本当の狙いをあまり話さなかったかと言うと、少し恥ずかしかったからです。 このOSTが狙った本当の狙いは『組織活性化と進歩』です。 コミュニケーション形態の変化、働く場所がバラバラ、なんかやると誰かになんか言われるかもしれない、といったさまざま

          業務連絡

          2月28日から3月1日の間石川県に行ってます。

          激甚災害地で何を見たのかVol.5

          Vol.4の続きです。 1週間の家族旅行に行っており、少し投稿に間が開きました。 Vol.4では馬緤(まつなぎ)での活動でした。 18時30分おむすびをいた秋、馬緤を出発し珠洲市役所方面へ折り返し。 支援物資を積み込んだ時からここまで強弱ありますが、小雨がずっと降っていました。 予想通り、核心部(クライミングやオフロードでここを越えれたら・・・的な表現に使います)と捉えていた粘土質の登りで2輪駆動の軽自動車がスタック。 横着して押し上げようぜ、とオフロード経験者はヘラ

          激甚災害地で何を見たのかVol.4

          Vol.3の続きです。 Vol.3では珠洲市の馬緤に向けて出発したところまででしたので、続きを。 トップ画像は自然休養村の厨房です。(許可を得て撮影しています。) 16時、馬緤に向けて出発。 一度出発前にみんなで集まって、「ゆっくり行きましょう」と声をかけて出発。まぁこれをあえて言う意味は自身の経験から色々考えてのことでした。 珠洲市役所から約15分ほどで、峠道になりました。 ここからは、崖崩れ、地面崩落、亀裂、アスファルト崩壊による粘土質の露出。 オフロード経験から言うと

          消防士だった時の話

          さっきまで消防士でした。実は。令和6年1月31日まで消防士だったのでまだ「さっき」でも間違いではない気がします。 約13年という短くもなく長くもない期間を消防職員として過ごしましたので、今日は消防士の間自分が何をしていたのかを投稿したいと思います。 現場隊時代 消防学校が辛い、っていう話はどこでも見れるので割愛。 消防学校をでて、少しだけ救助隊に関わったものの、8年間のメインは機関員(運転やポンプ操作)がメインの消防隊(火消し)と救急隊でした。(中型免許を自己取得してる

          激甚災害地で何を見たのかVol.3

          Vol.2の続きです。 Vol.2では能登役場から珠洲に向かったところまででしたので、続きを。 12時ごろに到着した能登町役場を後にし、13時40分ごろ、珠洲市にある高齢者施設に到着しました。 支援物資の供給はどうですか、と施設責任者と話すと到着直前に自衛隊の方々が食事や水を持ってきてくれたとのこと。 ここで被災地の情報は刻々と変わることを認識。 何か困っていることはないですか、と質問すると夕方以降明かりがほぼなく恐怖感が強い、とのことで明かりが欲しいと要望がありました。

          激甚災害地で何を見たのかVol.2

          Vol.1の続きです。 前回は下のリンクを参考に Vol.1は能登に向け出発するとこまででしたので、続きを。 上の画像は最終給油地とした尼御前SAです。どこかの警察部隊と給油が被り確か5ℓ程を給油するために20分ほど並んだ気がします。給油量規制はありませんでした。 令和6年1月4日16時30分ごろ、震度7の災害地で何が必要なのかを全力で考えて資機材を積み込み能登に向けて出発しました。 Googleマップでの到着予定時刻が0時を回っていたため、先発で入っているボランティアチー

          激甚災害地で何を見たのかVol.1

          令和6年1月1日16時10分、石川県能登地方で起きた地震(以下、能登半島地震)。震度は最大震度7。 令和6年1月4日から令和6年1月6日、令和6年1月19日から令和6年1月22日にボランティアとして現地入りをしました。 自身の人生を激変させるきっかけとなった能登半島地震は自分の目にどう映っていたのかを記録と記憶を頼りに残しておこうと思います。 1500字から2000時程度ずつ更新していきます。 文章は苦手なので読みづらい部分は申し訳ありません。 私は明石市にある海沿いの実家

          令和6年2月2日株式会社Fair Line Japan法人登記完了

          投稿しているのが2月3日になってしまいますが、2月2日株式会社Fair Line Japanの法人登記が完了しました。 目の前で発生するタスクをクリアし続ける毎日でしたが、思い返すとかなり面白かったので記事にします。 以下時系列を記録がてら残します。(全て令和6年) 1月11日 明石市消防局を退職決意。同日退職願提出。 退職願提出後、ある場所での講演会の講師ミーティングに参加し、その後ある方と話し、どこかに就職せず何かしらの団体を作ってはどうかと提案を受ける。 1月1

          株式会社Fair Line Japan 代表取締役 山﨑航平のプロフィール

          ・経歴 平成5年(1993年)3月1日生 明石市で生まれ明石市で育つ  2011年、兵庫県立明石清水高等学校を卒業し、明石市消防局に就職 消防隊、救急隊を経験し、令和元年より危険物係に異動し退職まで勤務 2024年1月31日明石市消防局を依願退職 2024年2月1日株式会社Fair Line Japanを設立し代表取締役に就任 ・契約企業様(随時更新) 現在契約交渉中です。随時更新いたします。 ・企業理念 「防災を明石から日本へ」 私は、阪神淡路大震災を3歳で被災し

          株式会社Fair Line Japan 代表取締役 山﨑航平のプロフィール