台湾災害支援活動レポート
4月9日から4月11日台湾花蓮県花蓮市に災害支援に行きましたのでレポートを残します。
発生時刻:4月3日8時58分
マグニチュード:7.7
発生場所:台湾付近深さ23km
震度:6強(参考)
この地震は台湾で起こる過去25年で最大規模と言われる地震で、ビルの倒壊やタロコ峡谷での土砂崩れでの道路寸断等、日本の報道で見る限りではかなり大きな被害が台湾で出ているのではないか、と予想し、現地に入りました。
4月9日
11時 関西国際空港から高雄国際空港に出発。
15時 高雄国際空港到着。レンタカーピックアップ。
左ハンドルは自家用車で乗っていたものの右車線運転が初め
てで緊張。
21時 下道で6時間かけて花蓮に到着。
道は綺麗で、緊張感の走るシチュエーション等はなし。
ここで日本から連絡を取り合っていた花蓮日本人会の溝淵さん
(剛さん)と合流。
剛さんの経営する芝麻開門でミーティングしながら食事。
剛さんから被害は局所的でインフラの遮断もないと聞く。
ここでなんと明石市に住んでいて花蓮に移住した松浦さんと出
会う。
剛さんと話し合い、翌日10日は松浦さんの案内で行動することに。
剛さんに日本から持ち込んだ義援金を託しました。これは後の花蓮日本人
会緊急会議で使用方針が決定します。
剛さんのお店で美味しい料理をいただき就寝。
4月10日
5時ごろ、体感震度3程の余震。
揺れで起床したため、剛さんのお店を掃除しながら日の出を待ちました。
10時ごろより、市内の状況を確認。
私がみた範囲は道路に液状化なく、建物も局所的な破壊はあるものの形を保っている建物がほとんどでありインフラは生きており、概ね日常生活は維持されているように見えました。
日本と比べるわけではありませんが、台湾の災害対応では「今、何を優先すべきか」がはっきり見えたように思います。
道が開けば車は通し、倒壊の危険のあるビルはすぐに取り壊しにかかり、線路が維持されていれば電車を通す。
ただし、当然その道や電車を使うかどうかは自己責任に委ねられると思います。
市内様々なところを周りましたが、興味深かったのが、台湾花蓮市にある慈済(Tzu Chi)という宗教団体でした。
この団体は世界各地で災害救援や様々な救援活動を実施しており、石川県の能登半島地震でも対応してくれていたそうです。
この慈済は花蓮市に本拠地を置いています。
全てかは分かりませんが、この宗教団体が災害支援で迅速に動き、避難所設営等に動いたそうです。
市内で情報収集をし、翌日のフライトに備えて引き上げようかと思っていると、剛さんから、夜に花蓮日本人会の緊急会議を実施するので残らないかとご提案いただき、高雄市に戻るのを後ろにずらして参加させていただきました。
ここでは、義援金の使い道が主たる議題となり、使い道はすぐに決まりました。
使い道は、花蓮日本人会でダイレクトに困っている人(特に乳幼児)を見つけて直接、義援金として渡すor物資を渡すということでした。
これは私が能登で初期に行った乳幼児の救援と同じ考えから来るものでしたので、大賛成でした。
私が持ち込んだ義援金は、花蓮日本人会の活動費として使っていただいても大丈であることを伝えて23時ごろ、高雄市に向けてレンタカーを出発させました。
4月11日
朝方無事高雄市国際空港につき日本に出発し帰宅しました。
今回、花蓮日本人会の皆さんと出会ったことにより、台湾で過ごす短い期間を有意義に使えました。
概ね日常とは書きましたが、やはり細部に地震の被害はあり、余震で気も休まらない中、暖かく迎えてくれた皆さんに感謝申し上げます。
皆さんの平穏が戻り、安心して眠れる日が早く来ることを願っています。
また、台湾の災害支援での経験を日本、明石市で最大限活かせるよう努力します。
出会った皆さん、日本からサポートしてくださった皆さんありがとうございました。
ちなみに・・・今回花蓮には高雄から敢えてレンタカーで7時間かけて花蓮に入りました。
事前に台北からの電車が開通していると情報はありましたが、潰しが効くよう車で入りました。
実際、花蓮までの道は高速ではなく下道だったので、電車できてもよかったな・・・と思っていました。
しかしながら、三日間ある記者さんと一緒にいたんですが、私の帰り際に情報提供があり、台北行きの電車に落石が直撃して脱線。朝まで動かなくなってますよと聞かされました。
前職や能登半島地震の経験からくる勘、というとカッコよく聞こえてしまいますが、大事をとっておいて良かったなと。
災害対応は、アホやな〜と言われるぐらい保険をとっておくべきと感じました。