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Vol.4の続きです。
1週間の家族旅行に行っており、少し投稿に間が開きました。
Vol.4では馬緤(まつなぎ)での活動でした。



18時30分おむすびをいた秋、馬緤を出発し珠洲市役所方面へ折り返し。

支援物資を積み込んだ時からここまで強弱ありますが、小雨がずっと降っていました。

予想通り、核心部(クライミングやオフロードでここを越えれたら・・・的な表現に使います)と捉えていた粘土質の登りで2輪駆動の軽自動車がスタック。

横着して押し上げようぜ、とオフロード経験者はヘラヘラしながら車を押します。

まぁこれ実際なんでこの状況でヘラヘラしてるんだと思われますが、ここで元消防のオフロード経験者が青ざめてたら周りが引っ張られて、無用な絶望感に苛まれるかなというのがヘラヘラしていた理由です。

逆説というのか自分自身は私より圧倒的に経験のある人間が青ざめてる時以外は青ざめずにヘラ~としてます。その人が青ざめてる時は鼓舞します。

じゃあいつ君は青ざめるんだと言われますが、自分の行動で窮地に陥って手段がなくなった時は割と青ざめてます。結構露骨に青ざめるので、あ、こいつもう役立たねぇというわかりやすい指標になります。笑


話は戻して結局牽引しか無理でしたので新車に牽引の棒?を取り付けて先に登坂しているオフロード車に牽引ロープであげてもらいました。

実際は車のTRCオフや他にもやれることはあったんでしょうが牽引が安牌でした。

(TRCオフがピンとこない方はぜひご検索を。あ、なんか自分の車にもあるやんこのボタンとなるはずです。)


そこからのんびり崩れた峠道を進んでいきます。

後ろから後続のオフロード車3台も追いつき、前オフロード1台後ろオフロード3台に挟まれて峠を抜けるという何とも贅沢な帰路でした。

このオフロード車4台の方々とは峠の中で連絡先を交換して解散しました。

勝手ボランティアの2グループが複合して奇跡的なコンビネーションで行えた支援だったと思います。ありがとうございました。


ここからは七尾市の拠点方向に戻りますが、最後の目的地が残っていました。

ある津波被害地帯で乳幼児の支援物資がない、と情報提供があったため、珠洲の民間支援物資を少し多めにもらい、その施設に提供する許可を得ていました。


21時その施設に到着しましたが手前1キロで、道が瓦礫等で塞がっていました。

車両通行が不可能でしたので、歩けるメンバーを連れて支援物資を抱えて約1km歩きました。

施設に到着し、持ってきた支援物資を説明すると、乳幼児は道が開通した段階で脱出しており不在でした。(アプローチした反対側の道)
乳幼児の無事に安心し、乳幼児関係以外の支援物資も少しは持っていたので、必要なものを必要な分残置し折り返します。

車にもどり、七尾市の拠点に戻ります。

道路には警察や自衛隊しかいません。尽力されている自衛隊の方々に不快な思いをさせると申し訳ないですが、ここは戦地か、と思ってしまうほどの荒れ具合と状況でした。


1月6日1時ごろ拠点に到着。

津波被害地域に入り、砂塵を吸い身につけているため、メンバーにうがいを促す。

これは東日本大震災の津波地帯に入った方からマスクをして作業をしていても後日原因不明の体調不良があった、とお話を聞かせてもらっていたことからです。

自分は周りに誰もいないことを確認し、外でパンツのみになり、最小限の量で真水を手で汲み脳天から浴びました。まぁ普通に寒かったです。

カップ麺を食べて別働隊のメンバーと情報交換を実施して寝床につきます。


2時ごろ、就寝体制に入るも、錯覚か現実かわかりませんが、常時床が揺れているように感じました。能登半島は水の上に浮いているような状態という比喩をどこかのネットニュースで見ましたけどまさにそんな感じでした。


3時ごろ、寝れずに起きてました。横になることに意味があるのでずーっと横にはなってますが、まぁ寝れてない。アドレナリンが切れておらず、この辺も緊急消防援助隊の経験がある先輩達から聞かせていただいてる身体症状の一つでした。

そんなことを考えていると豆電球が激しく光って電気が落ちました。(七尾市は断水があるも電気は来てました)

その後確かもう一度豆電球が激しく光って落ちてそこからは戻らず。

ポータブル電源を持ち込んでたので、通信機器の携帯等の充電はそっちに切り替えます。

電気があろうがなかろうが、ポータブル電源があると様々なタイプの差し込み口を許容できるので便利です。電気があればパススルーで使えばいいだけ。


5時26分、全員の携帯から緊急地震速報が鳴り響きます。寝てたのか起きてたのかよくわかりません。消防時代にもよくあった同じ指令でもこの指令はなんかヤバそう、的な直感でこの緊急地震速報にヤバさを感じて、携帯を握りしめて扉に向かって走り出します。寝ている人たちは踏んでも仕方なし、という感じでした。扉を開けることに成功して揺れが来るのかを待っていたら、メンバーの誰かからめっちゃ揺れましたね!と言われてややパニックに。

走っている間に揺れてたみたいです。扉を開けることに集中してたのか、建物の軋み出す音はやや頭に残ってますが、体感する揺れは記憶に残らず。

震源近くにいたみたいで緊急地震速報から体感10秒から20秒で揺れたんじゃないかと思います。これは実際かなりいい経験でした。

緊急地震速報が鳴ったからってのんびり揺れを待ってたら同じように死ぬだけって体に刻むことができたので。

震度は震度5弱か5強だったと思います。

合わせて僕が扉を開けている間に津波情報を収集していただいており、津波はなしとのことでもう一度シュラフに入りました。

自分の体の緊張がときたくて、ふざけて誰かババ抜きしませんかってトランプもないのに誘って、何言ってんすか・・・って言われた記憶があります。
Vol.5はここまでです。

読んでいただいた方ありがとうございました。
それではまた。

能登町の津波被害地域。おそらく梁ですかね。釘も散乱しており、気が抜けません。

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