見出し画像

Vol.1の続きです。
前回は下のリンクを参考に
Vol.1は能登に向け出発するとこまででしたので、続きを。
上の画像は最終給油地とした尼御前SAです。どこかの警察部隊と給油が被り確か5ℓ程を給油するために20分ほど並んだ気がします。給油量規制はありませんでした。

令和6年1月4日16時30分ごろ、震度7の災害地で何が必要なのかを全力で考えて資機材を積み込み能登に向けて出発しました。
Googleマップでの到着予定時刻が0時を回っていたため、先発で入っているボランティアチームの拠点に入ると迷惑がかかると思い、物流拠点で車中泊をするために物流拠点に向かっていました。

石川県に入ると、ガソリンの供給がどこで止まるかわからないため、南條SAと尼御前SAで給油しました。
最終的にはのと里山海道の上棚矢田(うわだなやだ)出口まで行き下道に降りました。上棚矢田出口近くになるとのと里山海道も上下に波打ち始め、緊張感が増してきました。

この辺りで到着予定時刻が23時30分ごろになっていたため、チームメンバーに連絡し、まだ起きているのを確認したため予定を変更し、拠点に訪問しコミュニケーションをとることにしました。
23時30分ごろ、七尾市の拠点に到着し、先発のメンバーと合流しました。ほぼ皆さんが初対面。自己紹介と現場の情報交換を実施し、翌日はバディ制で動きたいと提案し、自身のバディが決定しました。車は自身のキャラバン(2輪駆動)かバディの持つ軽の4輪駆動車かを話し合い、機動力を優先するために軽自動車に決定。

ボランティアセンターは開設されていない災害初期なので翌日の目的地もなく、災害地の情報収集能力もない自分はSNSで情報収集をしていました。
災害地に入ってからは眠気がほぼなく、食欲が減退し、大便に行くことがありませんでした。小便はよく出ます。
これは東日本大震災に全国消防緊急援助隊で参加していた先輩から聞いていた身体症状で、緊張や使命感から交感神経が優位な状態(スポーツ中のような状態)に陥り、上記のような身体症状になるとのこと。
不思議な感覚でしたが、ちょうど情報収集ができていいな、と思っていました。

翌朝1月5日7時に起きて、メンバーとミーティングを実施。確かその際に某SNSで見た孤立情報を頼りに現地を見に行ってみようかと話しました。
その際にメンバーから衝撃的な指摘を受けました。
「せっかく災害地に来たのだから、画面を見ずに生の情報を集めなさい。」と言ったようなニュアンスだったと思います。

言われてみればそれはそう、という感じですが、効率を追い求めた結果現地で情報収集をして活動方針を決めるという選択肢は頭の中に全くありませんでした。
後々、この言葉の意味をもっと強く理解することになり生涯自分はこの言葉に感謝していくことになると思います。

このアドバイスを元に、バディの車両ともう一台の車両で穴水、能登、珠洲を目指すことになります。
出発の8時30分までにグループの情報収集をしている方から、珠洲市にある高齢者施設で様々な物資が不足しているそう、と入った情報があったため、まずその高齢者施設に向かうことにしました。

道路は249号線を使用して珠洲に向かって進みます。道中には道の崩落、土砂崩れ、マンホールの突出、橋梁のギャップ、道の亀裂があり、ところどころ迂回を使用します。道路の両端にはパンク車両がところどころに散見され、人生で初めて4輪がパンクした車を見ます。

道中、能登の避難施設3施設で救援情報があり、1施設には乳幼児いると情報が入りました。
情報が正しいかは分かりませんが、能登は珠洲への道中で通りますのでひとまず能登役場で情報収集を実施することにしました。

12時ごろ、能登役場に到着し、駐車場にいるボランティアと張った車両の方や、能登町役場の総務課で情報収集と支援物資の民間配達を提案しますが、これは上手くいかず交渉開始から約2分ほどで交渉不可と判断し、珠洲に向かいました。これが上手くいかなかった理由はあえてここに残しません。トラブルがあったわけではないです。総務課職員の方とも一緒に頑張りましょうと握手してその場を去りました。



ここまでが能登町役場到着までの流れです。
ここまでにボランティア活動といったものは特にありません。
ただ能登町役場では、能登入りして初めて被災地の方々とコミュニケーションを撮りました。ここで感じる被災地の空気感や被災者の方々の空気感が、自身が経験したことのない空気感だったことを覚えています。
Vol.2はこの辺りにしておきます。

読んでいただいた方ありがとうございました。
それではまた。


写真はある給油取扱所(ガソリンスタンド)。CB造の防火塀が倒れて車に寄りかかっています。
地震時はガソリンスタンドが安全なの?という質問が危険物係の僕にたまに来てました。配筋や基礎構造から知っている私は、安全だろう、と返答していましたが、この光景を見てあの返答は合っていたのだろうかと思いました。


この記事が参加している募集

転職体験記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?