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Vol.3の続きです。
Vol.3では珠洲市の馬緤に向けて出発したところまででしたので、続きを。
トップ画像は自然休養村の厨房です。(許可を得て撮影しています。)

16時、馬緤に向けて出発。
一度出発前にみんなで集まって、「ゆっくり行きましょう」と声をかけて出発。まぁこれをあえて言う意味は自身の経験から色々考えてのことでした。
珠洲市役所から約15分ほどで、峠道になりました。
ここからは、崖崩れ、地面崩落、亀裂、アスファルト崩壊による粘土質の露出。
オフロード経験から言うとこの中でも最悪なのは崩落とかではなく粘土質の露出でした。崩落は見たまんま行けませんが、粘土質は行きは良い良いでも帰りは大スタックてのがあるあるなんです。
まぁ予想は当たって帰りはスタックするわけですが。

隊列はジムニーを先頭に、真ん中にオフロード経験者のいない2輪駆動の軽四(何と新車)、後ろに2輪オフロード経験者2名(自分)乗車の4輪駆動の軽四。
余談ですが、運転は僕ではなく、バディの方。本当に余談なんですが、2輪オフローダーは性能を扱い切らずに切り抜ける(エンジンの回転全然上げへんやん!とか)、とか水を飲まない選手権が勝手に始まったり、極限になればなるほど変な癖が出たりします。
例外なくここでもバディの方が「まだ4駆にいれねぇ・・・」「何とまだ2駆」と十分なオフロード地で悪い癖が・・・笑
まぁこんな災害地でふざけてるのか、と思われるんですが、このぐらい余裕(油断とは違います)がある方が悪いことは起きにくいし起こしくいというお互いの持論が一致してこんな雰囲気で走っていました。
まぁ何かあったら油断が生んだ、と言われるのも事実ですが。

17時、途中降車誘導などはありましたが、ヒヤッとするような出来事はなく(僕的には)比較的スムーズに馬緤に到着。
馬緤には4拠点避難所がありまして、アプローチする順番を事前に決めていましたが、途中で話あって順序を変更し、珠洲市自然休養村センターにアプローチすることに。
到着して驚いたのが、避難場所4拠点の代表者会議が行われていたんです。その場で積んできた支援物資を全て必要なところに必要な分振り分けられるという奇跡が起きました。
僕たち的にもできるだけ早く拠点に戻って休みたかったのでかなり助かりました。

この避難所には2名の防災士の方がおり、避難所を支えていました。もちろん皆んなで支え合っていたことはわかっています。
この防災士の方々からお話を聞くと、
・ここには全体で約160名の避難者
・1月3日まで断続的に電波があったが、それ以降断絶
・薬がない人間がいて困っている(これが珠洲市役所から預かってきた例の薬)
・方法は聞いていませんが、自衛隊からの支援物資は水と食料のみ
・発災時は強い引き波が起きたため、山側に逃げたが結局津波はこなかった。その代わり現地の漁師曰く、落ち着いて見たら海底が約3m隆起し海がセットバックした
・電波がある段階で市役所から支援のために名簿を要求されたが、電波がなく送れない
・奇跡的にこのエリアに死者はなくみんなで団結して頑張っている
・インフラは断絶

という情報でした。

ここからがタイトルにもなっている、激甚災害地で何をみたのか、の本題です。

私がこの避難所で持った第一印象は、避難者の方々の血色がいいことです。あくまで私の主観的な感想になりますが、何というかこう、絶望していないというか、活気があるというか。
ここの疑問は解消しておきたかったので防災士の方にお話を聞きましたところざっくり下記のような回答でした。
「発災後からみんなで食材や正月の食べ物を持ち寄り、共有しています。そして住めなくなった家屋からプロパンを取ってきて、この自然休養村に運んでバーナーに繋いで避難者の食事を当番制で作っています。
食材は農家の方からの提供と正月の食べ物。1月1日から温かい食べ物をみんなで集まって食べています。
今日のご飯を見て何か気づきませんか?(許可をいただいて食堂で話しています)今日のメインはサザエとアワビの炊き込みご飯です。実は海底が隆起して海に帰れなくなったサザエとアワビをみんなで集めて調理しています。水は湧き水があります。」

衝撃的でした。ここまで強烈に作用した自助と共助を今後体感できることはあるのだろうか。
自分がボランティアに来る必要があったのだろうかと思うレベルでした。

防災士の方といろんなミーティングをして自分が引き受けられる事を引き受けて外に出ました。

外に出たのは18時ごろ。外に出て驚きました。
この馬緤には電気が全くきていませんので、まさに「一寸先は闇」を言葉の意味のままとことわざの意味を同時に体感しました。
真っ暗、しか表現しようがありませんでした。
目に見えるのは休養村の発電機で点灯するライトと星。感じるのは恐怖を感じる波の音と見えもしない山側から感じる土砂崩れが起きるかもしれないという圧力。
ここに1月1日から協力しあって助けを待っていた約160名の方々が感じた恐怖や不安感は想像を絶するものであったと思います。

iPhone11Proで撮影した馬緤の18時ごろの風景の動画のスクリーンショットです。何も映っていませんが、つまりそういう事です。白く見えるのは星だと思います。

この後も各種微調整やコミュニケーションのために自然休養村を出入りしていたんですが、ここで防災士の方から提案。
「サザエとアワビで作った炊き込みご飯のおにぎりを食べてください。」

ボランティアに行ったメンバーは口を揃えて断ります。
すると「なぜ断るのか。」と聞かれます。
当然、私たちはボランティアで来た人間なので現地の支援物資等を消費しないというのが理由です。
すると「これは支援物資ではない。馬緤で取れた米に馬緤で取れたサザエとアワビです。ボランティアがどうとかではなく馬緤にこられた皆さんに今できるおもてなしをしたいのです。」と言われました。

正直絶対食べないと思っていましたが、ここは批判覚悟であえて言います。その場で完食しました。1ヶ月以上経ちますがまだ強烈にこのオニギリの味を覚えています。
被災地には字面や動画ではわからない、被災地に入った人間しか知り得ない人間ドラマとコミュニケーションがあります。

この後18時30分まだ目的もあったので馬緤を後にします。
ここまでが馬緤に到着して馬緤を出発するまでの話です。
Vol.4はここまでです。

読んでいただいた方ありがとうございました。
キリのいいところがなくいつもより字数が多くなってしまいました。
それではまた。

いただいたオニギリです。今後、何億円あっても味わえない味だと思います。

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