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いじめられっ子に足りないもの

これは、いじめられている子 (人) を責めるような内容ではないことを、予め断っておく。

今、ペルソナ 5R を遊んでいるのだけれど、ペルソナ4G も遊んだ限りでは人間関係がかなりリアルだなーと思う。
私はドラクエや FF 系に出てくる女性の性格があまり好きになれないのだけれど (FF7 のユフィと FF8 のキスティスは好き)、ペルソナ 4・5 に出てくる子たちは (男の子も含め) 本当にいい子・人が多い。

だから楽しく遊んでいる。


ペルソナ5 にいわゆる 「いじめられっ子」 に該当する子が出てくるのだけれど、彼がなぜいじめられるのかが分った気がした。
ので書いてみる。

ちなみに私は中 2 の一時期に、グループ内のあるひとりの女子にハブられ、前の職場でも関係ない部署の男性数人から突然無視されるようになったことがある。
つまり 「いじめのターゲット」 になったことがある人間である。

嫌な記憶としては残っているが、傷になるほどのものでもない。
メンタル強いと言われればそれまでだろうが、なぜそうあれたのか、一応思いつくことを下記に書いてみよう。
一方的に理不尽な攻撃を受けて悩んでいる方に、参考にしていただければ幸いである。


冷徹または冷酷さ

いじめられっ子に最大に足りないものはこれではないだろうか。
とにかく優しいのだろう。
私はいじめなんてしてくる人間は頭悪いかヒマ人かくだらないことにとらわれている人、という印象しか持っていない。

ましてや子供がいるのに人に無視してくるなんて & そんな親に育てられるなんて、その子供の将来が心配で本気で気の毒に思う。

他人 (いじめをするような人間) を見下す心、と言えば聞こえが悪いかもしれないが、いじめられっ子にはこれが不足しているのではないか。

もちろん、そんな性格悪い考えはない方がいいのかもしれない。
が、理不尽な (心身両方に対する) 暴力から守るなら、それで自分の精神や時間が守られるのなら、持っておいた方がいい考え方だ。
内心見下すだけなのでそこまで大きな問題ではない。殴るとかじゃないし。

また、見下すことによりまったく違う世界が拓けると思うのだ。

「こんな人間に嫌われても、痛くもかゆくもない」 と。

間違いなくいじめっ子といじめられっ子は仲良くなれないし、なる必要もないはずだ。
ジャイアンと友達になりたい人なんかいないだろう。
相手が華やかに見えても権力を持っていたとしても、そんなことをしてくる時点で自分の人生には不要な人のはずだ。

奇跡が起こって友達になれる可能性はゼロじゃないが、そこまで我慢してそのミラクルを追う必要があるのか。
全くないだろう。
出木杉君のような友達を探してきた方が早いだろう。

したがって、「いじめっ子を見下す」 というスキルを持っておくと多分違うと思う。


実際、中 2 のときに私をハブってきた (仮に A としよう) A は、私を何かにつけてはひとりにさせようとしてきた。
6 人グループ中の残り 4 人がハブりに付き合わなかったので、そこまでつらくなかったというのもあるが、A がハブろうとしてきたときは先手を打って 「私あっち座る」 と言って、自らひとりになるようにしていた。
そうすると A は私をいじめる芽を摘まれるのだ。

ちなみに残り 4 人のうちの 3 人の学力は有意に高かった。A はいちばん低かったように思う。
これは経験談だし、超進学校! みたいな環境ではどうか知らないが、基本的に賢い人はいじめなどしない。

実力があるためそんなことで自分を満たさなければならないほど自尊心が低くないし、「自分の印象を悪くする」 というのは人生において大損だということも知っている。

「頭悪い」 = 「いじめをする」

は必ずしも成立しないが、

「いじめをする」 = 「頭悪い」 は成立する。
1 日 24 時間はみな平等に与えられていて、生きられる時間も限られており、過ぎ去った時間は永遠に返って来ない。

それが分っているのなら、他人を攻撃しているヒマなどないのである。
したがっていじめをするような人間はそれに気づいていないということなので、いくら勉強が出来ようが難関の職業に就いていようが、そういう視点から見るなら総じて頭が悪い。

いじめられっ子はこの事実を知らないのだ。
彼らと付き合う時間は本当に無意味だし、精神を消耗するのはもっと無価値だ。


「逃げる」 または 「関わらない」 という選択肢

これもおそらくいじめられっ子に足りていないものなのではないか。
学生時代は特に学校生活のウェイトが大きく、学校での自分が自分の人生のすべてと思い込みがちだが、そんなことはない。

またジャイアンの例で言うが、見ていて不思議に思ったことはないだろうか。

なぜのび太はジャイアンとつるみ (?) 続けるのか?

と。

マンガ (原作) はアレだけれども、のび太はしずかちゃんには嫌われていないし、しずかちゃんとドラえもんとだけ遊べばいいではないか。
学校だって基本的には授業するところなのだから、いじめられる時間 & 機会がそうそうあるわけではない。
とりあえず関わらないようにすれば彼のストレスはだいぶ緩和されるはずだ。

なのに付き合ってしまう。

「いじめられっ子」 ってある意味、「自分にとって危険な人への嗅覚」 が鈍いのかもしれないと思う。

普通の人 (いじめのターゲットにならない人) は 「何この嫌な人😑」 と思ったら、そういう人とは関わらないようにするのだ。

私は初対面だと 「人当たりがいい」 とか 「おっとりしている」 という印象を与えるらしく、昔から日本だろうが海外だろうが、どこにいても道をよく訊かれる。
「話しかけやすい」 と思われている節があるのだろう。
「この人は無視しなさそう」 とか。

だから、というのも変かもしれないが、初対面の人に考えられないくらい失礼なことを言われる、という経験もちょいちょいしている。
「ハァ!?😬」 って本当にビックリするくらい。
(特にイギリスで暮らしていた時に 「しらすが好きだからしらすが恋しいんですよ~😆」 って周りで話してただけなのに、それを聞き付けて 「じぁあ日本帰れよ!(原文ママ)」 って、会って 30 分も経っていない同い年くらいの女の人 (日本人) に怒鳴られたときには本当にビックリした🤣 病気かな🥺)

↑ 今考えたら、人生で自分の職業とまったく関係のない 「しらす」 に対する発言でほぼ初対面の人から怒鳴られた経験がある人って何 % いるんだろう🤣
レアな体験をさせてもらったという意味では感謝すべきかもしれない😁


さすがに初対面でそんな風に言ってくる人が大多数と思って生きてはいないので、基本的には無防備にボケーッとしているが、そんなことを言ってきた人には自分から話しかけることはないだろう。
別に無視もしないけど、「危険人物🧟‍♀️」 と見なすので関わらない。
友達になるなんてありえない。

多分、ジャイアンは誰といてもジャイアンなのだ。
世の中にああいう自己中心的で他人を傷付けることに喜びを見出しているタイプがいる。
好きな人の前などでは猫を被るスキルぐらい発揮しているかもしれないが、基本的な性格は変らない。

だから

  • 「こいつヤバい!😬」 って逃げられた人 → いじめられっ子にならない

  • 「いいよ遊ぼうか~😊」 と言ってしまう人 → いじめられっ子になる

という結果論なのではないか。
ある意味動物より進化しているというか、聖者的な存在に近いのかもしれないけれど、この 「逃げ出すスキル」 または 「許容できないスキル」 が足りないというか (いやまぁない方がいいことも多々あるのだとは思うが)、やはり優しすぎるのだろう。

私がそのしらすの件で怒鳴られた人のそばにい続けたら、きっと彼女はちょっとしたことで私に暴言を吐き続けたのだろう。
「いじめっ子」 と 「いじめられっ子」 の関係の出来上がりである。

私はあれから 10 年経つ今も彼女と再会したことはないし、この先も一生会わないことを願っている😁


ペルソナ5 でもそのいじめられっ子は、ク〇 みたいな元同級生が再度ク〇 みたいなことを言ってきているのに (当然いじめられっ子のことは呼び捨て)、「△△ くん、どうしたの?」 とか心配してしまっているのだ。

(相手がこっちを尊重しないのに) 「△△ くん」 じゃねーわ!😬

と私がキレてしまいそうなくらいの聖人っぷり。
聖人は素晴しいけれど、本人がこのような対応をされてもストレスに感じない場合に限る。
結局このいじめられっ子はストレスに感じてしまっていたので、それが別の形で表出することになった (多少のネタバレ🙇‍♀️)。


上記 2 つを踏まえて

多分、いじめられっ子って本人に 「人をいじめる」 という概念がこれっぽっちも存在しないから 「人はみんないい人のはず」 と思っているのではないかなぁ。

かつてのいじめられっ子がいじめっ子に変ってしまうというパターンはもっと単純なものだろう。
元の性格がどうのこうのより、やはり多大なストレスを受けたことの影響なので、適切なケアが必要だろう。
もちろん、いじめをしていい免罪符にはならないが、気持も構造も理解できる。

家では虐げられているのかもしれないし (ジャイアンもそうと言えばそう)。


あとなんというか綺麗事と言ってはいけないかもしれないけれど、職場のいじめなどで 「自分が同レベルに落ちないように」 という話がある。
無視されてもこっちはにこやかに挨拶をしましょう、というもの。

実際それは正論だし聖人的アイデアである。
が、私はそれでメンタルはもたない。

ある日、ある男性の無視っぷりがあまりにもひどいので (仕事に影響が出て、その男性の後輩の業務に差支えるレベル) ブチ切れたことがある。
そこから私は業務に関係ない限り彼を無視することにした。

朝エレベーターが一緒になろうが無視。
廊下ですれ違っても無視。
無言で机に置かれたお菓子はコッソリ誰もいないときに隣の机の人のエリアに追いやった。
こんな人からもらったお菓子なんて餓死一歩手間のときしか食べたくないわ😑 と思って。

いつも私から挨拶していて、相手が応えていただけの関係だったので、私から挨拶しなくてもそれは 「無視」 には該当しないはずだ😆
「無視された」 と公に言われたら毎回 「わ~ すみません気づきませんでした~😄」 と言おうと思っていた。

挨拶されれば返すので、「無視」 はしていないことになる😇


初めて、私が 「自分を同レベルまで落とした」 ケースである。
そういや 20 歳くらいのときにバイトでイビってきた男性がいたのを今思い出した。
ネチネチネチネチ嫌味言われ無視され、多くの人が辞めていったっけ。


個人的に 「無視」 って人として最低のケースだと思っている。
いちばん労力が少なく、手を汚さずに (↑ の 「気付かなかっただけですぅ~😆」 的な手口が使える) 相手を深く深く傷付けることができる。

私は姉によく無視されて育ったため、それがどのくらい深い傷を付けるか嫌という程知っている。
だからこそ、ネットではなくリアルで 「無視する」 という手段を取る人は本気でク〇 だと思っているし、軽蔑の対象である。


無視する人の心理を私なりによく考えてみると、下記である。

  • 「本人に直接言って改善させる」 という勇気もない

  • 「無視される」 ことの痛みを分っているくせにそれを人にできるという思いやりもない

  • 嫌いなら何をしてもいいという 「自分かわいい」 精神

簡単に言えば、陰湿小心者だ。
そんな人間に心を悩ます必要などないし、無視する人間の最大の共通点は、

自分が無視されるとは夢にも思っていない

ということだ。
「無視」 って自分が優位に立つには最もコスパに優れるのだ。
ローリスク・ハイリターン。

そんな小心者で陰湿で、上司に 「あの人なんとかしてください!」 とか言う行動力もない人間が、無視し返されるとどうなるか。

これは私の勝手な憶測だが、かなりうろたえる。と踏んでいる。

自分の方が立場が上だと思っていたのに、少なくとも相手に無視されている以上、自分と対等のポジションにまで引きずり下ろされて (?) しまっている。

大体、「無視」 という周りの人に分るようないじめの手段を選んでくる時点で、(褒められたことではないが) いじめにおいても賢くない人だと言える。
もっと分らないように、「あの人がそんなことするはずない!🥺🥺」 と、周りの人が 100% 味方について絶対にバレないようにして初めて 「完成」 ではないのか。

実際、会ったことはないけれど上記のように完璧にいじめる人が、世の中に存在するみたいなので会わない & 目を付けられないことを願う😁🙏
目を付けられたら転職しかないだろうなぁ🤔


中途半端 & ヘタにやるからボロが出るし、本気じゃないからそんなお粗末なことになる。
「無視する」 というか 「人に喧嘩を売る」 という準備が万端じゃないのだ。

感情のまま実行に移すから何の計画もない。
行き当たりばったりだから予想外の事態に対応できない。

最終的に彼は私を無視していた時代など何もなかったかのように、自分から挨拶してくるようになった。
もちろんそれに対しては返す。

しかし私は性格が悪いので内心プププ🤭 と思っている。

これが 「メンタルが強い」 というのか、ただ単に私の意地悪の方が上だったからこんな結果になったのかは分らないが、無視してくる人には 「目には目を」 でいいと思っている。

同じレベルに落ちることもときには必要かもしれない。
ただ、周りから見て 「同じレベルに落ちていない」 という印象づくりは大事かもしれないが😄


なんだかこれを書いていて中島みゆきの『空と君のあいだに』という曲の 「君が笑ってくれるなら~ 僕は悪にでもなる~♪」 という歌を思い出した。

当時流行っていた『家なき子』の主題歌? だが、犬目線の歌だったと今知った。

この 「君が笑ってくれるなら 僕は悪にでもなる」 というのを、「もうひとりの自分」 に置き換えて、自分で自分を守るのもいいのじゃないかと思った。


ちなみに中 2 ときのハブりはかなり精神的にキツかった。A とは部活も同じで何の因果か勝手に先輩にダブルスを組まされていたため、部活の方が居場所がなかった。

壁打ちなんかするはずもない球技なのに、壁打ちしていたりした😁
男子にも 「あいつハブられてね?」 と、気付かれるぐらいのレベルでそれもキツかった。

しかし、「間違っているのは私ではない」 (書くと長くなるので割愛するが、同じグループ内の友人 B の誤解で、B は私と口を利かなくなった。A はこれに便乗? して、私をハブり始めた。その後 B に理由を聞き出し誤解を解くことで和解。B が私と普通に接することで徐々に A のハブりもなくなった) と思っていて、学校を休んだり部活を休むのが悔しくて意地でも出続けた。

(B と私の問題なのに) 意味不明に干渉する A の嫌がらせなんかに絶対 負けたくないと思ったからだ。
ある意味 「自分との闘い」 だ。


ここは見極めが必要なところだけれど、「自分のために負けないことが必要 (将来それが自分の糧になる)」 だと思えるのなら、それは乗り越える価値があると思う。
私はこれに耐えられたから、15 年後? に再度訪れた職場の嫌がらせにもそこまでメンタルは病まなかった。
そりゃー無視は何度されても、誰にされても慣れないしつらいけれど😁

けれど、「人の目を気にして」 とか 「親に悪い」 とか 「弱いって思われたくない」 などの理由で我慢し続けることは違う。

「逃げる勇気」 と、今でこそ言われるようになったが、登校拒否でも転校でも転職でもいい。とにかく 「幸福」 から程遠い環境からは今すぐ離れた方がいい。

そして 「逃げる」 という言葉は多分正しくない。
自分の人生の主導権は自分なので、「(学校や会社を縦断しての) 配置換え」 というのが正しい言い方なのではないか。

自分がもっとのびのびと、自分の能力を発揮出来る。
そんな環境に移るだけの話だ。
それは 「逃げる」 ではなくただの 「配置換え」 だ。

仕事は適材適所。
みんながそれぞれ成果を上げるために、適した人を適した環境に配置する。
個人の場合も同じことだと思う。
学生だろうが社会人だろうが関係なく。


ここで最後に 「いじめられっ子に足りないもの」 を加筆しておくと、「開き直り」 なのかもしれない😁

いじめられっ子は 「スルー スキル」 を磨こうとして 「我慢スキル」 を磨いてしまうのではないか。

スルー スキルというのは、相手の存在をスルー (くだらないことに時間遣うんだなー🥱)、無視するならこっちもスルー (あぁ これでこっちにも無視する口実できたよっしゃ!😁👍)、自分の能力が発揮できない現状の環境をスルー (もっといい場所に行こう😄) する、というようなことである。

我慢し続けたってスルー能力が身につくわけはない。
蚊に刺され続けたらかゆくなくなると思うかというと、ならないだろう。
「スルー スキル」 ってそういうことじゃない。

かゆくなるかならないか、私たちにはコントロールできないのだ。
蚊が入ってこないようにするか、刺された後によく効く薬を付けるのか、入ってきた蚊をやっつけるのか。
何も対策せず刺されてかゆいかゆいとストレスに感じ続けるのか。

「蚊が入ってこないようにする」 がいちばん簡単で手っ取り早い解決だ。
入ってきた蚊をやっつけるのは、ハードル高いしもう遅い。
刺された後に薬塗るのはもっと遅い。


長々書いてしまったが、言わんとすることが伝わったらいいなあ。


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