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哲学メモ

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哲学っていうとなんですが、考え事をただ書いていきます。
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#哲学

魂の自由

こと自由意志に関して、現代の有名な議論はほとんど、表層意識における意志のみに焦点が当てられた。しかし、哲学史にはさすがに別の自由意志についての議論がある。阿頼耶識や潜在意識の自由、換言すれば、魂の自由、精神の自由である。

この自由は重要で、この自由も身体性に依拠するところはあるが、それよりも遥かに広大無辺な領域を有している。私は何よりこの自由について考えたい。神経がどうたらこうたら、と言う前にま

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「物の形相、その夢と幻想」

 私たちはいつも夢中をいる。夢中というのは私たちの形相、すなわちエイドスのことである。人間は夢の中から起こすことが出来る。つまり人間は形相の内から起つことが出来る。

 形相というのは、イデアから批判を経て生まれたものなので、観念的である。しかし形相というのは、人間だけが持つものではない。人間より前から形相は在る。元々、椅子には椅子の、机には机の形相というものが考えられるように出来ていた。むしろ物

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「テクストを紡ぐ」

 テクストを紡ぐ、という。紡ぐのは糸であるが、糸というのは超弦理論でいう、弦や紐と呼ばれるものだろう。世界を構成する最小単位、究極の単位は糸なのである。この糸というのは ~ こう表すことが出来、これは揺らぎであり、気分の形相を持つ。この情動を私たちは紡ぎ、織りなし、布を作る。布は衣になる。或いは布団になるし、或いはカーテンになる。これらに共通する述語は、包むということである。衣も布団も身を包み、カ

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「直感の再考」

 直感というのは、働きをそのまま知るということである。それはエネルギーを感じることでもあるし、換言すれば気を感じることでもある。~の気がする、というのは全て、直感的認識に基づいている。例えば赤色の花は私たちに何事かを表現している。青い空も私たちに何事かを表現していると言えるだろう。何かが私たちに表現しているということは、私たちにそう働きかけているということである。この働きかけは述語的なものである。

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「意味の形成過程」

 意味の形態には、物質の形態と同様、三つの形態があると前述した。三つの形態は、気体、液体、固体に照応する。それはマクロな観点でいくと、空、海、大地に照応する。さらにこれは、井筒の意識の構造モデルと照応する。阿頼耶識は空、中間領域は海、表層意識は大地である。しかし、これをもっと厳密に考えれば、阿頼耶識は空ではなく、宙である。宇宙的な場からエネルギーが出て、そのエネルギーが海に移り、それはやがて泡沫に

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「形ないものと形あるものの関係性」

 エネルギーは意味の形相だと言って良い。
物質の取り得る形態、気体、液体、個体、これらがマクロな領域で顕現したもの、それが空、海、大地である。空と海と大地は、物質の取り得る三つの形態の象徴的なものと言って良い。

 物質というのは、エネルギーの一形態であるのだが、エネルギーの一形態であるが故、エネルギーが物質に転化したとしても、エネルギーが消えるわけではない。エネルギーはいわば潜在的に存在している

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「イデアの探究―空と海を渡って―」

 Discordで知り合った、すっぺらこっぺらさんというHNの方の考えを参考にしたのだが、意味の可能態の世界と、その現実態の世界とを、沸々と煮え滾るお湯に喩えられるかもしれない。沸々と煮え滾るお湯は、その中に揺らぎを持っていて、それが意味の可能態になる。そしてお湯の泡沫が現実態である。この比喩は正しく、可能態の揺らぎを作っているのは、熱によるエネルギーなのだ。そしてそのエネルギーが上昇し終えた時、

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「哲学的断片」アルケーとしての情緒

 直感が触れている融通無礙な場に、形而上的なもの全てが含蓄されているのではないか。融通無礙な場における最もシンプルな形式は、揺らぎである。揺らぎを波としてみてもいい。この波が働き合うことによって、融通無礙な場は融通無礙な場足り得る。阿頼耶識における元型とは、反復し固定化された波の働き合いである。元型は未だ具体的な事物ではないのだから、それは述語的な側面から考えられるべきである。述語的な側面とは、波

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哲学メモ

 死とは抑圧である。それは可能態の方に抑圧することである。或いは可能態へ還ることである。魂が死なないのは、存在するものがいくら消え去ろうと、それは可能態へ還る、という意味に過ぎないからである。可能態の領野は融通無礙である。そこでは他者や自己にはっきりした境界線がない。エヴァンゲリヲンで人類補完計画を企てた碇ゲンドウは、可能態の方へ行き、一つになることで唯に会おうとした。これはこれで一つの理路があり

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「哲学メモ」

 全存在を心的なものとした場合、現実に起きているものが心の領野であり、潜在的なもの、可能態が魂の領野である。潜在と抑圧は同じ構造を持っている。宇宙が始まる前から、魂は全てのものを潜在的に溜め込んでいた。それは抑圧されていると言ってもいい。換言すれば、全てを呑み込んでいたのであるが、ついにそれは爆発し、現世を表現するに至った。
 全ては魂の表現であるなら、自然に美を見出すことも妥当である。表現にはい

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ニヤリズム

ニヤリズム

ニヒリズム

にやける主義

いつでもどこでもニヤけること

罵倒されようが 暴力を受けようがニヤける

それがニヤリズム

果ては拷問を受けても

恋人を奪われても

ニヤける

それこそがこの世の勝者だと

ニヤリストは考える

エロいものを見ている時

ニヤリストは出来るだけ気持ち悪い顔でニヤける

ニヤリストの真骨頂はそこにある

一番のニヤけどころはエロいことを見

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うつすということ

「言葉は上手に使ったら 気持ちのそばまで近づけるけれど 同じものにはなれない」

BUMPのアリアという曲に出てくる歌詞だけど、言葉じゃなくてもなんでもそうだ。

表現というものはなんでもそうだ。

絵画にしても音楽にしても。

表現というのは何かを何かに写すこと。写す時に移してしまっている。

何かから何かを移してしまっている。

ずらしがある。ズレがある。

世界は鏡に鏡を合わせたようなものだ

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