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読んだ本についてあれこれ語るマガジン

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#光文社古典新訳文庫

コンラッド「闇の奥」(1899年)

コンラッド「闇の奥」(1899年)

映画「地獄の黙示録」の原作として有名な作品。あの映画が好きな人はこの本も好きになると思う。

本書は「私」が「マーロウ」から話を聞くというスタイルをとっている。
マーロウはコンゴの川を船で移動してクルツという人物に会いにいったときのことを語る。
wikiを見ると、コンラッド自身「1890年にベルギーの象牙採取会社の船の船長となって、コンゴ川就航船に乗り[5]、さらに陸路でレオポルドヴィル(キンシャ

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カルロ・コッローディ「ピノッキオの冒険」(1883年)

カルロ・コッローディ「ピノッキオの冒険」(1883年)

ディズニーのピノキオを観たことがないので比較ができないのだが、こちらはかなり良い児童文学だった。
木の枝から作られたピノキオがありとあらゆる失敗を重ねながらも、彼を作ったジェッペットじいさんや、仙女たちに支えられて成長していく、という物語。

物語のトーンとしてはダークファンタジー的な雰囲気。
基本的にピノッキオを騙しにくるのは、子どもたちや動物たちで、結果的におとなのもとに売り払われたりする。お

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バルザック「ゴリオ爺さん」(1835年)

バルザック「ゴリオ爺さん」(1835年)

冒頭、風景描写や人物に関する説明が延々と続く。
この調子で最後までいくのではないかと不安になりはじめたころに物語がはじまる。そこからはどんどんストーリーが転がり、最後まで楽しめた。

1815年以降のパリ。
場末の下宿屋ヴォケール館に住む人々の中に、落ちぶれた製麺業者のゴリオ爺さんがいた。実は彼には二人の娘がいる。彼女たちが社交界で生き抜いていくために、ゴリオ爺さんは私財を投げうって支えているのだ

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ハイデガー「存在と時間8」(1927年)

ハイデガー「存在と時間8」(1927年)

ようやく全8巻を読み終えた。
ハイデガーの構想としては第2部まで続く予定だったらしい。
いずれにせよ、ここで一区切りということにはなる。

本書では引き続き時間のことを中心に考察が続く。
訳者の中山元による詳細な解説を頼りに読み進めてきたが、それでも理解できたとは言い難い。ただ、それでも自分の頭であれこれ考える時間を持つというのは大切なことだ。

自分が理解できた(もしくはこうだと思った)範囲で書

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ハイデガー「存在と時間 7」(1927年)

ハイデガー「存在と時間 7」(1927年)

時間をメインとした考察が続いている。

用語も含めて難解な部分が多い。それでも自分なりに考えながら読み進めてきた。
哲学に詳しい人や賢い人がどのようなコメントをするかはわからないが、今になってようやくわかりかけてきたのは、本書は人間が本来の姿に気がつくために、今までで常識としてとらえられてきた事柄を事細かに考察し、それが本当なのか主に存在と時間と言う対象について分析し、定義しなおしてきたということ

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ハイデガー「存在と時間6」(1927年)

ハイデガー「存在と時間6」(1927年)

いよいよ時間についての考察がはじまるようだ。
その一端として、人間にとっての「死」についての考察がある。
人間の一生を時間としてとらえると、「死」は時間の終わりということなのだろう。
なお、ハイデガーは人間の死と他の生物の死を区別しており、生物の死を「落命」としている。人間の死については解説において、ハンナ・アレントの言葉が引用されている。つまり、人が完全に死ぬということは、故人のことを誰ひとりと

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ハイデガー「存在と時間5」(1927年)

ハイデガー「存在と時間5」(1927年)

人間は普段、日常生活において現実世界に頽落してしまっている。つまり、人間本来の姿ではなくなってしまっている。
それが、不安によって、本来の自分が見えるというのがハイデガー( 1889年9月26日 - 1976年5月26日)の主張。
フロイト(1856年5月6日 - 1939年9月23日)も、不安という現象が人間の精神を深いところで刻印していると考えていた。同時代の人がこういうことを考えるのは面白い

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シェイクスピア「リア王」(1605年)

シェイクスピア「リア王」(1605年)

シェイクスピア四大悲劇のひとつ。
過剰ともいえる展開になっていて、圧倒された。
ストーリーの概要は下記のようなものになる。
ブリテンを統治するリア王は高齢になり、引退することにした。
領地を譲るために3人の娘を呼び出した。
長女のゴネリルと次女のリーガンは美辞麗句を並べ立てて、今後もリア王を愛し続けることを誓う。気分を良くしたリア王は、末娘のコーディリアにも同様の反応を期待するが、コーディリアは自

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シェイクスピア「十二夜」(1601年から1602年)

シェイクスピア「十二夜」(1601年から1602年)

「十二夜」という言葉の意味については調べてみたがよくわからなかった。たぶんそんなに難しくはないと思うが、なじみがない。

主人公はヴァイオラという女性。船が難破して双子の兄セバスチャンと生き別れる。お互いに、兄妹が死んだと嘆くが、実は両方とも生き延びている。
そんなことは知らずに、ヴァイオラはとにかく陸に戻り、男装して、オーシーノ伯爵に仕える。伯爵はオリヴィアという女性に恋しているのだが、色よい回

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ハイデガー「存在と時間4」(1927年)

ハイデガー「存在と時間4」(1927年)

人間の根源について考察する本書について、根源よりも、哲学の基本がわかっていない自分が読む。
読んでいて、なんとなくわかった気になる部分もあるけれど、大半の部分は思い返そうすると、理解していなかったことに気づく。

「気分」「世間話」「好奇心」「まなざし」。慣れ親しんだ用語も、哲学において語られると敷居が高くなる。
それでも懇切丁寧な解説の助けを借りて、なんとなく、ざっくりと、理解した気になる。

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シェイクスピア「ヴェニスの商人」(1594年から1597年)

シェイクスピア「ヴェニスの商人」(1594年から1597年)

本編の面白さもさることながら、解説も含めて読むと、シェイクスピア作品がどうして現代にいたるまでの400年という時の流れで生き残ってきたのか、というのがなんとなく理解できた気がしてよかった。

タイトルになっている「ヴェニスの商人」はアントニオという男のこと。
彼は、友人のバサーニオのために借金をする。金を貸してくれたのは、ユダヤ人の金貸しであるシャイロック。借金をする際に、返せなかったら、自分の肉

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ハイデガー「存在と時間3」(1927年)

ハイデガー「存在と時間3」(1927年)

「存在と時間」をようやく3巻まで読み終えた。
哲学に関してはちびちび読んではいるけれど、ズブの素人なので、というエクスキューズをしないと読書感想文も書けないくらい難しい。
という前提のもとで自分の理解(もしくは誤解)を書く。

3巻を読んでいて印象に残ったのは、過去の哲学者たちの考えていたことが、ハイデガーとしては納得のいかないものであったということ。特に3巻においては、デカルトの哲学に対する批判

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「存在と時間1」(1927年)

「存在と時間1」(1927年)

非常に難解だが、おさえておくべき本だと感じた。

正直、よくわからないので、もやっとした感想になる。
ハイデガーが問うているのは、現存在とはなにか、ということのようだ。
現存在とは我々人間のことだ。ギリシア時代の哲学者たち。ソクラテス・プラトン・アリストテレスはこの現存在について考えていたようだが、時代が流れるにつれて忘却、もしくは自明のものとされてしまい、形骸化していた。デカルトとカントはこの問

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ダロウェイ夫人(1925年)

ダロウェイ夫人(1925年)

これはおもしろかった。

いわゆる「意識の流れ」という手法を用いた小説。
登場人物が考えていることが、川の流れのように描写されていく。ある人物から別の人物へ、さらにまた別の人物へ。無関係な人物についても描写されているように感じるときもあるが、実は関係がある。

ストーリーの枠組みはシンプルだ。
朝、主人公のダロウェイ夫人ことクラリッサが、家を出てパーティ用の花を買いにいくところから物語がはじまる。

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