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シェイクスピア「リア王」(1605年)

シェイクスピア四大悲劇のひとつ。
過剰ともいえる展開になっていて、圧倒された。
ストーリーの概要は下記のようなものになる。
ブリテンを統治するリア王は高齢になり、引退することにした。
領地を譲るために3人の娘を呼び出した。
長女のゴネリルと次女のリーガンは美辞麗句を並べ立てて、今後もリア王を愛し続けることを誓う。気分を良くしたリア王は、末娘のコーディリアにも同様の反応を期待するが、コーディリアは自分の父親に対する愛情はそれ以上でもそれ以下でもないと語った。これがリア王の逆鱗に触れる。
コーディリアは追放される。ただし、彼女の心の美しさを見抜いたフランス王が、彼女をめとる。
引退したリア王は、残った二人の娘の世話になりながら老後を過ごす、という予定だった。しかし、娘たちの忠誠心は口先だけのものだったことや、リア王自身がわがまま過ぎたこともあり、ぞんざいな扱いを受けるようになる。リア王は怒りと苦しみのあまり発狂し、野にさまよい出る。
そのころ、父の苦境を知ったコーディリアは、夫とともにフランス軍を進軍させて、リア王を助けに来る。しかし、それを知ったゴネリルとリーガンは戦争の準備をはじめる。
大筋のストーリー展開はこのようなものだ。
個人的に、うまいと思ったのは、ここにサブプロットを組み込んだところだ。
それは、リア王の部下グロスター伯の物語で、彼には嫡子のエドガーと庶子のエドマンドがいる。このエドマンドが、父の財産を奪おうとして策略を練り、グロスターはまんまとはまる。そして、エドガーともども葬り去られそうになる。といったもの。
リア王は、娘に裏切られる。
グロスターは息子に裏切られる。
このふたつの策略の物語は、あたかも、ふたつの違う楽器が、同じメロディを奏でるかのように、緻密にからみあい、展開していく。リア王もグロスターも、すべてを失い、その中で一番大切なものがなんだったのかを悟る。
これが非常にうまい。
シェイクスピアはいつも元ネタがある。解説によると、メインのプロットは「リア王と三人の娘たちの年代記劇」という劇から持ってきていて、サブプロット を、 サー・フィリップ・シドニー の『 アーケイディア』(1593年)という物語から持ってきているという。
それにしても、本作の悲劇性はビジュアル的な暴力性も強く、かなり突き抜けている印象がある。これはなぜだろう。
イギリスでは、1603年にエリザベス1世が崩御。本作が完成したと思われる1606年には、議事堂爆破計画が発覚する事件などもあった。また、このころは、スペクタクル性の強い仮面劇が流行したと、略年譜にも書いてある。
推測するに、当時はかなりぴりぴりした空気があった時代なのではなかろうか。そんな中で過激な表現が流行していたのではないかと思う。
だから、シェイクスピアは本作でそのような流行に沿った展開を提示したのではないだろうか。
もちろん、これは自分が想像したことだ。根拠などないが、それでもいい。
なにかを想像することで新しいものが生まれてくる。
文学に触れるというのは、そういう効果もあるのではないだろうか。

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