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歴史あれこれ

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歴史ウラ話集。表の歴史に隠れたような歴史のこぼれ話が大好物です。 妄想や独自の見解話などの収集帳。
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2021年10月の記事一覧

古文の面白さは気づきの多さ。4ページ読んで得た気づきの数々。

古文の面白さは気づきの多さ。4ページ読んで得た気づきの数々。

土佐日記にベタ惚れしているまと。です。ここ最近、土佐日記のことよく書いています…笑

まさか古文をこんなにも真剣に読むなんて夢にも思わなかったのですが、そうしてしまう最大の理由は気づきの多さにあります。

たった数ページ読んだだけで様々な気づきを得ています。特にユーモアに関すること。

ユーモア、端的さと例え逸脱です。

原文
上中下酔ひ飽きていと怪しく潮海のほとりにてあざれあへり。

現代語訳

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遣唐使の頃の空海

遣唐使の頃の空海

秋の旅の用意1

その頃、私は旅を計画していた。高野山を含め二泊三日。実在した日本人の中で聖徳太子と並びお寺にものすごく祀られている空海。お寺を回っていると空海について知りたくなるのは当然のこと。

そのため、私は司馬遼太郎の「空海の風景」をかなり前から読み進めていた。

これは上下あって相当長い。実はこれを書いている間もまだ読み終わってなく、まだ空海が嵯峨天皇と出会ったあたりw しかし、同時に映

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歴史に残る親子ゲンカときょうだいゲンカ物語(映像化望む)

歴史に残る親子ゲンカときょうだいゲンカ物語(映像化望む)

何度か書いてるのですが、私は歴史が好きです。日本史・世界史に関わらず新しい歴史的事実や新説、エピソードなど、ワクワクします。

今回の記事で言いたいのは、要するに室町・南北朝時代を映像化してほしいってことです!

で、改めて私は日本史でいうと最も好きなのが室町時代、もっと言えば鎌倉末期から南北朝時代なんですね。
理由は様々なんですが、そのひとつとして映像化が避けられてるな~って感じるのがあります。

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日本人はどのように成立したか

日本人はどのように成立したか

はじめに私は日本人の成立に大変興味があり、これを歴史や地理から皆さんと一緒に考えてみたいと思います。結論から先に申し上げますと、日本人は、大和民族だけで成立しているのではなく、アイヌ人、ギリヤーク(ニブヒ)人、オロチョン(ウィルタ)人、小笠原白人などの多数の民族が混合同化してできたと考えられます。以下、個別に見ていきます。

アイヌ人について ほとんどの人はアイヌ人のことは知っています。しかし、多

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新選組に自宅を提供した庶民たち

新選組に自宅を提供した庶民たち

只今、長州紀行を執筆中なので、自ずと幕末について触れる事が多く、そういえば京都へも何度も訪れたなと回想してしまう毎日です。

前回の投稿記事での映画・「燃えよ剣」で芹沢鴨暗殺の舞台となった京都・壬生の「八木邸」にも2度ほど訪れています。

歴史名所でも当たり前の生活がある京都は長年”都”として君臨してきただけに、歴史舞台の宝庫なので、あらゆる時代の歴史が残り、日本中の諸藩、偉人など全てにおいて関り

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独断と偏見で語る大河ドラマへの思い

独断と偏見で語る大河ドラマへの思い

NHK大河ドラマについて熱く語ります。
中には毒舌も含まれますが、ご容赦下さい。

というのも、ハーバさんが投稿された2部作の記事を読んで、急に大河ドラマを熱弁したくなったのです。

ぺれぴちさんの「伊達騒動と樅の木は残った」5部作の記事も面白く読ませていただいたのですが、これも大河ドラマ化になっていたとは知らなかったのです。

ぺれぴちさんの記事をキッカケに歴代大河作品を調べてみました。

以前

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松本城の黒歴史「加助騒動」をご紹介

松本城の黒歴史「加助騒動」をご紹介

こんばんは、ゆうさいです。

今回は松本城の番外編となる、松本城の黒歴史をご紹介したいと思います。

松本城にも様々な伝説や逸話が残っていますが、今回は「加助騒動(享貞騒動)」を取り上げてお伝えします。

加助騒動とは、1686年に多田加助(ただ かすけ)さんという元庄屋を筆頭にして、松本藩で起こった百姓一揆です。

当時の城主は、信濃松本藩の三代目城主、水野忠直(みずのただなお)さん。

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「すみよっさん」は日本人にとって大切な氏神様だった

「すみよっさん」は日本人にとって大切な氏神様だった

「住吉祭礼図屏風」に描かれた神輿行列前回お伝えした「一心寺」へ行った後、住吉区にある「住吉大社」へも寄ってみました。

子育ても終了した老夫婦には早く帰る理由もないので、帰り道にちょっとだけ大回りしてみたのです。

それは大阪人にとって誰もが知ってる住吉大社です。

私の著書である「奥の枝道 其ノ二 大阪編」で堺市の「さかい利昌の杜」の紀行記事も執筆させていただいたのですが、再度調べてみて、地元に

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酒樽の道 その3(全3回)

奉行所の役人の問いに対して、
もちろん村人たちの気持ちは一つだったよ。
「水の方が欲しゅうございます。」
と、はっきりと答えたんだよ。そうさ、あの水があったからこそ、お嫁さんや子供たちや年老いた爺ちゃん婆ちゃんまで、皆助かったんだ。あの水のおかげだったんだ。

この後ね、このことは豊臣秀吉(とよとみひでよし)に伝えられていったんだ。そうして、秀吉からは、こんなお達しがあったんだよ。
「鳴尾村(なる

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酒樽の道 その2(全3回)

弥十郎(やじゅうろう)のアイデアはこうさ。
「酒樽の底を抜いて、これを横に繋いで道を作ってな、新川の水を通してここまで引いてくるんじゃよ。」
早速、お酒をいれておく四斗樽が集められたよ。四斗樽とはね72リットルくらいも入る木でできた大きな入れ物のことさ。

月明りの綺麗なある真夜中のことだよ。弥十郎(やじゅうろう)と鳴尾(なるお)の農民25人は新川の水を引くために水利工事を始めたんだ。お酒の四斗樽

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酒樽の道 その1(全3回)

ポンと昔。今から400年くらいも前の大阪の農民たちのお話しさ。鳴尾(なるお)今の西宮市の農民たちは、水飢饉(みずききん)に困り果てていたんだ。大切なお米を作るための水がなかったんだ。雨がたっぷり降ってはくれなかったのさ。そこで、隣の瓦木村(かわらぎむら)に水を分けてもらえないかと頼んではみたんだけれど、断られてしまったのさ。水がなくっちゃ、稲が植えられない。稲を植えなければお米は獲れない。食べる物

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「一心寺」は我が家の第二の菩提寺

「一心寺」は我が家の第二の菩提寺

「一心寺」は国内最大の永代供養の寺子供たちがすっかり成人した熟年夫婦にとって、二人揃って出かけるのは、寺か神社ぐらいかもしれないです。

大阪市天王寺区にある「一心寺」は我が家の第二の菩提寺です。
和歌山の田辺市に第一の菩提寺があるのですが、遠いのでここにすでに故人となった主人の両親の遺骨を分骨しているのです。

コロナ禍以前は、主人は毎月、私は少なくとも3ヶ月に一度はお参りに来ていましたが、緊急

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