見出し画像

私よ。葛藤せよ、人と。ーー半エッセイ・半小説:note企画「社会人1年目の私へ」

「あんたが、つくるんか?」

10年前。
この世に生まれ落ちて、23年目の秋。

「なら、ええのつくってほしいねん」

私は人生で初めて、「人」と葛藤していた。

***

「葛藤? そんなの、中高生ぐらいから山ほど経験してるよ」って人は、きっとこの世にゴロゴロいるんだろう。
でも私は、あんまり葛藤してこなかった。あんまり、いやかなり、いや結構、いや、実は全然。

なぜか。
それには、私の性格が大いに影響しているように思う。

幼少期の私は、鈍感かつ自己中ながら、貪るような知識欲があった。
3歳の頃から本屋で立ち読みを始め、ご飯を食べて寝るほかは、もっぱら読書か、田舎のひろいひろい庭の探検をする。
アリはなぜ行列をつくるのか。サトイモの葉露はなぜ丸いビー玉になるのか。雲はどこから生まれるのか。雪が消える瞬間と積もりゆく境目はいつなのか・・・
「そこに本があるから」「そこに世界があるから」、私はただただ自分の目と耳と手で世界をつかみ、読み、思考し、吸収していた。

その一方で、興味対象が「人」に移ることはなかった。
今から思えば不思議である。世界にはたくさんの「人」がいて、物語には大勢の人間が登場するというのに。
今でこそ、ライター業を経たせいもあって逆に「人」ばかりに興味があるのだが、以前の私にとって「人」は常に死角にあった。そこに常にいるはずなのに、意識されない存在。
ましてや「他人の心」は、想像することすらなかったのである。
そのせいで、きっと多くの人を傷つけた。
今なお鈍感な私では、気づきもできないほどに。

ともあれ、そんな私が小学生・中学生と成長するにつれ、テストや受験によって他を意識し、競争するような環境が生まれた。
それでもなお、私はさほど他人の成績や評価に興味はなかった。「人は人、自分は自分」という感じで、自分の興味がある進学先を選び、そのために必要な学力をつけるのみ、と思うだけだった。

そうして、「人」に大きな興味を持つ経験がないまま、社会人になってしまった。


社会人一年目。
広告代理店の制作部門として、ディレクター兼ライターの端くれとなった私は、葛藤していた。

「ええのつくってほしいねん」

入社して半年、初めて先輩のサポートなしで任されたクライアント。
会社案内をリニューアルする依頼。

クライアントの社長は、「なんか、どーんとした”ええ感じの”」ということを仰る。
どーんと? ええ感じ・・・ええ感じ?

頭の中で、クライアントのメッセージを反芻する。
どういうレイアウトの、どういうデザインの、どういう文章を、「ええ感じ」というのだろう。具体的な単語や見本を確認しながらヒアリングを重ねるが、結論「まあなんか、ええ感じの」におさまる。

他社のパンフレットを見比べ、デザイン事案を読み漁り、コンセプトやコピーを練る。
出てきた案を、一度社内で提出してみるも

「うーん。ちょっと違うと思う」

と、ダメ出しを受ける。

心のどこかで「そりゃそうだよな」と私も納得していた。
自分で自分の案に、納得していないことを知っていたから。
そんなの、通るわけがない。

そして、言われた。

「答えは・・・別のところに求めても、多分出てこないと思う」

どれだけ本を読んでも、どれだけ事例を見ても。
答えなんて、どこにもない。

じゃあ一体、どこにあるのか。

「答えはきっと、お客様の“中”にある」

答えは、相手の、中。

「相手も気づいていない、本当の想いの中に。それを形にするんだ」


そうして、私は。
23歳、人生二回りほどしてようやく、「人」と向き合うこととなった。

相手は何を想っているのか。
相手は何が好きで、何を目指していて、何が嬉しくて、何が悲しいか。
言葉、仕草、これまでのことやこれからのこと、何でも。
様々な言葉やヒントをつたい、相手の心に入り込んで、答えを探っていく。

すると。
人って凄く複雑で、深くて、でも単純で愛しい、唯一無二の存在だということに気づく。

答えは確かに、他のどこにも、この宇宙のどこにもなかった。
初めから、相手の中に。
そこにしか、なかったのだ。


全身全霊、あらゆる思考と想像力を総動員してつくった、たった8ページのパンフレットは。

「おお。ええのん、つくってくれたなぁ」

という言葉をいただくまで、数ヶ月を費やした。
もーあかん、もー動けへん、もー超えられへん。
めちゃめちゃ脱力し、めちゃめちゃ嬉しかった。


でもね。一年目の私よ。

それはあくまで、本当に、始まりに過ぎないのだ。

これからたくさんの「人」に出会い、たくさんの話を聞き、毎回しぼんで砕けて生まれ変わって、一から作り直すことを繰り返す。

世界に同じ人はいない。同じ人生はひとつとしてない。
だからこそ、答えは無限でもあり、ひとつでもある。

葛藤して葛藤して葛藤して、最後にパァンとはじけて出てくる、ほんとに小さな生まれたての卵。
それを心をこめて差し出せば、確実に相手に届く。

大丈夫。それは絶対に見つかるから。
絶対にたどり着ける。
そう信じて進むしかない。

そうすればいつの間にか、自分をどんどん、超えていくことができるのだ。
それはそれは、たくさんの人のおかげで。


だから、忘れないでいてほしい。

「人」への感謝を。

そして遅かれ早かれ、気づくだろう。

「人」ほど面白いものは、この世にないということに。


「おもしろかった」「役に立った」など、ちょっとでも思っていただけたらハートをお願いします(励みになります!)。コメント・サポートもお待ちしております。