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はるいろ空を舞う


 
 ベランダから敷布団が忽然と姿を消した。

 
 店で最も安価でありながら、あれこれ加工された掘り出し物、サイズはセミダブル、三つ折り可、程よい厚み、空色のそれが、セットのカバーと枕を残して、たった一つ(大型)の布団ばさみごと、春風に攫われる。
 休日の正午、四丁目マンション、窓辺にて。ふっくらと太陽の香りに包まれたかったUは、咄嗟に仕様もないギャグが頭に浮かび、慌てて見回す。エアコン室外機裏、両隣の仕切り、路地や、モダンなタイルが美しいエントランス前にどっしりと構えたゴミ置き場の銀光る屋根、向かい側、木造住宅の植え込みまで瞳を凝らしたがどこにもなく、示し合わせたようにトースターがチン、と鳴った。

 何はともあれ昼食をとって、切り餅をようやく消費する。「きな粉ともさようなら」だと、迂闊にも息を吸い込んで、咽せる。
 吹き飛んだとして特に物音もせず、気が付かないなど有り得るだろうか。しかしUには何事も考え過ぎるきらいがあった。例の件も、洗濯物を外に干すか否か、フローリングの掃除を済ませても尚、悩む最中に起きたとは、よもや思うまい。


 自責の念、幾ら軽量といえども、立派な凶器だ。「早く探さなくては」皿を洗うついで、さも換気のようにキッチン横の曇った小窓を開けると、レンガが敷かれた余所様の庭でパラバルーンが行われておりーー春休みの子供達によるシーツ遊びならまだしも、よりによって重い敷布団を拾ったガーデンオーナメントの愛くるしい動物天使(らしきもの)が少なくとも五は集ってふちを持ち、きゃっきゃと楽しげに形を作るーー。

 間の抜けた笑いが漏れるすんでのところ、遠い昔の読み聞かせ童話に倣ってUは目をぎゅっと瞑り、心の中で唱えた。
「自分は何も見ていない、白昼夢ということにしておこう」
 そうして、彼らの世界から、出来る限りそーっと離れる。あの家には不思議が住む、自由にさせれば今夜の寝床は雲かも知れぬ。新居の如く明るい日差しが室内に降り注ぎ、風が静まった。
 



「すっかり遅くなってしまったわね」
「たまにはいいだろう」
 ついに誰一人として異様な光景に触れず、夕刻を過ぎ、久方ぶりの旅行に出掛けた夫婦が帰る頃、ガーデンオーナメントは極めて元通りに、動きを止める。
 だが、肝心の敷布団及びはさみは何処へやら。
「とんだ時間の無駄遣い、単なる夢物語か」ぼやくUが窓とカーテンを勢いよく閉める。切り刻み、ぐつぐつ煮込んだ思案のスープを召し上がれ。

 
 気怠さ、少しの苛立ちをシャワーで流すべく部屋着をもぞもぞと脱いで、洗濯機ラックに畳んで置き、狭い浴室に足を踏み入れ、不自然にずれた真っ白な蓋と「こんばんは」……? 湯船を覗いて、「してやられた」。
 風呂の水はさながら絵の具を混ぜたようで、『あ、り、が、と、う』ボディーソープのしゃぼん玉がぱちんと弾ける。
 浸かってみると瞬く間に透き通った。さてもメルヘンチックな、恐らくはUにしか体験できない上に信じ難いであろう。

 割れたはさみはステンレス素材に化け、薄汚れた敷布団は新しく贈られ、若菜色に染まり、大層ふかふかで安らぐ、森と似た匂い、 Uが頬擦りする内に眠り落ちた程だった。
 が、翌朝には総じていつもと同じ。


 だけれども、心持ち(丁度)いい加減を手に入れ、季節が巡る毎に花びらのような淡い期待を持って契約更新、抜け出せずにいるUを、仲間が優しく見守る。
 



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