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おくりものとらべる



 ラベルライターの柔らかなボタンをふにっと押して、好きなフォントや絵文字でデコレーションされたシールが出て来るのを待つ、楽しみ。和室の押入れに長いこと眠っていた宝の箱、埃を払って、「このテープが切れたら」と思いを馳せる。
 それにしても、不揃いな裁縫セットやら分厚いアルバムやらに気を取られ、部屋の片付けが進まない。

 何しろ、拗ねた小学生の娘がまだそこに隠れているようで。霞がかかったタワー、泥濘、人の群れ、慣れる遅延と溜め息、憂鬱を度数が高いアルコールでごまかす、結び付きは指先の〈今時〉手紙をしたためれば、きっと笑われるだろう。

 でも、素直になれず、いつだって仲直りは文章、『お母さんごめんね』の丸字が滲んだ便箋の下に描かれた、しまうまと愉快な仲間たちを見ると、商店街の【おしゃまなエーデル・ワイス】にタイムトラベルできるから。



「いらっしゃい」
 雑貨がひしめき合う中に足を踏み入れ、いかにこちらが息を潜めようとも呼び鈴の如く甲高い声が必ず聞こえた。
 トロピカルなコロンの香りを纏う小柄で華奢な、少女に見えるーーつまりは年齢不詳のーー店主だ。またレジカウンター内で何らかの作業をしている(よくよく考えてみれば監視カメラがなかったので恐らく耳と目、或いは鼻も働かせて客に注意を向け続け、『暇そう』など、とんでもない)。

 ちと身動きを取るだけで商品に体のどこかが触れてしまう狭さだけれど、燦然と輝く有りっ丈の乙女ちっく、文具にファッション小物まで取り扱い、ポップな世界はときめく出会いばかり、見事に吸い寄せられた。加えて、ませた同級生はここに来ない安心感、あっさり私の居場所と思い込む。

 とはいえ毎月、漫画雑誌を買うと小遣いの残りはたかが知れており、こつこつと貯めて、欲しかった陶器の人形とか卓上の引き出しをやっとの思いで手に入れた喜びは、縦ロールのお嬢様が大輪の薔薇を背景に瞳を潤ませる姿と何だか重なる。


 
 さて。今回は翌週に控えたエッチャンの誕生日プレゼントを選ぶべく訪れた。スカートのポケットには透明ながま口の財布らしきもの、予算は親友にも拘らず僅かである。
 最初に、流れ星を塗した夜空のような(ダイヤル式)公衆電話型の貯金箱が視界に飛び込んできたが、まさに懐が寒い自分が贈ると余計なお世話ではなかろうか。

「ちょこっと、あー、留守番。任されたんだよね、うん」
マスミ。本当に?」
 学校の帰り道に左隣を歩く、彼女の怪訝な顔と巨大なはてなマークが、ふっと浮かぶ。
 渾身の(三文)芝居で遊びの誘いを断ったからにはキャラクターの筆箱もしくはコンパクトミラー辺りが相応しくも手が届かず、しばらくの間ハンカチ、鉛筆、髪留め、と頭を悩ませた。

 壁に掛かった時計の家、店主とふたりきり、飴玉みたいに溶けていく、無言の濃厚なひと時、エッチャンはウインクが得意で笑うと目がダイヤモンドの煌めき、よくアイドルを真似てはおどける。
 こうして誰かのことをひたすら考え、こちらまで幸せな気分になった頃、ほわほわの泡と美しい珊瑚礁、海のコームに巡り合い、そっぽを向いてストライプのソフトクリームを持つ、少年が表紙のリングノートにハートを盗まれた。

 しかし生憎、これも諦める他なく……。
 すると、
「片方はおまけにあげるわ」
急に店主、即ち天使が舞い降りる。
 初めて話し掛けられるも、戸惑い、返す言葉が、
「常連さん、いつもありがとう。ええっと、違ったらごめんなさいね。贈り物かしら」
 大人の優しさに腰を抜かした私はただ、こくこくと頷くのみ、せめてもの気持ちで、財布の底を叩いた。
「お友達も連れておいで」
 感謝してもしきれない。以来あの少年が脳裏にこびりつき、例のしまうまは、どうも模様がソフトクリームを連想させる(因みに色は別)。

 忘れ得ぬファンシーの宝庫、おしゃまなエーデル・ワイス。後に調べた花言葉は〈大切な思い出〉。ぴったり。



 よいしょ、っと。
 ノスタルジーに浸るうちにボールペンを走らせ、更に娘の〈お名前シール〉を貼って、リビングへ、くたくたのソファに寝そべったままの夫をじろりと睨む。一挙手一投足に胸キュンした、かつての歳上・王子様は定年退職を経てインテリアに、変わり果てた。

「切手はどこ。ついでに夕飯は何が食べたいの」
 シンプルな問い掛け、東雲のロマンスは黄昏、情緒に欠ける。妻の私とて重い体を揺らし、たんす等の整理整頓を兼ねて探し回った。

「確か、年賀状のとこだ。スパゲッティとサラダでいい」
(こっちは妥協の『で』ではなく希望の『が』がいい。そうは言ってもあなた、ナポリタンしか食べないでしょう。野菜を切り、盛り付け、適当なドレッシングをかけて、あとは麺を茹でてソースで和える、楽チンとでも?)
「分かった」
 娘の話を持ち出すと馬鹿にされる、嫌な予感がして、書いた手紙を薄いパーカーのポケットに忍ばせる。



 おしゃまなエーデル・ワイスについて、もう一つ。
 当時は姉妹揃ってエレクトーンを習い、店頭のワゴンかガチャガチャにつられて寄り道、二ないしは五十円(驚きの安さ)を入れてひんやりとしたレバーを回す、わくわく。妹に甘えられ、「教室までほんの少し」商店街のアーチから先は夢の国だった。
 子供ふたりで通る度にどきどき、コロッケの匂い、濁声で強面なおじさん、積み上げられた段ボール、奇抜な柄の洋服、看板は悉く読めなくて、憧れの化粧品に、チープなおもちゃをはじめ、タバコと駄菓子の同居、何だってあり、活気が満ち溢れる。
 だが、全ては半世紀ほど前の話。

 徐々に廃れていき、〈マスミ姉ちゃん〉も地元を離れ、悲しい哉、『あそこはシャッター通りだよ』エッチャンのメールにより知った。
 そして、現在の私はお母さん。
 散歩がてらに探し当てたポストの投函口を間違えて、常日頃の
「おっちょこちょいだな。考え事はやめろ」
という夫の台詞を、改めて痛感させられた、ところ。

 ーーあら?
 眼鏡が、おかしい。だって道路を挟んだあちら側に、帽子を被った刺繍ワンピースの、白く可憐な少女が立っている(ちっとも年を取っていないだなんて、嘘よね)。
 終の住み処は生まれ育った地からは遥か遠く。車が通り過ぎ、老眼の疑い、慌ててレンズを袖口で拭き、再び確かめた。
 けれども店主はもしや魔女っ子、既に行方を晦ませていた。ドリーミーな。

 バウムクーヘンを、買って帰ろう。



★「辛くなる前にいつでもどこでも、例えば心の中に、帰る場所があったらいいな」から生まれたストーリーです。